第130話 パパ! ガンバレ!!
長かった『剣聖の王国篇』、ついに決着!
ああ――。
何度、この背中を見ただろうか。
台所で、畑で、寝室で、家の茣蓙の上で……。
そして、魔獣の前で……。
レミニアの側にはいつもヴォルフがいた。
【大勇者】を救うのは、いつも“父”だった。
彼は彼女の唯一の【英雄】。
いや、【勇者】なのだ。
「パパ……」
「大丈夫か、レミニア?」
「うん……。ありがとう、パパ」
「言っただろ。パパはレミニアの【勇者】だからな」
「うん!!」
赤い髪を振り乱し、レミニアは大きく頷いた。
やがて父は扉の中から現れた大きな巨手を見つめる。
娘の前で聖女のように優しかった瞳が、途端獰猛に変化した。
抜いた刀を、狼の牙のように光らせる。
(凄いプレッシャーだな……)
密かにヴォルフは称賛する。
これまでヴォルフは様々な魔獣や人間と対峙してきた。
竜、災害魔獣、勇者、聖職者、聖樹、盗賊、剣聖……。
【剣狼】は、そのいずれにも勝利してきた。
圧勝というわけではなく、1つ1つの勝負を乗り越え、成長してきたという自負はある。
だが、今目の前にいる魔物は別格だ。
娘を虐げようとした相手への怒りがなければ、立っているのもやっとだった。
それほどの大物……。
(思い出すな……)
あれはレミニアが8歳の時、つまりは7年前だ。
村は1匹の魔獣に襲われた。
C級の魔獣――ベイウルフ。
今でこそ取るに足らない魔獣だが、当時のヴォルフにとっては命がけだった。
いや、あの時本気で命をかけるつもりだった。
村を守るため。
そして娘を守るため、父は懸命に戦った。
今、この状況は7年前と似ている。
村ではなく、国――いや、世界を……。
しかし、規模や今の己の強さは関係ない。
後ろに娘がいる。
ヴォルフにとって、それだけで十分だった。
「パパ……」
レミニアはギュッと胸の前に置いた手を握った。
心臓がドクドクと音を鳴らしている。
今にも破裂しそうだ。
口から何かを吐き出そうとするのを懸命に押さえていた。
レミニアも、ヴォルフと同じ事を考えていた。
7年前と状況は一緒だと。
あれから比べれば、父は信じられないぐらい強くなった。
でも今、目の前にいるものは、次元が違う。
しかも、あの巨手はその一部でしかない。
なのに、【大勇者】すら恐怖させるプレッシャーを有している。
「やめろ」と諭すのが、筋だろう。
それでも、レミニアは信じた。
パパは強い……。
そのヴォルフは口を開く。
この状況で信じがたいぐらい穏やかだった。
「あの扉を閉めればいいんだな、レミニア」
「うん。パパ……。でも……」
「わかっている。パパに任せろ」
ヴォルフは走り出す。
それに身悶える巨手は反応した。
地面を抉り飛ばしながら、ヴォルフに接敵する。
大蛇――いや、まさに竜の如く迫ってきた。
【剣狼】は1度、牙を鞘に納めた。
速度を緩めず、むしろ味方にし、渾身の力を込めて抜き放つ。
【居合い】!!
一閃する――。
巨手は真っ二つに斬り裂かれていた。
夜の闇に散り、地面にどぉと倒れる。
しばらく魚のようにはねていた巨手は、反応をなくしていった。
ヴォルフは目もくれず、扉に接近する。
やがて光に取り付いた。
剣こそ極まっているが、ヴォルフは魔法に関しては無知だ。
正直にいえば、何をすればいいかわからない。
だが今、眼前にあるのは、扉だ。
「――だったら、閉めればいいだけだ!!」
開けたら、閉める。
常識だといわんばかりに、ヴォルフは渾身の力を込める。
開きかかった魔力の扉を、力ずくで閉じようとしていた。
「ヴォルフさん、無茶だ」
一連の流れを見ていたハシリーは眼を丸くした。
あまりに無謀だ。
光の柱――いや、扉は明らかに魔力で出来ている。
筋力と魔力は別物だ。
力のベクトルがあまりにも違う。
だが――。
「扉が……。動いている……」
変化に気付いたのは、レミニアだった。
ハシリーの思うことはもっともだ。
【大勇者】もよく理解している。
でも、確かに扉は閉じようとしていた。
筋力と魔力は、力のベクトルが違っていても、全く干渉ができないわけではない。
たとえば、レベルの低い魔法使いの攻撃に対して、稀に戦士が剣閃だけで相殺してしまうような事がある。
ベクトルが違っても、同じ物理法則世界にあるのだから、干渉力は決して「0」ではない。
レミニアの見立てでは、およそ20倍。
それぐらいの負荷をかければ、如何に力の性質が違ったとしても、その力はイコールになる。
しかし、ヴォルフが今手をかけているものは、Fランクの魔法使いが使用した魔法などではない。
ストラバールのトップに立つ賢者が、古代の神器に近い魔晶石を媒介にして作り上げた――向こう側への扉。
その魔力は、SSランクの【大勇者】ですら抗しきれない。
なのに、ヴォルフは着実に成果を上げつつあった。
時に雄叫びを上げ、食いしばった歯茎から血を流し、いくつもの筋繊維を切らしながら、扉に力を込めた。
「そんな……」
ハシリーはうめき声を上げる。
レミニアが理解していることは、秘書官もまた理解していた。
しかも、今ヴォルフには強化魔法がかかっていない。
たとえ成長強化があったとしても、この扉をただの膂力で閉めるなんて不可能だ。
「けど……。もし……」
もし、今の状況をヴォルフが収束できるなら。
間違いなく、父の力は娘を越えている証になるかもしれない。
「うおおおおおおおお!!」
ヴォルフは叫んでいた。
筋力とか、魔力とか、力のベクトルなど知らない。
ただただ全身全霊をかけて、扉を押し込んでいた。
心臓が早鐘のように打ち鳴り、筋肉が悲鳴を上げているのが聞こえる。
もしかしたら、このまま自分は燃え尽きて死ぬかもしれない。
それでもいい。
(俺は託された! あの女に……)
名前も知らない謎の女。
彼女の死をくい止められなかった無力さ。
だから、せめて約束だけはなんとしても守る。
「俺はレミニアを守る!!」
「パパァァァァァアアアアアア!! ガンバレェェェェェエエエエ!!」
張り裂けんばかりの娘の声が響いた。
ヴォルフの胸を打つ。
途端、沸々と力を沸いてきた。
今までどこにこんな力があったのだろうか。
【剣狼】自身が驚いていた。
勇気が湧いてくる。
なんでも出来るような気がしてならない。
命をかけようとしていた自分が馬鹿らしくなる。
負ける気がしない……。
娘の声は、どんな強化魔法よりも強力だった。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
天地を割らんばかりの雄叫びが響く。
狼の遠吠えが、ワヒトのみならず、ストラバールを揺るがした。
扉が一気に閉じていく。
「行け! 行け!! 行けぇぇぇぇぇぇえええええええ!!!!」
ハシリーも声援を送った。
レミニアも声を涸らしながら、父を応援する。
ヴォルフは大地に踏ん張り、肥大した筋肉をさらに隆起させた。
扉が収束していく。
暗い向こう側の世界が閉ざされようとしていた。
瞬間――。
ゾクリ……。
ヴォルフの背筋が凍る。
もう細い1本の糸のようになった深淵の向こう。
2つの光が閃いているのが見えた。
眼だ。
赤黒くぬらぬらとした猛禽のような瞳。
ヴォルフと視線があった瞬間、目を細めた。
まるで笑っているように見える。
やがて声が聞こえた。
『またの機会にまみえよう……。異界の英雄よ』
バタン……。
扉は静かに閉じた。
光が収束し、やがて消える。
黄金色に染まっていたワヒトの大地に、ようやく夜の帳が降りるのだった。
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