第126話 再び、あの時がやってくる
ルーハスは片膝をついた。
同時に【雷獣纏い】も切れる。
致命傷はない。
だが、身体から湯気が上がっていた。
発汗した瞬間から、雷精の熱によって気化しているのだ。
おかげで体温が下がらず、すでにルーハスの体内温度は60度に達していた。
「これほどとはな……」
刀に寄りかかりながら、元勇者は呟く。
身体の負担が想定以上にデカい。
結局、ヴォルフの半分の時間も纏っていられなかった。
化け物め……。
内心で呟く。
【大勇者】の恩恵もあるだろう。
しかし、あの男の強さはそれだけではない。
強い意志を感じる。
娘を守るという意志が……。
ゾッ――。
後ろで大きな気配がする。
レッサーデーモンだ。
腰を切り、ルーハスは応戦する。
1匹は辛くも斬った。
しかし、2匹目。
影に隠れていた魔獣がルーハスの前に飛び出す。
「(遅い……)」
魔獣にいったのではない。
己にいったのだ。
身体が鉛のように重い。
普段の半分以下の速度でしか動けなかった。
さらに地面に足を取られ、元勇者は尻餅を付く。
ルーハスは負傷する覚悟を決めた。
相手の攻めを受け、次弾に備えようと立ち上がろうとする。
が――。
鮮血が飛び散る。
レッサーデーモンの身体が大きく袈裟に斬り裂かれた。
どぉ、と土煙を上がる。
現れたのはヴォルフだった。
「大丈夫か、ルーハス」
「余計な真似を……」
「相変わらず【勇者】様は素直じゃないな」
「“元”だ、引退冒険者」
「まだまだ元気そうだな。……戦えるか?」
ヴォルフは手を差し出す。
暗い雲の下で、引退した冒険者は少し笑っているように見えた。
ルーハスの濃い青眼が光る。
一瞬、ヴォルフは息を呑んだ。
やがて差し出された手を使わず、自力で立ち上がる。
「馴れ合いはせん」
「そうか」
ヴォルフは手を引っ込める。
ちょっと寂しそうな顔をした。
不思議な男だ……。
ルーハスは素直にそう思った。
自分は確かにこの男を斬った。
最愛の娘を刃にかけようとしたこともある。
なのに、何故自分の側で飄々と立っていられる。
持っている刀で、弱っている怨敵を斬る絶好のチャンスではないか。
今が有事で、共闘関係にあることを差し引いても、ヴォルフからは全くわだかまりを感じられなかった。
「何故だ? 何故、お前は俺の側にいて、普通でいられる? 俺はお前を――」
「うん? なんだ、お前。そんなことを考えていたのか」
「答えろ!?」
「別にお前を許したかといわれれば、そうでもない。わだかまりがないかといわれれば、全くないわけでもない」
「共闘関係を維持したいから、妥協していると……」
「違う違う。……答えを急ぎすぎるな、若者よ。お前を裁くのは俺じゃなくて、国や法律だ。それを犯せば、俺も犯罪人になる。――ま、とはいえ、一応重罪人なんだがな、俺も」
魔獣の血に濡れた髪を、くしゃくしゃと掻いた。
「お前や娘ほど俺の頭は良くない。だから、物事をシンプルにしか考えられんのだ」
ヴォルフは刀を振った。
空気を撫でるように斬ったため、ほぼ無音だ。
やがて切っ先はルーハスへと向けられた。
「お前が良いヤツなら手を差し出す。お前が悪いヤツなら容赦なく刃を向ける。俺はそういうことしか考えられん」
ルーハスはがくりと頭を垂れた。
やがて肩を震わせる。
初めは泣いているのかと思った。
だが、違う。
漏れてきたのは、笑声だった。
「くくく……。本当に愚かしいな、お前は」
「はっきり言うなよ。さすがに怒るぞ」
ヴォルフはにやりと口角を上げた。
ルーハスに向けていた切っ先を、ようやく敵へと向ける。
視界の端から端がすべて魔獣だ。
もはや笑気しかこみ上げてこない。
「ルーハス。いい加減この光景は見飽きたんじゃないのか?」
「忌々しいが同意だ」
「やれるか、勇者様」
「“元”だ、引退冒険者」
互いに背中を合わせる。
襲ってきた魔獣を息の合った連携で駆逐していった。
押され気味だった戦線は、まさしく息を吹き返す。
そして、それは唐突に訪れるのだった。
◆◇◆◇◆
「すごい……」
唸ったのはハシリーだった。
身体を魔獣の群の方に向けつつ、顔だけを後ろに向ける。
光の柱が立っていた。
そのど真ん中で作業をしているのが、レミニアだ。
膨大な魔力を練った【大勇者】は、光柱を抑え込もうとしていた。
ギリギリと鉄を引っ掻いたような音が、戦場に響き渡る。
立て付けの悪くなった観音扉を無理やり閉めているかのようだ。
わずかに柱は小さくなっている。
神の所業とも思える力に対し、レミニアは成果を上げようとしていた。
「戦況はどう?」
額に玉のような汗を浮かべながら、レミニアは尋ねた。
相当な集中力が必要なのだが、父がいる戦場のことがどうしても気になるのだろう。
幸いなことに主戦場は、かなり離れたところにある。
光の柱周辺には、ほとんど魔獣がいなかった。
「一進一退といった感じでしょうか。お父上はよく戦っていると思いますよ」
ハシリーは告げる。
実際、その通りだった。
魔獣の数は軽く見積もっても、10万体以上に膨れ上がっていた。
しかも、さらに増幅しつつあり、しばらくすれば、20万を越えるだろう。
ワヒト王国はもはやレッサーデーモンで溢れ返っていた。
加えて、なりそこないを纏ったSランクの魔獣まで現れた。
それでも戦線が崩壊していないのは、さすがといわざる得ない。
「そう……」
レミニアは一瞬だけ息を吐く。
ほんのわずかな休息であったが、光の柱は反発した。
予想していたのだろう。
慌てることなく、レミニアは再び集中する。
戦場に背を向け、光の柱を睨んだ。
【大勇者】は呟く。
「そろそろかもしれないわね」
「何が――。まさかヴォルフさんの強化魔法ですか?」
「フルパワーで長時間使えば、ね。それまでも結構無茶な使い方をしていたようだし」
まだ城の中で数えるほどしか話していないが、父の状態はすぐにわかった。
一体、どんな冒険をしてきたのか、を。
だから、わかる。
もうすぐ自分がかけた強化魔法が切れる頃合いだと。
「大丈夫じゃないですか? 【成長強化】もあるんでしょ? 今ならかなり強くなっているんじゃ……」
レクセニル王国で出会った時、ヴォルフはすでにSランクに近づきつつあった。
おそらく今なら、SSランク――つまり、娘と同じぐらい強くなっているかもしれない。
例え、【大勇者】の恩恵がなくても、彼は戦えるだろう。
ハシリーはそう思っていた。
レミニアもそう考えているに違いない。
何よりも父の力を信じているのだ。
きっとポジティブな返答が返ってくる。
そう思ったが、【大勇者】の答えは慎重なものだった。
「確かに強くなっていると思うわ、パパは。けれど、ハシリー……。強化が切れるというのはね。羽根のように軽い鎧を着ていたのに、突然重たい鎧を着させられるようなものなのよ。たとえ成長していても、すぐに身体がついていくことはできないわ」
ルーハスとの初対戦。
ヴォルフの敗因はまさしくそれだ。
あの時点でヴォルフの身体能力は、ルーハスと同等までに高まっていた。
それでも負けたのは、レミニアがいうように身体がついていかなかったからだ。
現に、時間をおいたことによって、ヴォルフは再戦で勝利を手にしている。
またあの時と同じような状況が起ころうとしていた。
恐怖がこみ上げてくる。
ハシリーは慌てた様子で戦場を振り返った。
「でも、大丈夫よ、ハシリー」
「まさか、まだ何か強化を……」
「自分でいうのもなんだけど、わたしは天才なのよ」
「本当に自分でいうのも――ですね」
「天才は前回の反省を生かさないわけないじゃない」
光の柱を魔力で圧殺しながら、娘は口角を上げるのだった。
◆◇◆◇◆
それは唐突にやってきた。
ヴォルフは反射的に膝をつく。
どろりとした汗が、顎を伝い、魔獣の血に染まったワヒトの大地に落ちた。
「来たか……」
ヴォルフは唸る。
血がすべて鉛に変わったかのように身体が重い。
発汗が高まり、内腑が熱くなっていくのを感じる。
指先の感覚がない。
腰を上げることすら難しかった。
忘れもしないこの感覚……。
おそらくレミニアの強化魔法が切れたのだ。
「ヴォルフ殿――!」
銀髪が目の前に躍り出る。
エミリだ。
ヴォルフを狙ったレッサーデーモンを一刀のもとに斬り裂く。
ぱっと青紫色の鮮血が飛び散ると、また1体の魔獣が野に伏した。
「大丈夫でござるか、ヴォルフ殿」
「ああ……。すまない、エミリ」
刀を大地に突き刺す。
重力に抗うようにヴォルフはなんとか立ち上がった。
だが、刺した刀を抜くことすら叶わない。
すると、狙ったかのようレッサーデーモンが殺到してくる。
『ご主人!!』
ミケが雷を放つ。
ルーハスも参じると、ヴォルフを守るように円陣を組んだ。
「どうした、引退冒険者。お前の力はそんなものか?」
『無茶いうな! 強化魔法が切れたんだにゃ!』
「ならば、ヴォルフ殿は拙者が守るでござるよ」
だが、元々多勢に無勢だ。
1人とはいえ、今の状況で戦力ダウンはかなり厳しい。
現に2人と1匹は、押し込まれつつあった。
このままでは全滅もあり得る。
(動け! 動け! 俺の身体、動いてくれ!!)
ぐっと刀を握る手が動く。
瞬間、それは始まった。
ヴォルフが急に光を帯びる。
すっかり夜の帳が降りた戦場で一際強く輝いた。
エミリたちはおろか、レッサーデーモンたちですらおののく。
「これは……!」
エミリは叫んだ。
己の手を見る。
光り輝いていた。
手だけではない。
全身に火がついたのかのように白く輝いていた。
「力が……」
『漲るにゃ!!』
ルーハスとミケも同様だった。
その姿と力強い言葉。
ヴォルフは無意識に息を呑んだ。
「まさか……。強化魔法か!」
ヴォルフが確信する。
光の柱で戦う娘の方を向いた。
遠く離れているのに、娘の言葉が聞こえたような気がする。
『【強化感染】……。側にいて、パパを守ってくれる人間に自動的にわたしの強化魔法が与えられる魔法よ』
新作『転生賢者の村人~外れ職業「村人」で無双する~』を毎日更新中です。
こちらもよろしくお願いします(読んでくれた読者様、ありがとうございます)。
引き続き、本作同様よろしくお願いしますm(_ _)m