モブの俺と可愛い彼女と時々過保護イケメン幼なじみ
唇に、無機質なシャープペンが添えられる。柔らかい唇はその衝撃で、形を変えている。
杏は少し悩んだように眉を八の字にした後、思いついたようにシャーペンを動かしていく。
杏の悩む時の癖なんて、ゲームの画面には一度も表示されたことはなかった。その彼女の一面を間近で、俺が発見している。それがこの世で一番尊い発見のようにすら、思える。
「どうかしたの?真中くん?」
ずっとこちらを見ていた俺の視線が気になったのだろう。杏が伺うように、横の席にいる俺を覗き込むように上目遣いでその瞳にうつす。
俺は慌てて首を横に振って、黒板に視線を戻す。そんな俺を横から刺すような視線が見つめてくる。その視線の主が、ルシアなことはわかっていた。
ため息をひとつ、はきだして、授業が始まって20分ばかりたっているというのに、真っ白のままのノートに書き出していく。
俺は今、ルシアと杏がくっつくはずの世界線にいる。ルシアは杏の幼馴染で、ツンデレ属性。ハッピーエンドは二種類ある。
一番いいハッピーエンドは確か、幼なじみとしてではなく、彼氏として杏の両親にルシアが挨拶に行くところで終了する。もう一つのハッピーエンドは杏とルシアが幼い頃、結婚の約束をした夕焼けの見える丘で微笑み合うエンディングだった気がする。
そして、バッドエンドは一種類。結局、今の関係のまま仲が進展しなかった場合、なぜか学校に強盗のような男が入ってきて、教室の生徒をどんどん刺し殺していき、杏を刺し殺そうとする。その際にルシアが杏をかばって、死ぬ。
杏は生き残るが、ルシアに想いを伝えられなかったことを後悔するというエンドだった。
ドキラバには、強制的にバッドエンドにいく選択肢がひとつだけ、各ルートに存在する。
その男が乱入してくるのは今と同じ、数学の時間だった。あれから数日たったが、数学の時間に男が乗り込んできていないということは、杏はその地雷の選択肢を選んでいない。
まず、杏が生き残って、俺も生き残って、俺とのハッピーエンドを迎えるためには、その選択肢を選ばないように杏を導くことが必要だ。
乙女ゲームというのは意外に初心者には難しく、地雷選択肢は安全そうな無難な選択肢であるため、選びやすいのだ。そして、プレイヤーは絶望する。
俺も何回も地雷を踏み、杏を殺してしまった。
だが、今俺には攻略サイトがついている。
ここでは、地雷選択肢は赤く表示されていたはずだ。それをチェックして、それとなく杏にその言葉は言わないように伝えればいい。
そこまでを一つ一つの単語にして、丸に囲んで、つなげていく。だが、杏と俺を囲んだ丸だけは繋がることはなかった。
まず、俺は杏を傷つけたことのあるモブという立ち位置だ。そんな俺が、杏に対して忠告をしたとして、それが杏に受け入れられるか?
第一、この言葉をルシアに言っちゃダメだよなんてどう伝える?
杏の方を見る。杏は俺の悩みなんてもちろん、知らない。知らないから、まじめにノートに可愛らしい丸文字で数式をうつしていく。
俺はシャーペンを赤いボールペンに握りかえて、杏と俺を囲む丸同士を結んでみる。
赤い線で結ばれた俺たちは、どこか結ばれた恋人みたいに感じて、頬が緩む。
伝えなければならない。俺がどうして、ここに、名もなきモブとして自我を持っていることができるのかはわからない。わからないけど、杏が普通にハッピーエンドを迎えたり、杏が死んだり、俺が死んだりした際、次のループにきりかわったさいに、俺がここにいるとは限らない。
現実に戻ることができるか、それとも現実の俺は死んでいるかもしれないから、二度と目を開けることはできないか。それは、わからない。
杏がバッドエンドになってしまえば、俺は死ぬ。そして、次の世界で杏に会えるかはわからない。だとしたら、この世界でやるしかない。伝えられるとか、信じてもらえるとかそんなことを気にしてる場合ではない。
俺は何としても杏を、杏と俺のハッピーエンドに導く!