第86話 英雄の唄
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アラフォー冒険者を読んでくれている読者様に、
改めて感謝申し上げます。
【剣狼】の牙が、魔女を袈裟に斬り下ろした。
勝負はあった。
見ていたアローラは確信し、姉と慕ったベードキアの骸から一旦目を反らす。
「まだだ!!」
弾かれるようにヴォルフは叫んだ。
ベードキアは薄く微笑む。
両断されたはずの肉体が煙のように霧散した。
幻影――。
本体はどこに?
アローラは、ベードキアを探す。
ヴォルフの右後ろ。
距離にして20歩ほどのところに、彼女は立っていた。
「あははは……。危ない危ない。本当に殺されたのかと思いました」
肩口の傷に回復薬をぶっかける。
みるみると傷口はふさがれ、腕を伝い垂れていた血も止まった。
ヴォルフはベードキアの方に向き直る。
腰を落とし、【居合い】の構えを取った。
首を傾げる。
確かにヴォルフはベードキアを斬った。
だが、途中で斬った感触が抜けた。
刃が薄皮を斬った刹那、魔女は忽然と消えたのだ。
「(高速で動いたなら、俺の目で捉えられるはず……)」
強化魔法の線も考えたが、今のヴォルフに何の気配も辿らせずに移動することは難しい。もし、それが可能なら彼女の実力はAクラスどころではないだろう。
それに、あの残像のように残った幻影は一体――。
「【転移魔法】……。おそらくそれも超短距離の――」
悩むヴォルフに助け船を出したのは、アローラだった。
ベードキアは歯茎をむき出しにして笑う。
パチパチと手を叩いた。
「さすがは、アローラ。お利口さんね」
「信じられません。【転移魔法】は距離が短くなればなるほど難しいと聞きます」
【転移魔法】はまず物体に宿る魔力を飛ばす。
その飛ばした魔力から肉体や無機物などを再構成する高位魔法だ。
だが、物体から離れた魔力というのは、とかくコントロールが難しく、ほんの少しの力で風のように飛んでいってしまうような代物らしい。
故に【転移魔法】自体は高難度級の魔法だが、短距離を飛ぶとなると、勇者級の魔法として認定される。
さらに自在に操ることとなれば、天界級にすら匹敵するといわれていた。
「こう見えて、あたしには師匠と呼ぶ人がいてね。その人ならあらゆる場所に移動することができるわよ」
「――――!」
「残念ながら不肖の弟子は、座標を確定することは出来ないの。だから、ランダム――つまりはでたらめということね」
「随分と余裕だな。自分の弱点を敵にさらすとは」
「隠すことでもないわ。……それに、あなたではあたしを捉えることは出来ない」
「やってみなくちゃわからないさ」
ヴォルフは駆ける。
先ほどよりも早い。
【転移魔法】というわけではないが、一瞬にしてヴォルフはベードキアの前に現れた。
魔女は慌てない。
最適化された呪文を唱えると、飛んだ――。
次に現れたのは、ヴォルフのちょうど背後だ。
「絶好の位置ね」
持っていた杖を振るう。
ヴォルフの後頭部を打ち据えた。
視界が歪む。
だが、魔導士の物理攻撃だ。
ヴォルフには多少のダメージしか与えられない。
振り向きざまに、刃を放つ。
だが、ベードキアは飛んでいた。
フロアの奥だ。
「なかなか楽しいわね。まるでお遊戯だわ」
「その余裕……。どこまで持つかな」
【転移魔法】は説明するまでもなく、魔力を使う。
それも大量にだ。肉体を一瞬で再構成する魔法なのだから当然といえる。
短距離を移動とはいえ、いつか魔力が切れる日がやってくる。
とにかく【剣狼】は【闇森の魔女】に食らいついた。
ヴォルフが斬って、転移し、距離をつめては転移するを繰り返す。
これではイタチごっこだ。
「そろそろ飽きてきたわね。フィナーレと行きましょう」
ベードキアは手を開く。
すでに呪唱が完了していた魔法を解き放った。
ヴォルフが踏みだした足を止めた。
目の前に広がった世界に、圧倒され、立ちすくむ。
そこは森だった。
深い、常闇の森だ。
全てが灰に、そして黒く彩られた世界……。
「ふっふふふ……。あははははは……」
森の中でベードキアの声が響き渡る。
その発生源を探したが、見当たらない。
永劫ともいえる闇の森が続いているだけだった。
「無駄よ、薬屋さん。いえ、ヴォルフ・ミッドレス。ここではいくらあたしの気配を探ろうと無駄に終わる」
ベードキアの言うとおりだった。
いくら周囲の気配を辿っても、帰ってくるのは“無”だ。
目を凝らし、耳をそばだて、いくら鼻を利かせても、何もない。
瞳孔に森の姿が映っているのに、まるでその気配が返ってこないのだ。
それに頭が痛い……。
ずきずきする。
視界も歪み、腐臭が鼻を突く。
寒い……。流行病にかかったかのように、肌の感覚が急激に失われていく。
ついにヴォルフは崩れ落ちた。
膝を突いたのは、【英雄】ルーハスに敗北を喫した以来だ。
「これがあたしの切り札……。空間魔法【闇森の魔女】。あたしの異名はこの固有魔法から取ったものよ」
固有魔法――つまりは、ベードキアのオリジナル。
魔力で作った空間を操り、対象の感覚を増強する魔法だ。
極限にまで鋭敏化された感覚は、人間の身体にとって毒でしかない。
加えて、ヴォルフの五感はレミニアの魔法によって増強されている。
感覚からもたらされる凄まじい情報量を脳が処理しきれず、常に硬い岩で殴られているような痛みが、【剣狼】に襲いかかってきていた。
それでもヴォルフは立ち上がろうとする。
「無理をしない方がいいわ、ヴォルフ。あなたではこの魔法は破れない。【闇森の魔女】は、【大勇者】に強化されているあなたの身体にとって、最高の毒……。むしろ今の今まで生きている事の方が不思議だわ」
どこからか拍手が聞こえた。
全身の毛穴が耳になったかのように音が内臓で反響する。
抗しきれないほどの嘔吐感に見舞われた。
ついに堪えきれず、【剣狼】は崩れる。そして胃液を吐き出した。
井戸の底のような闇の中に、身体が沈んでいくのがわかる。
その虹彩から生気が消えていった。
「す……ま、ん。……れ……みに…………」
ゆっくりと意識を失う。
皮肉にもすべての思考が断たれた瞬間、ヴォルフに訪れるのは“死”という壮絶な快楽だった。
闇に埋もれていく……。
瞬間、声が聞こえた。
それは若い女の声だった。
「聞けよ、愚かなるものたちよ……」
はたと気付いた。
歌だ。
美しい声が闇の中でかすかに響いている。
「時が求めた足音を」
つと闇に、ヴォルフは光を見る。
足を動かし、地を踏んだ。
「おもてをあげた英雄の声を」
顔を上げる。
目の前は一面の闇。
魔女が作り出した魔法の空間。
はっきり言う。
状況は最悪だ。
頭は痛い。内腑はごちゃ混ぜにかき回されたかのように気持ちが悪い。
感覚はなく、もはや己が生きていることすら確認できない。
今から満足に戦うことができるかすらわからなかった。
それでも【剣狼】は顎を上げる。
己の身体を叱咤するようにやがて……。
「おおおおおおおおおおお!!」
遠吠えを上げた。
「そして、紡がれる永遠の物語……」
その時、ヴォルフに見えていたのは“黄金”だった。
闇の世界は塗り替えられ、花咲き乱れる理想郷が現れる。
【剣狼】は踏み込んだ。
花園に踏み込んだ魔女を、瞳に刻む。
ぐっと腰を落とした。
柄に手をやると、愛刀【カムイ】の手応えが返ってくる。
狼の牙は震えていた。
解き放てと吠え散らす。
やがて地を蹴った。
かすかに埃が舞い上がる。
躍り出たのは魔女の眼前だった。
「ひっ――」
ベードキアは悲鳴を上げた。
彼女からすれば、いきなり自分の前にヴォルフが現れたような状況だ。
馬鹿な……。
無理もない。
ヴォルフには花園に見えていても、ベードキアからすれば闇の世界が広がっている。
固有魔法はいまだ維持され続けているのだ。
術者以外の人間が、こうも容易く動ける状況にはない。
ましてヴォルフにとって【闇森の魔女】は、最大の毒。動くことはおろか、立ち上がることすら困難なはずだった。
何故だ……。そう思うのも無理はない。
ヴォルフとて理由はわかっていなかった。
聞こえてきた歌か。
それとも、これもまたレミニアの想定内の出来事なのか。
いずれも定かではない。
少し科学的な見知によった回答を導くのではあれば、ヴォルフが普段から娘の強化を受け続けているからだろう。
【闇森の魔女】は対象の感覚を極限にまで鋭敏化し、一種の麻薬を打ったような状態に陥らせる。
いわば、対象の能力を増強させるという意味では、ある種の強化魔法といえる。
普段から自分の能力以上のものを引き出され続けているヴォルフは、知らぬ間に鋭敏化される感覚を乗りこなす技術を習得していた。
わかっているのは、ヴォルフが刀を握っていること。
そして眼前に敵がいるということだった。
「くそっ!!」
ベードキアは【転移魔法】を呪唱する。
【高速呪唱】――加えて【簡易呪法】。
2つのスキルを合わせ、5桁にも及ぶ術式を省略する。
最速にして最善。
ベードキアは飛ぶ。
間に合った。
狼の牙から逃れたのだ。
すぐ彼女の頭に浮かんだのは脱出という選択肢だった。
あんな訳の分からない人獣に付き合っていられない。
リックを失うのは誠に遺憾だが、命には代えられなかった。
短距離転移が終わる。
まだ闇の中だ。
そして眼前にヴォルフがいた。
「何故!」
その答えは、ヴォルフが立ち上がれたことよりも幾分簡単なことだった。
【闇森の魔女】で増強されたヴォルフの感覚が、転移した時に残る魔力の滓を捉えていたからだ。
つまり、ベードキアは墓穴を掘ったのである。
むろん――呪唱する刹那の時間すら存在しなかった。
「そんな――」
剣線が閃く。
瞬間、ベードキアは袈裟に切り下ろされた。
闇の中で鮮血と魔女の断末魔の悲鳴が響き渡るのだった。
盛り上がるBGMとともに、主人公が立ち上がっていくシチュが好き!
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