第115話 王が守りたかった者
台風だったり、地震だったりと、
大変な1週間でしたが、皆様はいかがお過ごしでしょうか?
「お待ち下さい、ヒナミ姫」
ハシバル家領主マナ・ハシバルは、今まさに踵を返そうとするヴォルフとヒナミ姫を呼び止めた。
その声に2人は留まったものの、表情には強い決意を滲ませていた。
「領主よ。折角の出迎えであったが、これにてさらばだ。なんと言われようと、妾は王都へ行く。行って、何が出来るのか見極める」
「その決心の強さは理解しております。我々も同行させていただきたいのです」
「ダメじゃ!」
ヒナミ姫は一蹴した。
「ワヒト王国が大変な時に、国を二分するわけにはいかない。それに領主。お主にはお主にしかできないことがあるだろう」
ぽつんと1人立っていた先ほどの娘を見つめる。
久しぶりに握り飯を食べてさぞ満足だろうと思ったが、少女は口の中に指を突っ込み、いまだ物欲しそうな目でやりとりを聞いていた。
「お主のやることは、その娘を腹一杯食わせてやることだ、違うか……」
「確かに……。おっしゃるとおりでございます」
「案ずるな。妾には一等斬れる刀がおる。安心しろ」
ヒナミ姫はヴォルフの尻を豪快にパンと叩く。
小さな女の子に不意を突かれ、【剣狼】は少し恥ずかしそうだった。
横で、ミケがクツクツと笑っている。
「姫……。では、1つ許しを請いたいのです」
「なんだ?」
「ハシバル家の領主として、ヴォルフ殿と立ち合わせてください。彼が姫の刀として、ふさわしいかどうかを己の刃で見極めたいのです」
「おいおい。そんな時間は……」
「よかろう」
ヒナミ姫は頷く。
元来、刀士とは口ではなく、刀で語るもの。
いくら【剣聖】でも、刀士としての本能まで否定出来なかった。
要は、マナ自身がヴォルフと戦ってみたいのだろう。
領主は、篭手や胸当などの具足を脱ぐ。
身軽になり、1振りの槍を握った。
武具には、見覚えがあった。
槍の先に刀を付けたような反りの深い刃。
あのグラーフ・ツェヘスが持つ槍と似ていた。
あれと比べれば、随分細いが、根本的な部分で似た武器なのだろう。
突く――というより、距離を取って斬ることに特化した武具。
ワヒトでは薙刀というらしく、女性の刀士がよく使うそうだ。
確かに長い柄を使い振り回すだけでも、脅威になる。
なるほど。女の細腕であろうとも、これほどの長柄なら、遠心力を使い、男と渡り合うことも可能だろう。
マナは利き足を後ろにし、極端に歩幅を広げずに構えた。
少し上半身でリズムを取りつつ、反った刃の先をヴォルフに見せる。
目線はヴォルフの胸へと向けられていた。
ふっと息を吐く。
気合い、そして闘気。
どれも十分だった。
対して、ヴォルフは自然体のままだ。
借り物の刀を鞘に納めている。
柄に手をかけることもなく、腰の位置も高かった。
「どうした、ヴォルフ殿。もしかして憶されたか?」
「いや、違う。……たぶん、俺の相手はあんたじゃない」
「な、何を……」
「あんたは言ったよな。『ハシバル家の領主として』って……。これは俺の勘だが、あんたはハシバル家の領主じゃないだろ」
「――――ッ!」
「あんたが相手になるなら、それで俺は構わない。だが、当主という言葉を出した限り、あんたが相手をするべきなんじゃないのか?」
ヴォルフは振り返る。
彼の正面にいたのは、黒装束を来た人物だった。
ヒナミ姫を最初に迎えた忍師の1人。
唯一の女性だ。
その忍師が顔を上げた。
黒頭巾に手をかけ脱ぐと、鮮やかな銀髪が露わになる。
赤い瞳を蠱惑的に細め、マナとそっくりな女は笑った。
「いつからわかっていたんですか?」
「最初から――とカッコつけたいところだが、そうやって顔を見せてくれるまでわからなかったよ」
とはいうが、ヴォルフは最初から彼女を疑っていた。
領主とは思ってもみなかったが、他の忍師と明らかに違う感じがした。
かなり訓練し、忍師の動きをそつなくトレースできてはいたが、身についた気品や立ち居振る舞いといったものは、なかなか消せるものではない。
女の方が若干だが上品に思えた。
それに【大勇者】によって強化された聴覚は、ある意味異常なレベルにある。
心こそ読めないが、ちょっとした機微であったり、感情の揺れのようなものは、心臓や筋肉の動きでわかるのだ。
「巧妙に隠してはいたが、何度か偽マナがあんたに目線を送っていたしな。もしやと思って、カマをかけてみたんだ」
「お見それしました」
マナの偽物は構えを解いた。
槍の切っ先を下に向け、頭を垂れる。
一方、本物のマナは拍手を送り、ヴォルフを称賛した。
「お見事です、ヴォルフ殿。あなたの心眼……。しかと確認しました」
「心眼なんて大層なものじゃないさ」
そう――。ヴォルフの力は大したものではない。
むしろ、その娘が凄すぎるのだ。
「試すようなことをして申し訳ない。あなたなら、姫をお任せできるでしょう。改めて、ヒナミ姫をお願いします」
「ああ。任せておけ」
「マナよ。お主に預けたいものがある」
ヒナミ姫は懐から例の勾玉を取り出す。
黒い宝石は、陽の光を受けて、鈍く輝いていた。
「どうやら、ダルマツの狙いはこの勾玉らしい」
「その宝石は一体なんなんだ?」
ヴォルフが尋ねると、ヒナミ姫は首を振った。
どうやら、彼女も詳しいことは知らないらしい。
勾玉は、ワヒト王国の王に授与され、連綿と受け継がれてきたものだ。
それ以外に、これといったことはわかっていない。
昔、三賢者と名乗る賢者が来て、勾玉を分析してもらったところ、たくさんの理解不能な魔術式が刻まれていることがわかった。
それ以来、大切に扱われてきたが、最近になってダルマツが急に、勾玉に興味を示してきたという。
「それに、この勾玉には言い伝えがあるのです」
マナが説明を付け加える。
国、乱れるとき、勾玉は異界の門を開き、多くの災いを寄せるであろう。
ヴォルフは顔をしかめた。
「気味の悪い言い伝えだな……」
『捨てるわけにはいかなかったのかにゃ? だったら、あっちにほしいにゃ』
ミケも口を出すが、ヴォルフは通訳しなかった。
相棒は先ほどから、勾玉を熱心に眺めている。
魔力の塊みたいなもので出来ているからだろう。
魔石が好きなミケにとっては、最高級のご馳走なのだ。
「刀士は来るべき時のために、己を磨いてきた。国の政治体制を変えてでも、個々人の強さをあげてきたのだ」
そういったヒナミ姫は、何か寂しそうだった。
小さな肩を抱こうとした時、マナが間に入る。
「ヒナミ姫……。お父上のことは――」
「わかっておる!」
ヒナミ姫はカッと言葉を遮った。
「わかっておる。父が何故、国が危急の時でも刀士を魔獣戦線に送ったのか。あなどるでないぞ、マナ。妾はちゃんと理解しておる」
「姫……」
「父は魔獣戦線こそが、この言い伝えの災いだと思ったのだ。そのために、国が飢餓であえいでいる時でも、刀士たちを戦地に送り続けた」
決して国のメンツなどではない。
それこそが刀士の本懐と見つけ、ヒナミ姫の父は魔獣戦線に自国の戦力を投入し続けた。
結果、甲斐あってストラバールは守られ、人類は生き残ることが出来た。
今の平穏は、刀士たちの血と骨の上にあるといっても過言ではない。
「なんのことはない……。父は世界を救うために、ワヒト王国を犠牲にした。人身御供など生ぬるい。国――そのものを捧げたのだ」
ワヒトの民の命を削ってでも、世界の平和を優先した。
それが出来るのは、国王でしかない。
そして、その責任をとれるのも、国王しかいない。
「王はおそらく知っていたのでしょう。いつか自分は殺されるのではないか、と」
「ならば、腹を切れば良かった。死に体になった国に居座るよりも、自ら命を断ち王としての責任を取れば良かったのだ」
「それは出来ないよ、ヒナミ」
ふとヴォルフが呟く。
何故か、父に声をかけられたような気がした。
「俺がヒナミの父親なら、命を捨てることは出来ない。泥を啜ってでも、生き抜いたと思う」
「何故だ!? 何故、そうまでして生き恥を!?」
「簡単なことだ、ヒナミ。お前がいたからだよ」
もし、ヴォルフが王であったなら、同じ事をしただろう。
仮にレミニアが傷つく可能性があるならば、全力を持ってヴォルフは娘を守る。
そのためなら、なんだってやっただろう。
知人、友人、戦友、そして村や町、国すらも犠牲にできるかもしれない。
それほど、ヴォルフは娘のことを愛している。
この世で1番というほど。
「ヒナミのお父さんもそうだったんじゃないか?」
「違う、父は……父上は世界を守ろうと……」
「違うんだ。ワヒト王は世界を守ろうとしたんじゃない」
娘がいるこの世界を守ろうとしたんじゃないか?
「…………」
ヒナミ姫の緑色の瞳が滲む。
涙腺は容易く決壊し、喉からは嗚咽が漏れた。
「うわああああああああ!!」
ヒナミ姫はヴォルフに抱きつく。
その広い胸の中で、姫君は泣きじゃくった。
マナは驚き、言葉を失う。
父親の葬儀ですら、1粒も涙を流さなかった【剣聖】の少女が、今こんなにも感情を露わにし、泣いている。
しかも、その胸を貸しているのは、異国の剣士だった。
(この人なら、きっとヒナミ姫をお守りすることが出来るでしょう)
強く確信する。
すると、その鼻先に突如雨が穿つ。
空を見ると、晴天が広がっていた。
だが、ポツリポツリと雨が降っている。
「狐の嫁入りですね……」
「狐の嫁入り?」
「この辺では天気雨のことをこういうのです。まるで狐に化かされているみたいでしょ。そして、この雨は吉兆でもある。……さ、姫」
「うむ……」
ヒナミ姫はヴォルフから離れた。
涙を袖で入念に拭う。
やっと空へと向けた顔は、快晴の空のように晴れ晴れとしていた。
「行くぞ、ヴォルフ」
「ああ……」
【剣聖】と異国の剣士。
子供と大人。
奇妙な取り合わせの2人は、王都へと踵を返すのだった。
いよいよ王都へと殴り込みます。
そしてあの男も……。