その3
夕陽のオレンジが色濃く公園を染める。
そしてその公園の中央に立つ、金髪縦ロールで赤いドレスを着た令嬢。
公園の前を通りがかった帰宅途中のサラリーマンはギョッとし、何かの撮影会かと勘違いしたほどだ。
「複数で1人に攻撃を仕掛ける。狩りならばそれも良いでしょう。また例え相手が人であっても、その者の成長を願い導くためならば良いでしょう」
そして、その猫耳悪役令嬢が自分の首輪をなぞり鈴を鳴らす。
「ですが、ただの戯れでこのようなことを?しかも暴力に訴え己より年の下の者から金銭を巻きあげようとしている。なんと粗野で粗暴で野卑で品性のかけらもない無価値な方々ですこと…………本来ならば即刻私の視界から消えることを命じるところですが。よろしいですわ。私があなた方のお相手になりましょう」
向けた扇子の先端をくいっと上げ、彼女は薄く笑った。
──変なコスプレ女に舐められた
まだ片足が痛むタツヤがキレた。
最初こそ謎の威圧感に押されてしまったが、女の後ろに逃げ込んだ小学生を見てようやく我に返ったのだ。
それからのタツヤの動きは素早かった。
小学生の頃からボクシングを習っており、複数人で1人を囲むよりも一対一の戦いこそ彼が最も得意とするところだ。
構えはオーソドックススタイル。
脳内のアドレナリンで痛みが消えたケンジは、その鍛えた蹴り足で彼女に迫る。
──一撃でぶっ殺してやる!!
ケンカ慣れしているケンジは、強者だけが纏う覇気のようなものを彼女から感じとっていた。
この女は恐らく強い。
だからこそ意識の外からの強烈な一撃で仕留める。
頭が熱くなっていても、体に染みついた技術が確実に獲物を仕留めようと、決して雑な大ぶりの攻撃を選択しない。
拳の射程範囲まであとわずか。
突き出された扇子をダッキングで避け、懐に入りつつ右ジャブ。
手応えなし。
スカートのせいで足元は見えないが、スウェーバックかバックステップで躱したかのどちらかだろう。構うものか。別にそれは当たらなくてもいい。見せるためだけの右ジャブだ。
その右手を引きつつ「シッ!」と息を吐き、扇子を突き出す右の外側から左ストレートをかぶせ彼女の顔面に叩き込む。
強いのではなく、容赦がない。
それがタツヤのケンカ無敗の理由だった。
「所詮は庶民」
だが、一撃でケンジは自らバク天するように宙を一回転。
【ヴィヴィオーナ家流体術 廻り椿】
空中に舞うタツヤの姿を、少年シンジは腫れた目で見ていた。
◆
「……ありがとう、リオーネ」
僕はとても弱い。
リオーネは本当は猫じゃなくて、違う世界からやってきた『悪役令嬢』で、僕に色んなことを教えてくれた。
ことあるごとに言ってた「私という壁を越えてごらんなさい!」の意味はよく分からなかったけど……1日10分しか人間に変身できないのに、その10分を使って僕に色々教えてくれてたのだ。
リオーネが人間の姿になれると教えてくれたのは、拾ってから一か月くらいしてからだったと思う。
学校でいじめられていることは、いつもなら家に帰っても上手に隠すんだけど……帰ったらお母さんがいなかったから僕は自分の部屋のベッドで声を出して泣いてしまっていたんだ。
くやしくて情けなくて。
殴られたお腹とかの痛みよりもそっちのほうがイヤで僕はずっと泣いていた。
「惨めですわね」
そしたら知らないお姉さんがベッドに座っていたんだ……猫耳の。
「そして情けないですわね。やられて泣き続けるだけなんてあなたはセシオ島のガガルンボかしら?」
「ガガ……?ってお姉さん誰?!」
「なにがあったのか存じ上げませんが、もし大声で泣くことが趣味なら他所でしてくださる?私まだ眠いんですの」
「だ、だからお姉さんだれなの?!」
「あきれましたわ……危機感も低いんですのね。あなたと年の変わらぬ私の妹なら、不審者が部屋にいた時点で物を投げつけ距離を取り、走って部屋から出て行きますわ。ずいぶんと平和な世界で生きていらっしゃるのねぇ」
と、あとずさりして壁に背をくっつけていたはずの僕の体が、くるりと回って背中からベッドに落ちた。そして、仰向けになった僕にそのお姉さんがまたがってきた。
「これが【ヴィヴィオーナ家流体術 廻り椿】ですわ」
「まわり…??」
「あ、そうそう。クロという名は取り下げるよう父や母に伝えなさい。私にはリオーネ=ヴィヴィオーナという立派な名前があるのですよ?」
お姉さんが猫耳を揺らしイタズラっぽく優しく笑った。
そして……ちりんと鳴った首の鈴を見て、何だか安心したのをいまでもよく覚えている。
それから、僕は毎日戦い方を教わった。
攻撃だけじゃなくって、かわし方やサバキ方。
あとは痛くない殴られ方とか、戦うときのココロガマエとか。
1日で10分しか変身できないリオーネだったけど、部屋の中で毎日それを繰り返している内に不思となにも怖くなっていた。
そして、ある日僕の胸倉をつかんできた先生をぽーんっと投げたときから、いじめられることも無くなった。
先生はそれを誰にも言わなかったから、お母さんやお父さんにも怒られることはなかったんだけど、僕をイジメてた子たちから「おまえつえーんだな!それ教えてくれよ!」なんて言ってくれて仲良くなれたのだ。
あ、もちろん教えるときは「悪いことに使うのは許さなくってよ!」って注意してたんだけど……その喋り方はやっぱりちょっと笑われちゃったけど。
「これからも色々教えてね?リオーネ」
僕は腕の中ですやすやと眠る黒猫に話しかけた。
変身したあとはいつもこんな感じで絶対に3時間は起きない。だから僕はその間は何があってもリオーネを守ると心に誓っているのだ。
だけど……時間が過ぎてないのに、リオーネはその緑でまんまるの目をぱちっと開けて僕を見てきた。
すごく不思議そうな顔で。
いつもなら触ると絶対に怒るアゴ下を僕の手にすりつけきて、ゴロゴロと喉を鳴らして「にゃあ」と鳴いてきた。まるで本当の猫のように。まるでリオーネがそこからいなくなっちゃったみたいに。
そして……それは本当だった。
この日からリオーネは普通の猫に戻って、もう喋ってくれることも変身してくれることもなかった。
◆
「力技でどうにかしてどうすんじゃ!!」
神が自室の巨大モニターに向かって叫んだ。
リオーネを猫に転生させた理由は『我がヴィヴィオーナ家に生まれた女性は、悪役令嬢を以って本分となす』などという歪んだ愛情を受けたせいだと思った神が、無条件に人から愛される喜びを知って欲しいと猫に転生させたのだ。
趣味と暇つぶしも込めて、だが。
神はため息をついてからソファーから立ち上がり、四方の壁一面に置かれている本棚を見渡す。
──あの悪役令嬢ははどうも力技で、個人の力でどうにかしようとしていかんな……
本棚にぎっしり詰められているのは大量のラノベやアニメDVDとBD。
神はその中から次の転生先を選ぼうとしていた。
ちなみに今回リオーネがいた世界は『ぼくの飼い猫は悪役令嬢?!~転生したら猫の魂と合体して猫耳が生えましたけど、わたくし一向にかまいませんわ~』のラノベの世界だった。
そして神がにやりと笑いながら手をのばした先。
それは神が最も気に入っている、その記念すべきシリーズの第一作目。
「さて……楽しませてもらうかのぅ」
ふぉふぉふぉと笑うと、次の世界の説明を任せる天使ガブリィを呼びつけた。