野湯
空を見上げると空から白いナニカが降ってくる。
ナニカ。
コレはナニカ?
チラチラ。
チラチラと。
降ってくる。
白い。
白い。
雪。
ああ。
雪か。
またも白い雪が降る季節にになった。
吐く息で白くなった眼鏡を拭く。
「寒い」
雪は横断歩道を白く染め上げる。
一面白く柔らかい綿の様な地面が出来る。
白い大地。
白い大地を踏み前に前進する。
大地に僕の足跡が出来る。
今年も冬がきた。
冬。
この季節になると僕は、あの時の事を思い出す。
ガラン沢の事を。
初めて聞いたのは数年前の事だった。
山岳遭難にまつわるネット上の噂を聞いたのは〇チャンネルと言う場所だった。
遭難の名所という怪しい話で盛り上がっていた。
その遭難の名所に行ってきたと言う猛者が書き込みがしたのが始まりだ。
人里離れた山奥にそれを見つけたらしい。
未到達温泉を。
谷間にある沢。
魔のガラン沢を。
そこに野湯が有るらしい。
天然の温泉。
温泉好きな僕は是非とも入浴したいと思った。
だが問題は有る。
遭難の名所と呼ばれる沢。
ガラン沢に野湯は有るのだ。
初めて「ガラン沢」の名を聞いたのは5年ほど前。
山岳遭難にまつわる〇チャンネルの会話でその地名が出てきた。
「魔の谷」
「人喰い沢」
『遭難の名所』
人里離れた山深いエリアの、谷間に沢も流れている所に有った。
未到温泉が有る沢の名前こそが「ガラン沢」だ。
つてを頼り調べてみるとガラン沢には野湯があるらしい。
未到温泉を探しに行く前から既知の野湯があるとわかったのは僥倖だ。
そこで一度行ってみたら最高だった。
うん。
最高だった。
そこに自分以外の人さえいなければ。
野湯だよな?
何でこんなに入浴してる人が多いんだと言いたい。
それはそれで楽しんだが釈然としない。
そんなわけで野湯から戻った僕だがどこか不完全燃焼気味だ。
なので今度こそ未踏温泉に至る準備を始めた。
とはいえだ。
相手は「魔のガラン沢」。
生半可な準備ではたどり着けないだろう。
数年前に未踏歩の温泉があると知っても、これが先送りし続けた理由だ。
更に数年後、ついに準備が完了しガラン沢へ向かうことにした。
十分な準備と、其れに登山のベテランとの同行交渉成立でついに決断に至った。
今なら遭難を避けられると確信したからだ。
ただ相手は『遭難の名所』だ。
どれだけ準備しても遭難する可能性が高い。
失敗すると思った段階で迷わず帰還しようと思う。
ベテランの登山同行者に従えば遭難の可能性は更に低くなると思うが。
出発の日の朝は、やけに静かだった。
雪は昨日の夜から続いたらしく一面銀景色だった。
しんとした空気。
吐く息が白く漂う。
同行してくれるベテランの登山者の山田さんは装備を確認し此方を見た。
「遭難の名所に冬に行きたいなんて自殺志願者としか思えんぞ」
「それでも行きたいんです」
「未踏温泉に行きたいね~~それ程の物かね」
「僕には価値の有る物なんです」
「その結果が死でも?」
「……」
確かに。
でも僕は猛烈に行きたい。
何故か。
「こちらとしては金さえ貰えば何も言わないけどな」
「すみません」
「ガラン沢は“普通の山”じゃない」
「……」
「俺だって大金を貰わなければ行きたくない所だ」
「それは……」
「ましてや冬だ」
「はい」
「ベテランの俺だってヤバイ」
その言葉に、覚悟が鈍る。
だが未踏の野湯に行きたいという欲求には抗えない。
何故か。
そう何故か。
なぜ僕は命の危険を冒してまで行きたいのか分からない。
そんな迷いを胸に秘めたまま出発した。
けれど、実際に雪の山道を前にすると、覚悟というものが揺らぐ。
白い世界。
白い。
白い。
白銀の世界。
冷たくとも美しい世界。
だが、其処は冷たさと無慈悲な何かで成り立つ美しさだ。
ザクッ。
ザクッ。
山田さんの雪を踏む音が響く。
ザクッ。
ザクッ。
規則的な音が、響く。
ザクッ。
ザクッ。
背後に規則的な音が、響く。
背後を振り向くと更に別の登山者が居た。
細身の登山者だ。
青白い顔をした女性が二人増えていた。
進行方向は僕達と同じだ。
目的は未踏の野湯だろうか?
無視して前を歩く。
ザクッ。
ザクッ。
奇妙な不安を感じさせた。
ザクッ。
ザクッ。
背後に規則的な音が、響く。
背後を振り向くと更に別の登山者が居た。
見慣れない顔の登山者だ。
青白い顔をした男性が三人増えていた。
おかしい。
この人たちは何時合流したのだろうか?
妙な不安感がする。
気のせいだろうか?
前方の山田さんは後ろの事など気にも留めず進む。
流石だ。
流石はベテランと言うべきだろうか?
それに比べ自分はどうだ。
些細な事に不安に駆られるなんて。
僕の経験の浅さが不安を煽るのだろう。
……そう信じたい。
ザクッ。
ザクッ。
背後に規則的な音が、響く。
背後を振り向くと別の登山者が増えて居た。
六人目だ。
六人目の登山者が居た。
いつの間にか。
全員進行方向は僕達と同じみたいだ。
恐らく目的地は未踏と僕が思い込んでいた野湯だろう。
失敗だったか?
未踏の野湯と思ったけど違うのか?
「ここから先は道らしい道はない」
山田さんが僕に声を掛けてきたのは御昼前だった。
「沢沿いに進むが雪の所為で進めないかもしれん」
「はい」
「それでも行くか?」
僕を覗き込むような視線。
まるで僕を試すような発言だ。
当然だろう。
これから先は本当の命がけ。
たかが未踏の野湯に入る為だけに目指す何て馬鹿げてる。
そう……言外に誰かが語ってくるように僕の心に聞こえてくる。
「……お願いします」
「……分かった」
雪の向こうに広がる白い世界。
その先に噂の“魔の沢”が、存在する。
恐怖に震える僕。
だが其れ以上に未踏の野湯の存在に期待が膨らむ。
曇った眼鏡を拭こうとして違和感がした。
服の裾から見える僕の手首の血管が濁った様に黒かった。
ナゼカ。
「……」
此方を再び振り返り僕の顔を見た山田さんは凍り付いた。
ナニカ悍ましい物を見るような目で僕をみた。
正確に言えば僕達七人を。
山田さんを除く七人を。




