第129話 【大勇者】の【勇者】様
「また魔獣が……」
光の柱で起こった変化は、エミリたちの戦地にも影響を及ぼしていた。
【大勇者】の強化魔法によって、一気に戦力が上がった。
最初よりも、明らかにレッサーデーモンたちを駆逐している。
なのに、数が一向に減らない。
むしろ先ほどよりも増えていた。
エミリの思考が、一瞬戦場から離れる。
背後のレッサーデーモンが爪を振るおうとした瞬間、袈裟に斬り裂かれた。
女刀士を救ったのはルーハスだった。
「戦場でよそ見をするな」
「ありがとうございます、ルーハス」
『おい。先ほどよりも魔獣が増えてないかにゃ』
ミケも駆けつける。
幻獣の言葉を聞き取ったのは、【勇者】ルーハスだった。
「光の柱で何かあったと考えるべきだろう」
先ほど、柱の方から悲鳴が聞こえたような気がした。
それが誰であったか判別は出来ない。
だが、女性。しかも、子供の声だった。
今、この戦場にいて、逃げ遅れた避難民という可能性を除けば、1人しかいない。
「は! ヴォルフ殿は?」
よそ事を考えていて、忘れていた。
背後で蹲っていた冒険者を確認する。
その姿は、忽然と戦場から消えていた。
◆◇◆◇◆
結局、レミニアはハシリーを助ける選択をした。
光の柱が広がれば、ワヒト王国――いや、全人類の危機に発展するかもしれない。
それでも、【大勇者】は秘書官を選んだ。
損得勘定や、命の尊さを天秤にかけたわけではない。
ヴォルフであったら、絶対そうすると思ったからだ。
「粗方片づいたわね」
甲斐あって、周辺のレッサーデーモンはほとんど駆逐されていた。
ハシリー自身も、レミニアの魔法によって回復されている。
今なら、自分の身は自分で守ることが可能だろう。
ようやく作業に戻れる。
ピキィッン!!
その時、何かが壊れたような音が魔獣戦線を中心に広がった。
光の柱が2倍、いや3倍にも膨れ上がる。
人知を越えた膨大な魔力は、空気どころか空間に干渉していた。
あちこちで亀裂が広がっていく。
その隙間に見えるのは、完全な闇。
それはまるで、宇宙の創造を想起させた。
「くっ!」
レミニアは奥歯を噛む。
光の柱に取り付いた。
ありったけの魔力を込め、抑え込む。
が、【大勇者】の力をもってしても、空間の干渉は止まらない。
それどころかさらに拡大していく。
(これは本格的にやばいかもしれない)
かくなる上は、島国ごと移動させるしかない。
転送魔法で王国それ自体を転送させる。
今残っている魔力をすべて使えば、【大勇者】であるレミニアなら達成可能だろう。
魔獣の侵攻を放置することになるが、今は仕方がない。
態勢を整え、数を持って止めれば……。
ゾッ……。
【大勇者】の心に、ひやりとした感覚が浮かぶ。
全身が総毛立っていた。
背中がしっとりと濡れていくのがわかる。
世界最高の戦力たるレミニアが、恐怖していた。
突然、柱が大きく軋みを上げる。
ギリギリと音を立て、柱が開いていった。
「まさか……。あれって……」
ハシリーはその時、初めて気付いた。
光は柱などではなかったのだ。
扉が、徐々に広がっていく。
「だめぇっ!!」
レミニアは悲鳴を上げた。
撤退という文字が、頭の中から霧散する。
渾身の魔力を込めて、扉が開くのを抑えた。
軋みは鐘のようにワヒト王国に響き渡る。
冷たい風が吹き込み、冬の到来を想起させた。
周囲を彩っていた緑が消えていく。
生命を握り潰され、石のように硬くなり、やがて塵になった。
それは植物だけではない。
小動物たちの命を奪っていく。
魔力が搾り取られると、流星のように輝き、扉の向こうに雪崩れ込んでいった。
「な、なにが起こっているんだ?」
ハシリーはただ瞼を広げて、その信じられない光景を網膜に焼き付ける。
そして、それは現れた。
腕だ。
黒い腕が扉の向こうから伸びてくる。
前にいたレミニアを狙った。
不意を打たれた【大勇者】は、あっさりと被弾する。
羽根をもがれた天使のように灰色の地面に落下していった。
「レミニア!!」
寸前のところで、ハシリーが受け止める。
だが、小さな少女の口から感謝の言葉は漏れない。
その代わり、嗚咽とも唸りともいえる奇妙な声を上げていた。
(レミニアが震えている?)
最強の魔獣グランドドラゴンすら、有給のダシにするような【大勇者】が、明らかに恐怖していた。
いや、今でも戦っている。
奥歯をギュッと噛み、なんとか己の気持ちを奮い立たせようとしていた。
すでに、あの黒い腕との対決は始まっていたのだ。
「ハシリー……。あなたは逃げなさい」
「でも、レミニア――」
「わたしはあれを止める。あれをストラバールに入れてはいけない!!」
「なんなんですか、あれは?」
すると、扉から腕が伸びてくる。
こちらはまだその視線すら捉えられていないのに、向こうはレミニアの居場所を把握しているらしい。
黒い手は蔦のように伸びる。
あの闇の収束を思わせる一撃は、2人の乙女に牙を剥いた。
レミニアは咄嗟に手を掲げる。
防御魔法を張ろうとした。
無詠唱。この世の誰よりも速く魔法起動する。
それでも、黒い手の攻撃は【大勇者】よりも一歩速かった。
やられる!!
レミニアはその時、人生で初めて死を悟った。
【大勇者】も人の子である。
走馬燈が浮かぶ。
そのどれもに、父の姿があった。
じわりと涙が滲む。
闇の手よりも早く、レミニアは願った。
パパ……。助けて……!!
「レミニアァァァァァァァアアアアアアアアア!!!!」
声が光の如く、娘の耳朶を振るわせた。
顔を上げた時、一刀が闇の手を斬り裂いていた。
思わぬ深手に、手は慌てて引っ込んでいく。
扉の向こうまで撤退した。
タッ……。
灰色となった大地に、靴音が響く。
大きな背中が見えた。
振り返った顎には傷が走り、紺碧の瞳が優しげに光っている。
薄く口元を緩め、娘を安心させた。
【剣狼】ヴォルフ。
レミニアの父。
そして――。
「俺の娘に手を出すヤツは、誰であろうと許さん!」
レミニアだけの勇者が、立っていた。
第2章最後を思い出すなあ……。