2 路地裏の違和感
(*+ - +*)< 日本での初日。平和の始まり――にはならず。
学校のチャイムが鳴り響く。
数週間(俺にとっては十年間)ぶりの授業は、驚くほど退屈で、驚くほど平和だった。
因数分解も、古文の助動詞も、英語の文法も、異世界で習得した古代魔法の術式構成に比べたら、可愛いらしいものだ。ただ、数週間の内容が抜けている他、異世界の価値観が妙な方向に機能しているため、内容はほぼ分かっていない状態に近かった。なんというか、難しい内容を学びすぎて、基準がおかしくなってしまったみたいだ。
そして、給食は相変わらず美味しかった。久々に食べた魔物肉以外のタンパク質に感動してしまった。
フルーツもめちゃくちゃ美味しかった。甘味処のほとんどない異世界で甘いケーキや果物を何度、欲したことか。もちろん、クラスメイトのいる前で泣くわけにはいかなかったので我慢したけれど。
「陽斗、一緒に帰ろ。今日こそスマホの設定、全部終わらせるよ。」
隣の席で凛が声をかけてくる。
しかし、俺の神経は朝から感じている『違和感』に向けられていた。
「悪い凛、今日は先に帰ってくれ。...ちょっと、寄りたいところがある。」
「えー?いいけど、病み上がりなんだから、あんまり遠く行かないでよ?おばさんに怒られちゃう。」
「わかってる。」
心配そうに眉を吊り上げる凛に一瞬だけ視線を向けて、俺は校門を飛び出した。
***
向かったのは、朝に魔力を感じた、あの路地裏。
夕暮れの影が伸びるその場所は、一見何の変哲もない。しかし、十年間で練り上げてきた『魔力探査』が大きく反応を示していた。スキルを一点に集中させると、確かな歪みを感じる。
「やっぱり、ないはずのなにかがある。この世界にあるべきじゃない、なにかが...。」
小さな歪みは、今にも破れそうな膜のようだった。
微かだが、小さく空いた穴の中から、魔力が漏れ出ている。
――ギチ、ギチギチ
不快な音とともに、中から魔物が飛び出す。
巨大な蜘蛛のような巨体が視界いっぱいに入ってくる。大きさは、軽自動車より一回りか、二回りくらい小さい。赤く鋭い六つの目が、真っ直ぐにこちらを見つめている。
(『シャドウ・スパイダー』か。向こうだったらFランクでも倒せる雑魚だ。でも...)
ここは日本だ。魔法を使える人間はいない。
放置すれば、新聞の一面を大きく飾り、数十人の死人が出るだろう。ここで、倒さなければならない。俺の中の勇者の幻影が、その聖剣を振るおうと構える。
「悪いが、ここはお前の来る場所じゃない。」
その言葉を理解したのか、していないのか、『シャドウ・スパイダー』は足を小さく揺らした。アスファルトの地面がバターのように切り裂かれる。
――攻撃が来る。
思考が働いて約0.5秒。こちらに向けられた敵意が鋭い爪とともに襲いかかる。
咄嗟にスクールバッグを盾代わりに構える。中に入っている教科書が引き裂けても構わない。ただ、装備も武器もない今、この攻撃を生身で受けたらまずいと、直感的に判断していた。
「身体強化・極!!」
神様が何を残して、何を消したのか、俺自身よく分かっていない。
しかし、意識せずとも自然と、その呪文を唱えていた。
――どうにでもなれ。
衝撃に備える。バッグが粉砕された瞬間、トドメを打ち込む。
そうすれば、極力被害を抑えられるはずだ。
――ズドオオオオオン!!!
「...は?」
陽斗の予想に反して、壊れるはずのバッグは無傷だった。
それどころか、魔法を撃ち込んでいないのにも関わらず、魔物は小さな光となって消滅していた。
「これって、どういう...。」
バッグを観察する。特別なものはなにもない。
強いて言えば、聖剣グラムを模ったキーホルダーがついているくらい。
『身体強化・極』の加減を間違えて魔力で魔物を粉砕してしまったのだろうか。
...よくわからないが、まあいいだろう。
「こっちの体だと、出力に慣れないな...。」
先程までの歪みは、いつの間にか消えている。
元に戻ったという認識で正しいだろう。
それにしても、俺の平穏な生活はどこへやら。
これ以上、魔法を放つような事態にならないといいけど...。
「う、嘘...あんた...そ、れ......。」
物陰から、震える声がした。
そこには、俺を心配して追いかけてきたであろう凛が、地面にへたり込んでいた。
...最悪だ。索敵を攻撃に集中しすぎて、背後の気配に気づくのが、一瞬遅れた。
「凛、いつからそこに...。」
「全部、見たわよ...。光って、怪物が出てきて、それを、陽斗が、吹き飛ばして...。」
俺は天を仰いだ。
日本に帰ってきた初日。
俺の「隠れチートな学園生活」は、開始数時間で早くも崩壊の危機を迎えていた。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
次回、凛にどう言い訳するのか。彼の選択は、いかに。
(*+ - +*) < 次の更新は、明日の朝、8:00です。




