第134話 刀が愛した狼。娘が愛した勇者
前回のお話で色々と反響をいただきありがとうございます。
概ね好意的で、ホッとしておりますm(_ _)m
「――っていうことなんだけど……。パパ、聞いてる?」
レミニアはヴォルフの耳元で囁いた。
部屋に、親子2人しかいない。
畳に、欄間がある典型的なワヒト様式の部屋だ。
草の良い香りが立ちこめ、水が流れる音が遠くから聞こえてくる。
浴衣姿のヴォルフは畳に寝転がり、その背中の上で同じく浴衣のレミニアが、マッサージをするとともに、強化魔法を刻んでいた。
「うん。ああ……。ごめん。聞いてなかった」
「もう……。大事なお話をしてたのに」
「レミニアのマッサージが気持ち良かったんだよ」
「うそ!! あの一緒に戻ってきたエミリって女と何かあったんでしょ?」
「い゛――!」
どうして、それを――!!
根が正直なヴォルフは、思わず顔に出してしまう。
娘は眉間の皺とともに、ますます疑惑を深めていった。
「やっぱり、何かあったのね?」
「いや、レミニア……。それは、その――だな」
しどろもどろになる。
娘は完全に臍を曲げる。
父の上で馬乗りになったまま、ぷいっと赤い髪を背けた。
「別に隠すことはないわ。……パパだって、レミニア以外に人を好きになることがあるだろうし。求愛されたって不思議じゃない。だって、パパはかっこいいから」
「……う、うん。で、でも、レミニア。怒っ……てる?」
「怒ってなんかない!」
ピシャリと言い放つ。
やっぱり怒っていた。
「ま、まあ……。一言ぐらいあってもいいかなって思わないわけじゃないのよ。それに、悔しいって気持ちも…………ちょっとはある」
「ごめん。パパはレミニアに嘘をついてしまったから……」
「嘘? ああ……。小さい時の『パパと結婚する』っていう」
「そう」
「レミニアはもう子供じゃないのよ。それぐらいの分別はつきます。……でも、親子といっても、血がつながっているわけじゃないし。結婚しようと思えば、そうだけど……。そこまで本気で捉えなくてもいいというか」
「あ、ああ……」
「それにね、パパ。言ったと思うけど、レミニアはパパの『勇者』になるっていったのよ」
「うん。パパはレミニアの『勇者』になるっていったよ」
「じゃあ、あの女と一緒になることで、その約束まで破棄するの?」
レミニアの声は震えていた。
ヴォルフはゆっくりと起き上がる。
子供をいたわるように手を貸すと、お互い向き合った。
紺碧の瞳には、今にも泣きそうな少女が。
紫の瞳には、真剣な顔の父が映る。
やがてヴォルフは、レミニアの手を取った。
小さく、愛おしい。
とても【大勇者】といわれる人間とは思えないほど、可愛い手だった。
ヴォルフは首を振る。
娘の質問を、明確に否定した。
さらに告白を重ねる。
「レミニア、1つだけ……。これだけは、はっきりさせておくよ」
「なに? パパ……」
「どんなことがあっても、パパにとっての1番はレミニアだから」
「――――ッ!!」
【大勇者】は言葉に詰まる。
社交辞令でも、その場を乗り切る方便でもない。
心底本気で、「1番」だと父が宣言したことに、レミニアは驚いた。
少し長めの沈黙があった後、娘は尋ねる。
「パパは、それでいいの?」
「うん」
「あの女はそれで納得する?」
「エミリにはもう話したんだ」
そして、彼女は理解してくれた。
そもそもエミリが好きになったのは、単純なヴォルフの強さだけではない。
娘を想い、その父であるヴォルフだった。
アダマンロールを倒した時の直後。
きっと自分の想いを押し切る事が出来なかったのは、ヴォルフの娘のことが頭の片隅にあったからなのだ、と彼女は気づいた。
けれど、いざヴォルフと離れて、その消息がわからないと聞いた時、改めて想ったのだ。
ああ……。自分はこんなにもヴォルフのことを愛していたのか、と。
不意打ちでもなんでもいい。
今度こそ、ヴォルフと一緒になりたいと想った。
その代わり、そのすべてを飲み込もうと覚悟した。
強いヴォルフ。
優しいヴォルフ。
娘を想うヴォルフ。
昔の無念に苦しむヴォルフを。
だから、「娘が1番。エミリが2番」とはっきり言われた時、エミリは素直に受け止めることが出来たという。
そう――。
これが、自分が愛したヴォルフ・ミッドレスなのだ、と。
すべてを聞き終えたレミニアは、息を吐いた。
少し寂しそうな顔をする。
「思ったよりも、手強い相手ね。まるで1番を譲られたみたいじゃない」
「レミニア……」
「でも、パパと一緒になるんだし、この【大勇者】の母になるかもしれないのだから、それぐらい肝が据わってもらわなきゃね。……ねぇ、パパ――」
「なんだい?」
「幸せにしてあげなさい。わたしの次ぐらいにはね」
激励されるとは思っていなかった。
数発……いや、今いる旅館が吹っ飛ぶぐらいの勢いで、レミニアが暴走するではないか――それぐらい覚悟していた。
でも、娘は成長していた。
もう――7年前に、父の傍らで泣いていた少女はいない。
きちんと、父を理解し、祝福してくれる娘の姿がそこにあった。
知らぬ間に、レミニアは随分大きくなっていたのだ。
「ありがとう、レミニア」
「でも、これからどうするの? ワヒトで祝言をあげる?」
「いや、その前に俺にはやらなければならないことがある」
幸せ一杯だったヴォルフの顔が急に険しくなる。
レミニアの表情も、それと合わせていった。
「ガダルフを探す。……おそらく、その男がすべての元凶だ」
今回、ワヒトで起こった事件の真の首魁。
世界の三大賢者の1人――ガダルフ。
ヴォルフは、その男がレクセニル王国で起こったラムニラ教の悲劇に1枚噛んでいると推測していた。
その考えに、レミニアは同調する。
「ガダルフを捕まえ、俺は自分の名誉を回復しようと思う。そして、堂々とレクセニル王国に戻る。夫が罪人というのも、エミリに申し訳ないと思ってな」
「いいと思うわ。パパが戻ってくるなら、願ったり叶ったりだし。でも、心当たりはあるの? きっともう、ワヒトにはいないわよ」
「旅の途中で出会った宣教騎士が調べてくれているはずなんだ。落ち合う場所も決まってる」
「どこ?」
「ニカラスだ」
「村に戻るの!?」
「いつまでも家を空けておけないしな。また密航という形になるが、1度レクセニルに戻ろうと思ってる」
「レミニアも帰る!」
「レミニアはレミニアしか出来ないことがあるだろ?」
「たまには森の空気を吸わないと。頭がおかしくなっちゃうわ」
それに整理したいこともある。
1度、頭の中を空っぽにする意味でも、自分の原点ともいえる場所に戻りたかった。
おそらくハシリーも許してくれるだろう。
「わかった。じゃあ、一緒に帰郷しよう」
「やった! あ――でも、あの女はどうするの?」
「エミリはワヒトに残るそうだ。俺の刀のこともあるしな。出来上がったら、俺を追いかけるといっていた」
「じゃ、じゃあ――」
「しばらく親子水入らずだな」
「やったぁぁぁぁぁああああ!!」
レミニアは立ち上がり、諸手を挙げた。
獣のように喜び、部屋の中をぐるぐると走り回る。
そんな無邪気な姿を見ると、娘はまだまだ子供に思えた。
「ところで、レミニア。何かパパに伝えることがあったんじゃないのか?」
こうしてようやく冒頭の話に戻っていった。
長い長い寄り道のおかげで、【大勇者】は何を話していたのか忘れていた。
しばらく首を捻った後、話を始める。
それはヴォルフにかけた強化魔法のことだった。
今回も、またさらに強めに施術したと説明した。
「おそらく魔法をひっくるめたパパの強さは、たぶんわたしと同等だと思う」
「レミニアと同等!?」
「そうよ。パパもまた【大勇者】クラスにあるということ。そして――。これは推測じゃなくて、確信なんだけど……。次に魔法が切れた時、パパはたぶん、わたしを越えていると思う」
「それって――――」
「うん。そう――。つまり、それは…………」
伝説のSSSランクにパパがなるということよ。
「伝説のSSS……」
全身が総毛立つのがわかった。
思い出したのは、いつかの【灰食の熊殺し】のアジトで出会った老人の言葉だ。
あの後押しがなければ、ヴォルフは今でもニカラスで隠棲していたかもしれない。
明確に意識し、目指していたわけではない。
ただただ強くなりたい。
強い意志の中で、おぼろげな目標を目指して走ってきた。
そして、ついにその背中を捉えたのだ。
「パパ、改めていうわ。強くなって、そしてレミニアの勇者になって」
「ああ。誓うよ。パパは強くなる。強くなって、パパはレミニアの勇者になる」
父子の間に、再び契りが交わされる。
それは家族以上の強固な絆だった。
つまり、次の強化が切れる時には……。