第10話 母竜、討伐す!
マザーバーンの嘶きが響く。
首を振り、大きく羽ばたきを繰り返すと、巨体を持ち上げ始めた。
鼻を潰され、羽根に穴が空こうとも、ドラゴンの士気は衰えない。
むしろより殺意が高まったように思えた。
「皆さんは逃げて下さい」
「ヴォルフ様、その剣は?」
覚醒したアンリが尋ねる。
目立った外傷もなく、元気そうだった。
アンリの無事を確認すると、ヴォルフは微笑む。
「……たぶん、気まぐれな神様からの贈り物です」
「神様?」
「それより俺はマザーバーンを引きつけます。その間に退避を。リーマットさん、ダラスさん、後ろを頼みます」
託された2人は頷く。
ヘイリル大公とその私兵とともに引き上げようとした時、別の獣の声が聞こえてきた。
ワイバーンだ。
どうやら騒動の音を聞いて、残りが起きてしまったらしい。
幸いあらかじめ尻尾を切っていたおかげで、動きは鈍い。
だが、声を上げて威嚇してくる。
さらに口内を紅蓮に光らせ、炎を吐きだした。
「風魔の盾!」
ダラスが魔法で盾を描く。
迫り来る炎を防いだ。
「大丈夫ですか?」
予想外の奇襲に、ヴォルフは振り返る。
「大丈夫だ!」
といったのは、アンリだった。
戦闘モードに入った姫騎士は、側にいた私兵の鞘から剣を抜く。
「行け! ヴォルフ様の背後を守るのだ!!」
葵の蜻蛉団長は、先陣を切る。
そこにリーマット、ダラス、さらにヘイリルの私兵たちが続いた。
剣戟が響き、戦闘が始まる。
「ヴォルフ様、こちらは私たちが引き受けます!」
襲いかかってきたドラゴンの首をはねる。
どす黒い鮮血を被りながら、瞳はたじろぐことはない。
恋慕に焦がれる乙女の姿はなく、鬼気迫る戦乙女がいた。
「ヴォルフとやら!!」
声に振り向いた。
ヘイリルと目が合う。
「見事、あの母竜を倒してみせよ!」
大公閣下から言葉を賜るなど恐れ多いことだ。
おそらく平凡に暮らしたままでは、一生聞くことがなかったかもしれない。
一瞬、身震いする。
くすぶり――しかし、いまだ残っていたヴォルフの戦士としての血が騒ぐ。
「お任せ下さい」
力強く頷く。
より覚悟を決めた表情で、マザーバーンと向き直った。
辺境の名もなきDクラス冒険者は、Aクラス冒険者すら手こずらせる敵を前にして、腹をくくった。
再び母竜と対峙する。
◇◇◇◇◇
「レミニア、1つお尋ねしたいのですが」
「なーに? ハシリー」
研究室の角にある応接用のソファーに、レミニアは寝そべっていた。
口の中に菓子を放り込む。
玉蜀黍の粒を潰し、油で揚げた簡素なものだが、本人はいたく気に入っているらしい。先ほどから菓子を砕く気持ち良い音が、研究室に響いていた。
先ほど聖具召喚の大魔法を使ったものとは思えないほど、のんびりしている。
「ヴォルフ様にかけられた強化魔法というのは、どれぐらいのレベルのものなのですか?」
「ハシリー、パパの話に興味あるの?」
レミニアの猫目が光った。
1日でも2日でも、パパのことを喋っちゃうぞ――という輝きだ。
ハシリーも今やれることは全部やってしまった。
レミニアの話は退屈しのぎぐらいにはなるかもしれない。
それに、レミニアの言うとおり興味はあった。
本人の前では口が裂けてもいえないが……。
「たとえば、どれぐらいのクラスの魔獣なら倒せると思いますか?」
「そうね。Aクラス程度なら足元にも及ばないんじゃないかしら」
「Aクラスをですか? いくら強化したとはいえ、そう単純なことでは」
Aクラスぐらいになると、相性や戦術を間違えるだけで、Sクラス冒険者とて苦戦する。【大勇者】レミニアとて、油断すれば大怪我を負うケースもありうる。
レミニアによって強化され、仮に聖具を手にしたところで、ヴォルフが勝てるかどうかは五分五分といったところだろう。
それほど危険な存在なのだ、魔獣は。
「ヴォルフ様が怪我をすることだってあり得るかもしれませんよ」
馬鹿馬鹿しい例えではあるが、彼が自分に施された強化に気付いたとしよう。
突然、力を与えられた人間は、うちなる恐怖を解消しようと、自分の立ち位置を探ろうとする。そのために1番有効な手段は、己よりも上位の存在と戦うことだ。
本人が望まなくても、第三者がヴォルフの力に気付き、試そうとするかもしれない。そんな状況(確率としては低いと思うが)になれば、ヴォルフが傷を負う可能性は十分にあり得る。
そう――質問をぶつけてからハシリーは「しまった」と思った。
不安になったレミニアが、再び帰郷を申し出るかもしれないからだ。
しかし、思いの外レミニアはあっけらかんとしていた。
疑問を一蹴する。
「問題ないわ。私のパパは強いもの」
不敵に笑う。
その微笑みは、どこか狂気じみていた。
思わずハシリーは、息を飲む。
「ハシリー……」
「は、はい」
不意打ちの呼びかけに、ハシリーはぴくりと肩を動かす。
ソファーの上でゆっくりと身体を転がしながら、微笑みかけた。
「帰っていい?」
「ダメです」
【大勇者】の願いを、秘書官は一蹴した。
◇◇◇◇◇
「あああああああああッッッッッ!!!」
ヴォルフは叫んでいた。
膝をつき、左の二の腕を押さえ、蹲る。
腕の先にあるはずの手がなくなっていた。
鮮血が熟れ切った無花果のようにこぼれ出る。
油断した……!
ヴォルフは猛省したが、それは間違いだ。
彼に足りなかったのは、単純に経験。
竜と対峙するための作法、戦術に誤りがあっただけ。
ただそれだけで、一瞬にして腕を母竜の熱線によって持っていかれた。
「ヴォルフ様!」
悲鳴を上げたのは、ヴォルフの叫声を聞き、振り返ったアンリだった。
駆け寄ろうとするも、ワイバーンたちに阻まれる。
「どけ!!」
「姫様、強引すぎます」
アンリの背後を突こうとしたワイバーンの頭を、リーマットが貫いた。
ヴォルフに駆け寄ろうとする姫騎士の手を取る。
一瞬の迷いが、かろうじて均衡を保っていた戦況を、徐々に悪いものへと変えていった。
アンリの視界が、無数のワイバーンにより埋め尽くされる。
その状況をヴォルフもまた見ていた。
助太刀しようにも、出血がひどい。
止血をするにしても、そんな時間を目の前のマザーバーンが許してくれるとは思えなかった。
「だが――」
ヴォルフは立ち上がる。
絶望的な状況にあっても、Dクラス冒険者は何度も死に対抗してきた。
アンリのため。
リーマットやダラス、そして大公殿下を守るため。
何より……。
娘との約束のため……。
「まだ死ぬわけにはいかないのだ!!」
痛みに耐え、歯を食いしばり、ヴォルフは吠えた。
そしてあらかじめ予定されていた奇跡は起こる。
急にヴォルフは光を帯び始める。
大らかな緑色の光。
隻腕となった冒険者を包み込む。
「きれい……」
アンリが立ちすくむ。
緑色の不思議な光を見た。
同時に剣戟が止む。
兵士たちはおろか、ワイバーンそしてマザーバーンですら、強烈な緑光に戦いていた。
ヴォルフに変化が起こる。
腕が再生を始めたのだ。
手の早い画家が失った腕を描くように戻っていく。
千切れた血管や神経、骨、皮膚に付いたわずかな古傷すら再現されていった。
尋常ではない再生スピードだ。
リーマットは思わず叫ぶ。
「あの人は不死身ですか!?」
「あれは時限回復だ。それも……かなり高レベルの」
一定時間、自動的に回復・再生する魔法。
回復の範疇は、せいぜい切り傷を回復する程度のもののはず。
人の腕を丸ごと回復するなど、ダラスも初めて見た。
気が付けば、ヴォルフの腕はすっかり元通りになっていた。
自分の身に何が起こったのか。
ヴォルフ本人には理解出来なかった。
ただ手を握り、再生した腕の感触を確かめる。
当然、痛みなどない。
「全く……。うちの娘は心配性だな」
微笑む。
やれやれと小さく肩を竦めたが、心の中では娘に感謝した。
再び剣を握る。
刀身が鋭く光り、向かい合う竜を威嚇した。
「行くぞ!」
地を蹴る。
これも時限回復のおかげなのか。
身体が軽い。
羽根が生えたようにヴォルフは疾走する。
不可思議な緑の光に魅入られていたマザーバーンは、ようやく我を取り戻す。
口を赤黒く光らせ、ヴォルフを迎え討った。
熱線が飛び出る。
ヴォルフはなお加速した。
ギリギリでかわし、熱線に伴う衝撃波を推進力に変えて、接敵する。
そのヴォルフの前に、マザーバーンが咆哮を上げる。
ただの声ではない。
人間の動きを一定時間止める効果があるスキルだ。
竜種の中には、こうしてスキルを使う者がいる。
先ほどのヴォルフはこのスキルが頭になかった。
一瞬動きを止められ、体勢不十分なところを熱線でやられてしまったのだ。
「2度、同じ轍は踏まん!!」
ヴォルフは3度目の加速を行う。
Aクラス程度の魔獣のスキルなど、今の彼には効かなかった。
懐に潜り込む。
間合いに達した。
斬撃を切り込む。
硬い竜鱗をパンを割くように切り裂いた。
体液が舞い、竜は仰け反る。
攻撃は止まない。
さらに前肢、後肢、翼、脇、次々と連撃を放っていく。
竜は激しく嘶き、首を振った。
身じろぎしながら、取り付いた人間をはたこうとするも、縦横無尽に動き回るヴォルフに対し、為す術はない。
気がつけば、体皮が紅蓮に染まっていた。
ヴォルフは竜の顔の横へと躍り出る。
目が合った。
牙を剥きだし、紫の瞳は憎々しげにヴォルフの姿を捉える。
しかし、もう――竜に為す術はなかった。
「おおおおおおおおおおおおお!」
裂帛の咆吼が鉱山に響く。
力任せに振り抜いた。
マザーバーンの巨頭が、胴から離れる。
斬撃の勢いのまま鉱山の空へと舞い上がった。
首を失った竜の巨躯は轟音を立てて倒れる。
Dクラスの冒険者が、Aクラスの魔獣を討伐した瞬間だった。
ヴォルフは竜の最後を看取る。
息を切らし、自身が達成した偉業に驚いていた。
同時に、剣が光となり消えて行く。
「ヴォルフ様!」
アンリがヴォルフの首に抱きつく。
無手となった冒険者は、ふらふらになりながらも、お姫様を受け止めた。
顔は血や泥で汚れていたが、たいした怪我もないらしい。
背後を見ると、ワイバーンは全滅していた。
ダラスはほっと息を吐き、リーマットは軽く手を振っている。
「さすがは私のヴォルフ様です」
「ちょ……! アンリ様」
アンリは大胆にもヴォルフの頬にキスするのだった。
竜殺し篇は明日終了です。
ちょっと長い章でしたが、いかがだったでしょうか?
引き続き毎日投稿していきますので、よろしくお願いしますm(_ _)m