第116話 幕間 弐
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ミツルミが、ダルマツ家に娘エミリが拘束されたと聞いたのは、2日前のことだった。
以来、屋敷の前にはダルマツ家の家来が見回り、彼自身も半ば軟禁状態となっている。
報を聞いた時、ミツルミは激しく憤った。
娘を拘束したダルマツ家にではない。
自分の役目と立場を忘れ、感情に走った娘に対してだ。
娘の処分については、すべてダルマツ家に任せることにした。
ヒナミ姫の結婚式の後、発表されるという。
それまでミツルミは、刀に向かうことも、書に向かうこともない。
私室でじっと正座し、瞑想していた。
ややはれぼったい瞼を開く。
何やら外が騒がしい。
1人、2人とダルマツ家の配下のものが斬られていっているのがわかった。
「曲者か……」
正座の状態からスッと腰を上げた。
上座に置いていた自分の刀を握る。
名は【シンカゲ】。
先代の王のために刀を鎚った時の影打ちだ。
真打ちは今でも、ミツルミの最高傑作と名高い。
紋付きの長着の前紐をほどく。
タンッと障子戸を勢いよく開き、外の様子を窺った。
すでに事が終わった後らしい。
家来たちの気配は、完全に消えていた。
「随分とざるな警備もあったものだ」
眉をひそめる。
そのまま廊下を渡り、入口に向かうと、その曲者は玄関の上に腰を下ろし、背を向け、律儀に靴を脱いでいた。
ミツルミの気配に気づいたらしい。
曲者は粉雪のような白い髪を揺らし、振り返った。
夜の海のような深い青眼とかち合う。
すでに脱いだ足には、獣の足が覗いていた。
「ルーハス・セヴァット……」
かつてミツルミが、その刀を管理していた時の異国の剣士だった。
年老い、ルーハスの刀の維持が難しいと感じたミツルミは、その役目をエミリに引き継いだ。
その彼が、血の匂いを纏ってまで、何故ここにいるのか見当も付かない。
ルーハスは1度立ち上がると、「久しぶりだな」と挨拶した。
そこに愛想というものは、一欠片も存在していない。
出会った当時と変わらず、静かな殺気を放っている。
実に不作法ではあるが、ミツルミはこの剣士を気に入っていた。
その武骨な精神が、自分が作る刀にそっくりに思えたからだ。
「何をしにきた。……エミリはいないぞ」
「お前に、刀を鎚ってもらいにきた」
「……。エミリでは不服か?」
「技術的には、老いさらばえた腕よりも確かだろう。だが、どうもエミリの刀はすかん。雑味が多すぎる」
「雑味?」
「刀狂いのお前とは違って、心が入りすぎている。それが、良い方向に向けばいいが、俺には向かないらしい」
「そうか……。しかし――」
「タダでとはいわん。お前の娘を助けてやる」
「エミリのことを知っているのか? …………無用だ。そんなことをしてもらっても、わしには一銭の価値もない」
ミツルミは吐き捨てた。
心底娘にはがっかりさせられた。
たとえ、死罪になろうと、それは致し方ないことだろう。
娘が死ぬ――。その覚悟を、ミツルミは当に済ませていた。
すると、ルーハスは密かに忍ばせていたものを取り出す。
それは折れた刀身だった。
【シン・カムイ】の残骸……。
レクセニル王国にある瓦礫処理場から、拾ってきたものだった。
ミツルミが広げた両手に、そっと置く。
「おお……」
目を丸めた。
女性の肢体のような反り。
刃紋は穏やかな湖面を思わせる一方、濃い鎬地は力強さを感じさせる。
刀としては、やや迫力にかけるが、ミツルミはそこに驚嘆した。
常々娘にこう諭してきた。
空気を斬るお刀を作れ、と――。
有象無象の刀は、所詮空気を引っ張ってどかしているに過ぎない。
ミツルミの刀とてそうだ。
真に空を斬る刀を作る。
それが、ミツルミの理想だった。
そして、今目の前にある刀身こそ、理想型だった。
まるで空気に溶けるような刀。
そう――。空を斬るということは、まさしく刀も空となることなのだ。
折れた刀身を見て、ミツルミは強く感じ入る。
娘が鎚った刀であることはすぐにわかった。
そして初めて娘の刀に嫉妬を覚えた。
自分も……。自分もこういう刀を鎚ってみたいと。
同時に沸き立つ。
この才能を散らしていいものか、と。
ミツルミは自分の刀を取る。
先代の王のために鎚った刀の影打ちを、ルーハスに渡した。
「ルーハス……。前言を撤回する。娘を助けてやってくれ」
ミツルミは娘のことを諦めていた。
納得もしていた。
だが、刀匠として、弟子が散らす命を惜しいと思ってしまった。
鍛った刀を見て、変節してしまったのだ。
父親としては、最低最悪だろう。
しかし、ルーハスがいうように、ミツルミは刀に狂った男だ。
その帰結は、ある意味自然であったかもしれない。
「おー。おー。人がションベンいってる間に、派手にやってくれたな」
唐突に、外から声が聞こえる。
玄関戸を足で蹴り上げると、男が入ってきた。
くすんだ銀髪に、蛇のような目。
黄ばんだ歯を見せ、「ぺぺぺ……」と奇妙な笑い声を上げて笑っている。
「イゾーラ」
ミツルミは目を細める。
イゾーラは一物の位置を直しながら、無造作に異国の剣士に近付いた。
まだヴォルフに受けた傷は治り切っていないらしい。
襟元には包帯を巻いた素肌が見えた。
「てめぇか。外の連中を斬ったのは? ああん?」
「そうだ」
ルーハスは素直に答える。
イゾーラはまた「ぺぺぺ」と笑った。
「いいね。素直な子は大チュキですよ――とぉ!」
いきなり愛刀【ジャバラ】を抜き放つ。
ほぼゼロ距離からの抜刀。
しかし、イゾーラは柔軟な身体を巻き込むように腰を切る。
狭い空間でも、刀を抜き放つことを可能にしていた。
【巻き蛇】と名付けたその抜刀術が、牙を剥く。
ルーハスの腰を一刀すると思われた。
ギィン!
「な――!」
イゾーラは呻く。
完全に虚をつけたはずだ。
チビの【剣聖】なら、すでに胴を両断されていただろう。
イゾーラに土を付けたあのおっさんでも、どうなっていたかわからない。
それだけの自負はある。
完璧に決まった。
そう本気で思っていた。
なのに、ルーハスは反応していた。
逆手で【シンカゲ】を抜き、腰に届く前に刀身で【ジャバラ】を受けていた。
舌打ちし、一旦イゾーラは退く。
理解不能の超反応。
外に倒れていたダルマツ家の配下の傷口だけを見て、ただ者じゃないとは予想していたが、遙かに上回ってきた。
「退け、イゾーラ。こやつは【勇者】ルーハスだ。お前の敵う相手ではない」
「ぺぺぺ……。なるほど。あの【勇者】様か。なら尚更退けねぇな」
思いっきり上半身をひねる。
パチンと鞭のように弾くと、切っ先が蛇のように伸びた。
イゾーラの十八番――【蛇突】だ。
ルーハスもまた刀を掲げる。
必殺の突きを払おうと、合わせた。
だが、ここからが【蛇突】の本領発揮だ。
イゾーラはいつも通り、手首をぐにゃりと返す。
途中で軌道を曲げると、ルーハスの刃をかわした。
「死ねやぁぁぁぁぁぁぁあああああ!!」
蛇の牙がルーハスの心臓へと伸びる。
ふっと【勇者】の姿がぶれた。
【蛇突】は確かにルーハスの胸を貫く。
が、感触がない。
肉を突き通す――あのたまらない享楽……。
吹き出す血のぬくもりもない。
ただ一言――。
氷の刃のような言葉が、我流の刀士の背中を貫いた。
「残像だ……」
刹那、イゾーラは振り返る。
迷う暇はない。
身体を返し、攻勢に出なければ死ぬ。
イゾーラは【ジャバラ】を掲げた。
大上段に構えた瞬間、光が閃く。
シャッ――!
鋭い音を立てて、血が飛び散り、それは天井にまで届いた。
ゆっくりと倒れながら、イゾーラはやっと己が斬られたことに気付く。
見たこともないほど、見事な太刀筋だった。
一瞬心が持って行かれ、見惚れるほどに。
どおっと玄関に倒れる。
傷口からは血がドクドクと溢れた。
奇しくも、ヴォルフが斬った傷口と正対しており、まだ治りきっていない傷跡からも血が滲んでいた。
ルーハスは何事もなかったかのように【シンカゲ】についた血を払う。
すでにこの時、イゾーラのことを彼は忘れていた。
冷たい濃い瞳を、改めてミツルミに向ける。
「今は【シンカゲ】で我慢してやるが、これ以上を頼むぞ」
そうして、ルーハスは陽炎が立つ夏の雪国に消えていった。
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