第122話 幕間 散
短めですが、よろしくお願いします。
異臭が漂っていた。
それはワヒト王国では、在り来たりな血臭ではない。
煙に混じって、鼻腔をついたのは、人が焼けた臭いだった。
場所は王都より北。
ハシバル領だ。
山間にひっそりと隠れるように領主館がある。
ワヒトの中でも取り分け見窄らしく見える館は、逆に天然の要害であり、シノビならではのギミックに溢れていた。
今、そのすべてが灰燼に帰していた。
残っていたのは、燃え滓と一命を取り留めた領主マナ・ハシバルだけだ。
濛々と煙の塔が何本も立ち上る。
その中で、マナはぐっと地面に落ちた灰を掴んだ。
一瞬だった。
見覚えのない人物が領内に侵入したという報を聞いたのは、つい今し方。
謎の侵犯者はノックもせずに領主館を訪れると、躊躇いもなく魔法を打ち放った。
圧倒的な暴力――。
諜報戦と硬い守りを得意とするハシバルの忍師たちは、呆気なく吹き飛ばされる。
マナもまた深手を負い、すでに視力と右足を失っていた。
がりっ……。
土を噛む音がすぐ側で聞こえる。
足音が近付いてきた。
虫の息であるマナの横を何の断りもなく通り過ぎていく。
渾身の力を喉に込めた。
「きさ、ま……。なにもの、だ……」
尋ねるも、マナは事切れた。
ゆっくりと瞳から生気が失われて、右足の付け根から血が垂れていく。
侵入者は一瞬立ち止まった。
死者に何か言葉をかけるのかと思いきや、聞こえてきたのは呪文だ。
高位の探索魔法。
それを屋敷周辺に放つ。
光が広がり、横にではなく、地下にまで広がっていった。
「そこか……」
侵入者は再び魔法を唱える。
第7階梯の風属性魔法――。
炎で朽ちた領主館をあっさりと吹き飛ばす。
現れたのは、隠された地下の階段だった。
◆◇◆◇◆
階段を下りる。
天鵞絨の服の裾が動いた。
異様に立った衿。目深に被った帽子。
おかげで未だにその正体は、男なのか女なのかもわからない。
1つわかるのは、その奥に光る瞳が、憎悪に歪んでいるということだけだ。
階段を下りると、長い廊下があった。
陽の光もなく、松明も用意されていない。
暗闇が延々と続いていた。
ガダルフは無詠唱で、魔法の光を放つ。
なんの変哲もない。
石の床と、木に壁に挟まれた人1人分ほどの狭い廊下だった。
薄くひんやりとした空気を切り裂きながら、ガダルフは踏み込む。
途中、忍師たちが創意工夫を凝らした数々の罠に襲われる。
しかし、ガダルフには通じない。
マナが光景を目撃すれば、「化け物」と吐き捨てただろう。
あっさりと目的物がある場所にたどり着く。
台座の上に厳重に封印されたそれに手を伸ばした。
バァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアンンン!!
大爆発が起こる。
それは地下室はおろか館周辺を巻き込み、あらゆるものを吹き飛ばした。
紅蓮の炎が上がり、茸のような噴煙が上がる。
煌々とした赤い光は、王都からでも目撃できるほど、衝撃的なものだった。
あらゆる生命反応が消える。
夏のうるさい虫の音すら、ひっそりと息を殺しているかのようだった。
最中、それは現れる。
幾重にも張られた光帯に包まれていたのは、ガダルフだった。
全くの無傷。
用事を終えた客人のように、何食わぬ様子で唯一残った正門をくぐった。
その手に握られていたのは、1つの勾玉。
ヒナミ姫がマナに預けたワヒトの国宝だった。
ガダルフは勾玉を、煙に暗くなった空へと掲げる。
黒光りする綺麗な結晶を見ながら、わずかにその表情が軟らかくなったような気がした。
ふわり、と謎の男は浮く。
神に見せびらかすかのように、石を掲げた。
己の魔力を込める。
そして延々と呪文を唱え始めた。
2000桁に及ぶ魔法の大詠唱。
しかし、高速化することによって、ガダルフはわずかな時間で達成する。
最後に、そっと花でも供えるように呟いた。
「開け……」
唱えた。
どろり……。
赤く溶け始めたのは、ガダルフが手に持った勾玉だった。
やがて強烈な光を放ち始め、天と地を貫く。
それは最初こそ1本の細い線だった。
しかし、徐々に膨らむ。
光の柱となり、世界を二分した。
地鳴りがする。
野鳥や獣たちが、パニックになり、一斉に海へと身を投げた。
当然、ハシバル領の農民たちも、何が起こったかわからない。
残ったシノビたちが、懸命に農民たちを逃がした。
しかし、どこへ逃げればいいか皆目検討も付かない。
あちこちで地割れが起こり、山に作られたため池の堰にヒビが入る。
たちまち川は氾濫し、人家に流れ込んだ。
尋常ではない揺れは、島国であるワヒトを飲み込み、破壊しかねなかった。
だが、これは序曲でしかない。
絶望は今から起こる。
それは一見、シミのように見えた。
中空に浮かぶ傷のようなものは、ガラスが割れたような物音を立てて、広がっていく。
奥にあったのは、井戸の底よりも薄ら寒い深淵だった。
ふと獣声が聞こえる。
広がった穴の縁に手をかけるものがいた。
人間ではない。
魔獣だ。
鼻息を荒く、興奮した様子で吠声を上げた。
ドンと重々しい音を立てて、ワヒトの地に降り立つ。
獲物を探すように、赤い瞳を周囲に放った。
二足歩行。
毛深く、鰐を思わせるような長い顎門。
ところどころ鱗のような硬い肌をし、人の腰ぐらいある分厚い筋肉を搭載していた。
レッサーデーモン。
Aランクに位置する魔獣である。
非常に珍しく、ある特定の場所でしか確認されていない。
最近であるなら、レクセニル王国北方に広がる草原の国ラルシェン。
そのさらに北――。
かつて魔獣戦線が行われた場所だった。
人と同じく2足で歩く魔獣を見て、目撃したワヒトの国民たちは悲鳴を上げる。
その異形の姿も勿論のことだが、問題は数だ。
山に、川に、丘に、田畑に、或いは農家に……。
無数――いや、数千に及ぶ程のレッサーデーモンが、狭い島国に集結した。
悲鳴、叫声、あるいは負の感情を含んだ人の声……。
風に乗って集約され、万雷の拍手のように響く。
ガダルフは光の柱の横で、聞いていた。
天鵞絨の上着をなびかせ、絶望に染まっていく島国を眺望する。
やがて、光の柱に向かい、舞踏者のようにゆっくりと手を掲げた。
「さあ……。舞台は整った。現れるがいい」
絶望を謳う眷属たちよ……。
ここからが、『剣聖の王国篇』の佳境です!
いつも感想ありがとうございます!
返信の方が滞っていて、申し訳ありません。
ちょっと今、時間が取れない状況でして……。
折を見て、返信させていただきますので、今しばらくお待ちくださいm(_ _)m