プロローグⅤ(前夜)
新章『第5章 伝説の帰還篇』早くも開幕です!
ストラバールには、2つの伝説が存在する。
1つは伝説の【勇者】レイル・ブルーホルドである。
45歳にして、冒険者稼業を始めながら、100万体以上の魔獣を斬った男だ。
超高難度級が142231体、災害級が11622体という公式記録は、200年経っても、色あせず燦然と輝いている。
そして、もう1つ……。
レイル・ブルーホルドの功績が光だとすれば、こちらは闇だ。
そしてレイルの伝説とは少しばかり趣が違う。
何故なら、その存在こそが伝説であること……。
さらにいえば……。
その存在は、いまだ生きているということ……。
◆◇◆◇◆
荒天だった。
汚泥のような雲が東に向かって流れていく。
風は強く、吹き飛ばされた建物の一部が、空へと飲み込まれていった。
急激に温度は下がり、同時にストラバールに満ちる魔素も低下していく。
まるで東で何かが起こり、それに吸い寄せられるようであった。
丁度この時起こっていたワヒト王国の異変。
そこから遠く離れた西の地にも、異常気象となって現れていた。
だが、その原因を知るものはいない。
しかして、気狂いを起こした天候に、震えるものはいない。
震えていたのは、雨粒が叩くガラス窓。
さらには、1筺の棺であった。
雷鳴が轟く。
青白い稲光が、棺が置かれた部屋に差し込む。
露わにはなったのは、漆黒の色……。
そして様々な模様が描かれた彫刻だった。
ゆっくりと蓋が動く。
鼠が通れるほどの隙間が出来ると、轟雷と一緒にそれは現れた。
指だ。
薄気味悪いほど白い。
しかし、長く優美。
うっとりとするほど、繊細だった。
蓋の縁に手を掛ける。
重たそうな石蓋を、軽々と動かした。
どすんと音がし、暗闇が露わになる。
両端の縁に手を掛け、中の者は現れる。
棺の中にいる者といえば、当然死者だ。
しかし、上半身が動き、首が動き、頭が動く。
最後に、長い、長い白髪がしなだれた。
くるりと首を動かす。
雷光の影の中で、ワインレッドの瞳が光っていた。
すっくと立ち上がる。
線の細い身体を目一杯伸ばした。
一糸纏わぬ姿を空気にさらす。
見た目は、17、8。
綺麗なラインを描いたウェスト。
大きくもなく、小さくもないキュッとした臀部。
太股は月の肌のように白く、張りのある胸に付いた乳首は上を向いていた。
ほう、と欠伸を1つ。
その動作だけでも、何か気品を感じる。
そう。圧倒的な存在感があった。
その棺から現れた少女には……。
「おはようございます、陛下」
恭しく頭を下げたのは、強面の男だった。
少女と同じく色素の抜けた白髪。
厳格そうに引き締まった四角い顎。
こめかみ付近までつり上がった瞳は、どこか狼を思わせる。
赤い目は少女と同じく超然とし、細い身体はゆったりとした長衣に包まれていた。
「ゼッペリンか……」
涼やかな高音が響く。
どこか心地よい。
しかし、その言葉に含まれた感情は、ひどく冷徹だった。
「ははっ! お目覚めをお待ちしておりました、陛下」
「うむ。どれほどに眠った」
「ざっと200年ほど」
「ふむ。随分と長い眠りであったな。ところで……」
レイルの姿が見えないようだが……。
ゼッペリンの眉根がピクリと動く。
“陛下”と呼ばれた少女は、いと楽しそうに言葉を発する。
だが、依然としてそこには棘があった。
「どうした、ゼッペリン。答えよ」
「はは……。レイル……。レイル・ブルーホルドは、いまだ我が居城に戻らず」
「ほう……。して、あやつは一体何をしておるのだ」
「それが200年前、かの魔獣戦線の折り以降、その姿を見たものはおりません」
「…………」
「方々に手を尽くし、探しましたが、見つからず」
「…………。では、あれか。あの男は、我との誓約を違えたというか」
「恐れながら……」
すでに部屋は、“陛下”の殺気で満ちあふれていた。
呼吸すら難しく、まるで毒気のようであった。
対し、ゼッペリンはどうしようもない。
ただ自分の力のなさを恥じ、“陛下”の前で膝を折ることしか出来なかった。
“陛下”は1度、目を閉じる。
一度、己が気を静めた。
やがてゼッペリンに向かって、指を向ける。
「ゼッペリン、近う」
「はは……」
ゆっくりと近付いていく。
動きに一片の乱れもない。
上司を疑う素振りすら見せなかった。
再び全裸の少女の前で膝を突く。
「よく200年間、我を守護し、そしてレイル捜索の任に当たってくれた」
「もったいなきお言葉です」
「褒美だ。受け取るが良い」
瞬間、ぼとりと音を立てて、何かが落ちた。
手だ。
美しい。
高名な芸術家すら再現不可能な繊細な左手だった。
それが切断されている。
じわりと血が絨毯に滲んだ。
「飲め」
“陛下”はただ一言呟いた。
弾かれるようにゼッペリンは顔を上げる。
唇が震えていた。
「よろしいのか」と何度も目で訴えた。
「言ったであろう。褒美だと」
2度目の許しを得ても、ゼッペリンは戸惑い隠せなかった。
やがてそっと絨毯に転がった左手を、両手ですくい上げるように掲げる。
温かい……。
溢れる血が、まるで灼熱のようであった。
ついはしたなく、べろりと唇を舐める。
思いの外、乾いていた。
いや、身体が欲していたのだ。
聖杯のように掲げる。
こぼれてきた血を呷った。
鮮血は腕を伝い、唇からはみ出る。
真っ赤に染まりながら、ゼッペリンは血を呷り続けた。
「うまいか……」
「はっ! 身に余る光栄です、陛下」
「ふむ。では、用意してもらおうか」
何を? ゼッペリンは顔を上げ、また目で訴える。
少女は微笑む。
酷薄に……。
「まずは我が正装を……。そして――――」
我が眷属たちを……。
切り離された手は、すでに元通りに戻っていた。
◆◇◆◇◆
ドラ・アグマ王国。
王城シグアの大広間。
そこに集まったものは、すべて人ではなかった。
スケルトン。
亡者。
吸血鬼。
食屍鬼。
ミイラ。
首なし騎士。
ワイト。
夜を代表する眷属。
そして不死の種族たちだ。
異様な熱気と、異様な雰囲気を醸し出している。
騒がしいものの、具体的な言葉は聞こえてこない。
あるのはうめき声、骨が当たる音、肉が飛び散る音だ。
異形のものたちは、大広間で渦を巻くように待機していた。
やがて、少女が現れる。
烏羽のような漆黒のドレス。
そこに白いレースと、フリルがあしらわれている。
美しい白髪には、黒い薔薇の髪飾りが載っていた。
この中ではよほど人間らしい姿だ。
しかし、夜の眷属たちは一斉に平伏する。
魂や意識のないものたちですら、“陛下”の前で跪いていた。
「我が眷属たちよ! よくぞ集まってくれた。礼を言う」
「もったいなきお言葉ですぞ、陛下」
側に控えたのは、大きなスケルトンだった。
8本の腕に、3つの首を持ち多首多腕のスケルトン。
その手には、別の武器が握られ、頭には錆び付いた鉄の兜が載っている。
「骸骨将軍か……」
「お目覚めをお待ちしておりました、陛下」
「うむ。我もそなたに再び会え、嬉しい」
「ありがとうございます。――して、今回どのような招集で」
「そろそろお主らも、暴れたいと思っている頃だろうと思ってな」
「ぎゃしゃしゃしゃ……。ほう! それでは!」
すると、“陛下”は声高らかにその美声を響かせた。
「聞け、我が眷属よ。レイル・ブルーホルドは、我との約定を違えた!」
瞬間、空気がピンと張りつめる。
やがてその意味を知ると、眷属たちから殺気が立ち上った。
「我は警告した。約定を違えれば、どうなるか。故に、我は罰を下すことにした」
“陛下”は目を細める。
紅い瞳が、鮮血のように光った。
進軍せよ! そして蹂躙せよ!!
「目標はレクセニル王国! レイルを慕うもの。レイルが愛したもの。その全てを根絶やしにするのだ!!」
おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!
吠声が大広間に鳴り響く。
両手を突き上げ、或いは握った武器を床に叩きつけ、夜の眷属たちは吠えた。
そして諸手を挙げて、唱和する。
「カラミティ・エンド陛下、万歳!!」
「我らが真祖、万歳!!」
「【不死の中の不死】、万歳!!」
その雄叫びとも、称賛ともわからぬ声を前に、少女は微笑む。
真祖にして、不死。
【不死の中の不死】にして、王。
ドラ・アグマ王国の唯一無二の王。
カラミティ・エンド。
彼女こそが、ストラバールの生きる伝説の1つである。
後夜に続きます!