第120話 おっさんのピンチ。娘のピンチ。国のピンチ。
果たしてノーゼさんは生きていられるのか……!
炎のような赤い髪。
紫水晶のように美しい瞳。
背の高さと、それに見合わぬ大きく育った胸。
間違いない。
ヴォルフの娘――レミニア・ミッドレスだった。
「動くな!」
娘の白い首筋に短刀が突き付けられる。
なんとも儚げな雰囲気を持つ青年は、怒れるわけでもあざ笑うわけでもない。
ただ淡々と娘を人質に取っていた。
【大勇者】は、借りてきた猫のように大人しい。
見れば、普段とは違い、瞳に力がない。
魂が抜かれたように焦点が合っていなかった。
娘のピンチだ。
なのに、ヴォルフに渦巻いた心情は焦りでも、久しぶりに会った娘に対する驚きでもなかった。
「ああ……。綺麗だな……」
純白の白無垢姿。
ワヒト王国ではあれが、新婦の正装なのだろう。
全身を純白の雪に包まれた絹は、足元にさあっと広がっていた。
ワンポイントのように揺れる赤い腰ひもが鮮烈で、綿帽子から見える娘の髪と絶妙に合っていた。
不意に目頭が熱くなる。
一瞬、娘が花嫁として自分の元を旅立つ姿を想像してしまった。
結婚衣装はめでたいものでもあり、別れのための衣装でもあるのだ。
「ヴォ、ヴォルフ……。お主、何故泣いておる?」
「あ、あれは俺の娘だ」
「な! お主の娘! あれが!? 随分ちっこいのぅ!」
正直にいうと、ヒナミ姫に言われたくはなかった。
娘のために弁護をしておくと、ヴォルフがレクセニル王国を離れる前と比べれば、ちょっとだけ背が伸びていた。
気になったのは、少しやつれていることだ。
研究が忙しいのだろう。
ちゃんとご飯を食べているのか。
今まさに、娘が窮地にいるというのに、そんな些細な事が気になって仕方がなかった。
「ヴォルフ、しっかりせよ! 困惑するのはわかる。が、ここは戦場だ。お主の娘の命もかかっていれば尚更だぞ」
「す、すまん。でも、あまりに娘が眩しくてな」
「親バカか、お前は!!」
思わずツッコミを入れる。
【剣狼】に弱点があるとすれば、下着を履き替えるのを忘れることと、レミニアを溺愛しすぎていることだろう。
その娘が人質になっている。
ヒナミ姫の言うとおり、集中しなければならない。
「おお! ノーゼ! 我を助けにきてくれたのか?」
「父上、こちらへ……」
ゲマの息子ノーゼは、父親を招き寄せる。
刀士たちの前を悠々と抜けた。
その顔には、ガマのような笑みが浮かんでいる。
人質を取られていれば、ヒナミも他の刀士たちも手が出せない。
たとえ偽の花嫁だろうと、異国の剣士の娘であろうと、無下にするものは誰1人いなかった。
ゲマは息子の側までやってくる。
翻って、ぐふふふ……と、いやらしい笑みを浮かべた。
「さて、どうしてくれようか?」
刀士たちの背後で、ゆらりと影が動く。
なりそこないたちだ。
腕や足がもがれても、まだ動ける化け物たちが、面頬の奥から妖しげな光を放っていた。
おお……。
刀士が震え上がる。
刀を構えようとするも、ノーゼはピシャリと言い放った。
「動くな、といったはずだ……」
冷たい視線を刀士たちに放つ。
舌打ちしたのは、ヒナミ姫だった。
「ノーゼ! 人質とは卑怯だぞ! お主はダルマツ家の中でも話のわかる人間だと思っていた。なのに……。自分のやっていることを恥ずかしく思わんのか?」
「僕だってこんなことはしたくないさ、ヒナミ。たとえ偽物だとしても、君がなるはずだった花嫁に、刃を突き付けるなんてしたくない。だが、これは君が蒔いた種なんだ」
「なにぃ?」
「君が最初から僕とこの国を作り直すと決めてくれれば、こんなことにはならなかった。君が望むのであれば、僕は父だって殺めることができただろう」
「ノーゼ……。貴様――」
「ご心配なく、父上。今のは言葉のあやです。……ヒナミ。僕は悲しい。君は僕を拒否したんだ」
「ノーゼ……。お前、本当にヒナミ姫のことを――」
「愛していましたよ、父上。……ええ。彼女が10歳の少女であることは重々承知しています。だからといって、僕は彼女の将来性を期待したわけではない。ただ今――今の小さな彼女が好きなのです」
ノーゼの瞳は心底本気だった。
先ほどまで氷のように無表情だった顔が、火に炙られた飴のようにとろけていく。
恍惚とし、唇の端から涎が垂れていた。
妖しげに歪められた瞳を、当のヒナミ姫に向ける。
姫は慌てて逸らした。
彼が魔眼の使い手であることは、周知の事実だ。
おそらく【大勇者】も、その力によって操られているのだろう。
「もう君には失望した、ヒナミ。それにね。僕には新しい彼女が出来たんだ。紹介するよ。レミニア・ミッドレスだ。君の側にいる男の娘だよ。可愛いだろう……。でも、彼女は君より5歳もお姉さんなんだ。でも――。…………はあ、なんて可愛いんだ。まるで、天使のようじゃないか」
「それ以上、レミニアに触るな!」
父として、聞いていられなかった。
言葉を遮り、ヴォルフはノーゼに向かって刀を掲げる。
狼の眼光が、娘に刃を押し当てる下郎に突き刺さった。
「そういうなよ、お父さん」
「まだお父さんじゃない。虫酸が走るからやめろ」
「残念……。まあ、恋に障害は付き物だ。そして、その障害は取り払わなければならない」
ぐっとレミニアを引き寄せる。
深くその体臭を吸い込み、さらに強く首筋に刃を押し当てた。
ヴォルフを挑発するように、目を細める。
「ヴォルフ! ヤツの目を見るな!! ノーゼの目は魔眼なのじゃ!!」
慌ててヒナミ姫は、自らの刀身でヴォルフの視線を遮る。
それは成功したが、ノーゼの視線は他にも向けられていた。
周りの刀士たちだ。
ふっと虹彩から輝きが消えていく。
刀を掲げると、ヴォルフとヒナミ姫を囲んだ。
さらには、なりそこないが迫りつつある。
「レミニア……」
如何な【剣狼】とて、娘が人質に取られていては動くことが出来ない。
周りには共に戦ったヒナミ姫の家臣たち……。
刃を向けることも敵わなかった。
【剣狼】は窮地に陥っていた。
◆◇◆◇◆
王城が混乱する中、その地下でも騒ぎが起きていた。
冷たい石壁に囲まれた小さな部屋が並んでいる。
そこには硬い魔法金属の格子がはめられていた。
王城地下にある牢屋だ。
そこに突如として現れた狼藉者を召し取りに、番兵たちが罪人たちを残して、外へと出ていく。
だが、粛々と階段を下りる影は、1度も立ち止まることはない。
突き出された槍をあっさりとかわし、刃の峰で切っていく。
致命傷こそないが、意識を刈るには十分な衝撃だった。
番兵たちは、次々と冷たい床に転がっていく。
騒ぎを聞き、反応した者がいた。
エミリだ。
白無垢ではなく、白い襦袢を着た少女は、じっと座禅を組んでいた。
ヴォルフと再会して以降、様々な感情が湧いては消える。
そしてようやく気持ちに整理が突き始めた時、騒ぎは起きた。
足音が格子の向こうにいる罪人の歓迎を受けながら、近付いてくる。
そしてエミリの牢屋の前で立ち止まった。
「(まさか……)」
静まっていた感情が爆発する。
瞼を持ち上げた。
そこにいたのは、エミリが望んでいた男の姿ではない。
立っていたのは、真っ白な長髪を垂らした男だった。
「る、ルーハス!!」
薄暗闇の中で、エミリは目を剥いた。
ある意味、ヴォルフが来ることよりも驚く人物が現れたのだ。
ちょっぴり残念だった。
思わずエミリは息を吐いてしまう。
「折角、人が助けにやってきたのに、随分な歓迎ようだな、エミリ」
「拙者を助けにきてくれたのでござるか?」
「お前の父の依頼でな」
「父上の?」
ルーハスは鞘から刀を抜いた。
間違いない。父ミツルミ・ムローダのお刀【シンカゲ】だ。
ミツルミが不肖の娘を助けるために動いてくれた。
エミリが知る父なら、娘の罪を強く恥じただろう。
しかし、そうではなかった。
父は自分を助けてくれたのだ。
ほろり、と涙が頬を伝う。
ヴォルフと再会した時以上に、その情けが嬉しかった。
同時に感謝する。
ルーハスは一息で格子を切り裂いた。
「混乱に乗じて、城を脱出する」
「上で何が起こっているでござるか?」
「……。あの田舎者が暴れているのだろう」
「田舎者……? ヴォルフ殿か!」
「行くぞ!」
「待って下さい!!」
1歩踏み欠けたルーハスの足が止まる。
【勇者】を制止したのは、エミリではない。
向かいの牢屋だった。
白い手が格子を掴む。
暗闇の中で、水色の瞳がぼうと光っていた。
「助けてください、ルーハス!」
「ハシリー・ウォート! 貴様、何故こんなところにいる?」
ボーイッシュな白い髪に、男物の正装。
ルーハスの指摘通り、格子の向こうにいる女性は、レミニアの秘書として帯同していたハシリーだった。
ルーハスは願い通り、ハシリーの格子も破る。
バラバラになった魔法金属を見ながら、感謝の意を表した。
「ありがとうございます、ルーハス。けど、ぼくが言ったこととは、少し違うのですが……」
「どういうことだ。それに、お前がここにいるということは、あのチビ勇者も来ているのだろう」
「そう。それです。だから助けてほしい」
「レミニア・ミッドレスをか」
「違います!」
ハシリーは強く否定する。
そして、こう言った。
この国を、ですよ!
ルーハスは眉をひそめる。
「話が見えないぞ」
「みんな、レミニアを舐めているんです」
ハシリーは吐き捨てるようにいった。
ルーハスはますます意味がわからないといった様子だ。
「あの子は、本当に父親が大好きなんです。たとえ国が消滅しようが、世界が滅ぼうが、父親という選択肢を取るでしょう。だから、口実さえ存在すれば、どんな手段を用いても、ヴォルフ・ミッドレスに会おうとする子なんです」
そういう人間なんです。【大勇者】レミニア・ミッドレスは……。
◆◇◆◇◆
「あんまり調子乗るんじゃないわよ。折角、勇者に救ってもらうヒロイン役を演じていたのに……」
その薄暗い声は、ノーゼが突き付ける短刀のすぐ上の辺りから聞こえた。
「え?」
瞬間、ノーゼの視界が反転していた。
中空を舞う。次に地面に叩きつけられていた。
腕を取られ、そのまま背負い投げされたのだ。
さらに足蹴にされ、反吐を口から吐きだす。
妖艶な紫水晶の瞳が光っていた。
ダース単位で詰まった殺意を向けられ、ノーゼの邪な恋心はあっさりと破壊される。
すると、少女は走り出した。
白無垢の姿で、父に駆け寄る。
「パァァァァパアアアアアアアアアアアア!!」
「レミニアァァァァァアアアアアアアアア!!」
娘は飛びつき、父はそれを受け止めた。
レミニア・ミッドレス。
そしてヴォルフ・ミッドレス。
2人は久しぶりにお互いの感触を確かめるのだった。
やっぱりパパが好き!