ルシアと杏
杏はいつも俺の後をついて歩いてきた。俺にどんなに冷たいことを言われても、俺の後ろをついてきてくれた。振り向いた時に誰かがいてくれるという安心感を、俺は杏の存在に教えてもらった。
俺は言葉を選ぶのが得意じゃないから、きっと何人も俺の言葉で傷ついているという現実を知っていた。きっと、一番側にいてくれた杏は一番俺の言葉に傷ついている。それを知っていて、俺の近くで笑ってくれている杏の存在に俺は安心感を感じていたのかもしれない。
だから、杏が俺に対して始めて反抗した時、もう杏は俺のそばにはいてくれないのだろうと思った。杏が俺の言ったこととはちがう行動をしたことに、戸惑ってそれから、どうしようもない寂しさを感じた。
きっともう、杏は俺のそばにいてくれない。
そう思って、それを覚悟した。していたのに。
「ルシア…話があるの」
俺の前にたつ杏は頼もしい。
小さい頃、よく女みたいだといじめられていた俺を、助けてくれていたのは他でもない杏だった。そんな強い杏を俺守らなければと思ったのは、あの事件の時だった。
誰も嫌いになることを許されていない優しすぎる彼女に、この世界はきっと辛いことばかりだとそう思ったから。
「…話って?」
教室には誰もいない。夕焼けが教室をオレンジ色に染め上げているだけだ。そのせいか、杏の頬はいつもより朱色に染まっているような気がした。
「ルシア私ね、ルシアに守られなくても大丈夫だよ。それを伝えたかったの」
「…わかってる。もう、俺のお節介はいらないってことだろ」
「ちがうよ。私ね、ルシアと対等になりたいの。ルシアが困った時は私が助けたいと思う。だって、私たち幼なじみでしょ。幼なじみって、うまくいえないけどすごく大切だから。ルシアの負担にはなりたくないの」
杏は意を決したように俺をまっすぐに見つめる。その瞳には、力強さがあった。もう、俺の後ろをついてきていた少女のか弱さはない。女性の強さがあった。
「ルシア、私大丈夫だよ。でも、ルシアがいないとたぶんまた間違えちゃうと思うからそばで見守っていて欲しいの…」
「杏…」
目の前の少女は俺の言葉を待っている。きっと、それがどんな言葉でも彼女は受け入れて前に進むのだろう。
「俺は別に杏のこと心配してるわけじゃねえよ。ただ、目の前であたふたされてるとどんくさいから忠告してやってるだけ…ただまあ、これからもそうしていいなら…そうする」
「ルシア…!うん、そうして!」
杏が嬉しそうに笑う。その背に腕を回して杏の体を抱き寄せる。細くて小さく華奢な体。でも、彼女はいつだって俺を守ってくれる。杏がそばにいるだけで俺はなんだってできる気がした。
いつだって守られていたのは、情けないことに俺の方だったのに。
杏は驚いたように口を開く。幼い頃、いたずらで眠る杏の頬にくちづけようとして、勇気を出すことができなかったことを思い出す。
その一歩を今なら、踏み出せるような気がした。