第135話 刀の国のおっさん
剣聖の王国篇、ラスト2回です。
温泉地から戻った次の日、ヴォルフ一行は王城に呼び出された。
城の中にある中庭に、ヴォルフ、レミニア、ハシリー、エミリが集められる。
しばらく見事に修復された庭園を見て回った。
ヴォルフとエミリはすっかり恋人同士だ。
娘の前でこれ見よがしに手を繋いで歩いて回るということはなかったが、お互いに表情が軟らかく、心の部分で強く結び付いているのがわかる。
特にレミニアは咎めなかった。
父が幸せそうなら、娘としてはそれに勝るものはなかったのだ。
「しかし、どうして中庭なんだろうか? ヒナミは庭を見せたかったのか?」
白砂が敷き詰められた庭園は、天晴れの一言に尽きる。
ワヒトでは枯山水と呼び、水を用いず、自然を表現した庭なのだという。
よく見ると、確かに白砂には波模様が描かれていた。
苔や石は、島を示しているのだろう。
俯瞰してみると、なるほど大きな地図のようだ。
庭にはまだ戦渦の痕が残っていた。
思えば、なりそこないの武者を倒したのも、この場所だ。
あの時は、この美しい庭を愛でる時間すらなかった。
エミリはヴォルフの質問に答える。
「ワヒトでは、大事なことは中庭で決められるのでござる。ちなみにでござるが、罪人の沙汰も、庭で行われるのがワヒト流でござるよ」
「い゛!!」
ヴォルフは顔を引きつらせた。
エミリが口元を抑え、コロコロと笑う。
「ヴォルフ殿はワヒトの大恩人でござるよ。そんなことにはならないでござる」
「びっくりさせないでくれ、エミリ。俺はこれでも罪人なんだぞ」
ホッと胸を撫で下ろす。
『その割には無茶ばかりしてるにゃ』
絶妙なタイミングで、ミケが茶々と入れた。
すると中庭に風が吹き込む。
それぞれの髪や毛を揺らした。
空は真っ青だ。
見事な秋晴れが広がっている。
この前まで、国が乱れ、戦争の最中にあったとは思えないほど、穏やかだ。
思えば、こういうオープンな場所で大事なことを決めるというのは、珍しい。
レクセニルでは、もっぱら王の間だった。
おそらくワヒトでは、密室ではなく、こうした開けた場所で決めるのが習わしなのだろう。
不正がなかったということを、民衆に知らしめるためだ。
来るまでは野蛮な国家だと思っていた。
しかし、民を思うという点では、ワヒトはどの国よりも優れている。
その国を代償にしてまで、人類の存亡に賭けた先代の心は、如何様であっただろうか。
ヴォルフは、ふと大空を見ながら考えた。
ドンッ!
太鼓が鳴る。
急に慌ただしくなり、正装を身に纏った刀士たちが、廊下を歩いてきた。
その後にやってきたのは、鮮やかな着物を着た少女だ。
顔におしろいを塗り、小さな口元には紅が塗られている。
綺麗な銀髪をワヒト特有の髪型で結び、金色のかんざしが凛と揺れていた。
一体どこの美人だ???
ヴォルフは呆然と立ちすくむ。
「おい。王の前であるぞ。控えおろう! 頭が高い!!」
家臣に怒られる。
慌てて平伏しようとしたが、少女は薄く笑った。
「良い。楽にせい」
声に聞き覚えがあった。
ヴォルフは再び驚く。
顔を上げると、マジマジと見つめた。
「ヴォルフよ。何を熱心に妾を見ておるのだ? ふふふ……。そなた、もしかして妾に見とれておるのか?」
「パパぁぁあああ……。それ本当?」
レミニアが目を三角にする。
赤い髪が逆立つほど、怒りを漲らせた。
「ち、違う! そうじゃない、レミニア」
「ヴォルフ殿。見とれていたというのは、本当でござるか?」
今度は、エミリからも追求を受ける。
娘と恋人に挟まれ、さしもの【剣狼】も立つ瀬がなかった。
少女は再びカラカラと笑う。
「モテる男は辛いのぅ、ヴォルフよ」
「やはり……。ヒナミなのか?」
着物をまとい、化粧をし、文字通り化けた【剣聖】は、小さく顎を縦に振った。
「応よ。びっくりしたか?」
「した……。見違えた……。1本取られたよ」
「それは良いことを聞いた」
「ところで、俺たちを集めた理由は?」
「うむ」
ヒナミ姫は庭の方に降りてくる。
ヴォルフの方に近付いてきた。
何が起こるかわからず、戸惑っていると、突然【剣聖】は頭を垂れた。
「国を代表し、改めて感謝する。ヴォルフ・ミッドレス。今、ワヒト王国があるのは、そなたとそなたの仲間のおかげだ」
「おいおい。よしてくれ、ヒナミ。それに、俺や俺の仲間だけじゃない。そこにはお前も含まれているんだぞ」
「妾は、国主として当然のことをしただけじゃ」
「なら、俺もそうだ。困っている人がいたら助ける。人として、当然のことをしただけなんだよ」
「前から知っておったが、お主は根っからの英雄気質じゃの……」
『違うにゃ、嬢ちゃん。ご主人の場合は、お節介がすぎるだけにゃ』
ミケはやれやれといわんばかりに、耳の裏を掻いた。
「別にいいだろ」
「ミケはなんといったのじゃ?」
「お節介だとさ」
ヒナミはプッと噴き出す。
「ミケのいう通りじゃな。お主は世界一のお節介焼きじゃ」
「違うわよ、パパはすべてにおいて世界一なのよ」
レミニアはヴォルフを擁護する。
父の腕に、手を絡ませて、甘えた。
ヒナミはレミニアとハシリーに対しても頭を下げる。
「レミニア殿、ハシリー殿。両人にもご迷惑をかけた」
「ヒナミ姫様、どうぞ顔を上げてください。ワヒトとレクセニルは同盟を結ぶ間柄です。手を差し伸べるのは、レクセニルの臣下として当たり前のことです」
「それに結構面白かったわ、この国。温泉も良かったし。あの花嫁衣装? 素敵だったしね。今度は、公務じゃなくて、きちっと遊びにくるわ。もちろん、パパと2人っきりでね。ね!? パパ……」
「あ、ああ……」
ヴォルフは返答に窮する。
ちらりと、エミリを見つめた。
その彼女にも、ヒナミは頭を下げる。
「エミリ……。そなたにも――」
「いやいや。拙者はワヒトの刀匠でござる。ただ一所懸命。国を守ったに過ぎぬでござるよ」
「ふむ。確かに……。だが、お主は自分の心も一所懸命を貫いたようだがの」
ヒナミ姫は目配せする。
ちらりと、ヴォルフの方を向いた。
途端、エミリの顔が真っ赤になる。
シュー、と頭から湯気が上ると、そのまま沈黙してしまった。
ヒナミ姫は笑う。
またヴォルフに向き直った。
「して――。褒美は何が良い、ヴォルフ。なんでもいってみせよ。大概のものは用意させよう」
「別にいらんよ、ヒナミ。俺は褒美が欲しくて、戦ったわけじゃない」
「まあ、お主ならそういうじゃろうな。だから、すでに用意させておいた」
1人の男が脚がついたトレーのようなものを持ってくる。
ワヒトでは金台というのだそうだ。
その上には、1枚の書状が載っていた。
ヒナミ姫は、それを拾い上げる。
ヴォルフの目の前で読み上げた。
「ヴォルフ・ミッドレス。そなたをワヒト王国国民として認める」
「ヒナミ、それは――――」
「聞いての通りじゃ。お主はたった今、ワヒトの国民になった。よって、ワヒトの国民として、旅券もそなたの身分も国が保証することになった。当然、同盟国であるレクセニル王国への渡航も自由じゃ」
「そ、それって、つまり……」
横で聞いていたエミリも呆然としている。
ハシリーがはたと気付いた。
「密航などしなくても、ヴォルフさんは大手を振って、レクセニルに帰ることができるってことです」
「ちっこい割には、やるじゃない、王様」
「ちっこい言うな! 特にお主にだけはいわれたくないのぅ、【大勇者】よ」
「待ってくれ!」
皆が沸き立つ中、ヴォルフだけは青い顔をしていた。
「それってつまり……。俺を目の敵にしているラムニラ教に、ヒナミ姫が目を付けられるってことじゃないのか?」
ラムニラ教の影響力は凄まじい。
信者の数だけでいっても、この小さな島国に収まり切らないほどだ。
もし、ヴォルフ・ミッドレスが生きていると知り、ワヒト王国によってその身分が保証されていると知れば、何らかの報復があるかもしれない。
それほど、ラムニラ教は恐ろしい。
身を以て、ヴォルフは味わっていた。
「気にするな。幸い、ワヒト王国にはヤツら入り込んでおらん。それに、ヴォルフが言うとおりのことが起こったとしても、妾は撤回するつもりは微塵もない」
「だが――」
「それにじゃ。国の恩人たる人間を放逐できるほど、妾は大人ではない。見ての通り、まだまだ尻の青い10歳の娘じゃからな」
べー、と下を出し、子供っぽい笑顔を見せる。
さらにヒナミ姫は「ハシリー殿」といって、話を続けた。
「ムラド王に今のことをお伝えいただきたい」
「かしこまりました、姫」
「それと、こう付け加えてほしい。もし、ヴォルフ・ミッドレスの潔白が証明された暁には、王が大事にしている狼を返すと。むろん、狼がワヒトの方が心地よいというなら、論じるまでもないがな」
「ヒナミ……。なんと礼をいっていいか?」
「礼などよい。これは褒美なのだ。大人しく受け取っておけ」
「ヒナミ……。いや、ヒナミ・オーダム王女……。このご恩、一生忘れません」
「うむ。ヴォルフよ。妾は信じておるぞ。……いつかそなたの無実が証明され、再び城門をくぐる日を。かなった暁には、妾を招待してくれ。そなたが生まれ育った国を、1度見てみたいからな」
「その時は、是非――」
ヒナミ姫は手を差し出す。
楓のように小さな手だった。
しかし、握ると硬い感触が返ってくる。
見た目は小さくとも、込められた魂には、王の片鱗を感じずにはいられなかった。
次回で「剣聖の王国篇」がラストです。
そして長かった第4章「伝説は死なず……」も最後となります。
ここまでお読みいただいた方ありがとうございましたm(_ _)m