第118話 小さな君主、城に帰る
勢力の強い台風が接近しております。
みなさま、くれぐれもお気を付けください。
青白い光が、ワヒト王国の山城に輝いた。
本丸へと向かう道筋に沿い、幾何学的な模様を描く。
堅牢を誇るワヒト城の八門はあっさりと突破され、賊の侵入を許した。
――否。
賊ではない。
その主が帰ってきたのだ。
少し演出を交えて。
結婚式ムードだった城内は、一転して大騒ぎになった。
「かっ――――かっかっかっ! つーかいつーかい!」
劇の役者にでもなったかのように、ヒナミ姫は声を響かせる。
絶景絶景とでもいわんばかりに、混乱する我が城を望んだ。
その横で、ヴォルフとミケが少し申し訳なさそうな顔をしている。
『おい。これ、大丈夫なのか?』
「やってしまった後に後悔しても仕方ないだろう?」
『ご主人様は、いつからそんなにポジティブになったんだにゃ?』
ミケはため息を吐く。
だが、これはいつものことだった。
主人は面倒事に巻き込まれることもあれば、自ら面倒事を引き受ける人間だ。
レクセニル王国でもそうだった。
「大丈夫だよ、ミケ」
『あん?』
「レクセニル王国のようにならないさ」
『まっ! あっちはご主人が側にいるなら、なんだっていいけどにゃ』
照れを隠すように、前肢で顔を拭った。
であえ! であえ!
城内からぞろぞろと衛士が出てくる。
刀を構える刀士もいた。
一方通行の狭い道は、たちまち衛士と刀士に囲まれる。
ヒナミ姫は、10歳とは思えない鋭い視線を放った。
「主ら! 一体誰にお刀を向けておる!!」
「「「――――ッ!!」」」
「妾の名前を忘れたか!! ならば、言って聞かせてやろう!!」
妾の名前はヒナミ・オーダム!!
【剣聖】にして、このワヒト王国の主なり!
我に刃を向ける者は、すべて賊軍としれ!!!!
大鐘を叩いたような声が響いた。
その気迫は空気を震わせる。
はっ、と風が凪ぎ、刀士たちの丹田を震え上がらせた。
動揺が伝播する。
中には賊と思われた少女の声を聞いて、刀を下ろすものもいた。
しかし――。
「何をしておるか、貴様ら!!」
それは城の天守から聞こえてきた。
見上げると、1人の男が立っている。
醜悪なガマのような顔をした男だ。
ヴォルフはすぐにわかった。
あの男が、大老ゲマ・ダルマツであることを。
如何にも悪役が似合う男だった。
が、その雰囲気、背負った覚悟の重さは、ヒナミ姫とそう変わらない。
年を取っている分、言葉には重みがあった。
ヒナミ姫も負けてはいない。
家臣であるゲマを睨み付ける。
「偉くなったものだな、ゲマよ。妾を天守から見下ろすか?」
「何を偉そうなことをいっておる、賊が」
「賊? 妾を賊というか。妾はお前の主。ヒナミ・オーダムぞ! 忘れたというなら、妾の刀を味わってみるか?」
「その考えこそ賊の考えよ……」
「なに?」
「この国のことはすべて刀で決まる。主も、政も! 強きものが権勢を振るう世の中よ。我はそれを改めたいのだ。野蛮で、あまりに原始的なこの国をな!」
「革命か!!」
ヴォルフは思わず叫んだ。
脳裏によぎったのは、英雄ルーハスの姿だった。
ゲマはぐふふ……と不敵な笑みを浮かべる。
「変える? 違うな。ワヒト王国をつぶすのよ!!」
ぐあっはっはっはっはっはっ!!
哄笑が響く。
それは城内を抜け、城下町まで届いた。
悪魔のようなくぐもった笑いに、市井の民は震え上がる。
それは、ヴォルフを囲む刀士たちも一緒だった。
大老から出た物騒な言葉。
一体、自分たちがどっちについていいのか。
明らかに刀士たちは迷っていた。
その中で、1人肩を震わせ、怒りに燃える小さな少女がいた。
当然、ヒナミ姫だ。
鞘紐を解くと、ゲマに向かって愛刀【ツキガネ】を掲げた。
「ゲマよ、今一度問う。……お主にとって、お刀とはなんだ?」
「はん? 決まっておろう。武器よ」
「お刀とは『我』よ」
「我……」
「命をかけるものであり、我が心であり、時に自分の手足となるもの……。ゲマよ。そなたはいったな。『この国のことはすべて刀で決まる』と……。妾はそれを否定するつもりはない。だが、妾にとって、刀とは『我』であり、『人間』そのものであるなら、刀で決まる世は決して悪いことではない」
「ヒナミの言うとおりだ」
ヴォルフはそっとヒナミ姫の肩に手を置き、同調した。
「刀は武器――それもしかりだ。だが、それを扱うものがいなければ、刀は単なる芸術品だ。刀が決めていたわけじゃない。ゲマ……。あんたの言葉は、きちんとワヒトが正常であることを示している。この国のことはすべて人間によって決められていたんだ」
「うるさい! 賊が! 単なる言葉遊びではないか!?」
「ゲマよ。お主が潰したいのは、ワヒト王国の政治体制ではない。この弱り切った国を、そなた自身の刀で切り捨てたいだけだ。ハシバル家のようにな!!」
「ええい! であえ! であえ! 何をしておる! 賊は2人だぞ! とっととその口を塞いでしまえ!」
ゲマは喚き散らす。
その顔は、赤蛙のように真っ赤になっていた。
ヒナミ姫は笑う。
「化けの皮が剥がれた狸よ。いや、ぬしの場合、蛙か。……皆の者、よく考えよ。あの者は、ただこの国を切り捨てたいだけの為政者よ」
「うるさい! 偽物が!!」
「偽物か……。良かろう。偽物かどうか。刀で語ってくれようか」
ヒナミ姫は腰を落とした。
むせ返るような覇気を充満させる。
ビリビリと空気が震え、再び刀士たちの丹田を刺激した。
場はゲマが出てきた以上に緊迫する。
今にも弾けそうなその時、甲高い音が響いた。
カラン……。カラカラカラン……。
衛士が持っていた槍を落とす。
刀を構えていた刀士たちも、切っ先を下げ、鞘にしまった。
誰彼いうことなく整列する。
膝を突き、頭を垂れた。
「「「お帰りお待ち申し上げておりました、ヒナミ姫様!」」」
平伏する家臣たちを見る。
前も後ろも、銀色に染まっていた。
夏だというのに、そこだけが銀世界が広がっている。
冬のワヒト王国が、戻ってきたかのようだった。
やがてヒナミ姫は構えを解く。
ふん、と息を荒くし、満足そうに頷いた。
「勤め! ご苦労である!!」
そうしてヒナミ姫は、刀士たちが作った花道を歩き、城内に参内した。
小さな背中には、すでに君主としての王気を宿していた。
◆◇◆◇◆
「くそ!!」
ゲマは焦っていた。
家臣たちがヒナミ姫に寝返り、もはや自分を守るものはいない。
予想外だった。姫君があれほどのカリスマ性をもっているとは……。
正直侮っていた。
【剣聖】といわれようと、子供は子供。
口では大人には勝てまいと。
だが、彼女は強烈な国のビジョンを持っていた。
そして完膚無きまで、ゲマを論破してしまったのだ。
いずれにしろ、このままでは計画が水泡に化す。
ゲマはとにかく天守から下り始めた。
すると、そこに1つの影が現れる。
帽子と長い衿を立てて、顔を隠した謎の人物。
ガダルフだった。
「おお! 先生! 私を助けてください」
ゲマは恋人のように縋り付く。
しかし、返ってきたのは冷たく暗い眼光だった。
思わず、ゲマは悲鳴を上げ、後ずさりする。
「勾玉の位置を把握した。私は今から、それを奪いにいく」
「ま、待ってください! 私はどうなるのですか?」
「落ち着け! お前のために作った玩具は完成している。存分に遊ぶがいい」
そう言い残し、ガダルフは霧に隠れるように消えてしまった。
1人取り残されたゲマは笑う。
ぐふふふ……ガマのような醜悪なツラを、さらに歪めた。
「そうだ。我にはあれがあったではないか……」
次回はとうとう……。
お楽しみに!