地下神殿の扉
王都の地下には、古い空気が澱んでいた。
かつて封印された遺構。
今では、王城の者ですら存在を忘れつつある場所。
――地下神殿。
「……間違いないな」
セオディアスは、薄暗い通路の奥を見据えた。
足元には、蒼く淡い光を放つ蝶。
音霊の蝶が、微かな魔力の流れを示している。
「この先に、儀式場がある」
「王太子殿下が表向き触れていない場所ですね」
背後から、イリスが静かに言った。
銀髪の少女は、気配を完全に殺している。
影に溶けるその姿は、もはや暗殺者のそれだった。
「影界の力を使うには、表の神殿は都合が悪い」
セオディアスは、指先で壁をなぞる。
古い魔法陣。
かすかに残る、歪んだ魔力の痕跡。
「……クレイン卿が関わっているな」
「はい。
洗脳系魔術の痕が確認できます」
イリスの声は淡々としていた。
「対象は一人。
若い女性……高位魔力保持者」
セオディアスの瞳が、冷たく細まる。
「リリアナだ」
拳が、静かに握られた。
怒りはある。
だが、それ以上に――焦り。
(時間をかければ、心は削られる)
洗脳は、完全でなくとも危険だ。
揺らぎが続けば、やがて本当の意思が失われる。
「急ぐ」
セオディアスは、外套を翻した。
「だが、突入はしない」
「……救出ではなく、証拠集めを優先なさるのですね」
イリスが確認する。
「ああ」
セオディアスは頷いた。
「王太子を倒すには、正面からでは足りない」
王族。
次期国王。
ただ斬るだけでは、
リリアナは守れない。
「儀式の全容。
影界との契約内容。
洗脳魔法の記録」
一つずつ、言葉を重ねる。
「すべてを揃えて、逃げ場を塞ぐ」
イリスは、わずかに口角を上げた。
「……さすがは、蒼薔薇の子爵」
「皮肉か?」
「いえ。
優しい方だと、思っただけです」
セオディアスは、一瞬だけ視線を伏せた。
「……彼女を、もう泣かせたくない」
その言葉に、嘘はなかった。
▫ ▫ ▫
神殿の最奥。
巨大な扉が、二人の前に立ちはだかる。
古代文字。
血で描かれたような、赤黒い魔法陣。
「……開けられますか」
「問題ありません」
イリスが手をかざす。
影が、蠢いた。
だが――
「待て」
セオディアスが、低く制した。
「……誰か、いる」
扉の向こう。
微かな気配。
人ではない。
それでいて、
確かに意志を持つ何か。
「……影界の守護者、ですね」
イリスが囁いた。
「儀式の番人だ」
セオディアスは、蒼い瞳を細めた。
「……想定より、深いところまで踏み込んでいるな、アルベルト」
王太子の名を呼ぶ声に、感情はない。
あるのは――決意だけ。
「イリス。
ここから先は、危険だ」
「承知しております、主」
彼女は、短剣を抜いた。
影が、刃に絡みつく。
セオディアスもまた、外套の内から一本の短剣を取り出す。
蒼い魔力が、静かに刃を包んだ。
「行くぞ」
扉が、軋みを上げて開く。
その向こうで――
すべてが、動き始めようとしていた。




