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はじまりは地獄のように

前下がりパッツンのルシアと、茶髪サラサラロングの杏が楽しそうに話をしながら登校してくる。だが、この二人は付き合っているわけではない。元の仲のよい幼なじみに戻っただけである。というのは、俺と池田の見解だ。

つまり、現在の杏はルシアを攻略してその好感度を維持したまま、次の攻略対象すらも、その可愛さを武器に虜にしようとしてるというわけだ。なんたることだ、杏以外の女がやってたら軽く犯罪である。杏はいいんだよ、杏だし。


「ちょとお、真中!」


杏をいやらしい目で観察していたのがバレたのかと思って、焦って杏から目をそらし、声のした方向に目線をうつす。そこには、茶色い髪の毛を高い位置でツインテールにした女の子が立っていた。この子は確か杏の親友の夏だ。


「はい、なんでしょう」



「僕がいない間、杏と仲良くしてくれたんだって?ありがとっ」


星マークが辺りに飛び散りそうな笑顔で、夏が微笑む。俺の後ろにいたモブ達がその笑顔にざわついている。

夏は美少女で、杏はそんな親友にちょっとコンプレックスを抱いているとかそんな設定があったことを思い出す。


一方の夏は男嫌いで、杏に近づく男達の悪い噂とか教えてくれる。次の海堂ルートは確かこの夏がよく情報をくれたはずだ。

これは仲良くしといたほうが、いいのかもしれない。


「別に、ちょっとご飯食べただけだから」


「まっ、もう僕がいるからそんな必要はないと思うけど!…身の程わきまえろよ」


前半は天使のようにかわいい声、後半からは抑揚のない低い声で、現実を突きつけていった少女は、はるかぜのように軽やかな足取りで登校して来た杏の方に駆け寄っていく。

横に立っていたルシアとの間に入って、二人の距離を物理的に開けるところをみると、あの夏という少女は杏目線でしか語られなかったゲームでは知ることのできなかった側面を持っているようだった。まあ、正直めっちゃ怖かった。


「なあ、真中」


「池田、お前いつから俺の隣の席に!」


今まで気にも留めなかった左隣の席に池田がいつものように気怠そうに座っている。

右隣が杏のことは、俺のこの世界にきて嬉しかったリスト第2位にランクインするのでおそらく生涯忘れることはないが、まさか池田か隣の席になっていたとは。


「なんか普通に座ってみたらさあ、もともとここの席だった佐々木くんは、俺の席に座ってるからいいかなあって」


「お前…なんて自由で横暴な…」


「まあ、そんなことより昨日言った通り、この世界は海堂ルートで確実だと思うんだよな。」


池田は真っ直ぐに前を見つめながらそう告げる。

いつも飲んでいるパックジュースの中身は空に近いのか、ジュースが苦しそうな音を立てていた。

池田の話は無視して、攻略サイトを開く。

『海堂 圭。杏(主人公)の一学年上の先輩で、学校1のプレイボーイ。ほかの女子とは違い、自分に興味を示さない主人公に興味をもつ』


その説明文の下、スクロールしていくと現れる男は、黒く艶のある髪の毛の合間からピアスの覗かせ、前髪部分をセンターで分けたやたら色気のある男だ。

ルシアとは違い、制服を着崩している姿はスクールカーストの上の方の人間という雰囲気を感じさせた。

そして、挑戦的に画面の向こうからこちらを見下している。


「おはよう、真中くん。池田くん。この間はありがとう」


いつのまにか夏とルシアと解散していた杏がいつものように穏やかな笑顔で、俺の隣の席に腰掛ける。

さらりと、白い肌にかかる髪の毛を耳にかけながら、杏が俺の方を見る。握られたように痛む心臓を抑えながら、笑顔で返す。



「おはよう、杏ちゃん」


「お、おはよう。あ、あ、んず」


池田があっさりと告げた挨拶に対して、俺は情けなく声が震えていた。

だが、杏から下の名前でよんでよいという市民権を得た上で、その名前を目の前にいる杏に対して呼びかけることができるというのは最高の時間だ。杏は微笑む。俺に対してだけ、向けられた笑み。


「杏ちゃんなんか疲れてない?」


池田がポロリとこぼした言葉に杏の目が弱々しく揺れて、困ったように微笑む。たしかによく見ると杏の目の下にはうっすらと、隈があった。


「本当だ!杏大丈夫か!?」


杏の肩をつかみ、顔を近づけるとどこかいつもより肌も荒れていて、疲労がたまっている感じがする。杏が驚いたように目を見開いて、その中に俺の焦った顔が写っている。


「おい、真中!お前なにしてんだ!」


ルシアが焦ったように俺と杏の間に入る。ふと我に返ってみれば、それも当たり前だった。それはキスできそうなくらいに近い距離だった。


「っ…!ごめん、杏!!」


「い、いいの!心配してくれたんだもんね…ありがとう」


杏が驚いたように胸に手を当てて、呼吸を整えている。ルシアは相変わらずこちらを強い目線で睨みつけている。


「まあ…いい。真中、池田!ちょっとこい」


「え、うそ。真中は現行犯として俺は無実じゃない?ねえ、杏ちゃ…」


「いいからこい!!」


ルシアが焦ったように池田の襟元を引きずって教室の外に出て行く。いつも無気力な池田も流石に命の危機を感じたのだろう。抵抗せずに、ルシアの力任せな誘導に身を任せている。

俺もはやくこいと、ルシアの睨みつけるような瞳の圧に導かれて足を動かした。


廊下には示し合わせたように人が一人もいなかった。ルシアは仁王立ちで俺のことをにらんでいて、池田は早くもこの状況に順応したのかそんなルシアをぼんやりと見つめていた。


「何か用ですか…」


「用がなけりゃお前らなんかに話しかけるか!」


ルシアの声が廊下に響くが、誰も特になんの反応も示さない。さすが、背景のようなモブたち。いちいちこんな事態に反応できるようにはできていないのだろう。


「ルシア〜どうしたんだよ。あれだろ?なんか聞いて欲しいことがあるんだろ?真中に」


「…ナチュラルに俺に押し付けるな俺に」


俺を指差す池田の細い指を掴んで握りしめてやると、「痛い痛い」とうそっぽい池田の悲鳴が響く。

ルシアは何か言いたいことがあるのだろう。何かを飲み込んで噛み砕いて、我慢しているような表情で俺たちを見つめている。


「あ、あんずがだな…」


まあそうだろうな。俺とルシアの共通点など、男であることと、杏にどちらも懸念していることぐらいしか思いつかない。言いにくそうに視線を惑わしているルシアの様子からは杏のことが心配でたまらないという感情が透けてみえていた。


「杏がどうかしたの?また喧嘩でもした?」


「またとかいうな!今回は喧嘩じゃない…そのだな…杏に…」


ルシアか動きを止める。その視線は俺たちの後ろにある教室の扉に集中していた。池田がその視線の先を追って、焦ったように俺に視線を戻す。みてはいけないものでもそこにいたのかというような反応に戸惑いを覚えながら、目線を俺も扉にむける。


「あんずちゃーん」



艶のある黒髪の青年が教室の扉をあけて、嬉しそうに笑ってその子の名前を口にする。

呼ばれた少女は少し、驚いたように体を震わせてから弱々しくその青年を睨みつけながら、それでも青年との距離を縮めていく。


海堂圭は嬉しそうに笑って、杏の肩に手を伸ばす。強引に体を引き寄せ、杏の耳元で何かを告げる。杏はまた泣きそうに瞳を揺らがせて、それから弱々しくその男を見つめる。


「…海堂圭。お前らもその噂くらい知ってるだろ。杏のやつ、あいつと」


ルシアが言いにくそうにもう一度、息を吸う。そして、何かを覚悟したように息を吐く。


「付き合ってるらしいんだ」


重々しいその言葉に俺はどう返していいかもわからず、ただ杏の隣で笑うその男を見つめるしかなかった。

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