第121話 おっさん、一件落着……!?
娘の匂いを、ヴォルフは大きく吸い込んだ。
はあ……。レミニア。
ああ、我が愛しいレミニア。
ああ……。一体いつぶりだろうか?
こうして娘を抱いたのは。
こうして肌の感触を確かめたのは。
ミルクのように甘い香りを嗅いだのは。
思い出すのも億劫だ。
ただただ今、レミニアを抱きしめている。
それが何よりの幸せだった。
対し、レミニアも同じ気持ちかといえば、そうでもない。
「パパ?」
「なんだい、レミニア?」
「下着、いつ代えたの?」
「え? えっと――」
急に現実に引き戻される。
こちらも思い出そうにも、記憶にない。
このところ野宿が多かったし、実は旅行道具一式は、最初に止まった旅館の2階に置いてきたままだった。
かれこれ5日以上は、履き替えていないかもしれない。
「約束したでしょ。下着は毎日履き替える」
「レミニア。今はそんなことはいいだろう?」
「だーめ! パパ、わたしとの約束を破った」
「う……。す、すまん」
「あと、わたしに何も言わずレクセニル王国を離れた」
「…………………………うん。ごめん――」
「仕方ないのはわかる。でも……」
紫水晶の瞳に涙が滲んだ。
「とってもとっても心配したんだから!」
再び父の首に手を伸ばす。
ギュッと自分の方に引き寄せた。
小さい身体とは裏腹に、生意気に育った胸をヴォルフに押しつける。
パパァ! パパァ!!
【大勇者】の嗚咽が、ワヒト王国の王城に鳴り響いた。
「何故だ!!?」
突如、中庭に大きな声が響き渡った。
ノーゼだ。
冷静沈着な優男は、これまで見たことのないほど動揺していた。
優しげな面構えは、鼻先を捻ったように歪み、ガリガリと爪を立て掻いた頬には血が滲んでいた。
先ほどまで、優勢を誇っていた青年とはとても思えない。
仮面を落とした堕天使のように醜悪な顔をしていた。
「何故だ!? 君は僕の【魔眼】にかかっていたはず」
「簡単なことですよ。最初からかかっていなかっただけです」
雪のように白い短髪の女性が、廊下に立っていた。
慌ててやってきたのだろう。
息を切らし、顎にへばりついた汗を拭った。
「ハシリー、随分と遅かったわね」
「急いでやってきた秘書にかける言葉が、それですか。軽くパワハラだと思うんですけど……」
やれやれと、秘書官は首を振った。
するとノーゼがヒステリックに叫んだ。
「かかっていなかった? じゃ、じゃあ今までかかっていた振りしていたということですか? な、なぜ?」
「あなたはレミニア・ミッドレスという女の子をただの可愛い女の子だと思ったようですが、それは大きな間違いです」
「いや、レミニアは可愛いぞ、事実」
馬鹿親はうんうんと頷いた。
「そこで割り込むの止めてくれますか? ……話は戻しますけど、レミニア・ミッドレスは【大勇者】。世界で2人しかいないSSランクの娘なんですよ。あなたのちんけな【魔眼】スキルに、はまるわけないでしょ」
「うっ……!」
「あとね。骨の髄まで叩き込んでおいてほしいんですけど、この娘はね。あなたみたいなロリコンなんて、これっぽっちも眼中にないんです。いや、世界中どこを探しても、彼女の瞳に映る男なんていませんよ。たった1人の例外を除いてね」
「そ、そんな……」
ノーゼはがっくりと肩を落とす。
「彼女の父親への愛情は異常です。狂ってます。あなたの悪巧みを利用し、部下を犠牲にしてでも、父親を探そうと思うぐらいにね」
「じゃあ、ぼくは……」
「利用しようとして、利用されたんですよ、あなたは」
「なんか散々ないわれようね、わたし。まるでわたしが悪いみたいじゃない」
「ヴォルフさんを心配させたことは事実でしょ」
「う……。確かに」
「そうだ、レミニア。危険なことをしちゃいけないって約束しただろ。あと、ハシリーさんに迷惑をかけないって」
「そんな約束したかしら?」
「これで下着の件はチャラだな」
「ああ! パパったらズルい!」
「だから、戦場のど真ん中でイチャイチャするのは止めてくれますか? 他の方々が呆れていますよ」
ハシリーは肩をすくめた。
彼女のいうとおりだ。
状況を掴めない刀士たちが、刀を下げて戸惑っていた。
律儀に殺気を漲らせていたのは、甲冑を着たなりそこないたちだけだ。
すると、「はっ――――はっはっはっ!」と大笑が聞こえた。
ヒナミ姫だ。
小さな少女の笑い声が、軽やかに響き渡る。
「ヴォルフにこんな親バカな一面があるとはな」
さて、と振り返る。
ヒナミ姫は刀を掲げた。
「ゲマ! ノーゼ! そろそろ年貢の納め時のようじゃぞ」
ノーゼは心が折れたようだ。
肩を落したまま膝を突いた。
放心状態で、何かブツブツと呟いている。
一方、ゲマは茹で上がった蛙のごとく、顔を赤くした。
「ええい! うるさい! 武者たちよ! その不埒者をやれ!!」
パチィン!
指を鳴らす。
瞬間、炎の渦が立ち上った。
なりそこないたちが次々と巻き込まれていく。
悲鳴も上げず、水の中でもがくように手を掻いた。
だが、火は消えることはない。
消滅したのは、なりそこないたちだ。
「なりそこないが……。あ、あっさりと……」
すでに戦意を失った息子の横で、ゲマもまた崩れ落ちた。
四つん這いになり、蛙のようにパクパクと口を動かす。
大きく開かれた目には、勇ましい鎧武者の姿はない。
ヴォルフたちの手によって打ち倒されたとはいえ、10体以上も残っていたなりそこないたちが、一瞬で消え去っていた。
残っているのは、炭化した具足だけだ。
「わたし、結構これでも怒ってるのよ」
怒りを宣言したのは、レミニアだった。
ヴォルフから離れ、仲良く手を突いた親子に迫る。
その瞳は氷のように冷たい。
「よくもパパを困らせてくれたわね。【大勇者】を怒らせたらどうなるか、身体で教えてあげようかしら」
「ひぃ! ひぃいいい!! お助けを!!」
ゲマは息子の頭を掴むと、地面に額を打ち付けた。
同じく自分も、床に擦りつける。
平身低頭する大老一家を見かねて、ヒナミ姫が仲介に入った。
「【大勇者】殿。そこらで怒りを収めてくれぬか。部下の数々の非礼、後に正式な文書で詫びさせてもらう。だから、この者たちの処遇は、ワヒトの国主である妾に預けてはくれないだろうか」
ヒナミ姫は頭を下げる。
レミニアはそれでも退かない。
おもむろに手を掲げる。
手の平の上に業火が吹き出した。
再びゲマは悲鳴を上げる。
息子をかばうように、その背中に縋りついた。
「レミニア、もういいよ。俺は大丈夫だから」
ヴォルフは娘の肩に手を置く。
くるりと、娘は振り返った。
「パパがいうなら仕方ないわね」
あっさりと魔法を引っ込める。
すると、レミニアは姫をマジマジと見つめた。
「お姫様って何歳?」
「じ,10歳だが」
「そうなの? ふーん。わたし、こんなちっちゃな女の子の代わりにさせられていたのか?」
「ちっちゃいって……。そなたも似たような背丈ではないか?」
「何をいうのよ。わたしの方が背が高いに決まってるでしょ」
「じゃあ、比べてみるか?」
「火を見るより明らかよ。わたしの方が大きい!!」
「10歳の女の子に何をからんでいるんでしょうか、ぼくの上司は」
「意外とウマが合うかもしれないぞ、ハシリー」
「そうですかね?」
ぎぎぎぎぎぎぎっ、と歯を鳴らし、【大勇者】と国主は睨み合う。
互いに天才同士。
背丈もそう変わらない。
何か感じるところがあるのだろう。
戦場は終結した。
ほっとした空気が城内を包む。
2人のいがみ合いは笑いを生み、刀士たちは刀を納め、爆笑していた。
久しぶりに訪れたつかの間の平穏だった。
……そう。つかの間の――。
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