第108話 おっさんはダーリン!?
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ヴォルフは刀を引いた。
ゆっくりと鞘に納める。
キィンという鍔鳴りが響くと、そのまま静寂が訪れた。
誰も言葉を発しようとはしない。
呆然と決着したいくさ場を凝視していた。
異様な雰囲気の中で、ヴォルフは口を開く。
「姫……。あなたの剣は素晴らしい。きっとそのまま成長すれば、偉大な刀士になることが出来るでしょう。例えばレイルのように……」
「…………」
「ですが、1つだけ老婆心ながら忠告させていただきたい。……真剣勝負の場は、遊び場ではない。あなたの命は、あなただけものではない。人の上に立つ身分であるなら尚更だ。増して姫はまだまだ若い。命を賭けに使うのは感心できない」
「…………く」
「出過ぎたことをいいました。申し訳ない…………って聞いておられますか?」
その瞬間だった。
『うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!』
波1つ浮かばない湖畔に、熱い溶岩でもぶち込んだかのような歓声が上がった。
「すごい!」
「【剣聖】に勝ったぞ」
「姫に勝った!!」
「マジかよ!」
「信じられない!」
「夢を見てるみたいだ!」
称賛の嵐が、ヴォルフに向かって投げ込まれる。
もはやお祭り騒ぎだ。
通りを挟んだ向こうや、家屋の2階から見物していた野次馬も飛び上がって喜んでいる。
まさに異様……。
その中で戸惑っているのは、ヴォルフとミケだけだった。
『おいおい。やべぇんじゃねぇか、ご主人様よ』
「ああ……。長居は無用だな」
ヴォルフはその場を後にしよとする。
だが、腕を掴まれた。
細い手を見て、誰かすぐにわかる。
「姫……」
「くははははは……。我に勝ちおったな、貴様」
「な――なにを!?」
「皆のもの喜べ! こやつが次の【剣聖】……。そしてワヒトの未来を委ねる国主となる男だ!」
高らかに喧伝する。
すると、皆が諸手を挙げた。
甲高い指笛が鳴り、惜しみない拍手が送られる。
「国主」「新たな国主だ!」という言葉が上がると、今度はワヒト王国の国歌まで歌われる始末だ。
唖然とするヴォルフの腕を、ヒナミ姫が手を引いた。
「ふふふ……。国主様、ワヒトをよろしく頼むぞ」
すると、隙ありといわんばかりにヴォルフの頬に軽くキスをした。
うおおおおおおおお!! と再び雄叫びが上がる。
盛り上がりは最高潮に達し、遠巻きに見ていた野次馬たちが2人に群がっていた。
持ち上げると、「わっしょい!」というかけ声とともに、胴上げをされる。
1回、2回、3回……。
ヴォルフは、ワヒトの空に舞い上がった。
これでは埒が明かない。
胴上げから解放されたヴォルフはすかさずミケを拾い上げる。
その場で思いっきり跳躍した。
レミニアによって強化され、レクセニル王国の城壁を軽々と超えたあの力だ。
【剣狼】にして【剣聖】の姿は、雲間に消えるのだった。
◆◇◆◇◆
「ぜぇぜぇ……。はあはあ……」
ヴォルフは王都の外れまで逃げてきた。
人気の少ない裏路地に入ると、ようやく息を整える。
ミケも疲労困憊だ。
さっきまで畳みの上でぐっすり寝ていたのに、天国から一転地獄に落とされた気分だった。
『だから、あれほどトラブルに首を突っ込むなといってるのに!』
「し、仕方ないだろう。彼女がいきなり襲いかかってきたんだ」
『その割には、説教してたじゃにゃいか! 国のお姫様なんだろ』
「いたいた……」
ヴォルフとミケは同時に振り返る。
立っていたのは、件のヒナミ姫だった。
何食わぬ顔で近付いてくる。
「一体どうやって追いついて……」
「ここは妾の国ぞ。落下地点なんぞ、方向と高さでなんとなくわかるわ」
といっても、ヴォルフが到着したのは、今さっきだ。
王都の中心から外れまで。
一体どれほどの速度でやってきたのだろうか。
剣だけではなく、脚力も常人離れしているらしい。
「ともかく姫……。俺は【剣聖】になるつもりなんてないですよ」
「妾が認めなくとも、国民がお主を認めておる。往来のど真ん中で妾に勝ったのだからな。それにお主には【剣聖】になってもらわねば困る」
「困るって……。そんな無茶ぶりすぎる」
「よろしく頼むぞ、ダーリン」
「だ、ダーリン!」
「うん? 大陸の方では、恋人のことをダーリンと呼ぶのではないか?」
「(いつの時代の情報だよ)」
ヴォルフは頭を抱える。
冒険者をやっていた時に、ある創作話で、英雄と姫の悲恋が爆発的な人気を博したことがあった。
奇しくも同じ名であった2人の名前がダーリン。
一時、そう呼び合うことが、恋人同士の間で流行ったのだ。
どうやらワヒトでは、一時代遅れて伝わっているらしい。
すると、ミケがピクピクと耳を動かした。
時を同じく、ヴォルフも剣の柄を握る。
当然、元【剣聖】も気付いていた。
薄暗い裏路地に現れたのは、腰に刀を帯びた刀士だ。
だが、往来で姫と刀を交えていた者たちとは様子が違う。
蓑笠を目深に被り、決して顔を見せようとはしない。
足運びも異常なほど静かだ。
おかげで囲まれるまで、ミケもヴォルフも気付くことが出来なかった。
「妾を狙うならお門違いだぞ、お主たち。今の【剣聖】はそこな男だ。この国の国主の座がほしいなら、あの男を狙うがいい」
「ひ、姫……!」
「といっても、聞かぬであろうな。お主たちの目的は、【剣聖】の称号などではなく、妾が持っているものなのだから」
男たちの雰囲気が一層闇に落ちる。
殺気が膨れあがり、ついに刀を抜いた。
どうやらヒナミ姫がいったことは、間違いないらしい。
やれやれ、とヒナミ姫は刀を抜こうとする。
それを留めたのは、ヴォルフだった。
ヒナミ姫を背にし、男たちと向かい合う。
はあ、とため息を吐いたのは、ミケだった。
「いいですよ、姫は」
「心配するな。自分の身ぐらい自分で――」
「俺の目は節穴じゃない。手首を痛めているだろ?」
ヒナミ姫は反射的に右手首を庇った。
黙っていればわからなかったものの、虚を突かれた指摘に思わず反応してしまったのだ。
姫は思わず苦笑した。
「知っておったのか……」
「【居合い】の撃ち合いの時だな」
いくら天賦の才能を持っていても、身体はまだまだ子供だ。
大人の全力が受け止めれば、どこかにガタが来るのは必定だった。
「乗りかかった舟だ。せめて、安全な城ぐらいまではエスコートしよう、ダーリン」
ヴォルフは剣を抜く。
男たちにその切っ先を向けた。
対し、ヒナミ姫は呆然と広い男の背中を見つめている。
白い頬が、野苺のように赤くなっていた。
先に仕掛けてきたのは、男たちだ。
1人の男が切っ先をやや下げ気味に突っ込んでくる。
深く接敵すると、ヴォルフの喉元を狙った。
キィン!
金属音が響く。
あっさりと弾かれた。
さらに男の体勢が整わないうちに、ヴォルフの袈裟斬りが決まる。
「はあ!!」
横から刀が飛んでくる。
不意の一撃だったが、ヴォルフは冷静にかわした。
遅い。
エミリと比べて5歩。
ヒナミ姫と比べるならば、10歩は遅い。
眠くなってしまうほどにだ。
交叉する瞬間、ヴォルフは男の胴に剣を打ち込む。
どお、とその場に倒れた。
わずかな間に2人――。
しかも汗1つ掻いていない。
「さすがは妾が見込んだ【剣聖】じゃな」
ヒナミ姫は薄い胸を反る。
横でミケはジト目で睨んでいた。
戦いは続く。
プッと男は何かを吹き出した。
吹き矢だ。
針のような小さな矢が、横で見ていたヒナミ姫に向けられる。
それをヴォルフはブロックする。
肩口に刺さった。
笠の下で薄く笑う。
同時に、ヴォルフに向かって3人の男たちが一斉に襲いかかってきた。
矢には毒が塗られている。
大型の魔獣でも殺せるほどの強い殺傷力のある毒がだ。
しかし――。
剣閃が瞬く。
3つの剣筋が交錯すると、3人の男たちは同時に倒れた。
「馬鹿な!」
思わず男は声を上げる。
ヴォルフは何食わぬ顔で矢を抜いた。
「毒なら効かないぞ、俺には」
大型の魔獣どころか、ドラゴンに効果があるような毒でも、娘によって強化されたヴォルフの身体は受け付けることはない。
動揺する男。
【剣狼】はすかさず走る。
拍子抜けするぐらいあっさりと懐に潜り込むと、逆袈裟に斬り上げた。
倒れる前に、ヴォルフは男の襟首を掴む。
「お前たち何者だ!?」
峰打ちにはしておいた。
致命傷には至っていないはずだ。
しかし、男は死んでいた。
毒だ。
歯の裏に忍ばせた毒袋を噛みちぎり、自害していた。
他の男たちも一緒だ。
すべて峰打ちだったにも関わらず、死んでいる。
同じく服毒自殺だった。
「こいつら……。プロの暗殺者だな」
姫を殺すつもりはないことは、戦っているうちに察した。
汚い手を使ってでもヒナミ姫を確保するつもりだったようだが、それにしても血生臭すぎるような気がした。
ヴォルフはそっと男を地面に置く。
手を重ねてやると、黙祷を捧げた。
くるりと、振り返る。
「事情を説明してくれますか、姫」
【剣狼】の眼光は、ヒナミ姫を射抜く。
姫は薄く微笑み、余裕で応じるのだった。
幼女に「ダーリン」といわれて、羨ましいと思う作者の作品はこちらになります。