第97話 悲しき白刃
すごい雨になっていますが、
皆様におかれましては、ご無事でしょうか?
ヴォルフの視線が、クロエの笑みに吸い込まれていく。
綺麗だ。一瞬、意識を失うほどに。
だが、相手はその戦意が急激に失われる状態を見逃さなかった。
クロエの身体が沈む。
足元にたまたま落ちていたヴォルフのロングソードを拾い上げた。
逆手で持ち上げ、そのままヴォルフの喉元へと真っ直ぐ向かっていく。
「おお……!」
即座に、ヴォルフは退いた。
クロエに剣を奪われることになったが、あのままいけば頸動脈を斬られていたかもしれない。
そっと首元に手をやる。かすかだが血が滲んでいた。
やはり届いていたのだ。
クロエはまだやる気だ。
珍しく正中に剣を構える。
基本「待ち」の戦法であるにも関わらず、仕掛けたのはクロエだった。
二振りの光刃が閃く。
速い――。
まるで2本の剣を持っているかのような2連撃。
さらにクロエは進む。
相手との距離を潰し、密着する。
確かに間合いの深奥は、セーフゾーンだ。
空間がなくなった分、振りが窮屈になり、斬るのが難しくなる。
だが頭でわかっていても、相手の間合いに飛び込むのは至難の業だ。
クロエは目が見えない。
視覚で情報を処理していない分、遠慮なく間合いに飛び込めるのかもしれない。
「怖くないのか……」
「そりゃ怖いよ。薬屋はんのような武芸者の間合いに踏み込むのは」
「――――!」
「だけど、うちが生きる道はそこしかないよって」
ヴォルフの右脇腹を制圧。
完全に利き手の下に潜り込まれた。
相手への密着。
最短最速を目指すメーベルド刀術の真価は、ここから発揮される。
メーベルド刀術は、その性質故に極限に稼働域を抑えた術理でもある。
どれほど密着状態であっても、そこにわずかでも空間があれば、クロエは振るえる。
刃が伸びる。
相手の脇腹に向かって突き上げた。
しかし、ヴォルフも黙っていなかった。
振り上げた刀を下ろす。
クロエの剣先を柄の先で捉えた。
ギィンッと激しい金属音が響く。
クロエの剣を弾くと、ヴォルフは一旦引いた。
「ふう……」
手汗が止まらない。
クロエの繰り出す斬技の1つ1つに明確な殺意が込められていた。
冷たい。憎悪に満ちた殺意が、蛇のようにまとわりついてくる。
ただわかるのは、ヴォルフが憎いというわけではないこと。
彼女の中で、1つ譲れないことがあって、それが阻まれることに強い憤りを覚えているような気がした。
「まさか……。柄の先でうちの剣を弾くなんてね」
「あなたに教わったことを実行しただけです」
「うちに……」
先ほどのやりとり。
もしヴォルフが手首を返し、あるいは腰を切って刀身の部分で対応していれば、今頃脇腹に大穴が空いていただろう。
だから、あえてそうせず、刀身よりも近かった柄の方で対処したのだ。
一か八かだったが、うまくいった。
「なるほど。最短最速……。飛んだお人にヒントを与えてもたわ」
「クロエさん、もうやめましょう」
「せやな。あまり時間もないし。次の一合で決着を着けましょか」
クロエは構える。
剣を逆手に持ち、まだ戦うつもりだった。
これほど悲しい剣を受けたのは初めてだった。
彼女が何に執着しているかわからない。
けれど、もうやめるべきだと思った。
ヴォルフは構えを解く。
【カムイ】を鞘にしまった。
「戦場でお刀を納めるなんて。死ぬ気か、薬屋はん?」
「俺はあんたとは戦いたくない。それだけです」
「うちはあんたを殺すつもりやで。正体がわかった以上、生かしてはおきまへん」
「俺の願いは1つです。あなたを救う」
「うちを、救う……?」
クロエははんなりと笑う。
口元を袖で隠した。
ヴォルフは真剣だ。
クロエに恩があるからでもない。
まして美人だからでも、その剣に悲しみを見たからでもない。
困っている人がいれば、救う。
「俺はそのために冒険者になったんですから」
「…………」
その堂々とした態度に、クロエの表情から笑みが消えた。
長い睫毛の瞼が微動する。
それは、ある感情を押し殺しているように見えた。
一旦剣を引いたクロエだったが、再び剣を掲げる。
「ほな……。救ってもらいましょか」
クロエは走る。
迷いを振り払うように。
そこまでだ!!
1発の轟音が鳴り響く。
身の竦むような音に、ヴォルフはおろかクロエも驚き、その歩みを止めた。
戦意が落ちる瞬間を狙って、男たちが殺到する。
その細い身体に襲いかかると、あっという間に四肢を拘束した。
ヴォルフは振り返る。
長いつばがついた帽子を被った女が立っていた。
手には魔砲が握られ、煙をくゆらせている。
魔砲とは、魔力の爆発力によって、弾丸を射出する武器だ。
いつぞやの砲牛を小さくしたような武器で、魔力を使うため、分類は杖になっている。
扱いは簡単なようでいて難しい。
魔力の操作に長けていなければ、砲身が耐えきれず爆発することもあり得る。
非常にナイーブな武器であるため、人気がない。
だが、使いこなすことが出来れば、少ない詠唱で第5階梯以上の魔法威力を発動することが可能だ。
「マイアさん……」
「接敵したら、まずは連絡しろっていったろ、薬屋?」
「す、すいません」
「猫ちゃんに感謝するんだな」
【妓王】マイアの側にはミケの姿もあった。
「なー」と低く鳴き、精一杯猫を演じている。
その異色の瞳に、怒りを滲ませていた。
「とはいえ……。相手がクロエじゃ。仕方ないか」
「クロエさんと【灰食の熊殺し】と何か関係があるんですか?」
「聞いてないのかい? ――って、話すはずないか。見ず知らずの薬屋に」
「え……。ええ……」
「クロエの旦那は1年前の抗争で、【灰食の熊殺し】に殺されたのさ」
「え……」
ヴォルフは息を飲む。
マイアはそれ以上何もいわなかった。
下駄の音を鳴らし、クロエに近付いていく。
地面に押さえつけられた白装束の女に、哀れな視線を送った。
「久しぶりだね、クロエ」
「これはこれは……。まさか【妓王】はんが自ら出向いてくるとは思いもよりませんでしたわ」
「誰かさんが辞めてから、うちはずっと人材不足でね」
「それは大変やねぇ」
「人ごとみたいに……。うちの一番の切込隊長が何やってんだい」
「切込隊長って――」
「そうだ、薬屋。この女はハイ・ローの自警団の1人。そして、あたしの元相棒さ」
マイアとクロエは、ハイ・ローの自警団を支える人物だった。
マイアは自警団の運営。
クロエは実行隊長を担い、街のために刀を振るった。
だが、1年前の抗争で、マイアは多くの部下を、クロエは夫を失った。
それから2人の関係は変わる。
これ以上の血を流さないため【灰食の熊殺し】との共存を望むマイア。
夫を失った悲しみを憎悪に変え、【灰食の熊殺し】に徹底抗戦を望むクロエ。
両者の意見は決定的に食い違い、マイアは【灰食の熊殺し】との交渉を開始し、クロエは自警団を去ったのだ。
「なんだって、ヴォルフ・ミッドレスなんて偽物を語って、辻斬りなんてやっていたんだい」
「知らんか? ヴォルフ・ミッドレスはんのネームバリューはすごいんやで。なんせアジトの1つを潰したらしいからな。今、あいつらは血眼になって探してるんよ」
「そんな周りくどいことをしなくても……。お前なら、アジトにかちこむことだって出来ただろう」
「うちの狙いは、アジトにいる有象無象の構成員やない!」
一瞬、閉じているはずのクロエの目が開いたような気がした。
深く閉じられた瞼の向こう。
青い憎悪の炎が燃えているように見えた。
「うちの狙いは、火鼠の衣を被った魔導士。そいつだけや」
今にも爆発しそうな怒りを堪え、クロエは細い指で地面を掻いた。
おっとりとした街娘の姿はとうにない。
復讐に燃える悪鬼が、仲間に押さえつけられていた。
マイアは1つ息を吐く。
難しい顔をしていた。
クロエは元相棒。むろん、その夫のことも知っているだろう。
仲睦まじい夫婦であったことは、屋敷にかかっていた自画像からもわかる。
どれだけクロエが愛していたのかも知っているはずだ。
この世で恐らく一番彼女の気持ちに寄り添える存在でありながら、街を生き残らせるため逆の選択肢を取らなければならなかった。
マイアの心痛も、決してクロエの感情には負けていないだろう。
それでもハイ・ローの【妓王】として、決断を下さなければならなかった。
「悪いが、楼閣で大人しくしてもらうよ。クラーラはあとでうちのもんが迎えにいかせるから安心しな」
袂を翻し、マイアは下駄を慣らして去っていく。
その背中はどこか寂しそうだった。
今日の画像は、書店様向けのPOPになります。
こうやって広げると、青が綺麗だな。
そして後ろにそびえる王宮がすごい……。
『アラフォー冒険者、伝説になる ~SSランクの娘に強化されたらSSSランクになりました~』
発売日がいよいよ迫って参りました。よろしくお願いしますm(_ _)m