第101話 目は見えなくとも……
2018年7月9日のTUTAYAデイリー8位!
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肩口の辺りを抑え、クロエは片膝を突いた。
荒く息を吐き出す。
押さえた手からじわりと血が滲んでいた。
傷はそれだけではない。
手、足、背中――美しい肢体には無数の切り傷が刻まれていた。
白く、飛沫のような模様柄は、すでに朱に染まっている。
だが、クロエの戦意は落ちていない。
その気は――いや、その憎悪は増すばかりだ。
何故なら、よく似た傷を触ったことがある。
1年前、夫の遺体に付いていた傷とそっくりなのだ。
仕込みの刀を杖代わりにして、クロエはなお立ち上がった。
目は見えなくてもわかる。
頭巾を被り、仮面を被った小柄な少女といった暗殺者の風貌が。
そして忘れもしない。
小悪魔のような甲高い声を……。
思わず笑みを浮かべる。
ようやく……。ようやくなのだ。
やっと夫の仇が討てる。
すでに満身創痍。
それでも立ち上がれたのは、ただ深い憎悪――その一念のみだった。
しかし、クロエは気付いていなかった。
それが、己の刀を鈍らせていることを。
「気味の悪い女だ。……我が空間暗殺を紙一重でよけるとは。だが、その奇跡も長くは続かないぞ」
仮面越しのくぐもった声が響く。
対し、クロエは刀を逆手で構えた。
変わらぬ戦意を確認すると、かすかにルッドは息を吐く。
「やれやれ……」
ふっ……。
消える。
目が見えないクロエでもわかった。
ルッドが忽然と消えたことを。
速く、目が追いつかないというわけではない。
「(気配もない。空気の動きもない。物音もせぇへん)」
完全にルッドという存在がその場から消えていた。
すると、いきなり背後の空気が広がるのを敏感に察す。
クロエは振り向いた。
最速最短の【無業】の刀技を見せる。
が、遅い。
ルッドの短剣がクロエを袈裟に振り下ろした。
「がああああぁぁぁぁぁぁあああああ!!」
獣のような悲鳴を上げる。
その場を転がりながら、なんとか離れる。
血の線がべったりと床に張り付いていた。
ぜぇぜぇ、と息は吐く。
視界がかすむ。それでもクロエは立ち上がろうとした。
やはり戦意は失っていない。
が、さすがに刀を持つ手が震え始めた。
「(なんでや……。うちの刀が、あんなヤツより遅いなんて)」
ありえへん!
クロエは奮い立つ。
もはや彼女を動かしているのは、仇を取るという強い意志だけだ。
「次で最後だ、女。なかなか面白かったぞ。あたしの剣をここまで受けて死ななかったのは、お前が初めてだ」
「嘘や! 他にももう1人いたはずやろ」
「???」
「1年前、お前が殺したうちの旦那様や!!」
ルッドは仮面に手を置き、考える。
「いちいちそんなゴミクズのことなど覚えていないな」
「――――ッ!」
クロエは息を飲む。
初めて自分から仕掛けた。
血がほとばしる。
紅蓮に染まった炎は、まま彼女の心模様であった。
ルッドは息を吐く。
「忠告したはずだ。次が最後だと」
【空掻の熊殺し】と呼ばれる大幹部の気配が消える。
次の瞬間、走るクロエの横に現れた。
短剣の刃が獰猛な野獣の牙のように光る。
クロエは薄く笑う。
「そや。これがうちの最後の一振りや……」
クロエもまた刀を振るった。
かわす気などさらさらない。
相打ち覚悟の一撃だ。
ギィィイイイインン!!
激しい剣戟の音が響く。
両者の切っ先は、両者の肉体に到達する前に止まっていた。
ヴォルフ・ミッドレスの手で――。
「ちぃ!」
ルッドは飛び退く。
クロエもまた刀を引き、表情を目一杯怒らせた。
「ヴォルフはん! 何しますの!?」
「クロエさん。もうやめましょう」
「あかん! 絶対あかん! あいつはうちの旦那様の仇や! あのババアを殺すまでは絶対にひかへん!!」
パンッ!
気が付けば、クロエの顔は右を向いていた。
はたいた手を仕舞わず、ヴォルフは女を睨んだ。
「な、何を……」
「昔、俺の目の前で死んだ女がいたんです」
「……!」
「その女は力のない俺に恨み言を残すわけでもなく、仇を討ってくれともいいませんでした。ただ一言こういったんです……」
『その子のことをお願いできませんか?』
「死んだものは何もいいません。そして望みません。ただ一言、残していく大事な人の安否だけを心残りにし、死んでいくのだと思います。だから――」
ヴォルフはクロエの細い肩を掴んだ。
「クロエさんも死んではダメです。あなたの絶対が仇を取ることなら、あなたの旦那さんの絶対は、あなたが生きることです。それでもあなたは、死を望むんですか……?」
「――――!」
すとん、とクロエは脱力した。
その場で腰を下ろす。
戦意が急速になくなり、心の中に渦巻いていた憎悪は霧散した。
ぽっかりと胸に穴が空き、すべての目的を失う。
この1年間、ただただ旦那様の仇を討ちたいがために生きてきた。
そのために、ヴォルフ・ミッドレスを装い、多くの盗賊を手に掛けてきた。
仇をおびき寄せるためにだ。
だが、ここに来てわからなくなってしまった。
それが本当にあの人の望みなのか、と。
何故なら――。
「なんや……。あの人に叱られたような気がしますわ」
ヴォルフが一瞬、あの人に見えた。
クロエが大好きで、愛した旦那様に。
そのヴォルフは照れくさそうに頭を掻いた。
少し複雑ではあるが、悪い気はしない。
何より、ヴォルフの知っているクロエに戻ったことが、嬉しかった。
「ここからは俺がやります」
「強いで。あのババア……」
「大丈夫です。見てて下さい」
「自信満々やねぇ、ヴォルフはん」
「ちょっとカッコつけたいだけですよ」
クロエに背を向ける。
当然、彼女には何も見えていない。
でも、わかる。
その大きな背中が……。
そして気づく。
彼が歩くその先が、黄金の光に満ちていることを……。
「カッコつけたいやなんて……」
めっちゃカッコいいですやん……。
白い頬が少し朱に染まった。
一方、ルッドは戦闘態勢を継続していた。
むしろ殺気が増す。
ようやく【剣狼】に出会えた。
アジトを潰し、大幹部の1人【赤嵐の熊殺し】を殺した相手と対峙できる。
歓喜にも似た感情で、胸が一杯だった。
「今度は本物だろうな、ヴォルフ・ミッドレス」
「それはお前の剣に聞けばいい」
「なるほど。名案だな」
ルッドの気配が消える。
現れたのは、天井。
右上方だった。
ヴォルフは反応する。
剣を抜くと、短剣をルッドごと薙ぎ払った。
1度、赤頭巾の幹部は退く。
仮面の下で目を細めた。
「ほう……。我が空間暗殺を初撃で止めるか」
「お前と似たような攻撃をしてくるヤツをつい最近相手したのでな」
「なるほど。ベードギアがやられたという話を聞いたが、お前の仕業か。あれは不出来な弟子でな。感情に波がありすぎて、空間の座標を固定する業を結局会得するに至らなかった」
「お前の弟子か?」
「不肖のな。だが、そんなことはどうでもいい。あたしにあるのは、【灰食の熊殺し】の名を傷つけたお前の命を取るだけさ」
「女の子がたまとかいうもんじゃないぞ」
ヴォルフは膝を突いた。
そのまま正座の姿勢になる。
剣とその鞘を横に置き、【カムイ】だけをぐっと握った。
「なんのつもりだ?」
「なんのつもりもないさ。お前を斬り伏せる。ただそれだけだ」
そして目をつぶり、視覚を断つ。
「あれはうちの……。ヴォルフはん、【無業】をやるつもりなんか」
ヴォルフがクロエの【無業】を見たのは、ただの1度切り。
あれ以来、修練もなんのアドバイスもしていない。
先日戦った時はまだ【無業】を使っていなかった。
身体能力と化け物みたいな強化魔法をフルに使い、クロエの刀を斬ったのだ。
だが、今回は違う。
このぶっつけ本番で、再現できるのか。
クロエにはただ無謀なようにしか思えなかった。
『大丈夫です。見てて下さい』
先ほどの言葉が頭に浮かぶ。
実技試験に臨む弟子を見守るかのように、クロエはギュッと手を握った。
対し、ルッドは鼻で笑う。
そして……消えた。
ルッドの得意技は、超短距離の転送魔法による空間攻撃。
その精度は、ヴォルフが以前戦ったベードギアと比べ物にならない。
自由自在。思い通りの場所に現れることが出来る。
例え、それが敵のど真ん前であろうとも。
ルッドは現れる。
ヴォルフとほぼ密着し、目の前にいた。
振りかざした手には、短剣が握られている。
ただそれを振り下ろすだけだった。
密着された状態では、いかなヴォルフとて、剣を抜くことは出来ない。
勝った――。
仮面の下で勝利を確信する。
「死ねぇぇぇぇぇぇええええええ!」
叫んだ瞬間、ルッドは気付いた。
自分の周りが黄金に光っていることを。
初めは勝利の知らせかと思った。
だが、違う。
その黄金は集約し、やがて一条の光となり、ルッドの身体を斜めに横切った。
(なんだ!?)
瞬間、ヴォルフの身体が伸び上がる。
柄を逆手に持ち、ごくわずかな隙間に刃を滑り込ませた。
ジャンッ!
血しぶきが舞う。
瞬間、ルッドの身体が袈裟に斬り裂かれていた。
>アジトを潰し、大幹部の1人【赤嵐の熊殺し】を殺した相手と対峙できる。
【赤嵐の熊殺し】との戦いは、書籍の方で加筆させていただきました。
もし、良かったら書籍の方でチェックしてください。
特に話の内容に関わることではないので、WEB版を修正するかは今のところ未定です。
買っていただいた方のちょっとしたサービスだとご理解いただければと思います。
毎日更新は今日までとなります(さすがにゼロスキルとの並行更新はダメージがデカすぎた……)。
13日には復活するので、それまでお待ち下さい。