第138話 呼ばれてきた司祭
アンリの登場はちょっと待って下さいね。
「うひゃぁ! 冷たい……」
唸ったのは、レミニアだった。
川の中に手を突っ込むと、すぐに引っ込める。
かなり冷たくなっているらしい。
ヴォルフが出ていった頃に比べれば、随分風が冷たくなった。
木々の色も緑から、赤や黄に変わっている。
幹が揺れるたびに、落ち葉が空へと舞い上がっていった。
ワヒト王国でも感じたが、レクセニル王国もまた冬を迎えようとしている。
久しぶりにレミニアと水浴びをしようと思ったが、こう川が冷たくては、風邪を引いてしまう。
諦めようとするのだが、娘は頬を膨らましながら、首を振った。
「折角、パパと一緒なんだもん! 一緒に水浴びしたい!」
「わがまま言うなよ。ワヒトでも一緒に温泉に入ったじゃないか」
そう。
結局、この親子。
ハシリーの反対を押し切って、こっそり一緒に入っていた。
もちろん、他の女性陣には内緒にである。
「じゃあ、魔法で川の温度を熱くすれば」
レミニアは魔法を唱えようとする。
慌ててヴォルフは止めた。
「やめろ。川の魚が可哀想だろ。水を温めるなら……ほら、穴を空けてそこにお湯を流すんだ」
「悪くないけど、それだと水が泥っぽくなっちゃうんだよね」
レミニアは承知しない。
ぶすっと唇を尖らせた。
「だったら諦めろ。ほら、背中を拭いてあげよう」
ヴォルフは水を吸った布を絞る。
旅で汗を掻いた娘の身体を拭こうとした。
レミニアは渋々と服を脱ぎ始める。
真っ白な身体が露わになった。
今は夜だ。
月光が強く、娘の身体に反射すると、ぼうと光って見えた。
「大きくなったな……」
ヴォルフはしみじみと呟く。
なんか泣きそうになってきた。
それに村にいると、どうしても昔のことを思い出す。
赤ん坊だった頃のレミニアを。
そして、ヴォルフにレミニアを託した謎の女のことを。
「パパ……?」
「ああ。すまない。今から拭いてあげるよ」
ヴォルフは水に浸した布を握った。
そっとレミニアの背中に当てる。
「冷ッ!!」
「あ。すまん」
「ううん。いいの。そのまま続けて、パパ……」
「わかった」
もう1度、布を当てる。
レミニアは一瞬腰をくねらせるが、耐えた。
ヴォルフはごしごしと娘の背中を拭き始める。
すると……。
「ひゃっ!!」
突然、悲鳴を上げた。
また冷たかったのだろうか。
そう思ったが、様子が違う。
娘は振り返ると、父親の背中に回ってしがみついた。
「ど、どうした、レミニア?」
「あ、あれ!?」
「あれ?」
「人がいる!!」
金切り声を上げ、レミニアは指を差した。
ヴォルフは目を細める。
すると、月夜の元で光る瞳と、視線を交わした。
「あ……」
川の向こう。
確かに人が立っていた。
ベリーショートの金髪に、やや小さめの長耳。
狐のように細く伸びた目を開けている。
薄く唇を開け、エルフの少女は笑っているように見えた。
「レミニア、俺の後ろに」
「う、うん」
【大勇者】は素直に頷く。
父親の背中に隠れた。
「趣味が悪いな。人の沐浴を覗き見なんて……。同性でも感心しないぞ」
ヴォルフは睨む。
一方、少女は梟のようにくるくると辺りを見渡した。
どうやら自分に投げかけられたものとは、思っていないらしい。
やがて、視線をヴォルフの方へと向ける。
「ああ……。わたくしの事でしたか。これは失敬。どうぞ続きを……。わたくしはここで待っていますので」
どこかのんびりとした声が返ってくる。
警戒し、薄く殺気すら忍ばせるヴォルフに対し、変質者は飄々と立っていた。
だが、かなり出来るだろう。
何故なら、【大勇者】と【剣狼】が揃ってなお、ここまで近付かれるまでわからなかったのだ。
さぞ高名なエルフに違いない。
「何者だ?」
「沐浴の続きをしなくてもいいのですか?」
「あんたの名前と素性を聞いてから考えるよ」
「そうですか。でしたら、わたくしの頼みも聞いていただきたいのですが……」
ヴォルフ・ミッドレス……。
「――――ッ!」
「俺を知っているのか?」
「いやいや、何を言うのですか? あなたが呼んだんじゃないですか?」
「俺が……。呼んだ?」
ヴォルフは眉間に皺を寄せる。
目でレミニアに「誰?」と尋ねられるが、皆目見当も付かない。
確かにエルフ族には何人か知り合いも友人もいる。
だが、少なくともヴォルフの交友関係で、思い当たる人物はいなかった。
そもそもヴォルフは、誰かを呼んだ覚えなどさっぱりないのだ。
「わかりました。なるほど。まずは自己紹介をした方がよろしいようですね」
すると、少女は少々大仰に腰を折った。
「わたくしの名前は、リンダ・パッシー」
名前を聞いても、ヴォルフはピンとこない。
だが、次にリンダが起こしたアクションによって、すべて理解した。
彼女は首元のペンダントを外し、ヴォルフの前に掲げる。
見たことがある。
当然だ。
同じ物を、ヴォルフも首からかけているからだ。
それはラムニラ教の象徴だった。
「あんた、まさか――」
「はい。ラムニラ教の司祭です。もっとわかりやすくいうなら、あなたが出会った宣教騎士アローラ・ファルダーネと、リック・スタッタラッパの上司といえばいいでしょうか」
「アローラって、パパが出会ったラムニラ教の」
「あ……。ああ……」
ワヒトへ向かう途中の道中で出会った宣教騎士アローラ、その従者役でもあるリックのことを思い出す。
別れ際、彼女は言っていた。
ヴォルフについての誤解を解くと……。
どうやら、本当に動いてくれたらしい。
「アローラたちは?」
「彼女らには、彼女らの仕事がありますので」
「そうか。息災か?」
「それはもう……。ヴォルフ・ミッドレスという怨敵と喋り、むち打たれても、あなたの無罪を訴えるほどには……」
「――――ッ!!」
「はは……。冗談ですよ。なるほど。筋金入りのお人好しというのは、本当のようですね」
【剣狼】の匂い立つような殺気に、リンダはすぐに両手を挙げて降参した。
「あなた方が、ラムニラ教に対してどういうイメージを持っているのかは知りませんが、そんなことはしません。ここに来れなかった理由が、彼らには別の仕事がある――というところは本当ですがね」
「じゃあ、あんたは何をしに来たんだ? 俺をラムニラ教の本部にでも連れて行って、査問にでもかけようというのか?」
「それはダメ!!」
反対意見は、ヴォルフの背後から聞こえた。
レミニアの瞳が、まさしく烈火のように蠢く。
折角、親子水入らずなのだ。
ラムニラ教だかなんだか知らないが、水を差すなんて、【大勇者】には考えられないことだった。
一方、リンダはゆっくりと首を振る。
「そんなことはしません。ああ……。でも、案としてはありましたよ。あなたがラムニラ教司祭マノルフ・リュンクベリを殺害したのは、事実なのでしょ?」
ヴォルフは息を飲む。
その通りだ。
どんな理由があれ、彼がどんな姿であったであれ、彼を殺したのは間違いなく、ヴォルフだ。
それを忘れたことはない。
一時もだ。
「パパは殺したくて、殺したわけじゃないわ」
レミニアは反論する。
「でしょうね。この世の中に殺意だけで人を殺せる人なんていないのだから」
「なんか説法じみてきたな。さすがは坊さんだ」
「司祭ですよ、ヴォルフ殿。そんな村の祈術師みたいな呼び方をしないでください。――さて、ではそろそろ本題といきましょう」
「本題? ああ……。頼みがあるとか言っていたな」
「はい。出来れば、後ろにいる【大勇者】にも手伝っていただきたいのですが……」
「いやよ。なんか怪しいわ、あなた」
むっとレミニアは睨んだ。
「もし、頼みを聞き、依頼を達成してくれれば、あなたの地位の回復を約束するといえば、どうでしょうか?」
「な――! あなた、司祭よね。商人みたいに取引をするの?」
「例えば、わたくしがヴォルフ殿を見定めて、ただヴォルフ・ミッドレスは悪人ではないと宣言する。そんな適当なことをいうよりは、実にわかりやすい取引と思いますが」
ただただ人間性を調べられて判断するより、ラムニラ教に対してきちんと恩を売って、精算しろ。
リンダはそう言っているのだ。
レミニアの言うとおり、釈然とはしない。
司祭の言葉とは思えないだろう。
だが、一理ある。
何かの拍子で約束が違えられた時、その恩を盾に反論する事ぐらいは出来る。
ただレミニアには痛いほどわかっていた。
お人好しの父親は、例えそんな事態になったとしても、リンダを責めたりはしないだろう。
今だってきっと、リンダが困っているからこそ、手を差し伸べようとしているだけなのだ。
(ヴォルフ・ミッドレス……。パパはそういう人だもんね)
レミニアは背中に隠れながら、息を吐く。
そしてもうこの時、お人好しの腹は決まっていた。
わずかに顔を上げる。
月光に反射した紺碧の瞳は、ギラリと輝いていた。
「わかった。聞こう……」
一応、予定ではヴォルフが出会った人々が、
今後再登場すると思います。
お楽しみに!