第90話 おっさん、つまらぬものを斬る
実質、本編開始です。
『アラフォー冒険者、伝説となる~SSクラスの娘に強化されたらSSSクラスになりました~』
ツギクルブックス様より7月10日に発売です!
目次欄に書影を貼り付けました。是非ご確認下さい。
魔導の実験において、重要な準備の1つに、保護管を作るという工程がある。
実験に置いて作られた魔導の物質。
それを受ける皿や管のことを、一般的にそう呼ぶのだ。
材質は様々で、鉄や銅、ミスリル、はたまた樹脂を使うこともある。
だが、それらを重ねて分厚く作ればいいというものではない。
作られた物質にもたいていの場合、属性が付与されているため、それに応じた処置を保護管の方に施さなければ、物質の受け皿とはなり得ない。最悪、失敗、爆発なんていうオチもあり得るだろう。
今【大勇者】レミニアとその秘書官であるハシリーが挑んでいるのは、未知の材質――【愚者の石】の受け皿となるものだった。
様々な理由で失敗に終わっていた解析作業も終わり、いよいよ【愚者の石】の再現のため、保護管の製作を開始していた。
国の魔導研究機関ともなれば、属性に対応した受け皿が常備されている。
だが、今から彼女たちが挑むのは、未知の物質だ。それに合わせた保護管を作るためには、一から作らなければならなかった。
素体となるのは、大司祭マノルフが残した黒い結晶。
ここに解析結果から弾き出した属性を、比率で埋め込んでいく。
かなり集中しなければならず、長文の呪文を一小節でも間違えれば、一からやり直しという高度な作業だった。
「荒御霊よ、ここに。其の兆しを以て、天火に従い、福音と約束を――あ、しま――――」
魔法が解除される。
赤く光り輝いていた研究室が、暗がりに戻った。
ハシリーは光明の魔法を使う。
ぽっと白い光が灯り、赤髪の少女を映した。
「どうしたんですか、レミニア。そこは『約束』ではなく、『約定』ですよ」
「う……。わかってるわよ。今度は気を付けるから」
「さっきも聞きましたよ、その台詞。何か集中できないことでもあるんですか?」
「べ、別にそういうわけじゃ……」
「例えば、お父上のこととか?」
15歳にして勇者の身体が、ぴくりと動く。
わかりやすい反応だった。
「はあ……。今度は、何を心配してるんですか?」
「……だって、パパ。無事にワヒトに着けたのか、心配なんだもん」
ようやく白状した。
ハシリーは「はあ」と息をもらす。
ヴォルフがいたらいたで、レミニアは研究のことをそっちのけ状態だった。
だが、いないならいないで、また別の弊害があるらしい。
正直、この状態が続くなら、まだヴォルフにいてもらっていた方がマシだったかもしれない。
「大丈夫ですよ、お父上なら。優秀なお供もついてますし」
「でも――」
「それに、あなたがそんな調子では、お父上の方があなたのことを心配しますよ。お父上と離れてまで、あなたは何のためにここに来たんですか」
「う……」
レミニアは項垂れた。
ちょっと言い過ぎたかな、とハシリーは反省する。
だが、レミニアは手をかざし、また呪文を唱え始めた。
だいぶ落ち着いているように見える。
さっきはどこか辿々しかった詠唱も、滑らかだ。
「(本当に素直な娘ですね、この人は)」
くすりと笑った。
ハシリーも、ヴォルフの行方を気にはなっていた。
【大勇者】の強化魔法によって、Sクラスの冒険者にも対応できる人材を失うのは、非常に惜しい。
それに、ヴォルフはよく出来た人物だ。
騎士団であった話を聞いて、それは確信に変わった。
ワヒトから戻り、そしてラムニラ教との誤解が解ければ、是非とも王国に戻り、要職についてほしいと願うばかりだ。
(そういえば、ヴォルフ殿はどうやってワヒトに渡るつもりなのだろうか)
ラムニラ教の目からそらすため、ヴォルフは戸籍上死んだことになっている。
レクセニルからワヒトへは、どうしても船が必要だ。旅券も必要になってくる。死んでいては、身分を証明することさえ出来ないのだ。
閉めきり、暗闇の中でレミニアの魔法が光り始める。
美しい赤光を見ながら、ぼんやりと遠く東の海にいる男の安否を気にかけた。
◇◇◇◇◇
「ぶぇっくしょん!!」
盛大なくしゃみをかましたのは、大きい白猫だった。
溜まらず前足で顔を洗う。
実は、先ほどから何度も繰り返しており、普段は黒い鼻の頭も、ほんのりと赤くなっていた。
紫と緑の異色の瞳に映っていたのは、海だ。
遠く水平線の向こうには、夏らしい雲が浮かび、凪の海に映り込んでいた。
綺麗な青水晶の海の一方で、近くの断崖には黒い何かがへばりついている。
よく見れば、それは家だ。
大小様々な家屋が無造作に並び、崖に張り付くようにして立っている。
そのどれも、ゴミ箱から漁ってきたような鉄や材木を打ち付けたもので、あばら屋ばかり。当然、道路整備などされておらず、立派なのは港に停泊している大きな帆船ぐらいだった。
「潮とゴミの匂いを1度に嗅ぐなんて初めてにゃ」
港町出身の猫は、再びくしゃみをする。
横に立つ主人も顔をしかめていた。
強烈な異臭が、潮風に乗ってやってくる。
これでは、昔王都に済んでいた集合住宅の便所の方がまだマシだ。
「本当に行くのか、ご主人?」
「仕方ないだろ。ワヒトに渡るにはあそこしかない」
ヴォルフは肩を竦めた。
いつも通り、眼帯をつけ、布巻き帽子を巻き直す。
胸に付けたラムニラ教の象徴を確認し、断崖を降りていった。
ハイ・ロー。
レクセニル王国の東端に位置する港町。
だが、国が発行する地図には載っていない。
何故なら、ここはならずもの――つまり、犯罪者やお尋ね者、反政府思想者などが集まる非合法の土地だからだ。
もちろん、国からは認められていない町。
おそらく税金も納めていないだろう。
しかし、何故こんな町が、レクセニル王国に残っているかというと、実はヴォルフも理由を知らない。
ここに来たのも今回が初めてで、その目で確認するまでは、存在すら信じていなかったぐらいだ。
「ひでぇ臭いの街だな」
「でも、お前のねぐらも大概だったぞ」
「にゃ! あっちのは高貴な匂いなんだにゃ!!」
「高貴ってなんだよ……」
げんなりする。
だが、ミケの言うとおり、ひどい街だ。
汚物のような臭いもそうだが、明らかに危ない香りがする。
入ってしばらくもしないうちに、老人のスリに会い、子供のよっぱらいに絡まれた。
昼間からやつれた顔をした娼婦らしき女に声をかけられ、窓から包丁が飛んできたと思ったら、夫婦が殴り合いの喧嘩をしているという具合だ。
王都や他の都市部、ニカラスとはまるで違う雰囲気。
なのに排他的な空気はなく、妙な活気があった。
そんな街にヴォルフがやってきたのは、ワヒトへ渡るためだ。
死人扱いとなっている【剣狼】には、身分証などない。他国へ渡るためには旅券が必要なのだが、もちろんそんなもの持っていなかった。
ワヒトに渡るためには、身分証や旅券を必要としない方法を取らなければならない。
だから、ハイ・ローにやってきた。
ここは昔から密漁船が東海を往来していた。
つまりは、海賊だ。
その船に乗り、ワヒトへ渡る。
それが、ヴォルフの狙いだった。
「金貨100枚……。ふん。確かにいただいたぜ」
如何にも海賊といった雰囲気の男が、渡された金袋の紐を縛った。
ここまでヴォルフが薬師として稼いだ金の9割が、男の懐に収まる。
思いの外、交渉はうまくいった。
明日には出航するのだという。
今日はハイ・ローに泊まるしかないようだ。
まともな寝床があるか心配だったが、さすがに路上で寝るよりはマシだろう。
何か適当な場所はないかと探していた時、少女の悲鳴が聞こえた。
「ちょっと! 離せよ! 変態!」
「前からお前のことは狙ってたんだクラーラ。良い買い手を知ってる。よろしく可愛がってもらいな!」
1本路地を跨ぐと、そこには巨漢の男に掴まれた少女がいた。
手には本を抱え、必死に足を掻いて男から逃れようとしている。
「おい。やめろ!」
ヴォルフは声を上げた。
隣にはミケもいて、やれやれと首を振っている。
巨漢は目を細めた。
「なんだ、お前?」
声が聞こえたのは、背後からだった。
視線を向けると、如何にも不作法な男たちが集まってくる。
手や腰には武器を提げていた。
ヴォルフはピンと来る。
どうやら誘い込まれたらしい。
巨漢は少女を離す。
すると、するすると男たちの脇を抜けて逃げていった。
「お前だな。街に現れたよそものは」
「こいつ……。海賊に金貨を渡してましたよ。しかもごっそり」
「まだ持ってるんじゃないのか?」
「大人しく有り金を出せば、許してやるぜ、おっさん」
1人の男が近付き、手を伸ばす。
ヴォルフはふぅと息を吐いた。
伸ばされた手を無造作に掴む。
強く握りしめると、巨大なフライパンでも持ち上げるように、掲げた。
「お。お。おおおおお!!」
そのままヴォルフは投げ飛ばす。
男は顎から地面に叩きつけられ、そのまま昏倒した。
「てめぇ……」
わっと男たちは殺到する。
(やれやれ……)
ヴォルフは柄に手をかけた。
パッとローブが開いた瞬間、幾重にも剣線が閃く。
キィン、と鯉口の音が響いたと同時に、男たちの衣服がバラバラになった。
たちまち真っ裸の男に囲まれるというおぞましい光景を目にする。
「な、何しやがる!」
それでも巨漢の男は戦意を失わない。
腰に帯びていた大太刀を握り、振りかざす。
こおぉん……音を立て、刀身が3つに別れた。
「ひぃぃぃぃいいいい!!」
金切り声を上げる。
残った鞘を打ち捨てると、仲間と共に全力で逃げ始めた。
またヴォルフはため息を吐く。
良くてE級といったところだろう。
これでは鍛錬にもならない。
「どうした、ご主人? なんだか物憂げだな」
「なんでもないよ。物憂げなんて難しい言葉よく知ってるな、お前」
「それ……あっちを馬鹿にしてんのか?」
「まあ、いい。それよりも――――もういいぞ。出てこいよ」
声をかけると、物陰から人が現れる。
先ほどの少女だった。
色素の薄い黒髪。ぱっちりとした緑色の瞳。
胸も、身体全体もまだまだ子供っぽいが、顔は整っていて、将来綺麗になるかもしれない。
気になるのは割と手入れがされていることだ。
この辺の子供とは違って、短めの髪もよく梳かされていて、ふんわりとしている。
瞳を輝かせ、少女は何も言わずヴォルフの周りをぐるりと1周する。
前に立つと、視線をかわした。
「ねぇ……。もしかしておじさん。ヴォルフ・ミッドレスなの?」
にやりと指を差した。
またつまらぬものを斬ってしまった……。
新作の『ゼロスキルの料理番』ですが、
現在日間総合4位と奮闘中です。追放ものとは違う飯ものはいかがでしょうか?
こちらもよろしくお願いします。