幕間(壱) 銀髪の女刀士
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ワヒト王国大老ゲマ・ダルマツは、王宮にある私室で刀を研いでいた。
今年で47歳となるゲマは、武から離れて久しい。
そもそも低い身長。
人と比べて発達しにくい筋肉。
それ故、子供の頃から【剣聖】になることを諦め、学問に励んできた。
ダルマツ家は元々ワヒトの中でも要職に就くことが多い家名だが、王に次ぐ地位と権限を持つ大老となったのはゲマが初めてだった。
幼少からの研鑽が実を結んだ結果ではあるが、容易な人生ではなかった。
汚いこともやってきた。
秘密裏に政敵を排除してきたことは、指で数えるに及ばない。
その呪いか、顔はガマのように歪に曲がり、痣も年々多くなっている。
それでも、刀の手入れだけは忘れない。
刀はワヒトの魂。
ダルマツにとっても、深い縁がある。
研ぎ石から刀を離す。
濡れそぼった刀身を、女の肌でも扱うかのようにゆっくりと布で拭き取った。
気が付けば夜だ。
ゲマの目が鋭く光る。
障子戸の向こうに、人影が座しているのが見えた。
ゲマはそのまま手入れを続ける。
「首尾は?」と短く質問した。
申し訳ありません、と男の声が聞こえてくる。
さらに深く頭を垂れた。
「小娘1人に何を手を焼いておるのだ」
「邪魔が入りまして」
「邪魔?」
「かなりの手練れの男です。それが――」
かこん、と城内に設けられた鹿威しが、月夜に響き渡る。
だが、ゲマの声はそれ以上だった。
「姫が立ち合いで負けただと!!」
驚天動地の報告だった。
汚い手を使ったならまだしも、男は正々堂々と1対1で勝負し、見事【剣聖】から1本取ったという。
ヒナミ姫は子供だが、その実力はゲマも認めるところだった。
悪魔が憑いているのかと思う時すらあるほどに、あの娘は強い。
「姫の調子が悪かったのではないのか?」
「私の目からは普段と変わりないようには見えました」
ゲマは1つ息を吐く。
泡だった心境を1度リセットした。
この際、ヒナミ姫が負けたことはどうでもいい。
そもそも今進めている婚姻さえ成立すれば、意味がなくなる。
こんな些細なことで躓くわけにはいかなかった。
「例のものは、まだヒナミ姫が持っているのか?」
「おそらく……」
「ともかく早急にヒナミ姫を捕まえよ」
「男は?」
「消せ。【剣聖】の称号がその男に渡ったとあれば、いずれややこしくなる」
「わかりました」
影が消える。
入れ替わるようにして、また人影が現れた。
同じように障子戸の前で膝立ちになる。
「父上、私です」
「おお。ノーゼか。入るがよい」
ゲマの声音が変わる。
障子戸を開けて入ってきたのは、1人の青年だった。
雪のように白い肌。
綺麗な銀髪は肩を通って、胸の辺りまで流れている。
目が狐のようにつり上がり、口は小さく、華奢であるため女のようにも見えた。
ノーゼ・ダルマツ。
ゲマに唯一残された息子だった。
「どうした?」
「大丈夫でしょうか?」
ノーゼは質問を質問で返す。
ゲマは一瞬顔を曇らせたが、再び機嫌良く話し始めた。
「問題ない。ヒナミ姫もいずれ戻ってこよう」
「明後日には、各国の要人が来ます。挨拶に出向かなければなりません」
「そうだな。……姫は体調を崩されているということにしよう」
「結婚式にまで間に合わなかった場合も、想定すべきかと」
「ふむ……。では、どうする?」
「影武者を立てましょう。もしばれたとしても、警護上の理由として言い訳が立ちます」
「なるほど。名案だ。さすがはノーゼ」
「ありがとうございます、父上」
ノーゼの目が怪しく光る。
ワヒト王国では珍しい左右で違う金と銀の瞳。
すると、ゲマは反射的に眼を逸らした。
慌ててノーゼは顔を伏せる。
「すいません」
「良い」
「ところで父上、お客人が来ております」
「ん? 誰だ?」
「ムローダ家のご息女です」
「ムローダ家の……? ああ、エミリ嬢か」
ダルマツ家とムローダ家は、古くからの盟友だ。
ムローダ家が作る高品質な刀を、ダルマツ家が海外へと輸出したことによって、地位と資産を増やしてきた歴史がある。
お互いの家なくして、ダルマツもムローダも今の繁栄はなかったといっていいだろう。
だが、ゲマが大老になってからは、ムローダ家とは距離を置いていた。
その当主はゲマの汚いやり方を知っているからだ。
エミリにしても、幼少期以来会っていなかった。
その頃から可愛い女児で、今会えばさぞかし美人になっているだろう。
「エミリ嬢はなんと?」
「ヒナミ姫の捜索の件、手伝わせていただきたい、と」
「なるほど。それは心強いが、あの家は少々融通がきかんからなあ」
「イゾーラを付けてはいかがでしょうか?」
ノーゼが提案すると、ゲマは膝を叩いた。
イゾーラはダルマツが抱える剣客だ。
腕は立つが、少々血の気が多いところがある。
それ故に、ヒナミ姫の捜索からも外していた。
真面目なエミリ嬢につければ、その暴走も抑えることが出来るかもしれない。
「よし。それで良い」
「エミリ嬢はどうしますか? お通ししますか?」
「良い。助太刀感謝すると伝えよ」
「わかりました」
ノーゼは一礼し、下がっていく。
やがて静寂が下りる。
遠くで鹿威しの音が鳴るのが聞こえた。
◆◇◆◇◆
キィン!!
硬い金属音が一際大きく響いた。
往来で私闘が許可されているワヒトでは珍しくない光景だ。
「私闘はワヒトの華」といわれるほど、街のどこかで鍔迫り合いが響いている。
仕合ってる同士が、一流の刀士であるなら、野次馬の数も半端ない。
その姿や出で立ちが異様であるなら尚更だ。
円の中心にいたのは、2人の刀士。
1人はくすんだ銀髪を乱暴にまとめ上げた男だった。
ほつれた着物を着崩し、開いた胸には大蛇の入れ墨が彫られている。
蛇のように歪んだ瞳を光らせ、多量の涎がついた舌でひび割れた唇を舐めた。
「邪魔すんなよ、エミリさんよ」
対するは、見目麗しい女刀士だった。
綺麗にまとめた銀髪は、馬の尾のように揺れ、雪の上に置いたような赤宝石の瞳は、厳格に光っている。
「みだりに刀を抜くものではござらんよ、イゾーラ殿」
エミリは目の前の男――イゾーラ・ヒッキリィに語りかける。
側にいた男に合図を送ると、悲鳴を上げて逃げていった。
先ほど、軽く肩が当たっただけというだけで、イゾーラが因縁をつけた相手だ。
「お刀も刀術も、力を見せびらかすものではない。ワヒト王国と世界を守るためにあるものでござる」
真っ直ぐに言い返す。
イゾーラはめんどくさそうに顔を歪めた。
「優等生が……。刀ってもんはな。振ってなんぼなんだよ」
やがて「チッ!」と舌打ちする。
蛇のように曲がった愛刀【ジャバラ】を鞘に納めた。
それを見て、エミリもまた慎重に納刀する。
イゾーラの噂はムローダ家の長女も伝え聞いていた。
血の気の多い男で、ダルマツ家も持て余している、と。
だが、強い。
先ほどの一刀も、異様だった。
剣の軌道が全く読めないのだ。
本人の性格と同じく、刀も我流の刀術も歪になっていったらしい。
ただその剣軌道を、初見で防いだエミリもまた化け物だった。
本来であれば、イゾーラは続行を望んだだろう。
が、涼しげな顔で自分の刀を防いだ女刀士に興味を持ったのだ。
そんな熱視線を背中でかわし、エミリは昨日【剣聖】ヒナミ姫と謎の男が争っていた現場の聞き込みをしていた。
その男を泊めたという番頭に話を聞いている途中で、イゾーラが揉め始めたのだ。
「すまない。その男の特徴を教えてほしいでござる」
「えっと……。そうだな。背丈は結構あったよ。刀を持っていて、たぶん大陸の方から来たんだろう。ワヒトの訛は全くなかった」
「他には?」
「そうだな……。ああ……。猫を連れていたよ」
「猫?」
「変わった品種だったね。波斯猫をもっとこう大きく……」
かつん……。
不意にエミリは筆を落とす。
墨が付いた筆はそのまま地面に転がると、扇のような図柄を描いた。
番頭はどうしたのだろう、と首を傾げる。
後ろでイゾーラも訝しむように顔を曇らせた。
エミリは目を大きく見開き、呟く。
「まさか――。ヴォルフ……さん……?」
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