壊れた橋の先 2
ミシェル。
優しい擦れた声が耳元でして、
頭を撫でる大きな手の、覚えのある感触がして、
体は地に沈み込むように重くて、目をひらくのも面倒で。
それでも私は目を開けた。
「ミシェル」
ボスが私の枕元にへばりついていた。
シャツの襟はよれよれで、髪もぐしゃぐしゃ。
こんなボスは見たことがない。
「ボス?」
ボスが泣き笑いのような変な顔をした。
ハンサムが台無し。
「ミシェル、よかった」
ボスの声は擦れていた。
私はボスの頭を撫でようとして呻いた。
右手が動かない。
そうだ、そういえば、撃たれた。
右肩から先の感覚がない。
右肩を撃たれたのか・・・。
「ミシェル、本当によかった」
よくない。
私は右利きだ。
このまま感覚が戻らなければ、もう、用心棒として銃は撃てない事を意味している。
「死んでしまうかと思った。よかった」
単に麻酔が効いているだけなのだろうか?
それとも・・・?
私は白い天井を睨んだまま細く息を吐いた。
「ミシェル、苦しいのか?ドクターを呼ぼうか」
「いい、大丈夫」
ボスの方をみていう。
ボスを安心させようと、左腕を伸ばそうとして、呻く。
右肩をやられただけで、左腕を上げることも困難だとは。
体はつながっているんだな、と奇妙なことに感心した。
「ミシェル、大丈夫か?」
私は体を動かすのをあきらめた。
「大丈夫」
ボスを安心させるために笑ってみせる。
「大丈夫だから」
涙があふれた。
全然大丈夫じゃなかった。
不安だった。
もう、用心棒としていられないかもしれないという不安。
はっきりわかった。
怖かった。
居場所がなくなることが。
私はアキラでもアンナでもロレンツィオでもなく、ただの役立たずだった。
一人ぼっちになりたくなかったのだ。
ちょっとでもいい、ボスの役にたちたかった。
泣きじゃくる私を、ボスは必至に慰めようとした。
「痛いのか? 大丈夫か? ドクターを」
相変わらずとんちんかんな事をいっている。
いつも、ボスはとんちんかんだ。お父さんと呼べといったり。留学しろといったり。
ドクターを呼びに行こうとするボスを止めた。
「違うの。痛くない。行かないで。一人にしないで」
ボスは浮かしかけた腰を下ろした。
「撃たれて怖かったのか? そうだよな。怖かったな」
違う。ボスは一生懸命頭を撫でてくれる。違うんだってば。
ほんっとうに、馬鹿じゃないの? 撃たれるのが怖くて用心棒が務まるかっていうの。
そりゃ、・・・今思えばちょっと怖いけど。
怖いのは、心の拠り所となる場所がなくなること。
私は泣き続けて、ボスは慰め続けて。
「ちょっと! 患者を疲れさせないでちょうだい。さっさと部屋から出ていきなさい」
体格のいい看護師が現れて、ボスを追い払った。
ボスはよろよろしながら出て行った。
「おきたのね。検温の時間よ。あと、点滴しようね」
看護師はほがらかな感じでいい、体温、脈拍、と私が生きていることを確認する。
「あの、腕は・・・弾は貫通しているんですか」
「ああ、後でドクターが説明してくれると思うけど。弾は貫通していたし、場所も悪くないみたいだよ。流れ弾が当たったんだって? 怖かったね」
窓からは明るい光が差し込んでいた。
「・・・」
私は随分と遠くにいるのを感じた。
アキラやアンナの世界とも、平和な日常とも。
どちらにも戻れない所で立ち尽くしている。
私は窓の外を見ていた。
明るい光の中を鳩が横切っていく。
看護婦は丸々と太った指で器用に点滴の準備をしている。
「それにしてもあんたの見舞いの人、いい男が多いわね。やたらでかいけど」
そういって私の腕にぶっすりと点滴の針を刺した。
痛い。撃たれておいて、今更だけど。
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