第9話 おっさん、聖剣を装備する。
ヴォルフはアンリを探し、鉱山の奥へと進む。
普段は、人夫がひしめく鉱山も、水を打ったように静かだ。
あちこちにはワイバーンの体液が垂れ下がり、一部結晶化している。
竜鉱――もしくは竜鉱石といわれているものだ。
魔導の材料、薬、あるいは装飾品としても価値があり、高値で取引されている。
さすがのヴォルフも目が眩む。
が、今はアンリを探す方が先決だ。
ワイバーンの尻尾に杭を打ち込みながら、探索する。
切らずとも、こうして尻尾に異物を打ち込むだけで、動けなくなることは、レミニアの母の遺稿から学んでいた。
ヴォルフの足が止まる。
目の前にあったのは、大きな竜鉱石だった。
ヴォルフの5、いや10倍の丈はあるだろうか。
それが繭のように破れている。
何かとてつもなく大きなものが、暴れ回ったのだろう。
周辺の岩肌はえぐられ、一部炭化していた。
「(まずいな。母竜はすでに旅立ったあとだ)」
そっと石に触る。
熱を持っていた。
まだ近くにいる。
「(アンリ姫はどこへ。まさかすでに――)」
大きな嘶きが聞こえた。
ヴォルフは振り返り、顔を上げる。
ワイバーンの尻尾を切っていたダラスとリーマットの耳にも届いていた。
2人同時に、空を覆う影を見つける。
「「母竜だ!!」」
ダラスが叫んだ。
ヴォルフは一旦2人に合流し、空を駆けめぐるワイバーンの母竜に向き直る。
さらに鉱山の入口から馬を駆る音が聞こえた。
私兵と一緒に現れたのは、ヘイリル大公だった。
「リーマット! ダラス! アンリを助けよ」
「え? アンリ様はご一緒では?」
「一緒?」
突如現れた豪奢な出で立ちをした御仁にヴォルフは困惑しつつも、ダラスが発した迂闊な一言を聞き逃さなかった。
その流れを誤魔化したのは、リーマットだ。
「まさか! あのマザーバーンにアンリ様が?」
「そうだ。さらわれたのだ。なんでもいい。頼む。アンリを助けてくれ」
「助けてくれって……」
リーマットは遠見の眼鏡で確認する。
間違いない。翼の根本部分から伸びた前肢にアンリが抱えられていた。
幸い外傷は認められない。気絶しているだけだ。
「(しかし、どうやってあのデカブツを倒せばいいんだ?)」
問題はあの巨体だ。
通常のワイバーンの3、4倍は大きい。
体力も桁違いに高いだろう。
Bクラスの騎士と魔導士が寄ってたかって、スキルと魔法を駆使したところで、討伐は難しい。
加えて――。
「竜の口が光ったぞ!」
「ヘイリル様、退避を!」
大公の私兵が騒ぎ立てる。
ダラスはヘイリルを守護するように全面に立った。
「【風魔の盾】」
風の守護の力が、主を守る。
同時に、マザーバーンから熱線が吐き出された。
空気を切り裂き、熱線は岩肌を抉る。
直撃こそ食らわなかったが、爆風と衝撃波が巻き起こった。
兵たちが吹き飛ばされていく。
ヘイリルはダラスが作り上げた魔法の盾により難を逃れた。
それでも立っているのがやっとだ。
竜種に総じて搭載されている炎息。
特にマザーバーンは他のワイバーンとは違い、魔力を溜めやすい。
その魔力と腹の中にある火袋と混じり合うと、炎よりも強力な熱線を吐き出すことが出来るのだ。
「(やはり討伐は難しい。せめてあと1人Aクラス冒険者がいれば)」
リーマットは顔を上げる。
砂塵が大きく舞い上がる中、1人の男が仁王立つのが見えた。
ヴォルフだ。
空から見下ろすマザーバーンと対峙している。
腰にさした剣の柄に手を伸ばした。
戦う気だ。
「ヴォル――」
「リーマット殿。俺が注意を引きつけるので、その間にアンリ様を救い出してください」
「いや、ちょ――」
「ダラス殿は、ヤツの尻尾に魔法攻撃を。斬れないまでも、当てる程度でもあの巨体です。バランスを失うと思います」
「や、やってみよう」
「大公閣下とお見受けします」
「な、なんだ、冒険者……」
「ご心配なく。娘さん――アンリ姫は必ず助けます」
「……た、たのむ」
ヘイリルは息を飲むだけで精一杯だった。
ヴォルフは前傾姿勢を取る。
剣の柄に手を掛けたまま一気に加速した。
突如、始まったマザーバーン討伐。
慌ててダラスは呪文を唱える。
「風神の無掌!」
風系Lv5。殲滅系魔法。
射出された無数の刃は、ダラスの渾身の魔法コントロールによって、すべてマザーバーンの尻尾に殺到する。
飛び交う真空の刃を竜はかわしたが、1枚の刃が尻尾にヒットした。
「ぎゃあああああああ!!」
巨躯が崩れる。
姿勢制御がおろそかになり、落下を始めた。
轟音とともに、地面に叩きつけられる。
竜にダメージはない。
ちょっと首を振り、目を眩ませた程度だった。
かっと口内が赤くなる。
熱線だ。
その口の前に現れたのは、ヴォルフだった。
銅の剣に力を込める。
竜の鼻先に振り上げた。
硬い金属音が花火のように打ち上がる。
同時に銅の刃が鉱山の上でくるくると回転した。
折れたのだ。
20年近く連れ添った愛剣の刀身が、ヴォルフの視界外へと流れていく。
致し方ないことだった。
柔らかい部位とはいえ、ここまでワイバーンの尻尾を斬ってきた。
竜の胴を両断ったこともあった。
すでに限界を迎えていたのだ。
マザーバーンはいまだ無傷。
顔の前に出てきた人間を睨め付ける。
再び口が光る。
「くっ!」
ヴォルフは一瞬怯んだ。
その心を建て直すのも一瞬だった。
残った柄を持ったまま握り込む。
大きく拳を振り上げると、その鼻先に拳打を見舞った。
岩石が城壁を貫いたような音が響く。
マザーバーンの巨体がひっくり返り始めた。
何千年と生きた巨大樹が倒れるかのように竜の巨体は後ろに反れていく。
竜を素手で殴り、あまつさえ打倒した男の姿に、皆が言葉を失った。
1人動いていたのは、ヴォルフからアンリ救出を託されていたリーマットだ。
竜の前肢からこぼれたアンリを受け止める。
同時に、姫騎士は目を覚ました。
「ヴォルフさ、ま?」
「すいませんね。あなたの王子様じゃなくて」
リーマットは姫を抱えたままマザーバーンから距離を取る。
背後で、竜が轟音を立てて、地面に臥した。
その前に立っていたヴォルフとすれ違う。
お互い視線を交わした。
「全く……。あなたは何者なんですかね」
リーマットは、不気味な笑顔を浮かべるのだった。
◇◇◇◇◇
「はああああああああ!!」
突然、レミニアは研究室で叫んだ。
窓から優しい春の陽光が差し、鳥の囀りが聞こえる。
吹き込む風も暖かくなり、すっかり春の様相になってきたが、相変わらず室内は空で寂しいままだった。
「パパがピンチになる夢を見た!」
「はあ? というか、研究室で寝ないで下さい。一応職務中ですよ」
机に座ったハシリーは研究資料を眺めている。
仕事ではなく、あくまで趣味で調べているものだった。
それは2人ともまだ仕事がないことを意味していた。
「ねぇ。ハシリー、帰っていい。きっとパパになんか悪いことが起こってるんだわ」
「何をいってるんですか。あなたはお父上をバッチリ改造してきたんでしょ」
「それでも心配なものは心配なの」
椅子の上でパタパタと手足を動かす。
癇癪を起こした子供みたいだった。
「(おかしいなあ。ニカラスの田舎から連れてきたのは、【大勇者】の娘だったはずなんだけどなあ……)」
ハシリーはこめかみの辺りをぴくぴくと動かす。
突然、レミニアは立ち上がった。
本当に出て行くかと思ったが、予想とは違い、手をかざす。
呪文を唱え始めた。
聖樹の言の枝。
祝福を受けし清らな水。
地に深く横たわる者の怒り。
我、レミニアは願う。
悪鬼退魔せし、聖の力を秘めし鍵よ。
逢魔が刻、破邪剣聖を示せ!!
『聖具解放! 極光の仭剣!!』
魔法陣が浮かび、せり上がってきたのは一振りの剣だった。
あまりに目映い光を放つそれは、一瞬にして部屋を白く染め上げる。
レミニアは剣の柄を握った。
猛烈な光りに目を細めながら、ハシリーはやっと口を開く。
「聖具って、もしかしてあなた……召喚魔法まで使えるんですか?」
レベル6に相当する大魔法。
難度に加え、レベル9の高等技術が必要になる聖具の召喚。
何十年、いや100年修練したところで身に付くかどうかわからない魔法を、たった15歳の娘が再現したことに、夢を見ているようにしか思えなかった。
だが、レミニアにとってなんでもないことらしい。
聖具も魔法も、ひけらかすこともなく「うん」と軽く応じた。
「どうするんですか、そんなもの!」
目を開けているのもしんどい。
剣から発せられる圧だけで、この研究室が吹き飛びそうだ。
レミニアは軽く手で剣を放り投げる。
中空で1回転すると、剣は消滅した。
何事もなかったかのように、研究室は元の空の状態へと戻っていく
ハシリーは気づいた。
今度は、転送魔法だ。
高難度の大魔法。
召喚魔法と同じくレベル6に相当する。
「ちょっ! せ、聖具をどこに送ったのですか?」
「パパのところよ」
「お父上にですか? いや、そんなもの送ったら、ヴォルフ様が戸惑うのでは? 料理をしていて、突然聖剣が落ちてきたら、腰を抜かしますよ」
「大丈夫よ。きっとパパなら美味く使うわ。それに限定的な魔法だし。危機が回避されれば消滅するようにしておいたから。問題なしよ、ハシリー」
「問題ありすぎですよ!!」
もはやハシリーの理解の範疇を超えていた。
いっそ自分が田舎に帰りたい……。
そう思う午後の昼下がりだった。
◇◇◇◇◇
武器がなくなってしまった。
打ち倒したとはいえ、マザーバーンは健在だ。
今、起き上がろうとしている。
命を絶つには、硬い竜鱗を砕く必要がある。
だが、素手では難しい。
何か武器がほしかった。
そう思っていた矢先、目の前が光に満ちる。
目映い光の世界の中で、薄く目を開けると、一振りの剣が浮いていた。
ゆっくりと近づいてくる。
吸い込まれるようにヴォルフの手に収まった。
ロングソードとクレイモアの中間といったところだろう。
銅の剣よりも数倍大きいにもかかわらず、羽のように軽い。
試しに振ると、星のように瞬いた。
刀身こそ、他の剣と変わらない。
だが、間違いなくこれは聖剣や魔剣の類いだ。
奇跡か。
それとも過保護な娘が仕掛けたお節介か。
ヴォルフには判断がつかない。
今1ついえるとするならば。
「これで竜が斬れる」
ヴォルフは剣を構えた。
マザーバーンは倒れた姿勢のまま首を動かす。
低く嘶いた。
その声は剣を恐れているように見えた。
やがて口内が光る。
熱線が――来る!!
「ヴォルフ殿! 回避を!!」
無理だ。
後ろにはリーマットやダラス、ヘイリル公、そしてアンリがいる。
退くわけにはいかない。
そして迷う時間すらない。
熱線は吐き出された。
一条の赤い光りが空気を焼きながらヴォルフに迫る。
衝撃波が地面を抉り飛ばした。
「ぬおおおおお!!」
気合い一閃。
ヴォルフは謎の聖剣を振り下ろす。
ごふっ、とくぐもった音が、剣士の耳を貫いた。
瞬間、マザーバーンから吐き出された熱線が跳ね返される。
やや右にずれて反射すると、母竜の翼を貫いた。
「ぎぃぃぃいいいいいいい!!」
苦悶の嘶きが響く。
マザーバーンはのたうち回った。
その様子を呆然とヴォルフは眺める。
他の人間も同様だ。
「マザーバーンの炎息を……」
「跳ね返した」
「すげぇ……」
一拍遅れ、怒号のような歓声が上がる。
巨大な竜を前にして意気消沈していた兵たちの士気が急上昇していった。
歓声を背中で受けながら、ヴォルフは剣を見る。
刃こぼれ1つしていない美しい刀身には、煤だらけのたくましい男の姿があった。
日間総合14位まで来ました(ここからが大変そう……)
ブクマ・評価・感想いただいた方ありがとうございます。
今後ともよろしくお願いします。