第102話 おっさん、2日酔いになる
発売後、初めての週末になります。
魅力的な商品が並んでいると思いますが、
『アラフォー冒険者、伝説となる』の書籍の方も、よろしくお願いしますm(_ _)m
【剣狼】の牙が深々と突き刺さる。
【空掻の熊殺し】と呼ばれた大幹部の身体が真っ二つに切り裂かれた。
空中で半回転しながら、ルッドは頭から落ちる。
弾みで仮面が割れ、目と口をカッと開いたエルフの老婆の顔が現れた。
その様を、クロエは近くで見ていた。
視力は失っていてもわかる。
筋肉の伸び上がり。
股関節が動く音。
剣圧によるわずかな空気の揺らぎ。
相手とのタイミング。
呼吸。
すべて完璧だった。
完璧な【無業】だった。
「な、なんてお人や……」
思わず口を衝いて出る。
ほんの数日前まで、剣を振り回すだけの人間だったはずだ。
しかし、クロエが見せた1度だけの【無業】。
それだけを頼りに、ヴォルフは完璧に再現してみせた。
恐ろしいほどの成長速度。
それは魔法による強化もあるかもしれないが、ただそれだけで達成できるものではない。
すべては心――精神。
ヴォルフの純粋な心と、強くなりたいという気持ちが、成果として結実した瞬間だった。
口惜しい……。
クロエは思わず唇を噛む。
これほど、目が見えないことを悔しく思ったことはない。
耳で聞くだけではない。
肌で感じるだけではない。
目で確かめたい。
生きてきて、これほどお人を見たいと思ったことはなかった。
ただ1人。
自分が愛した旦那様を除けば、だ。
「いかがですか?」
ヴォルフは振り返る。
その緩んだ表情をクロエが確かめることは出来ないが、声からして無邪気に微笑んでいることがわかった。
「うちの負けや。完璧な――完全な【無業】やったよ」
「ありがとうございます」
「あーあ……。もうちょっとはよ会ってたら、あんたはんを口説いたのに」
「それはもったいないことをしたな」
「ダメだぞ、クロエ」
横から声がかかる。
マイアだ。
ヴォルフを称賛するように手を叩いている。
「ヴォルフはあたしのものだから」
「いやや! ヴォルフはんはうちの門下生や」
「いつからそうなったんだよ。それにお前には、愛くるしい旦那様がいるだろう」
「だから、門下生いうてるやろ――イテテテッ」
「クロエさん、傷に響きますよ」
ヴォルフは【ソーマ】もどきを出す。
クロエに飲ませると一気に全快した。
もはや定番となった「にがっ」という反応も相変わらずだ。
ひとまず安心する。
周りを見渡せば、3人だけだった。
人の気配はない。
幹部がやられ、残りの構成員は逃げてしまった。
この退きの速さが、【灰食の熊殺し】の本当の強みなのかもしれない。
「これからどうするんだ?」
ヴォルフは尋ねた。
幹部を殺し、アジトも事実上壊滅させた。
すべてをヴォルフがやったというのには、難しい。
この顛末は、必ず【灰食の熊殺し】の逆鱗に触れるだろう。
そうなれば、ハイ・ローの街と【灰食の熊殺し】は、全面戦争になる。
「あんたが心配することじゃない。これはあたしたちの問題さ」
「けれど――」
「ムラド王は、国を守るためにあんた1人に罪は被せた。それはそれで高度な政治判断だったと思うし、苦渋の決断だったろう。今のヴォルフ・ミッドレスという人間を見て、初めて王様がどんな気持ちかあたしにもわかったよ」
「…………」
「だけど、あたしたちはそんなことはしない。何故なら、この街は国のものでも、あんたのものでもない。あたしたちのものだ。自分のケツは自分でも持つ。それがハイ・ローってもんさ。それに――」
マイアはクロエの肩を組む。
無理矢理引き寄せると、頬をくっつけた。
「うちには優秀な切り込み隊長がいるからな」
「ちょ! マイア、やめてぇや。汗臭いやろ!」
「うるせぇ。お前だって、金属臭ぇんだよ」
「血まみれなんやさかい。しゃーないやろ」
「ふふ……。そういうわけだ、ヴォルフ・ミッドレス。あんたはあんたの道を進みな」
自分が至る道。
歩むべき道。
ふと思い出す。
以前、壊滅させた【灰食の熊殺し】のアジトにいた老人に言われた言葉。
伝説の道を……。
「さて帰ろうかね。久しぶりに大宴会とぶち上げようじゃないか!」
「え? でも、俺は――」
「船が帰ってくるまであと2日。それぐらいまでなら、ゆっくりしていてもバチは当たらないだろ?」
マイアはウィンクする。
そのチャーミングな表情を前に、ヴォルフは剣を下ろした。
何より久しぶりの宴会だ。
大好きな酒が飲めるとなれば、話は別だった。
「では、ご相伴にあずからせてもらいます」
「クロエも来いよ」
「ややわ。あんた、酒癖悪いし。クラーラのことも気になるし」
「なら、クラーラも連れてこい!」
ハイ・ロー上げての大宴会だよ!
こうしてハイ・ローの【灰食の熊殺し】は壊滅。
偽ヴォルフ騒動も終息したのであった。
◆◇◆◇◆
3日後。
慌ただしく次の出港準備をする人夫たちを尻目に、ヴォルフとミケ、クロエとクラーラが向かいあっていた。
クラーラは目に涙を浮かべて、ミケを見つめる一方、ヴォルフとクロエは青ざめた表情をしている。
肌艶も悪く、お互い髪の毛が1本、ピンと跳ねていた。
ハイ・ローはお祭り騒ぎだった。
ゴミ溜めみたいな場所から一体どれだけの物資が出てきたのだろうか、と思うぐらい、酒や食糧が提供され、花火が上がり、歌が響き、女たちは踊り、老人たちは手を叩いた。
功労者であるヴォルフそしてクロエは、ほぼ休むこと無く杯に酒を注がれ、今日未明にようやく眠りについたところだ。
ぐっすり眠れたとはいいがたい。
頭はガンガンするし、喉は渇く。
腹の中は常に渦を巻いているかのように気持ち悪かった。
残念ながら、【大勇者】も2日酔いに強くなる強化魔法までは、施さなかったようだ。
感動の別れなのだが、2人はふらふらになりながら、短い言葉を交わす。
「ほな、ヴォルフはん。御達者で」
「クロエさんも、クラーラちゃんも元気で」
「はい。猫ちゃんも……。また来てね」
『ああ……。ここの空気は嫌いだが、また来てやるよ』
「――だって」
ヴォルフが通訳する。
ミケがクラーラを助けたことにより、妙な友情関係が生まれたらしい。
相棒の言うとおり、【カムイ】の修復が済めば、またこの街に立ち寄るのも悪くない。
ゴミ溜めみたいな街だが、その中で懸命に生きる人の姿は、決して悪いものではなかった。
「そろそろ出航するよ」
船の欄干から身体を乗り出し、マイアは叫ぶ。
彼女もまた2日間、飲み倒したはずなのに溌剌していた。
むしろ血色がいいぐらいだ。
さしもの【剣狼】も、酒の強さという点において、叶わなかったらしい。
「マイアさんも乗るんですか?」
「悪いのかい? この【幽霊船】はあたしのもんなんだよ」
「あの船の名前……。マイアが付けたんです。センス、ゼロやろ?」
クロエは呆れながら、肩をすくめた。
センスがどうこうよりも、やはり不吉がすぎる。
今から乗るのが、幽霊船なんて。
到着したら、修羅の国なんてこともあり得るかもしれない。
娘ほど幽霊が怖くないヴォルフだったが、さすがに身震いする。
「は! 亡霊が乗るにはもってこいの名前じゃないか」
「確かに……」
ヴォルフは口角を上げる。
センスはともかく、【剣狼】は死んでいるのだ。
【幽霊船】という名前は、言い得て妙かもしれない。
ヴォルフとミケは乗り込む。
マイアとともに欄干から身を乗り出し、手を振った。
クロエとクラーラが応える。
大きなオールで波を捉え、【幽霊船】は夜の闇に消えていく。
船体が沖に隠れるのを見た後、クラーラはぽつりと呟いた。
「猫ちゃんとヴォルフさん、また来てくれるかな?」
「どうやろねぇ。あの方は、今の世界にとって必要なお方や。きっとこれからも忙しくあちこちを飛び回るやろ」
「……そう」
「しょんぼりしいな。あの人の正直さは、筋金入りや。きっとまた、うちらの前にやってくるよって」
「そんなことをいいながら、お姉ちゃんだってヴォルフさんにまた会いたいんでしょ?」
クラーラは振り返る。
ふと気づいた。
薄暗い闇の中、クロエの瞼が開いていたのだ。
その視線ははっきりと船跡の向こうへと向けられている。
すでに死んだはずの瞳には、薄らと涙が浮かんでいるように見えた。
「お姉ちゃん……。もしかして、目が……」
「うん?」
クロエはクラーラの方を向く。
瞼は閉じられ、いつもの姉の表情だった。
「さ。帰ろか、クラーラ」
「ちょっと待って! お姉ちゃん! 目! 今、目が見えていたでしょ?」
「そんな馬鹿なことがありますかいな」
「もっ回! もう1度だけ見せて」
ねだるクラーラを振り払い、ハイ・ローの暗闇をクロエは進んでいく。
その口元は、薄く微笑んでいた。
もう少しだけ章が続きます。
明日も更新しますので、よろしくお願いします。