悪役令嬢の目覚め
リオーネ=ヴィヴィオーナ 当時6才
4つ下の妹リリーは大きなベッドで母と寝ている、そんな深夜2時。
「誰にも見つからぬように来い」と、父に呼び出されたリオーネはベッドを抜け出し、私室に繋がる2階テラスから縄ハシゴ使い庭に降り、ただ『別館』と呼ばれる建物に向かっていた。
そこは敷地内の西側に位置し、遠目から見るとツタの絡むただの廃墟。
どうしてあんなものがあるのかしら?と思っていた当時の彼女だったが、そこから目を離すとこの国のお城が良く見えたので、その存在をすっかり忘れていた。
だが庭を抜け近付くにつれ、廃墟にしか見えなかったそこはよく手入れされているのが分かった。
城下町の一軒家ほどの彼女から見れば小さな建物だったが、そのドアノブも月の光が反射してピカピカと輝いている。しかし、彼女がそれをひねり中をのぞくのと同時に月が雲に隠れてしまった。
当然窓から差し込む光も消えもなく真っ暗。
呼び出されているのだからと「おとーさま!まいりました!」と言いながら恐る恐る足を踏み入れると……暗闇のなかで、ロウソクの炎が揺れているのが見えた。
徐々に目が慣れそれはテーブルに置かれたロウソクだと分かり近づくリオーネ。
そして、それに照らされるイスに座った二人の男性の顔が見えたとき
「……………お、おうさま?!」
父と向かい合って座る初老の男性の顔を見ると、数瞬空けてリオーネは大きな声を上げた。
彼女が3歳の頃に一度父に連れられ直接挨拶をしたことはあったらしいのだが全く覚えておらず、式典や社交界などで遠目で見るくらいだった……この国の王 ブリリオール三世。
しかしその服装は儀礼服などではなく、まるで城下町で野菜を売っているような簡素な平服。
リオーネが眉をしかめ、記憶の中の王様と合致させるまで時間がかかったのは仕方ないことだった。
「こんな時間まで起きてるなんて悪い子だね」
「王よ、まだこの子は悪役令嬢ではありませんよ?それに呼びつけたのは我々ではありませんか」
「そうだったそうだった。これは失礼」
そして王が笑顔で立ち上がり、そこにもう1つあった小さなイスを引き「どうぞ」と、小さな令嬢に座るよう促してきた。
「お、おうさま!そんな……あの……ありがとうごいます」
「うむ」
自分の寝巻のスソをぎゅうっと掴み恐縮しきりのリオーネだったが、こういう時は素直に受け入れるがスマートだと家庭教師に習っていたのを思い出したのだ。
「さて、ここにキミを呼び出した理由なのだが……どこまで話しているのかな?」
「まだ何も」
「ふむ……そうか。ならば聞こう。リオーネよ、このヴィヴィオーナ家には王家と交わしたある盟約がある。それがなにか分かるかな?」
王様が優しく問いかけた。
そしてそれは自分を試しているのだと、すぐに気付いた。
きっとその答えは今までの経験の中にあるのだと、必死に記憶を探る。
リオーネは6歳の時点で確かな観察眼を持っていた。
目の前の人物は自分の敵か味方か。良い人か悪い人か。
当然人の善意や悪意にも敏感であり、その目は自身の父や母にも向けられていた。
なぜならその観察眼は両親によって培われたものだったからである。
リオーネはあの優しい母が、外では人が変わったように冷たく傲慢に振舞っていることを知っていた。そしてそんな母の娘である自分に聞こえるよう、ワザと母の悪口を言ってくる人たちの数も両手では数えきれないほどだ。
だが……そんな母が冷たく対応した相手は必ず奮起し、国に強い影響を与える一角の存在になっていた。母はそんな彼ら彼女らの活躍を新聞で読みながら、優しく微笑んでいたのも思い出す。
そして今聞いた『盟約』というキーワード。
それで全てが結びついた。
「だれかのふみ台になって、そのだれかを幸せにすること……でしょうか?」
そう口にしたとき、背筋が伸びた気がした。
あぁそういうことだったのかと。
だからあの優しい母は嫌われるのを承知で、あんな真似をしていたのだと。
この頃のリオーネは大人の顔色を伺いながら話す内容を選ぶ子だった。
質問にはより大人が喜ぶ、子供らしいあるいは大人っぽい回答を。
会話はあえて無邪気に大人の会話に割り込んで入っていく。
だから今回のこの回答は、彼女自身が初めて自分で見つけ素直に答えたものだった。
「愚か者!」
だが、リオーネは座っている椅子ごと縦にくるりと一回転させられた。
ガタンという着地の衝撃と、ふわつき混乱する頭と足元。
それはいつの間にか隣に移動していた父の仕業だったのだが……リオーネがそれに気付くまでには時間がかかった。
「いったいお前はなにをこれまで見てきたのだ?!」
「ちがうの?!だっておばあ様はそのせいで……!!」
「言うな!それこそがヴィヴィオーナ家の使命!務めなのだ!!」
父に怒鳴られたことは何度もあった。
使用人が丹精込めて育てたバラを無断で取ってしまったとき、料理のマナーが悪かったとき、2階のテラスからバク中で飛び降りた時。
しかし、これほど悲しみと決意に満ちたものは初めてだった。
リオーネは立ち上がり「もうしわけありません」と頭を下げた。
ちなみに悪役令嬢として充分な教育を受けた7歳の誕生日に知らされることになるのだが、国外追放されたと聞いていた祖母は、王の庇護の下で悠々自適な田舎暮らしをしており、この約1年後に国外追放される母とそこで仲良く暮らすことになるのだが……この時のリオーネがそう思ったのも仕方ないことだった。
「よく聞け!我々ヴィヴィオーナ家の使命!そして王との密約!それはお前のいうところの踏み台ではない!」
父が自分の席に戻り、机の上で手を組み
「壁だ!彼の者の壁となるのだ!」
そう言った。
「かべ……ですか?」
「そうだ!高く険しく!荘厳で誇り高く強く尊く!虚飾にまみれたものであればあるほど良い壁なのだ!」
「きょしょく……」
「そうだ!自らを越えて欲しいという願いと、決して越えさせぬという相反した思いを両立させ、相手が自分を越えた時には至上の絶望を覚え、壁を越えた者には憎まれ感謝もされない!だがその壁を超えた者は決して折れぬ心を持つ!そんな折れぬ心を持たせるために悪を演じる一族!それがヴィヴィオーナ家に生まれた女性の使命なのだ!」
ロウソクが風もないのに揺れた。
まるで空気が「こいつ何言ってんだ?」とため息をついたようだった。
「こころをもたせる……?」
「うむ。いまリオーネが通う学校であればペトラの壁になるのが良い。身分を隠した第一王子が町へと遊びに出かけた先で拾った、貧民街のあの少女のことだ。第一王子は彼女の機転の良さ……なによりおそらくあの飾り気のない花のような笑顔に惚れてしまったのだろう。だから本来貴族しか入れない学校に彼女を迎え入れた」
「……そう、ですか」
「も、もしや!リオーネも第一王子のことが気になっていたとでもいうのか?!」
「……はい」
リオーネはとても悲しくなった。
確かにペトラは良い子だ。
入学試験会場の前で拾ってしまった猫をどうすれば良いか悩んでおり、そのせいで遅刻してしまった入学テストも、学校始まって以来の初めての満点だったと校長先生が憎々しげに発表していた。「貧民街のガキのくせに」と。
だがリオーネは彼女と仲良くしていた。
同じ歳の友達があまりいなかったというのもあるが、実は例の拾った猫を近くの広場で一緒に面倒を見ているのだ。
しかし……父の言い方では第一王子への思いは諦めなければならない。
夜会に飽きたリオーネがリンゴの木の上でサボっていたら「降りられなくなったの?!」と慌ててハシゴを持って助けに来てくれたのが第一王子だった。
リオーネは木の上から後方捻りを入れつつ飛び降りるくらい余裕だったが、緊張してハシゴの最後の段を踏み外し、王子に抱きしめられ以来彼の顔が見られなくなっていたのだ。
「ほう……それはとても良いことだ!本気で狙いに行け!」
「え?!で、でもペトラとくっつけるのではなくて?」
「えぇい!さきほどから何を聞いていたのだ?!」
父はヴィヴィオーナ家流体術を完成させた人物であった。
娘の呼吸や視線から次の発言を読んでいた彼は、再び彼女の横に素早く移動。
イスの脚を足で刈り縦にくるりと一回転、
さらに事故が起きぬよう愛娘の背に手を添え、リオーネと空中で目が合った瞬間、今度は後向きに回転させ……またガタリと椅子の足を床に着地させた。
【ヴィヴィオーナ家 裏体術 重ね百合散り舞】
ちなみにこの技を逆に娘から浴びせられるのは、この僅か半年後。完成は洗練を以って乗り越えられることになる。
「良いかリオーネ!お前も第一王子を本気で狙うことによって、相手にとってより良い『壁』となる!選ぶのは王子だ!臆せず獲りに行け!なにより恋敵が軟弱であったらお前もつまらないだろう?!」
「は……はいっ!」
「ペトラは確かに頭が良い子と聞いている。だが……聞くところによると己を省みない安い正義感を以っているそうだな?それがいずれ自分を窮地に追い込むだろう。それを避ける知恵を授けることではなく、己で知恵をつけることに重要性に気付く方がよほど大事だ。また生きるとは清濁併せ飲むことでもある。だがそれを丁寧に言葉で伝え、彼女がそれをゆるりと学ぶ間に……彼女の身に何か起きたらどうする?」
王が静かにうなずく。
「経験こそが最も良い学びなのだ!人は思いを寄せる相手のことをよく考えるものだが、それと同時に自分にとって敵・不快な相手のことも考えてしまうものだ。そしてそれをするのは男ではいかん!あくまで女性!なおかつ品と教養のある令嬢であるべきなのだ!なぜならその繊細さと優雅さを反転させ、大胆さと横暴さを産み出せるのは……男には到底できないものだからな」
そしてリオーネもうなずいた。
たしかに男性にそういった優しさと厳しさを両立させるのは難しいかもしれないと。
さきほどの【ヴィヴィオーナ家流 裏体術・重ね百合散り舞】にしても本来顔面から固い地面に落とされるものなのだ。その技名こそ分からない彼女だったが、自分に傷をつかぬよう気遣っている父の愛情はたしかに伝わっていた。
「相手を真に想い冷徹になりきれるのはやはり令嬢。母性ゆえの、愛情ゆえの名女優でなければ真の壁になれず、相手を幸せに導くことなぞできん」
そして父が立ちあがり、壁にかかっていた布を手をかけた。
「そしてその幸せにする相手とは……例え安かろうと己の正義を信じ、学がなくとも愛情深く、なにもせずともその者の下に『力になりたい』と人が集まり、この国の未来を豊かにするであろう存在!そんな放っておいても幸せになれるかもしれない者を、さらに幸せにするためにあえて『壁』となる者!それが」
その布を父が思いきり引くと、筆で殴るように書かれた4文字が現れた。
【悪 役 令 嬢】
「東から来た者が一晩の宿の礼にと書いてくれたものだ……」
「……悪役令嬢」
「そうだ。リオーネもそれに励むのだぞ」
リオーネは父を、そして王とも目を合わせた。
自分の使命。一族の使命。
それが分かり、体の奥がカッと熱くなった。
「はい!おとーさま!……いえ!『えぇ!分かりましたわ!』」
母の家の外での口調を思い出し、リオーネは言い直した。
さきほどまで曇っていた空が晴れ、天井窓から月の光が彼女を照らす。
それはまるで6歳にして彼女の第二の人生が始まったことを、天が祝福するかのようだった。
◆
「こうしてこの世に1人の悪役令嬢が誕生したというわけですわ……」
「ごめん内容は分かったけど、意味が分からなかった」
「理解出来ぬことを恥じなさい」
そしてリオーナはまた修行に戻った。
ここに来る前に言ってた通り夜明けまでやる気なんだろうなぁ……ボクも出来るだけランダムを意識してボタンを押す。
そして鉄球が、トゲ付き鉄球が、燃えるトゲ付き鉄球が次々と彼女を襲う。
それをまるで体操選手みたいな華麗な動きでかわし続ける。
けど猫耳を隠す余裕はなくなっちゃたみたいで、ぴこぴこ揺れていて可愛い。
まぁ……その血走った目を見なければ……だけどさ。
ほんと怖いんだよ。なに?戦闘民族かなにかなの?
「13回前と同じパターンになってますわよ?!」
「ごめんごめん」
そして僕は頬杖を突きながらボタンを押す。
きっと、彼女はこの世界も魔法を使って上手く乗りこなして見せるだろう。
だけど……悪役令嬢は総じて『運が悪い』のだ。
日頃の行いのしっぺ返しっていうのもあるだろうけど、それにしたって主人公が悪役令嬢に関わってきた途端、これまでの悪事が次々に露呈するパターンが多い。
ボクも勉強のために色んなタイプの悪役令嬢のラノベや歴史の本なんか読んでみたけど……墓穴を掘ったりして発覚する可愛いものでも、その結果は婚約破棄だの破産だの自〇だの……。
そこまで完璧に演じていたハズなのに、主人公パワー的なので全部ご破算になっちゃう。
今では遊んでたゲームの悪役令嬢に転生して、その不幸なエンディングを回避するために四苦八苦するようなものが主流みたいだけど……けど、リオーネは圧倒的に前者だ。
しかも悲しい結末に向かって信念を持って自ら突き進む、言っちゃえば自己犠牲型だ。
それを一族総出でやっているんだから恐れ入るよねぇ……なにせ国外追放された祖母や母親とも一度も会わせない徹底ぶりだもん。ましてやリオーネが相手にしているのは、神様だ。その1回のつまずきが死と直結してもおかしくない。
「今の鉄球五回連続は逆にお上手ですわ!」
だからボクはボクの出来る範囲で彼女をフォローするんだ。
神様の気まぐれで勝手に転生させられ、運命を弄ばれる憐れな彼女のために。