影界の番人
扉の向こうは、異様な静けさに満ちていた。
地下神殿の最奥。
そこは、祈りの場というより――生贄の祭壇だった。
「……空気が、重い」
イリスが低く呟く。
床一面に刻まれた魔法陣。
黒と赤が混ざり合った紋様が、脈打つように淡く光っている。
「影界と、常時接続状態だな」
セオディアスは、一歩足を踏み入れた。
その瞬間――。
ぐにゃり、と空間が歪んだ。
「来るぞ」
床から、影が盛り上がる。
人の形を模しながら、途中で崩れ、また組み直される。
――顔が、ない。
あるのは、裂けた口だけ。
「ギ……ギィ……」
不快な音を立て、影の塊が立ち上がった。
「影界の番人……召喚獣ではありませんね」
「自律型だ」
セオディアスは、蒼い短剣を構えた。
「命令は単純だ。
侵入者を排除しろ」
影が、跳んだ。
速い。
人の動きではない。
だが――
「遅い」
セオディアスは一歩も退かなかった。
刃が閃く。
蒼い光が、音もなく走る。
次の瞬間、
影の腕が切断されていた。
「ギィィ――!」
だが、影は崩れない。
切り落とされた腕が、床を這い、再び本体へ戻ろうとする。
「再生能力あり。
核を叩かなければ無意味です」
イリスが即座に分析する。
「わかっている」
セオディアスは、目を細めた。
(……核心は、魔力の共鳴点)
蒼い蝶が、一匹――
影の胸元を旋回した。
「そこだ」
セオディアスが踏み込む。
影が迎撃に来るより、速く。
短剣が、胸の中心を貫いた。
「――《音断》」
小さな音。
だがそれは、
影界にまで響く破壊音だった。
影の身体が、内側から弾ける。
黒い霧となって、悲鳴もなく霧散した。
「……消滅、確認」
イリスが息を吐く。
「これが、蒼薔薇家の音霊術……」
「まだ終わりじゃない」
セオディアスは、短剣を下ろさない。
「番人は、複数いる」
その言葉通り、
魔法陣が再び光を強めた。
「ギ……ギギ……」
二体、三体。
影が、次々と立ち上がる。
イリスが舌打ちした。
「数で押すつもりですか」
「……だが」
セオディアスは、静かに言った。
「ここまで来たということは――」
彼の視線が、神殿奥の祭壇へ向く。
「儀式は、もう始まっている」
祭壇の中央。
まだ誰もいないはずの場所に――
血の痕が、残っていた。
新しい。
「……リリアナは、まだ連れてこられていない」
イリスが言う。
「だが、時間はない」
セオディアスの声が、低く沈んだ。
「クレイン卿……
お前は、本気で彼女を壊すつもりだな」
影たちが、同時に動く。
包囲。
逃げ場はない。
だが――
セオディアスは、微笑った。
それは、優しさではない。
狩る者の笑みだった。
「イリス」
「はい」
「派手に行くぞ」
「承知しました」
影が、迫る。
次の瞬間――
神殿全体に、蒼い光が走った。




