プロローグ
☆★☆★ コミック第5巻 6月12日発売 ☆★☆★
おかげさまでシリーズ累計20万部を突破いたしました!
お買い上げいただいた読者の皆様、ありがとうございます。
そして王国革命編が決着する第5巻が発売されます。
引き続きご愛顧いただければ幸いです。
――その子をお願いします。
山で薬草を採っていたヴォルフは、ハッと顔を上げた。
籠を背負い直し、導かれるように歩き出す。
彼は「平凡な冒険者」だった。
12歳から冒険者稼業をはじめ、最初こそ若さを武器に魔獣と戦った。
やがて己の限界を知り、若く才能ある冒険者にどんどん抜かれていった。
下っ腹に贅肉がつき始める頃には、危険な冒険を避け、拾った薬草や鉱石を売って生計を立てていた。
結局、ランクは下から数えて3番目のDクラス。
習得したスキルは、中級の【鑑定】【調合】と基礎級全般ぐらいだ。
それが冒険者ヴォルフの15年の成果だった。
今日も薬草の採取のクエストをギルドから受け、山に分け入っていた。
「これは……」
女性だ。
魔獣がうろつく山林に見目麗しい女性が横たわっていた。
経糸のように真っ直ぐ伸びた赤黒い髪。
身体の線は細く、くっと力を入れるだけで砂塵のように崩れそうだった。
薄く紫がかった唇は浅い息を繰り返している。
一目見てわかった。
死にかけている、と。
外傷はない。
推測としては、強力な呪術系のスキルを受けたのだろう。
白い肌には玉のような汗が浮かび、苦しそうに呻いていた。
ヴォルフはともかくありったけの薬草を女の側で広げた。
解呪することは難しいが、息がしやすいように何か薬を調合しようとする。せめて最後は楽にいかせてやろうと考えた。
道具を取り出し、作業を始めたところで、ひんやりとした手に阻まれた。
「もし……。冒険者の方……」
女の瞼が持ち上がる。
炎のような赤い瞳なのに、穏やかな湖面を思わせた。
「私は長くありません。最後に頼みを聞いてくれませんか?」
瞳を顔の横へと向ける。
布にくるまった女の荷物らしきものがあった。
ヴォルフはいわれるまま布をほどく。
現れたのは、可愛い赤子の寝顔だった。
すーすーと静かな寝息を立てている。
「その子のことをお願いできませんか?」
ヴォルフは赤子を抱きかかえる。
力強く頷いた。
荒く息を吐きながら、女は微笑む。
「よかった……」
瞼が閉じかかる。
「待て! 死ぬな!」
ヴォルフは叫んだ。
こんなに声を荒げたのは、数年ぶりで思わず咳き込んでしまう。
すると、抱いた赤子がびっくりして、声を上げた。
産声のように元気だった。
慌ててヴォルフは赤子をあやす。
泣き止んでくれない。
女っ気のない人生だった。
子供の世話などやったことなどない。
あやすどころか、ちゃんと抱けているかどうかも怪しかった。
今まさに女の瞼が閉じようとしている。
ヴォルフは赤子に構わず尋ねた。
「せめてあんたの名前とこの子の名前を教えてくれ」
閉じかけた瞼の向こうで、瞳がヴォルフの方を向く。
「レミニア……」
果たして女の名前だったのか、それとも子供の名前だったのか。
ついぞわからぬまま、女は赤子と数冊の本を残し、息を引き取った。
◇◇◇◇◇
レミニアの母親らしき女から預かったのを機に、ヴォルフは冒険者を引退し、故郷のニカラス村に戻った。
ベッド1つしかない宿坊ではさすがに子供は育てられないし、都で親子2人で暮らすためには、今の倍の家賃を払わなければならない。それに冒険者をやりながら、男手1つで育てるのは不可能だと考え、帰郷を選択した。
幸い、15年以上務めた冒険者はギルドから退職金が支給される。
微々たるものだが、数年小さな村で子育てするには十分な額だ。
古ぼけた実家を改装し、ヴォルフの子育ては始まった。
最初はおむつの締め方すらわからず、村の産婆に怒られてばかりいた。
不器用な父親とは裏腹にレミニアはすくすくと育つ。
甘えん坊の泣きん坊。夜泣きもしょっちゅうで、レミニアを抱いたまま村の真ん中で眠りこけることもしばしば……。
絵に描いたような子育て奮闘記だった。
それも慣れてくると、レミニアの不思議な習性に気づく。
よく泣く赤子で、どんなにあやしても泣き止まないことがあった。
ただそんな時、母親が残した本を渡すと途端に笑顔になるのだ。
本に魔法でもかかっているのか。それとも母親の残り香に反応しているのかはわからない。1ついえるのは、本は唯一のレミニアと母親の絆だということだ。
物心つく頃には、レミニアは美しい少女になっていた。
明るい赤い髪に、紫水晶を思わせるような大きな瞳。
真っ白な肌はあの時の女の肌を思わせる。
将来は美人になることは間違いなかった。
たちまち人気者になり、村の子供のリーダー的な存在になった。
やんちゃな性格ではあったけど、その行動1つ1つには、何か深い思慮が隠されているような気がした。
頭もよく、物覚えもいい。村に住む魔法使いから魔法を教わったが、5歳にして初級の魔法をすべて使いこなしていた。
しかし、彼女の興味の先は、母親が残した遺稿とも呼べる本だった。
「パパ、わたしのママって天才ね」
父親の膝の上に座って、賞賛する。
ヴォルフが読んでもさっぱりだった本の内容を、レミニアは理解しているらしい。
6歳児曰く、この本に書いているのは、魔獣についての研究論文なのだそうだ。
第五世界ストラバールに200年前、突如出現した魔獣。
この生態についてはいまだ謎に包まれている。
母親が残した本には、その秘密の一端が隠されているらしい。
「けれど、この二重世界理論には欠点があるわ。世界が2重構造であることは否定しないけど、そのためのエネルギーについて言及が全くないの。パパはどう思う?」
時々、意見を求められるのだが、ヴォルフは決まって話を変えた。
「それよりもレミニア。どうして、パパの上でご本を読んでいるんだい? 勉強のための机を作って上げただろう」
「いーや。パパの膝の上がいい」
「どうして?」
「パパのことが大好きなんだもの」
満面の笑みを見せる。
どんなに疲れていても、その笑顔を見るだけで頑張れるような気がした。
レミニアが8歳の時、事件は起こった。
村にC級の魔獣が迷い込んだのだ。
ニカラス村の周りには、結界が張ってある。
加えて、E、F級の魔獣しか辺りにはいないはずだったのだが、不運に不運が重なった。
ベイウルフという魔獣は、冒険者がいないことをいいことに毎夜村に来ては、暴れ回った。長は村を破棄し、皆で逃げると決断する。そんな中、ヴォルフは手を挙げた。
「俺がやる」
勇敢を通り越して、無謀な提案だった。
相手はC級の魔獣。ヴォルフのクラスはD級。実戦からも遠ざかっている。命のやりとりともなれば、10年ぶりだった。
村の人間はヴォルフを止めたが、頑として聞き入れなかった。
「村には俺の娘がいる。俺は娘を守りたい」
ヴォルフはレミニアの髪を穏やかに撫でながら、いった。
初めて見る戦士としての父親の背中。
娘は戸惑いながらも、その覚悟を理解した。
「パパ、約束して。必ず戻ってきて」
「大丈夫。必ず帰ってくる」
小さな拳と大きな拳を付き合わす。
子は願い、父は誓った。
かくしてヴォルフとベイウルフの一騎打ちがはじまる。
まさに死闘だった。
ヴォルフは魔獣の牙や爪に何度も切り裂かれた。
多量に出血し、あっという間に血染めの冒険者が出来上がった。
ヴォルフも負けていなかった。
朦朧としながらも、錆び付いた剣技を懸命に振るい続けた。
用意していた毒草をベイウルフの傷口に塗り込むことに成功すると、次第に形勢は逆転していく。
互いに死力を尽くした。
結果、勝利したのはヴォルフだった。
だが、ただではすまなかった。
ヴォルフは昏倒し、しばらく意識が戻らなかった。
その間もレミニアは懸命に看病を続け、自分の知る限りあらゆる方法を用いた。
献身的な看病は、娘というよりは、もはや恋人のようだったと、村人は述懐する。
10日後、ついにヴォルフは目覚める。
レミニアは泣いて喜んだ。
治ったばかりの首にすがりつき、わんわんとわめき、これまでの不安を吐露した。
「レミニアは大きくなったらパパと結婚する」
といったのは、まだヴォルフが家のベッドで寝ている頃だった。
「……そ、それは光栄だね」
「でね。そしたら、パパを守る冒険者になるの」
堂々のパパをひもにする宣言だった。
戸惑いながら、ヴォルフは言葉を返す。
「そうか。なら、パパはレミニアを守る勇者になろうかな」
「うん。パパはレミニアの勇者になって」
レミニアが心底本気でいっていることは、ヴォルフにはわかっていた。
でも、その言葉を後々まで引っ張ることになるとは、さしもの“勇者”も予測不可能だった。