イチカへのくすんでしまった思い
何も見えない。
暗闇の中に私がいる。
(……アイツは、あのグラトニーばどうなったんだ?)
まだぼんやりとしているが、自分が何者かは――寺山モモカだということは忘れていない。
(……死んで、しまったのか?)
自分がどこにいるのかわからない。
自分はあの場所で、あのスターヴハンガと戦っていたはずなのに。
「……なんてこった。どうやら、アタシはここで終わりらしい」
――これは、今も夢に出る……初出撃の時の……。
「な、何を言って――」
「……正直に言うとさ、体動かすのも……限界だ」
なぜ今になってあの惨劇を目にしているのだ?
イチカが逃げ出した後、私とチサキの立った二人でラァ・ネイドンに立ち向かった。
しかし、ラァ・ネイドンはあまりにも強かった。戦闘にもなっていない、蹂躙と言っていいだろう。
「ザコザコじゃーん! 侵食できない生物がいるって聞いたけど、こんなに弱かったら問題ないよね~」
「クソッタレ……」
ラァ・ネイドンの真空波に頼みの重火器は壊され、さらに私たちが風の刃で斬り刻まれて血を垂れ流し続けている。
私は足を斬られて立つことすらままならない。さらに片目も顔ごと斬られ、視界の半分が封じられる。戦える状態ではない。
――だが私よりもチサキの方が重傷だった。
体に無数の傷が刻まれて、両手両足に大きな裂傷。神経ごと斬られて動くことすらできない。
この時はまだ医療技術もグラトニーの侵略によって衰退し、今の時代にあるウカリウム回復薬もない。
だから治せない……。
「どうやら、年貢の納め時らしいな。最後にこれとは運のない人生だ」
「バカなことを言うな! まだ、私たちは死んでいない……っ! 死にたくなんて、ないだろ!」
「……そう、思いたかった。もっと……もっと皆と一緒にバカで楽しいこと、したかったな……」
チサキからこぼれた言葉、それは別れの言葉だ。
この瞬間、自分の命が尽きてしまうことを、チサキはもう悟っていたのだろう。
そのことを私は、認めたくなった。
「なあ、モモカ。イチカのことはちょっと叱るぐらいにしておいてくれよ。アイツが逃げてしまったが……そうなっちまうのも、まあ仕方ねえよなあ」
「何を言って……」
「死ぬなよ、早く逃げな」
立ち上がることすらできないはずなのに、チサキは立ち上がった。
「――二荒山チサキ! 最後の死合だ! アタシの拳で貫いてやるよ!」
全力でラァ・ネイドンに殴り込む。
チサキは死ぬことを覚悟したのだと、その決死の突撃を見てわかってしまった。
私を守るために。
「まだ歯向かうんだ」
見下しながら風の刃を飛ばしていく。
「――遅い!」
その風の刃を、チサキは側面を殴って消し飛ばした。その破片が体に刺さっても止まる気配がない。
最後まで戦おうとするチサキの意地が、ラァ・ネイドンからの攻撃を拳で壊していく。
「へっ?」
呆気にとられるラァ・ネイドン。
それを見逃さないチサキは風の刃を拳で壊しながら突き進み、
「隙だらけなんだよ!」
血まみれのこぶしを握り締めて、裂傷だらけの力が入らない体でも力を込めて、自分が持てる最後の正拳突きをラァ・ネイドンの顔にぶち込んだ。
拳の衝撃がここまで伝わってくる。
やったのか、一瞬そんな希望が沸き上がった。
「――で?」
「……わかっちゃいたが、殴られてその態度か……へこむぜ」
だが……現実は非情だった。
――ズバンッ!
その言葉を最後にチサキが血を噴き出しながら倒れた。
ラァ・ネイドンの手刀で斬られ、瞬く間に殺されて……しまった。
チサキの決死の覚悟も虚しく……。
「チサキ……うわぁぁぁああっ⁉」
「そういや、さっき逃げた奴いたよね~。そっちの方を先に遊んじゃおっと! どうせこの場で生きている奴なんて逃げても追いつけるし~キャーハッハッハ!」
悪魔が残虐に笑いながら逃げたイチカを追いかける。奴の気まぐれで私の命はなくならなかった。
この時の私はただ目の前にで死んでしまった親友のことだけしか頭の中になかった。
――なんで死んでしまったんだ。
――いや、まだ生きているはずだ。ここで死ぬはずがないんだ。
死んでいるのはわかっているのにそれを認めてしまうのが嫌だ。
ただ絶望に心が屈してしまった。
「このオレに傷をつけた罪を払わせてやるぜ! テメー!」
知っている声だ。
だが知らない口調であった。
「フギュ⁉」
すると驚く光景を目の当たりにした。
己を傷つけ、チサキを殺したラァ・ネイドンが吹き飛ばされて地面に横たわっている。
あり得ない。
ここまで痛めつけられたからこそラァ・ネイドンの強さはわかっていた。
安上がりの装備では太刀打ちできないはずなのに。
「テメー……ブチのめされる覚悟はできてんだろうな!」
(イチカ……なのか?)
あいつの身に何が起きた? その時はまだ理解できていなかった。
髪の色が変わっていたが、一番変わっていたのは性格と言っていい。
私たちから逃げた臆病な姿から一変、獰猛なる戦闘狂と変わっていった。
「そんななまっちょい風でオレが斬れるかよ!」
「な、なんなのコイツ⁉」
なにより――チサキを殺した化け物を一方的に殴り飛ばしていた。
拳を振るう度に大気が揺れる。
ラァ・ネイドンが紙切れのように吹き飛んでいく。
「き、聞いてない……こんな奴がいるなんて……ヒィ⁉」
「逃げんじゃねえ! テメー!」
こんな惨劇を起こした、あのグラトニーが必死に逃げている。
予想できない光景ばかりが目に入っていく。
夢を見ているのではないか、と思ってしまうほどに。
「……ちっ、逃がしちまったか。トドメをさせなかったぜ。だがまあ、この体を治す方が先か。えっと……どうすりゃいいんだ? ここわかんねーし……誰か生きている奴いないのか? 一人か二人、生き残っていれば安全な場所に行けるかもな……ゆったり体を治せるだろうしよ」
「お、おい……」
「ん?」
「イチカ……なのか……? 私たちを見捨てて……なぜ今更ここに……」
憎たらしくそう聞いたが、目の前のイチカは首をかしげて、
「…………わからねえが、イチカの名前を呼んだってことは知り合いか。なら死なせねえようにしねえとな」
自分の名前だとは思っていない反応。
そういって豹変したイチカに私は担がされて運ばれる。
「誰なんだ⁉ お前は⁉」
「オレはイチカだよ。それは変わらねえよ」
嘘はついていない。
だが私には目の前にいる彼女がイチカではないと確信していた。
長い付き合いゆえにそう感じた。
逃げ出したことを悪いと思っていないどころか逃げたとさえ思っていない。
当然だ、コイツはイチカの姿に似ている別人だからだ。
目の前にいる彼女がイチカならば文句の一つも吐き出していただろうに。
その後、私たちは通信機で近くにいた部隊に救助を求めた。
そしてその部隊に助けてもらい、生きて基地に帰還することができた。
ラァ・ネイドンから生き延びた後、イチカは懲罰部隊が入る狭い個室に軟禁させられた。
生き延びたのは私たちだけではない。遠くにいた指揮官、ラァ・ネイドンの襲撃で重傷を負ったものの狙われずになんとか生き延びることができた隊員。
わずかながらいたのだ。
その人たちがイチカを恨みながら糾弾した。自分たちは死にかけたのに、イチカは戦わず逃げたのだ、恨んでしまうのも当然であろう。
上層部はイチカを拘束、敵前逃亡の罪をかせられた。
そして訴えた人たちは二度と地上に出ることはなかった。
グラトニーに恐怖を植え付けられ、戦士としては死んでしまったも同然であった。今でも裏方で働いている。
私はあの戦いで多くのものを失った。
親友の命、そして絆……私の心は孤独に陥った。
だからこそ自身の腕を磨き上げた。
理由は単純だ、共にグラトニーと戦う同志を守るために、死なせぬために力をつけたかったからだ。
そして第02小隊の副隊長までなった。
まだ隊長たちには届いていない、だがそれでも近づくことができた。
そしてイチカの方は懲罰部隊で活動をしていたらしい……知りたくもなかったからうわさでしか聞いたことがない。
いい意味でも悪い意味でも活躍はしたと聞いたがどうせ豹変した方のイチカだと考え気にもとめなかった。
さらに第00小隊に異動したと聞いたが、そこで聞く活躍は新人の松下トラノスケがスターヴハンガを退けたとは聞いた。
イチカのことより他の隊員の方が興味がわいた。
どうせイチカは怯えて戦うことから逃げていると思っていたからだ。
だというのに……。
奴がラァ・ネイドンと戦っていると萩隊長から聞いたときは――嘘だと思っていた。
それは本当だった。
アイツは傷つきながらもラァ・ネイドンと戦っていた。
しかも奴のキセキは風を止めるときた。
今まで扱うこともできなかったくせに、なぜ今になって自分の手足のように軽々と扱えるのだ?
――なぜ今になって戦うことを選んだのだ。
ああそうだ、今まで逃げていたくせに、なぜ今になってラァ・ネイドンと戦うのだ。あの時、チサキと一緒に戦ってくれてばよかったのに!
でも、一番許せないことは、
――そんなイチカに無意識に頼っている自分がいること。
アイツがいればラァ・ネイドンに勝てる。
豹変した方の姿ではない。
私にはわかってしまう。
イチカは……アイツは期待を寄せられたとき、とてつもない大爆発力を見せる。
いつもは小動物のように臆病でおとなしいのに。どこにでもいるような普通の人間なのに。
精神面さえ何とかなれば、奴は何でもできる。
平凡ゆえになんでもそつなくこなせる。
勉強だって教えてやればすぐに覚えるし、運動は苦手だが走るのは私やチサキより速かった。クラスの一位になれるかもな、って言ったら一度だけ本当にぶっちぎりで一位を取ったし。
そういうやつなのだ、イチカは!
イチカ……お前が憎い。
私たちを見捨てて一人で逃げたことが。
……イチカ、お前が妬ましい。
なぜお前には私にはない『力』を簡単に手に入れられるのだ?
…………イチカ、お前が――羨ましい。
その力が私にもあれば……あの時だって失わずに済んだはずなんだ。
イチカ、私はお前に……どんな思いを抱いてしまったのだろうか。
教えてくれ、イチカ……チサキ……。
「寺山! 無事か⁉」
「モモカちゃん! よかった……意識はあるみたいで」
モモカは目を覚ますと目の前にトラノスケとイチカが心配そうな顔をしていた。
「…………松下指揮官? それにお前も……」
「体の状態はどうだ?」
「……重く感じるが、活動には問題ない」
「本当? 体を貫かれてたから……」
「問題ないと言っているだろ!」
「ヒィ⁉」
『おい、イチカを驚かせたんじゃねえ!』
ビビらせてきたモモカをトオカが怒鳴る。
喧嘩が起こりそうな雰囲気だが、それよりもモモカは知りたいことがあった。
「……ラァ・ネイドンはどこに?」
「ああ、奴なら光に飲み込まれたぜ」
「そうか……そうなのか……」
ラァ・ネイドンはこの世から消えた。
それを聞いたモモカは重荷がなくなったかのように。
「それは、よかった……ようやく……」
静かに泣いた。
親友を殺したラァ・ネイドンを、討つべき敵を討てた。
「……モモカちゃん」
穏やかな表情で涙を流す彼女にイチカは優しく微笑んだのであった。




