第136話 【大勇者】vs【剣聖】
ご心配をおかけし、申し訳ない。
お待たせいたしました。
ぼおぅ、と魔導船が汽笛を鳴らす。
出港準備が整ったという合図だ。
梯子が下ろされ、島国で窮地を脱した来賓たちが次々と乗り込んでいく。
大変な事件だった。
それでも、客の顔は明るい。
多少傷ついたとはいえ、ワヒト王国は自然豊かな国だ。
観光資源があちこちに点在し、大陸側では観れないような雄大な景色を見せてくれる。
国の復興事業を指揮する一方で、小さな王様は懸命に謝罪に回り、ワヒトという国を知ってもらおうと、被害の少ない観光地などを案内した。
この行動が、船を待つ来賓たちの胸を打ち、好結果に結び付いたというわけだ。
一体、あの小さな背中のどこに、そんな力があるのか。
傍らでヒナミの姿を見ながら、ヴォルフは感心しきりだった。
この王であれば、ワヒトは強い国になる。
そう確信できるほど、【剣聖】は働き続けていた。
そして、それも今日――終わる。
ヴォルフたちもまた、国に帰る時が来た。
ワヒト国民として……。
娘とともに、だ。
ヴォルフは港で、ヒナミと最後の別れを告げていた。
彼の後ろには、娘やハシリー。
ヒナミ姫の後ろには、エミリや家臣団が並ぶ。
空は【剣狼】の新しい門出を祝うように、蒼穹に染まり――とはいかず、今にも降り出しそうな、どんよりとした雲が漂っていた。
島から吹き下ろす風には、冬の匂いを混じる。
冬が来る……。
どこかもの悲しい雰囲気があった。
けれど、各々の顔に憂いはなく、別れを惜しむこともない。
時折、笑顔が見えるほど、和やかな雰囲気に包まれていた。
「世話になったな、ヒナミ」
「なんの。お主への恩を考えれば、些細なことだ」
「温泉は、なかなか良かったわよ」
声をかけたのは、レミニアだ。
いたく気に入ったらしい。
滞在していた時は、ヴォルフを連れて2人で入りに行っていた。
「是非レクセニル王国にもお越し下さい、陛下」
「ハシリー殿も息災で。国が落ち着いた暁には、ムラド王にお礼申し上げに参るとお伝えくだされ」
ワヒトに起こった大事は、すでにレクセニル王国の耳に入っていた。
ムラド王はすでに同盟国に対し、物資および人材の派遣を約束している。
その連絡役を担ったのが、ハシリーだった。
ちなみに、普通一国の主が他国を訪れるというのは、魔獣が横行するストラバールでは珍しいことだ
が、【剣聖】といわれる彼女には、その常識が当てはまらなかった。
「ヴォルフ殿……。お刀は必ず持参するでござる」
「ああ。それまで、この刀を使わせてもらうよ」
腰に下げた刀を掴み、エミリに向けた。
名は【ハクツル】。
エミリの髪と同じく、銀色に光る刀だ
「違うであろう、ヴォルフ。そこは、エミリと思って使わせていただくであろ。ま――。刀よりは、実物の方がいいかもしれぬがな」
「いや、それは――」
ヴォルフの顔が赤くなる。
エミリと目線が合うと、2人の顔がさらに赤く熟れた。
やれやれ、と【剣聖】は肩を竦める。
「エミリも、エミリじゃ。付いていけばいいであろう」
「ひ、姫……! せ、拙者にはまだヴォルフの刀を作るという仕事が……」
「ならば、ヴォルフをここにとどめておけば良い」
「それはわがままではありませんか?」
「そうか。ならば、妾が言おう」
「「え?」」
ヴォルフよ。妾のものとなれ……。
耳を疑う台詞だった。
今、まさに送りだそうとした瞬間。
そしてヴォルフとエミリの関係を認めた上――。
【剣聖】の少女は、ヴォルフがほしいといったのだ。
「ひ、ヒナミ……。冗談だろ?」
ヴォルフは声を絞り出すのが精一杯だった。
驚いた――というよりは、気のせいか【剣聖】の表情が豹変したような気がした。
いや、気のせいではないだろう。
【剣狼】の言葉を聞いた瞬間、小さな少女は、まるで1本の刀となる。
鋭い殺気を漲らせ、ヴォルフを正面から睨んだ。
「こんなことを冗談でいうものか。それも人前でな。信じられないのであれば、もう1度いおうか、【剣狼】よ。妾はそなたがほしい」
「…………!」
「形はどうでも良い。恋人であっても、我が父でも、上司でもいい。王という位がほしいなら譲ってもよい。そもそも妾はそなたに負けているのだからな。だから――」
「ヒナミ、落ち着け!」
「妾は落ち着いておるよ」
濡れそぼった刀身のように冷ややかな声だった。
「もし、拒否するというなら……。ヴォルフ。決めようではないか」
ヒナミ姫の手が、刀の鞘に触れる。
殺気が研ぎ澄まされ、【剣聖】は文字通り1本の刀として仕上がった。
姫は本気だ。
その時、ヴォルフはようやく理解した。
周りの人間を巻き込んでも、この果たし合いを実現しようとするだろう。
現に誰も、彼女に諫言するものはいない。
何か覚悟を決めたように、顎に皺を寄せて、力を入れていた。
ヴォルフはヒナミ姫の覚悟を受け取る。
鞘に手を伸ばした。
「わかっ――」
「待って!」
声がかかる。
ヴォルフを止めたのは、ヒナミ姫と同じぐらい小さな少女だった。
レミニア・ミッドレス。
ヴォルフの娘。
彼女が止めに入ったのは、当然の帰結かもしれない。
だが、次の行動が周囲をざわつかせた。
側にいた刀士の1人から刀を奪う。
鞘を腰に下げ、切っ先をヒナミ姫に向けたのだ。
「レミニア!」
ヴォルフが止める。
だが、遅い。
それが何を意味するのか、誰の目にも明らかだった。
父が欲しくば、わたしを倒してからにしろ。
寒々しいほど使われ尽くした定型句。
しかし、その言動の意味は、見ていたものの肺腑へすとんと落ちていった。
「良かろう。そなたとは1度、やってみたかったしの」
「光栄と思うべきなのかしら」
「ところで、【大勇者】よ。そなた、刀は使えるのか? 得意の魔法でもいいのだぞ?」
「お気遣いなく、陛下。これだけで十分よ」
ヒナミ姫は殺気を漲らせて牽制する。
一方で、レミニアはどこにも力が入っていない。
自然体で、飄々と刀を構えていた。
ヴォルフは思わずごくり喉を鳴らした。
最初は止めようと思った。
しかし、すでに2人の間には独特の雰囲気があった。
踏み込めない結界のようなものが張り巡らされ、1歩も動けないでいた。
いや、違う。
たぶん、見たいのだ。
偶然に出現した対決を……。
【大勇者】VS【剣聖】。
それは運命だったのかもしれない。
「パパ……」
唐突に声をかけられ、ヴォルフは広い肩を動かした。
心配げな父の視線に、背中越しでも気づいたのか。
レミニアは一時もヒナミ姫から目を離さず、こういった。
「よく見ていてね」
すると、レミニアは抜いた刀身を再び鞘に沈める。
(あれは――)
解説する間もなく、戦いの気配が高まった。
「合図は?」
「いつでも……」
「わかった。誰でも良い。差配せよ」
ヒナミ姫の家臣の1人が進み出る。
一礼した後、声を張り上げた。
「はじめ!」
声が空気を震わせる。
だが、その震動した空気は、たちまち一陣の風に巻き込まれた。
ジャッ、と埠頭の砂を蹴る音が鳴る。
仕掛けたのは、ヒナミ姫だ。
速いッ!!
ヴォルフの目はかろうじて捉えていた。
一陣の風となったヒナミ姫をだ。
最初に戦った時よりも明らかに速い。
初速から最大速度までに駆け上がる速さが異常だった。
足の運び。
頭を出す角度。
適切な力配分。
最短距離。
すべての無駄をそぎ落とし、髪の毛の先ほどズレもなく身体を動かす。
それは【無業】の考えに通じる。
最短最速。さらに最効率……。
結果、人間の限界速度を遙かに超えた速力を生む。
他の者にはヒナミ姫が消えたように見えたはずだ。
まさに【陽炎】……。
その歩法に名を与えるなら、その表現はぴったりであったろう。
おそらくヴォルフ戦で見た【無業】の進化形。
姫から見れば、対剣狼用の技だったのかもしれない。
やはり天才。
ヒナミ姫は、100年、いや1000年に1人の逸材だ。
ヴォルフは焦がれた。
その圧倒的な才能の光りに。
自分にないものに……。
しかし――。
ギィィィィイイイイイイイイインンンン!
甲高い金属音が響く。
続いて、ヒュッと空気を切り裂き、刃が跳ね上がった。
曇天の空に消えて行く。
とぽん、と呆気ない音を立てて、海に沈んでいった。
…………。
…………。
…………。
長い。
長い沈黙が続く。
まるで絵画の世界だった。
人々が時が止まったように動かなくなる。
中央には役者が2人。
柄を握ったままたたずんでいる。
1人は切っ先が折れた刀を握り。
1人は刀身の腹を相手の喉元の手前で止めていた。
雪原を思わせる銀髪が、2、3本はらりと落ちる。
対して、赤い髪が炎のように揺れていた。
まるで火が雪を食っているようであった。
「レミニアの……勝ち…………」
まさに一瞬だった。
レミニアが放ったのは【無業】だった。
最短最速の技。
その精度は、ヴォルフはおろか目の前の天才を凌駕していた。
それに――。
思えば、ヴォルフは娘の目の前で【無業】を使った覚えはない。
魔獣戦線の折、遠目で見ていたという可能性はあるが、その実態については知らないはずだ。
語って聞かせた覚えもない。
おそらく彼女は、刀の特製を踏まえ、最適な解を導いたのだろう。
何百年と研鑽し、先人達が無から有を生み出した刀術。
しかし、レミニアはその努力を一瞬で飛び越え、今最高と思える技を体現して見せたのだ。
ヒナミ姫が1000年に1人の天才であるなら……。
レミニアはきっと10000年に1人の天才なのかもしれない。
ヴォルフの脳裏に浮かんだのは、その娘の言葉だった。
次に魔法が切れた時、パパはたぶん、わたしを越えていると思う。
(果たして、俺はこの【大勇者】を越えられるのだろうか……)
いや……。
越えてみせる。
そして、レミニアの勇者になる。
【剣狼】の心に今強く、……炎が灯った。
『剣聖の王国篇』これにて終了です。
さらに第4章『伝説は死なず……』もこれにて完結となります。
ここまでお読みいただいた方、ありがとうございます。
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よろしくお願いします。
新章『伝説の帰還』、そのプロローグ部分に関しましては、
今週土曜投稿予定です。
引き続き『アラフォー冒険者、伝説になる』をお楽しみ下さいm(_ _)m