第137話 親子の帰還
お待たせしました。
新章『不死の王篇』スタートです。
馬車は長い長い森の中を走っていた。
獣道とも人道ともいうような道を抜ける。
開けると、そこには小さく、そして素朴な村があった。
馬車はその入口に止まる。
出てきたのは、3人の男女だ。
その1人の少女が、大きく伸びをする。
森の空気を目いっぱい吸い込んだ。
「う~ん! ニカラスの空気だわ!!」
喜びを爆発させた。
甲高い声が小さな村に響き渡る。
やがて村人が集まってきた。
そのほとんどが老人だ。
しかし、鍬を持つ手はいまだに現役である。
横には、蕪を持った老婆も立っていた。
その老人たちの手から、鍬や野菜がこぼれ落ちる。
収穫したばかりの野菜は、再び土にまみれた。
「もしかして、レミニアちゃん?」
「う、後ろのはヴォルフじゃねぇか?」
「帰ってきたのか?」
「みんな!! レミニア・ミッドレス、帰って参りました!!」
レミニアは手を振る。
そのまま村人たちに駆け寄り、老人たちの海に埋もれた。
「よく帰ってきたねぇ」
「おお! ホントにレミニアちゃんだ」
「元気そうで良かったよぉ」
「ああ。ホントに……」
レミニアの頭を撫でたり、中には涙を流すものもいる。
騒ぎを聞きつけ、次々と村人が集まってきた。
娘の背後に立っていたヴォルフにも、村人たちが群がる。
「ただいま、みんな」
目を細める。
「ヴォルフ、あたしゃ寂しかったよ」
「よく帰ってきたな」
「嬉しいよ、わしゃ。お前さんが帰ってきてくれて」
馴染みの声を聞きながら、ヴォルフはほっと胸を撫で下ろした。
レミニアと同じく、目いっぱい息を吸い込んだ。
木と土のにおいが、鼻を通っていく。
帰ってきたのだ、ニカラスに……。
急に目頭が熱くなる。
正直、もう帰って来れないと思っていた。
でも、ヒナミやレミニア、他にもたくさんの人のおかげで、もう1度ニカラスの地を踏むことが出来た。
これほど、嬉しいことはない……。
「なにを泣いちょるんだ!?」
「そうじゃそうじゃ。おれの鍬を研いでくれ」
「わしゃ、腰な」
ヴォルフは涙を拭く。
赤くなった鼻をくずらせながら、苦笑した。
「帰ってきて早々頼み事かよ」
「何日も帰ってこなかったんだ」
「そうさ。こっち心配してたんだぞ」
「そうだそうだ。あの…………。あの子だって」
「ああ。あの子な。えっと……。名前は……なんていったっけ?」
「あんたら、ボケたのかい? アンリちゃんだよ」
アンリ……。
その名前を聞いて、ヴォルフの胸はキュッと締まった。
ニカラスには彼女がいる。
忘れていたわけではない。
ちゃんと覚えている。
いや、一時たりとも忘れたことはない。
アンリにも心配をかけたはずだ。
思えば、魔獣戦線の戦勝式典に旅立ってから会っていない。
あれから入れ違うように、ヴォルフもまた冒険者になるべく旅立ったからだ。
「会いたいなあ」
無意識に呟いていた。
だが、村人達は首を振る。
「1歩遅かったな。一昨日、王都から呼び出しがあって、すっ飛んでいったよ。『たいしたことはない』とは言っていたが……。ありゃなんかある顔だったな」
「そうか」
ちょっと心に引っかかる。
彼女が呼び出されるということは、『たいしたことではない』ということではないだろう。
「パパ! とにかく荷物を下ろしましょう」
レミニアが手を振る。
ヴォルフは突っ立っていると、一緒に付いてきたハシリーが囁いた。
「お気持ちは察しますが、大丈夫ですよ、ヴォルフ殿。早々何度も悪いことは起きませんよ。それに、レクセニルにはツェヘス将軍がいらっしゃいます。心配無用です」
そう。
レクセニル王国には、グラーフ・ツェヘスがいる。
演技とはいえ、ヴォルフが敗北を認めた相手だ。
彼を破る相手は、早々いないだろう。
だが、それでも……。
あの扉の向こうで見た人物が相手ならば……。
『ご主人……』
背後からミケの声が聞こえる。
きっと落ち込んでいる主人を心配してだろう。
ヴォルフは気を取り直す。
大丈夫だ、と振り返った。
そこに立っていたのは、村の子供たちに揉みくちゃにされたミケだった。
モフモフの毛で弄ばれている。
実に不機嫌そうに、ご主人を睨んでいた。
『助けてくれ……』
【雷王】は懇願するのだった。
◆◇◆◇◆
村の人間に歓迎されながら、ミッドレス親子は久しぶりに自宅に帰ってきた。
数ヶ月ぶりの我が家だ。
さぞ傷んでいるだろうと思ったが、そんなことはなかった。
床は綺麗に磨かれ、天井には蜘蛛の巣1つない。
出て行ったそのままの姿が残されていた。
村の人間が言うには、アンリが定期的に掃除していたらしい。
ヴォルフは心の中で姫騎士に感謝した。
「またアンリ姫に借りが出来てしまいましたね、レミニア」
「わ、わかってるわよ」
むぅ、レミニアは頬を膨らませる。
すっと窓の格子に指を滑らせた。
薄く埃が残っているが、これはきっとこの2日で溜まったものだろう。
「帰ったら、お姫様に手紙を書くわ」
「それがよろしいかと」
ハシリーはニコリと笑った。
『ここがご主人の家か』
「ああ……。どうだ?」
『ご主人の匂いがする』
「気持ち悪いこというなよ」
『代えてない下着の匂いがする』
「嫌なことをいうなよ」
「パパ……」
レミニアがじっと睨んでいた。
ヴォルフは慌てて手を振る。
「昨日、履き替えたって! まだ大丈夫!」
「ホント?」
レミニアはジト目で睨む。
ヴォルフに全幅の信頼を寄せる娘だが、こと下着となると、途端に父を疑う。
『心配するな、嬢ちゃん。嘘は言ってないぜ』
「ミケがそういうなら仕方ないな」
俺は神獣よりも信用がないのか……。
ヴォルフはガックリと肩を落とすのだった。
◆◇◆◇◆
落ち着く暇もなく、ヴォルフは村人の要望を聞いていく。
まず農具のメンテナンスだ。
ヴォルフがいない間は、『葵の蜻蛉』のリーマットがやってくれていたらしい。
『柄じゃないんですけどね』
渋い顔をしながら、鍬を研ぐ青年を思い浮かべる。
ヴォルフは思わず苦笑してしまった。
あっという間に終わらせる。
強化によって成長したのは、単純な強さだけではない。
研ぎの技術も上がっていた。
そもそも旅の途中、愛刀【カムイ】をメンテしていたのは、ヴォルフだ。
冒険初期こそ鍛冶師に出していたが、その後は自分がやっていた。
おかげで、研ぎのレベルも上がっている。
村人が使う農耕具の研ぎなど、造作もなかった。
「な、なんじゃこりゃああああああああ!!」
畑に絶叫が響き渡る。
皆が腰を上げて、声の元へと歩いていった。
老人の1人が、腰を抜かしている。
集まってきた村人に、老人はしどろもどろに説明する。
研いだばかりの鍬を試しに振ってみた。
すると、まるで水にでも沈むように土に刃物を入れることが出来たという。
それだけではない。
「刃物を立てておいてたら、そのまま勝手に刃が土の中に沈んだんだ」
「え?」
そして、それだけではない。
老人は2つに割れた石を見せた。
「しかも、何も力を入れておらんのに、石が綺麗に斬れておった」
「え? えええええええぇぇぇぇぇぇえぇぇぇえぇえぇえぇえぇぇぇ!!?」
ニカラスの村人が絶叫する。
「なんじゃ、これは?」
「魔法か、なんかの?」
「ヴォルフのヤツ、一体何をしたのじゃ?」
「すごい! こりゃ、村の宝じゃ!」
「天からの授かり物に違いない!!」
わいわいと老人達は沸き立つ。
ありがたや……。ありがたや……。
村人達は頭を下げた。
立てかけた鍬を、まるで聖剣を崇めるように有り難る。
その異様な光景を背にして、ヴォルフは農具のメンテを続けていた。
相変わらずのどん亀更新ですが、
これからもよろしくお願いします。