第三話 揺らぐ炎
誰一人として彼の知り合いはいないこの地で唯一彼を知っているのは白川郷だけだった。
此方へ来いと呼ばれているような気がして、自然と足が前に出る。
引き戸を開け、中に入ると床と靴下が擦れる音がして、女将さんらしい女性がやって来た。
「いらっしゃいませ、お待ちしておりました。荷物をお預かりしますね。」
らしいではなくそのものだった…
簡単な手続きを済ませると早速夕食をとる場所へと案内してくれるという。
私は靴下の擦れる音を楽しみながらついて行く。
玄関から直ぐのその場所には囲炉裏があり、それを囲みながら夕食をとる中年の旅行客が二、三いる。
話声に混じりながら聴こえてくるパチパチという炎の声。
私は揺らめく炎につい見とれてしまった。
それを見ていた女将さんはどこか感心したような表情で、中年の男女の方を見て「彼方でお待ちください、今準備しますから。」と言う。
別の方を見ると長い机で一人夕食を食べ終えた女性が席を立とうとしている。
その女性は二十代前半だろうか、とても整った顔立ちをしているのだが、目元はどこか悲しそうだ。
女性が黒髪を揺らしながら去っていく様子を私は思わず目で追ってしまった。
名残惜しいが取り敢えず女将さんの言う場所へと向かった。
揺らぐ炎は、最低限に抑えられた灯りのおかげで風情を保ちながら燃えていた。
薄暗い部屋の中、三人の男女はにやにやしながら「此方へ来なさいよ、お兄さん。」と言っているような目で私を見ていた。
賑わっているところ邪魔するのは気が引けると思う私だが、向こうから誘ってくるようなら別に躊躇うことはない、少し照れるが決心して囲炉裏のある畳へ腰を下ろした。