第104話 エピローグ、そしてプロローグ
これにて『偽狼、徘徊する街篇』終了です。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
ワヒトを目指す船上で、父親が無類の強さを発揮する中、レミニアは研究のある問題点に躓いていた。
最近ではソファの上で寝そべっていることが多く、この日も膨大な研究資料を枕にして、船をこいでいる。
そんな時、研究室にやってきたのは、秘書官ハシリーだ。
少し慌てた様子で、持ってきた封筒の中身を読み上げる。
「え? 出張?」
その内容に【大勇者】は眉を顰めた。
レミニアのわがままのおかげで、【賢者の石】そして【愚者の石】の研究は遅れに遅れている。
さらにここに来てからのスランプ。
父に対する深い愛情よりも、仕事に関していえば遙かに不真面目なレミニアも、疑念を持たずにはいられなかった。
「ハシリー、わかってる? 研究は遅れてるのよ。査定の日だって」
こんな状況でなければ、外に出る口実として最高の理由だっただろう。
だが、レミニアは反対せずにいられなかった。
一方、秘書官は上司の意見はもっともだという風に頷く。
しかし、赤髪の娘よりも数段冷静だった。
「査定の日は考慮してもらえるそうです。仕方ないでしょう」
「でも、【愚者の石】の秘密を早く解かないと」
「レミニアがそんなに研究室が好きだったとは知りませんでした。ぼくとしては、良い息抜きになるのだろうと思ったのですが」
「そりゃわたしだって、大手を振って出ていけるならそうしたいわよ」
「なら、そうすればいい」
「だから――」
「場所がワヒト王国だと聞いても、断りますか」
「――――ッ!!」
天才にして【大勇者】。
SSクラスの称号を持つ少女は、思わず息を飲んだ。
ハシリーは得意げに鼻を鳴らす。
どうやら上司を驚かせることに成功したらしい。
動揺するのも無理はない。
ワヒト王国は今、大好きな父親が向かっている場所なのだ。
「うそ……。なんで? なんで? ワヒトなの?」
「王の名代として、あなたにいってもらいたいのです。もちろん、ぼくも同行します」
「名代?」
「ムラド王が最近伏せっているのは、もう耳に入っているでしょ?」
レミニアは頷いた。
つい先日、ムラドは執務室で倒れた。
ヴォルフを王国より追放後、その贖罪のように精力的に働いていた王だが、ついに過労と心労により倒れた。
典医によれば、命に別状はなく、しばらく静養をとれば問題ないそうだが、年齢も年齢だ。
予断が許さない状況に変わりはない。
対外的には発表されておらず、王宮の一部のものにしか知らされていない事実は、最悪なタイミングと効果を生む。
王の症状を知らない盟友ワヒト王国から、一通の知らせが届く。
「ワヒト王国の王女が、結婚をする事になりまして。是非、ムラド王にご臨席を賜りたい、と」
魔獣がうろうろしているような世界状況で、王に出席を願うというのは、ある意味荒唐無稽な話だ。
故に、これは社交辞令のようなものである。
たいていの国は名代を立てるのが、当たり前の作法となっていた。
本来であれば、大臣クラスもしくは下の副大臣クラスが出席するのが、習わしなのだが……。
「ワヒトという国は少し特殊でして」
「特殊?」
「はい。かの国は刀匠の国であると同時に、刀士の国でもあります。その政治体制も、強き者が国を治めるという少々野蛮な思想がありまして、身分の差も、強さで決まる国なのです」
「ギルドのクラスシステムを、そのまま政治体制に組み込んだようなものかしら」
「その通りです。ですから、ひ弱な文官が出席すると、ワヒト王国としては、軽んじられたと思われるそうで」
「なるほど。ツェヘス将軍は国から動かせない。向こうが文句ないぐらい強く、国の防衛に関わらない人材となれば――」
「そう。レミニアしかいません」
「なるほど。得心がいったわ」
「改めて聞きますが、いかがいたしますか?」
「行くに決まってるでしょ! うまくいけば、パパに会えるんだから」
大きく足を振って勢いをつけ、レミニアは革張りの椅子から起き上がった。
ふんふん、と鼻唄を鳴らし、まだ現地についてもいないのに、前髪を整え始める。
【大勇者】の変わり身を見ながら、ハシリーは息を吐き出した。
空の向こう。
深い雪に覆われた刀匠の国――ワヒトに思いを馳せるのだった。
◆◇◆◇◆
まるで海の潮ような白い髪。
海風に揺れる前髪の下には、濃い隻眼を光らせていた。
外套の下には、軽い皮の鎧を装備し、腰には刀ではなく、両刃のロングソードが下がっている。
突然、現れたルーハス・セヴァットにヴォルフは言葉を失った。
その英雄には連れがいる。
レミニアよりも小さな少女だ。
亜麻色の髪に、透明な緑の瞳。
少し怯えた目を、ヴォルフの方に向けている。
目深にフードで隠しているが、ピンと張った耳が隠せていない。
人間離れした白い肌から考えても、エルフの子供だろう。
(かつての仲間だろうか?)
その割には覇気を感じない。
本当に子供のようだった。
一方、【英雄】もヴォルフを観察していた。
頭のてっぺんから、足の爪先に至るまで、ゆっくりと見た後、鼻を鳴らす。
「ふん。……やはり強くなっているな」
珍しく称賛する。
ますますヴォルフは驚き、言葉を返すことができなかった。
「何にしても助かった。礼をいう」
「ま、待て、ルーハス。あんた、何をしにワヒトへ?」
「心配するな、ワヒトで革命を――なんてことは考えていない」
「――――ッ!」
「おそらくお前と同じだ」
刀身の折れた【シン・カムイ】を見せてくれた。
彼もまた、【シン・カムイ】を修復しに、いやそれ以上の刀を求めて、ワヒトへと向かう途中なのだろう
ヴォルフはごくりと息を飲む。
一抹の不安が胸をよぎった。
それが伝わったのか。
ルーハスはまた「ふん」と鼻を鳴らした。
「心配するな。お前はお前……。俺は俺で守るものが出来た。それだけだ」
側にいた少女の肩を抱く。
くるりと、背を向け、船室に戻っていった。
雄々しい【雷王】の姿が、空気が抜けた風船のようにしぼんでいく。
『いいのかよ、ご主人。放っておいて。あいつ、一応大罪人だぞ』
「いいさ。追っ手がかかっていないということは、王も捕まえる気はないのだろう。それに――」
ヴォルフはルーハスが入っていった船室の入口を見つめる。
「うまくいえないが、少し優しい目になっていた」
それはおそらく側にいた少女のせいだろう。
ルーハスの告白通り、守るものが出来たことで、変わろうとしているように見えた。
(レクセニルを出れば、落ち着けるとは思ったのだがな)
ヴォルフは東の果てを見る。
まだ見ぬ雪に覆われた大地を想像し、【剣狼】は青い空と海を眺めるのだった。
【剣狼】に【大勇者】、【剣聖】、さらに【カムイ】の打ち手である刀匠まで登場する次章を是非お見逃し無く。
新章『剣聖の王国』は7月24日よりアップする予定です。
お楽しみに。
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是非是非お手にとってください。
よろしくお願いします。