第119話 おっさん、再会す
いよいよ……。
狼藉者が現れ、ワヒト城は混乱していた。
特に問題なのは、結婚式に参列した来賓たちだ。
何が起こっているか情報も与えられず、城内で狼狽えるのみだった。
その中で、力を発揮したのは、当の狼藉者――ヒナミ姫だ。
今し方、自分に刃を向けた家臣たちに指示を出し、避難の指示を訴える。
一応の安堵を保つことが出来た来賓たちは、粛々と城内を脱出し始めた。
残るはダルマツ家だけだ。
本物のヒナミ姫の登場によって、ほとんどの家臣が刀を下ろす中、ダルマツ家の家臣たちだけは、抵抗を続けていた。
ヒナミ姫とヴォルフは、来賓から遠ざける形で、押し返す。
2人と他多数の家臣によって、ダルマツ家の家臣たちは捕縛されていった。
あとは、ゲマだけだ。
だが、あのガマガエルのような気味の悪い顔の男は、どこにもいない。
ヒナミ姫の号令のもと、城内の至るところに家臣を走らせたが、ようとして消息が知れなかった。
その時である。
悲鳴が上がったのは――。
「ぐあああああ!!」
「なんだ! 貴様ら!」
「ば、化け物!!」
次々と家臣たちがなぎ倒されていく。
ヴォルフとヒナミ姫、ミケは騒ぎの中心へと走った。
それは本丸の中にある中庭だ。
「あそこには、地下へと下る階段がある。ゲマのヤツめ。何かを隠しておったな」
姫君が走る。
その勘は当たっていた。
ゲマは自分の地下で作っていたものを、すでに城の地下へと移し終えていたのだ。
つと一行の足が止まる。
「なんじゃ……。これは……」
中庭はすでに、血煙が燻る戦場と化していた。
すでに2桁に及ぶ家臣が血を流し、死んでいる。
結婚式のために選りすぐられた刀士たちは、それぞれの愛刀を構えたまま居竦んでいた。
その視線の先。
騒ぎの中心にいたのは、具足を身に纏った鎧武者だ。
髑髏を模したお面。
血を垂らしたような赤備えは、余計に恐怖を煽る。
しゅるるるる、と奇声を吐き、煙のような白い息を噴きだした。
明らかな異様――。そして異常。
その真の理由を、ヴォルフは相棒とともに看破した。
『ご主人、こいつら……』
「ああ。死んでるな」
「まさか! 死体が動いているというのか!?」
ヒナミ姫は叫ぶ。
ヴォルフとミケはわかっていた。
凡人と比べれば、異常なほど聴力が発達した2人にとって、人間は音を出す楽器のようなものだ。
それと比べ、目の前の鎧武者からは異質な音がする。
筋肉が伸びる音。骨が軋む音。すべて不協和音。
しかも、あるべき音がない。
つまりは心音や血流の音だ。
聞いているだけで、魂が冷めていく。
そんな音を、ヴォルフもミケも過去に経験があった。
『「なりそこないだ!!」』
レクセニル王国ラムニラ教支部大司祭マノルフ・リュンクベリは、こう称した。
これは天使だ、と……。
むろん、そんな縁起のいいものではない。
それは、人間と魔獣を掛け合わせた成れの果て。
魂と神に対する冒涜的な所行で生まれた魔導生物だった。
今目の前にあるものと、ヴォルフとミケが遭遇したものとは明らかに異質な感じがする。
かつて対峙したなりそこないは、ゆらゆらと揺れながら、対象に近づき、人体を貪るだけだった。
対して、視界に映るものは、何か意志を感じる。
少なくとも周囲に、強烈な殺意を振りまく程度には、改良されているようだ。
すると、なりそこないは突如、吠える。
わっと残りの刀士に襲いかかった。
悲鳴が上がる。
歴戦の強者たちも、魔獣とも刀士とも違う存在に恐れ戦いた。
勇敢に挑みかかったのは、ヴォルフ、そして小さな姫君だ。
刀士に向けられた斬撃を、ギリギリでいなす。
間髪入れず、ヒナミ姫は叫んだ。
「力量が劣ると思う者は下がり、避難の誘導に徹せよ。我こそはと思うものは、我が背中を追いかけるがいい!!」
姫君は押し込む。
ヴォルフ戦で痛めた手首は、ヴォルフが持つ薬の力で全快していた。
ハシバル家からとって返した疲れを見せることなく、むしろその斬撃は生涯に置いて最高といえるほど、冴えを見せる。
軽々と鎧武者の素っ首を落とした。
だが――。
「む! 感触がない……!」
肉と骨を断つ感触がまるでない。
豆腐に包丁を差し入れたかのようだ。
驚いている暇はなかった。
首を落としたはずの鎧武者が、すぐに反撃してきたのだ。
お返しといわんばかりに、刃が姫君の細い首を狙う。
ギィィィイイ……ンン!!!!
わずかな余韻を残す。
刃はヒナミ姫の肌にかかる寸前で止まっていた。
ヴォルフだ。
姫と鎧武者の間に入り、刀で受け止める。
エミリから貸し与えられた刀は、見事期待に応えた。
「おおおおおおおおお!!!!」
ヴォルフはフルパワーを吐き出す。
鎧武者の斬撃を無理矢理押し返した。
「すまぬ、ヴォルフ!」
「気をつけた方がいい。こいつらは、首を落としただけじゃ倒れないぞ」
「その忠告……。もう少し早くもらいたかったものじゃな」
ひやりとしたが、ヒナミ姫は余裕とも取れる笑みを返す。
戦意は全くといって落ちていない。
それは周りも同じだった。
小さな君主の下知に、奮い立ったらしい。
幾人か戦線を離脱したようだが、士気そのものは上がっていた。
急激にヒナミ姫は、名君としての素質を開花させつつあった。
その中で哄笑が響く。
下品な声に、聞き覚えがないはずがなかった。
「ゲマか?」
鎧武者に囲まれ、首魁が現れる。
ガマガエルのような顔を、さらに醜悪に歪め、ぐふふふと泥を吸い込んだような声で笑っていた。
「やはりお主の仕業か。随分と変わった家臣がいるようだな、ゲマ」
「おぞましい姿をしているのは、認めよう。しかし、姫よ。いずれこやつらが、ワヒトの希望になるのですぞ」
「ワヒトの希望じゃと?」
「こやつらは死なぬ兵……。これからのワヒトを守る次世代の刀士なのです」
「そんな化け物がワヒトを守る刀士だと……。笑止――! 国の守りを、人形に任せるというのか?」
「貴様の父親が、我が国の刀士たちを魔獣戦線に送り、一体どれだけの死者を出したと思っておるのだ!!」
ゲマは喝破する。
その言葉に、ヒナミ姫は怯まずにはいられなかった。
「わしはお前の父の尻を拭ってやっているだけだ。……そしていずれはこの武者どもを世界に輸出し、ワヒトを一流の国家にする。強い者が治めるなどという野蛮な国家ではない。知性あるものが、国を治める近代的な国家を作り上げるのだ!」
あ――――はっはっはっはっ!!
ゲマは大演説を打つ。
その異様な声は、城を越え、真下の城下町にまで響いた。
刀士たちはどうしたらいいかわからない。
ヒナミ姫もだ。
父の名を出され、かつゲマの理想は、ある意味理にかなっているかもしれない。
だが――。
「それは間違いだ、ゲマ」
きっぱりと断じたのは、ヴォルフだった。
ヒナミ姫の後ろに立ち、一人舞台に立つゲマを睨む。
「その武者にはたくさんの命が使われたことを俺は知っている。国が主導し、人の命の犠牲になり立つ国家が、果たして真の平和を掴めるとは俺は思えない」
「異人の刀士め。知った風な口を利くな」
「ああ。そうだ。俺がここに来たのは、まだ5日程度だ。ワヒト王国という国をすべて知っているかといえば、そうではない。だが、1つ気づいたことがある」
ヴォルフはそっとヒナミ姫の肩に手を置いた。
「俺は、ヒナミの悪口を1度も聞いたことがない」
「――――ッ!」
自分のことであるにも関わらず、ヒナミ姫は驚いていた。
確かにそうだ。
刀を向けても、石を投げるものはいない。
罵詈も雑言も聞いたことがなく、ただ姫に対する憧れを口にした。
強い人間への焦がれだ。
そして己も強くなりたいという意志。
皆の瞳に、邪な野心はなく、ただただ純粋な向上心だけを感じた。
ワヒト王国は確かに強き者が治める国だ。
しかし、他の国のように家臣に守られているものではない。
誰でも、常に【剣聖】に挑むチャンスが与えられている。
国と国民ではない。
1人の王と、1人の国民。
常に1対1だからこそ、平等なのだ。
「ワヒトは決して野蛮な国ではない。他の国にはない。もっとずっと民に寄り添った国だからこそ、これまでやってきた。ゲマよ。お前のやってきたことは、国民の権利と平等を破る行いだ。……いや、国の上に民を強いる行為だといってもいい!」
断罪されるべきは、お前だ! ゲマ!!
ヴォルフは叫んだ。
その言葉はゲマの喉元を突く。
ガマの油のような汗が滴った。
対して、ヴォルフの演説を聞いていた刀士たちの目の色が変わる。
自分たちの権利と平等が壊れる。
国が潰される。
それはもはや、国の一大事であった。
ワヒトの刀士にとって、自分の刀以上に大事なものがある。
国、そしてそこに住む家族だ。
彼らが強くなる理由は、【剣聖】に挑むことだけではない。
一所懸命――。
つまり、己の一族郎党を守るためにあった。
士気が高揚するのが目に見えてわかる。
ギリッと音がするほど、柄を握る手に力が込められた。
それは若いヒナミ姫も同じだ。
萌える林を睨んだような緑眼に、強い生気が宿る。
愛刀【ツキガネ】を一振りすると、月光のように瞬いた。
やがて、切っ先を高々と掲げる。
「者共! かかるのじゃ!!」
「「「「おおおおおおおおおおおお!!!!」」」」
気勢が上がる。
刀士たちが雪崩を打ち、眼前の敵へと刃を振り下ろした。
1度は赤備えの武者に鼻白んだ人間とは思えない。
心に火を付け、刀に己の魂を納めた。
「ミケ! 俺たちも行くぞ!!」
『はいよ、ご主人様』
にゃあああああああ!!
【雷王】は吠声を上げる。
吹き抜けの中庭に、青白い刃が穿たれた。
それをヴォルフが受け止める。
炎のように雷精を纏った【剣狼】は、牙を剥いた。
「うぉおおおおおおおおお!!」
【雷獣纏い】――。
ヴォルフとミケのコラボは、たちまち鎧武者たちを蹂躙していく。
死なない兵士を粉みじんになるまで切り裂いた。
「やるな、ヴォルフ!」
ヒナミ姫は微笑む。
自分も負けじと刀を振るった。
【連撃:八蛇】!!
八つの剣線が閃く。
一瞬にして、鎧武者は八つ裂きにされた。
胴を断たれ、四肢をもがれ、顎を切り裂かれる。
如何に死なぬ兵士とはいえ、それだけバラバラになれば、襲いかかることも不可能だ。
「1匹に付き、3人以上でかかれ。力は強いが、動きは鈍い。切っ先を見極め、懐に潜り込むのだ!」
「「「「応!!」」」」
小さな君主の号令に、刀士たちは応える。
鎧武者を囲むと、次々に撃破していった。
満足そうにヒナミ姫は頷く。
やがて騒ぎの中心地にいる大老を睨んだ。
「馬鹿な……。我が兵が……」
「死なぬ兵と聞いて、最初は驚いたが、結局木偶ではないか。死なぬからといって、鍛錬を怠ったのではないのか?」
「うるさい! クソガキめ!」
「本性を現したな、毒ガエルめ。ま、最初からお前がそういう人間であることは、見抜いておったがな」
ヒナミ姫は【ツキガネ】の切っ先を向けた。
「さあ……。神妙にせよ、大老ゲマ・ダルマツ! もはや大勢は決したぞ」
「そうでもありませんよ、姫」
突如、その声はヒナミ姫の背後から聞こえた。
新手かと思い、振り返る。
だが、そこに立っていたのは、優男だ。
「ノーゼ……」
「久しぶりですね。ヒナミ姫。婚約者としては、ゆっくりと愛を語り合いたいところですが、今日はあなたに紹介したい人がいるんですよ」
ノーゼの後ろから白無垢姿の少女が現れる。
おそらく偽物のヒナミ姫だろう。
一体どこから連れてきたのか。
背丈や雰囲気がそっくりだ。
その女性を無理矢理掴むと、盾にでもするかのように自分の前に突き出した。
乱暴に顎を上げ、喉元に短刀を突きつける。
目深に被った綿帽子から、はらりと化粧をされた少女の顔が現れた。
雷精を纏ったヴォルフの動きが止まる。
強く握りしめていた刀の切っ先が、力なく地面に向かい垂れた。
大きく目を見開き、呟く。
「レミニア……」
遠い東の国で、最悪な形で親と子は再会した。
次回もお楽しみに!!