第92話 おっさんのどストライク!
本日、最後の投稿!
クラーラの家は、ハイ・ローから少し離れたところにあった。
家と言うよりは、小さな屋敷だ。
朽ちてはいるが、土壁にぐるりと囲まれ、庭もある。
いずれにしても、これまで見てきた無数のあばら屋とは一線を画していた。
ヴォルフが気になったのは、特徴的な屋根だ。
波のようにうねり、黒光りして綺麗だった。
クラーラによれば、ワヒト王国の伝統的な建築資材で“瓦”というそうだ。
「うちの曾爺さんは、ワヒト王国で育ったんだって。――で、帰ってきても、国のことが忘れられず、自分で建てちゃったってわけ」
聞けば、クラーラの曾爺さんは、ハイ・ローという街を作った張本人らしい。
元々はこの屋敷は道場で、ワヒト王国の刀術を教えていた。
曾爺さんは流れ者や犯罪者などを手当たり次第、弟子に取るうちに、ハイ・ローという街が出来上がってしまったそうだ。
道場と聞いて、ヴォルフは得心した。
確かに異様というか、戦いの残滓を感じる。
かなりの人間が出入りしていたのだろう。
今でも当時の熱気のようなものが、壁や床に染みついていた。
ガラリと戸を引く。
中もまたエキゾチックな風情だった。
ヴォルフは玄関を上がろうとした時、クラーラが叫ぶ。
「ダメだよ、おじさん。靴を脱いで」
「靴を脱ぐ?」
「猫ちゃんもこれで足を拭いて」
手ぬぐいを差し出した。
どうやらここでは家に上がる時、靴を脱ぐらしい。
これもまた貴重な体験だった。
「なんや騒がしいと思ったら、クラーラかいな。もう帰ってきたん?」
ヴォルフはハッと顔を上げる。
幽鬼のような白い肌をした女が立っていた。
腰下まで伸びた真っ黒な髪。薄く上品な唇には、小さなえくぼが浮かんでいる。
マイアが着ていた衣類と同じ形状の服を身につけていたが、服の色は抑えられていて、こちらの方がヴォルフは好みだった。
凛とたたずむ1本の白桔梗……。
美人だ。
思わず感嘆する一方、ただ者でないこともヴォルフは理解していた。
女性との距離は、歩数にして3歩。
つまり、その距離まで近付かれ、声をかけられるまで気付くことが出来なかったのだ。
SSクラスの娘の強化魔法によって、説明するまでもなくヴォルフの気配察知能力は高レベルにある。Aクラスの冒険者ですら、警戒網の中に土足で侵入することは不可能だ。
だが、今目の前にいる女はやってのけた。
少なくとも、Sクラスの能力を1つは保有していると見ていい。
「そんな怖い顔したら、腰を抜かしてしまいますわ。……それとも、うちの顔に何かついてます?」
「ああ……いや……。その、美人だな」
「まあ……。お世辞がうまいんやねぇ」
ふふ、と袖に口元を隠した笑い方も雅びだ。
世辞でもなんでもなく、女性は美しかった。
ある意味、危険なほどに。
実は、どストライクだった。
ヴォルフの好みに、見事マッチしているのだ。
それにどことなく似ている。
あの謎の女に。
「お姉ちゃん、昨日話した人」
「ああ。クラーラを助けてくれた。そうですか。妹を助けていただいてありがとうございます」
その場に正座をすると、額を床付近にまで近づけ頭を垂れた。
「いえいえ。そんな……! 頭を上げてください。俺こそすいません。突然、押し掛けてきてしまって」
「いいえ。遠慮することはありません。どうぞ、奥へ」
「はい。ありがとうございます。えっと……」
「クラーラの姉のクロエ・メーベルドと申します。以後お見知り置きを」
クロエは再び頭を下げた。
「俺は……。その――」
「おじさんは名前を名乗りたくないんだって。名無しの権兵衛さんなの」
「ななしのごんべい……?」
「ええですよ。ここに来る人はたいてい訳ありやさかい。でしたら、なんとお呼びすればよろしいやろか? さすがに権兵衛さんはあかんですやろ?」
「薬屋と呼んでいただければ」
「まあ……。薬を売ってはるんですか? ちょうど切り傷用の薬が切らしてたところやってん。売ってくれはります?」
クロエは顔を輝かせた
つとヴォルフは気付く。
クロエの目の焦点があっていない。
いや、というより、ずっと伏されたままだ。
「あの……。クロエさん、目が?」
「ああ……。生まれた時は多少見えたんやけどね。今は全然……。粗相するかもしれへんけど、堪忍しておくれやす」
悪戯っぽく笑うところも、綺麗だった。
◇◇◇◇◇
通されたのは、屋敷の居間らしい。
広く、また趣深い。
何より気に入ったのが部屋の香りだ。
家屋の中なのに、草原にいるような匂いがする。
原因は、床にあった。
よく見ると、乾燥させた草を編み込み平らにしたものが並べられている。
これもワヒト王国の伝統的資材で“畳”というらしい。
(なるほど。クラーラの爺さんが惚れ込むわけだ)
ワヒト王国にいけば、この畳の作り方を教えてくれるのだろうか。
1畳でもいいから作ってみて、ニカラスの実家で寝転がってみたい。
ミケも気に入ったようだ。
畳の上で丸くなると、すぐ寝てしまった。
ぐるぐると部屋を見回していると、絵を見つける。
しかも、油でも水彩画でもない。貼り絵だ。
色紙を切り貼りして、1枚の絵画に仕上げている。
細かいところまでよく出来ていた。
そこに描かれていたのは、クロエだった。
横には男が立ち、細い肩に手を載せている。
おそらく冒険者だろう。
貼り絵は男の骨格と、手に出来た剣ダコまで描かれている。
「うちの夫です」
襖の向こうにクロエが立っていた。
側にはクラーラもいる。
木の盆の上には、背の低い陶器が載っていた。
湯気が立ち、ふっと喉が浄化されそうな匂いが立ちこめる。
「そ、そうなんですか」
それにしても、目が見えていないのに、何故ヴォルフが絵を見ていることに気付いたんだろうか。
「簡単なことですよ。たいていのお客は、まずその絵を見ますから。立派ですやろ? うちは見たことないんですけど」
「クロエさんの旦那さんは、冒険者なんですか?」
「だったというべきですね」
「じゃあ、もう引退を?」
「いえ。亡くなりました」
「――――!」
「すいませんねぇ。のっけから暗い話で。でも、気にせんといてください。もう慣れましたから」
「こちらこそ、不躾にすいません」
「いえ。その絵を見る人はたいてい男の正体を知りたがるもんですから。いつもご紹介させてもらってるんです。……あんた、こちらは薬屋はん。クラーラを助けてくれたんよ」
絵の中にいる夫に語りかける。
手を合わした後、ようやく卓袱台の前に座った。
クラーラは湯飲みを置く。どれもワヒトのものらしい。
紅茶とは違う。独特の渋みのある茶を飲みながら、ヴォルフはハイ・ローに辿り着いてからの経緯を語った。
「なるほど。マイ――【妓王】に目を付けられたんですか。それは難儀やねぇ」
「お姉ちゃんからマイアさんに、取り次いでもらえないかな?」
「気難しいお人やからなあ。うちのいうことに耳を貸すかどうか」
「お願いだよ。この人、困ってるみたいだし」
「……まあ、やるだけやってみよか」
「やったぁ!」
「ありがとうございます、クロエさん」
「あまり期待せえへん方がええよ。むしろ、うちが意見したことによって、気分を害する可能性だってあるさかい」
「その時は覚悟を決めますよ。……お礼といってはなんですが」
ヴォルフは荷物から瓶を取り出す。
レミニアが作ってくれたソーマもどきだ。
「この薬なら、クロエさんの目を治せると思います」
どんな重傷もたちどころに直してしまう【大勇者】が作った薬。
人間の細かな神経まで回復させるこの薬なら、クロエの目を治すことも可能だろう。
1度、クロエは瓶を取る。
ガラスの肌触りを確かめると、ヴォルフの方に戻した。
「折角のご厚意やけど、受け取れませんわ」
「何か気になることでも?」
「薬屋はんの声はとても澄んでいます。おそらく馬鹿が付くぐらい正直ものなんでしょう」
ヴォルフは癖毛を掻いた。
クロエは説明を続ける。
「この薬を飲めば、本当に目が治ってしまうかもしれない」
「だったら――」
「でも、いいんどす。うちはこのままで」
「不自由ではありませんか?」
「確かに不自由やよ。でも――」
見えないことの方が、色々とわかるんですよ。
発売日まであと16日!
書籍の方よろしくお願いします!
『アラフォー冒険者、伝説になる ~SSランクの娘に強化されたらSSSランクになりました~』は、
ツギクルブックス様より7月10日に発売です!!