遊女のあそび
女性蔑視、性暴力の記述があります。
一.始まり
とある豪商の、屋敷の奥向きの間。
お嬢様の部屋から、絹を引き裂くような悲鳴があがった。
錯乱するお嬢様の足元には、握りつぶされた紙が落ちていた。
「御機嫌よう お嬢様におかれましては御健やかにお過ごしのことと存じ上げます。
近々、結婚されるとの由、まことにおめでたく存じます。
私はと申しますと、追い借金で年季が延びたと聞かされました。
この先、何年、何千回枕を重ねなければいけないのかと、絶望に暮れております。
甲斐性のない夫との暮らしは、あなたの実家が支えるのでしょうか。
私の血と涙が染みこんだ金は、せいぜい嫁入りの衣裳に化けるくらいでしょうに。
銭がなければ素直にすべてをあなたの家に頼ればいいものを、格好つけてこれくらいは自分が出すとでも申しましたか。
いずれあなたの実家が傾いたとき、あの男は『一時の辛抱だ。俺を愛しているなら、支えてくれ』と頭を下げて、あなたを遊郭に売りはらうに違いありません。
その折りには、私の仲間入りにございますね。
そうして、しばらくしたら、あの人は次の女を娶るのです。すっかり無かったことにして。
ああ、地獄。
まるで蟻地獄のよう。懸命に稼いで抜け出せる目処が立ったところで、また奪われた。
いつの日か、お目にかかれますことを、ひそかに楽しみにいたしております。
かしこ」
二.その男
誰だ、こんなデタラメを書いて寄越したのは。
俺は確かに遊んでいるが、後腐れの無い関係ばかり。
女郎屋に売ったことなど、ないぞ。
それ以前に、結婚したことがないのだ。
浅はかな嘘を吐いたものだな。
――しかし、誰だ?
俺に捨てられ、結婚できなかった腹いせか。
心当たりが多すぎて……というか、そもそも何人食ったか覚えていない。
三.手紙の主
昨今は洋装が増えましたが、まだまだ和装の女性も多うございます。
海軍さんのおられる街で、細々とかんざし屋をやっております。
売れ行きが先細る中、少し形を変えて洋装にも使える意匠を夫と考えました。
異人さんが帯留めをブローチにしているのを見かけたのがきっかけです。
どちらにも使えるという小物は好評を呼びました。
義父の店は維持できませんでしたが、小さな店を改めて構えることができたのです。
そんな風にささやかな幸せを噛みしめておりましたところ、あの男が若い女性を連れて、店先をのぞきこんだのです。
私の純潔を散らした……当時は大学生で、兄の親友として家に出入りしていた卑劣漢です。
「そんな安物ではなく、ちゃんとした格式のお店に行きましょう」と男が言いました。
うちの亭主は、若い女の子でも手に取れるものを作っています。
確かにお手頃な値段にするために素材も手に入りやすい物。そういう面はあるでしょう。
しかし、いい大人が、そのような物言いをするとは。
そう思ったとしても、粋な言葉で店から連れ出せばいいものを……。
憤懣やるかたない気持ちでいっぱいになりました。
亭主の仕事を軽んじられたのも許せません。
連れの少女も少女で、先に店にいた常連さんに嫌味を言います。
「あら、あなたにはこれくらいのお店がお似合いね。
わたくしは女学校を中退しますけれど、せいぜいお励みになって卒業なさってくださいましね」
嫌な風潮ですが、女学校を花嫁修業と考えて、結婚のために中退することが名誉だと考える人もいるのです。
常連のお嬢さんは、将来のためにしっかり学んで卒業することを目標とされています。
目的が違うのですから、あんな言葉を投げつけられる筋合いはございません。
だから、一度だけ、嫌がらせの手紙を出しました。
歌舞伎で見た作品をいくつか組み合わせただけの、手慰みです。
私だって、歌舞伎を観に行けるくらいの暮らしをしていたのです。
あの男に傷物にされなければ、小間物屋のおかみとして店に出ることもなかったでしょう。
いえ、素朴で誠実な職人の夫と暮らせて、一緒に頭を悩ませた商品をお嬢様方が喜んでくれる暮らしは、幸せですけれど。
屋敷に籠もって、使用人の差配だけする生活よりもずっと性に合っているかもしれません。
ですが、それはそれ。これはこれ。
あの男が反省もなく、幸せになることが許せないのです。
ほんの出来心の、ささやかなお返しです。
四.協力者
「女学校に『卒業』するまで在籍するのは恥」という風習があるのは知っています。
それまでに結婚相手を見つけられなかった、つまり、実質落第だと言うのです。
卒業が数ヶ月後に迫った状態で、少しもめ事が起きました。
かんざし屋で私がおかみと話していたときのこと。
同級生が通りかかり、嫌味を言ってきたのです。
私と同じく、卒業式に出るであろう「お仲間」だと思っていたひとりです。
許嫁ができ、来週にも退学すると自慢してきました。
特に仲も良くなかったですし、こんな往来で人に聞こえるようにしゃべるのははしたないと思いました。
それなりの年齢の男性と腕を組んでいたので、これが許嫁かと流石に気付きます。
……お顔の造作は良さげですが、三十歳は超えているように見えました。
十代の私から見たら、充分おじさんで、そう羨ましくもない。
年齢に関係なく素敵な方はいらっしゃいますが、白目の濁り具合や荒れた肌の感じから、生活の乱れが感じ取れます。
二人して失礼な言動をするので、お似合いだとは思いましたが、正直、どうでもいい。
私には、卒業して掴むべき夢がありますから。
「あんな男で自慢されてもね」
つい、陰口を言ってしまいました。
おかみは咎めることなく、「あら、見る目があるわね」と笑ってくれました。
「あの二人に、ちょいとばかりお説教をくれてやりたいわ」
ゆらりと、おかみの回りに焔が立ったように見えました。
女学校の帰りに店先をのぞいて、お話しするようになったおかみ。
穏やかな人だと思っていました。
無茶なことを言うお客にも、落ち着いて対応する大人の女性。
そんな彼女の初めて見る顔に、内心、驚きました。
けれど、「私も、仕返ししたいです」と言っていました。
入学してからずっと言われてきた悪口を、少しくらい返したいと思いました。
とはいえ、特にいい案は浮かびません。
おかみから手紙を預かって、彼女が退学する日に下駄箱に忍ばせただけでした。
本当に、私はつまらない女です。
卒業したら、おかみに紹介された異人さんの秘書になります。
日本に女学校を作った方の娘さんで、中退が当たり前という状況を改善したいとおっしゃっています。
秘書になる条件は、もちろん、ちゃんと卒業すること。
そう決まってからは、あんな子に悪口を言われても平気になりました。
お給料が出たら、眺めるだけだったかんざしを妹たちに買って、弟が大学に行けるように仕送りをするのです。
五.誰も知らない
あの女学生がいなかったら、中退する娘が立ち止まることはありませんでした。
因縁を持つ男が、かんざし屋の店先で失言することもなかったでしょう。
そして、女学生が手紙を仲介しなければ、花嫁は疑問も持たずに嫁いでいたはずです。
とある街で嫁入り前の娘が花嫁衣装を切り裂き、許嫁に斬りかかるという刃傷沙汰がありました。
ですが、新聞記者が取材しなければ、世間はそれを知らずに終わります。
かんざし屋の夫婦も女学生も、花嫁が許嫁に傷を負わせたことなど知りえません。
手紙の送り主は、ついぞ特定されませんでした。
豪商が可愛い娘のために奔走しましたが、そのような遊女を見つけることができません。
遊女が手紙を出すならば、楼主が手紙を改めているはずです。
馴染みの客に内緒で頼んだなら、女学校の下駄箱に入れるのは不自然です。
結婚する当てのない女学生が嫉妬で悪戯をしたと考えても、誰の筆跡も一致しません。
男は身の潔白を訴えましたが、大学を退学になった経緯が疑惑をかき立てました。
親友の妹を襲い、大学校内で親友に殴られた過去。
親友同士の喧嘩かと思いきや、そこから婦女暴行が発覚して、自主退学に追い込まれていたのです。
同じような事件があっても被害者が穏便に済ませようとしたら、大学からは口頭注意で終わることもある時代。
心ない人は、「その親友は自分の妹の未来を閉ざした」と被害者の家族を責めたくらいです。
男は帝都から姿を消し、被害者は母方の親戚を頼って地方に移り住みました。
まさか、「誰でもいいから結婚したい」というお嬢さんが、親の仕事先の縁で男をこの街に招き寄せるとは……。
十年後、男は刃傷沙汰の末に死亡し、新聞に載りました。
遊女の情夫をやっていて、その遊女に殺されるという心中未遂事件です。
更に数十年が経ったころ。
ある小説家が関係者を取材して、妄想を膨らませて怪談に仕立て上げました。
もちろん、学生時代から女遊びが激しかったことも調べ上げています。
そうして、やはり転落のきっかけは、一通の手紙によって結婚が成立しなかったことだろうと結論づけました。
年を重ねた元女学生は、その話に自分が関係しているなどと思いもせず、本屋でその本を手に取りました。
「幽女からの手紙 ――弄ばれた女たち――」
明治・大正時代が舞台になっております。
時代考証に誤りがありましたら、柔らかい言葉でご指摘いただけると幸いです。
(心が折れない程度で、お願いします)




