第二十話 風と共に先へ進む
前話からだいぶ空いてしまいました。一応続きです。やや時間差はありますが話を進めようかと。
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——「白川郷」——そこは僕にとって数年来の憧憬の地であり、たった今、白いワンピースを着て黒髪とともにフリルを靡かせる見目麗しい女性——百合——と共に歩んでいる地でもある。
以前なら想像もつかないであろうこの状況に内心焦りつつも、同時に幸せであると感じている。
現実の立ち行かない状況に焦りを感じ厭世的になっていた僕は、貯金を切り崩し半ば自棄になってこの地へと足を運んだ。
そんな滞在生活一日目の夜、物憂げな表情を浮かべつつ、揺らぐ炎の影をまとう百合の姿がどうにも堪らなくなって、悶々と夜を過ごし、一か八かで翌朝の朝食の機会に声をかけたのが彼女との出会いだった。
最初は彼女の警戒心を肌で感じ、いたたまれなさを覚えていたが、ある時その警戒の内側に入れた気がして、二人の間の空気がぐっと和らいだ。
そんな共通の滞在目的こそが「現実逃避」であった。
お互いが世の中に嫌気が差し、この白川郷に救いを求めていたのである。
それからというもの、瞬く間に打ち解けて、僕と彼女は傍目から見れば恋人のような関係性を築いていた。もちろん、自分でいうのも何だが。
そして、今何をしようしているのかといえば、川遊びである。
「そんな子供みたいな」とか、「カップルのいちゃつきだ」とか意見は様々だと思われるが、僕たちは子供でもなければカップルでもない。
だからこそなのだ。
年甲斐もなくはしゃぐことはある意味現実社会の固定された価値観を打破する反抗であるし、カップルのように振舞えば距離も近づくだろう。
などと高尚なことを抜かすつもりもない。ひねくれ者の戯言だ。
僕たちはただ遊びたかっただけである。それに百合も提案に乗ってくれた。
言い出しっぺよりもはしゃいでいる彼女の姿にものすごく癒されている。
川への往来は少なく、静けさの中に風情が感じられるのもまたいい。
にしても百合はこの白川郷の雄大な自然に映えていて、とても絵になる。
そこでふと歩みを止め、前方を行く百合の後姿を田んぼを背景に一枚撮ってみる。
素人でも撮りやすいスマホのカメラには空の青さと百合の白さ、山々の緑がコントラストを作り上げ、とてもいい一枚が撮れた。
「なにしてるのー。早くいきましょう」
笑顔こちらに手を振る百合。そこでもう一枚。最高だよ女優さん。
「あ、勝手に撮ってるわね。もう」
「ごめん。一度だけだから見逃してください。もうしません」と冗談交じりに言うと、彼女は画面をのぞき込み、逆光でやや暗い画面をまじまじと見る。
「上手ね。あとで送って」
「もちろん。まあ、百合さんが絵になるから、どう撮ってもいい写真だけど」
「そうね。私で下手な写真なんて撮るのはよほど下手なのね」
冗談交じりに言うも、その口調からは自負もうかがえた。伊達に美人をやっていないというわけか。
しばらく歩くと橋が見えてきた。
僕はこの橋を知っている。
幼いころよく渡った橋だ。
だが、ただの橋ではない。
「いきましょ、きれいな景色が見えるわ」
「百合さん、あんまり急ぐと……」
グラグラと揺れる橋は幅も狭く、それでいて長い。
ここまでくるとつり橋効果だなんだと考える余裕もない。
「もしかして、こわいの?」
「いえいえ、滅相もございません」
ついつい我を忘れてキャラ崩壊。
「話し方が変よ。よっぽどこわいのね。いいわ」と、彼女がこちらに手を差し伸べる。
「え」
「ほら、いいわよ」
「でも」
僕たちは恋人ではないんだ。告白なんてしていないし、一夜の関係も結んでいない。
出会ってまだ数日だし。なんてことは気恥ずかしくて言えなかった。
「ありがとう」
そういって、遠慮がちに彼女の手首をつかむ。彼女の厚意を無下にはできない。
「いいのよ、気にしないで……もう」
すると、彼女はじれったいような顔をして、僕のつかんでいる方の腕を上げ、何かを促す。
そこまで言われて気づかぬバカではない。
手首から彼女の柔らかく繊細な手を握り、指と指を交わらせた。
いわゆる恋人つなぎだ。
彼女はこれまでとは一変、恥ずかし気にうつむきつつ、笑みをこぼしていた。
「これでいい?」
念を押すように、恥ずかしさなど知らぬふりして、余計なことを言うと。彼女は無言でうなずいた。
さっきまでの年上の余裕、或いは少女のようなはつらつとした態度はどこへやら。
恐怖は消え、ただただうれしさだけが込み上げる。
「行こう」
「ええ」
川のせせらぎが耳に心地よく響く。
風のそよめきが肌をかすめる。
手の温もりに汗が混じって、緊張していることを理解する。
あれだけ長いと思われた橋も、終わりはもうすぐ。
この橋を何度もわたり続けるループがあったとして、もはや苦ではあるまい。もっとも彼女にとっては……などと邪推してしまうが。
「着いたね」
「あっという間ね」
二人は特に何かを言うまでもなく、橋を渡り切った後も止まらずに目的地へとゆっくり歩みを進める。それも、手を放そうとしないまま。
二人は互いに握ろうと力を込めている。もちろん優しく。
そこに言葉はなくとも、二人の関係は橋を渡る前よりもより親密になっていることを物語っていた。
言い知れぬ安心感と、してやったという達成感。
ここまで来るのに失ったものも多かったが、そんなものどうでもいいと思えてしまう。
彼女がいれば。
白川郷に吹く風は僕たちの背中を優しく押し出してくれた。
そんな風に思いつつ、川辺にたどり着くと、彼女は僕の手を引っ張って「行きましょ」と少女のような笑みをこぼしながら、駆け出した。
改行とか色々を全話統一したいものです。
なんとなく書いてるとうっかり忘れているみたいで。




