8,風属性ベル
更に翌日の放課後。僕は、またしても呼び止められた。
「ところでライ君。今日は私に付き合ってくれませんか? もちろん奢りますよ」
場所は運動場で、ウィローがカルミンを翻弄した模擬戦闘の授業が終わった、その直後の事である。今回声をかけて来たのは同期の一人、風属性のベルだった。
昨日といい今日といい、この話は一体どこまで広まっているのだろうか?
そう思って辺りを見回すと、まだその場にいた同期たちはサッと蜘蛛の子を散らすようにいなくなってしまった。今もこちらを見ているのは、隣の敷地の牛だけである。
「ウィロー君から、昨日は随分と面白い話をしたと聞きました。同じ風属性として私も、ぜひ詳細を聞きたいと思いまして」
今回の話の出所はウィローだったか。確かに今日のウィローは目立っていた。同じ風属性のベルが興味を持つのは当然の事だ。しかし別に、僕の名前を出す必要はなかっただろうし、奢りうんぬんの話をする必要もなかったはずである。
「………」
これはもう既に、他人を遠ざけているという話と、奢りなら付き合ってくれるという話の、どちらを否定するかの選択だった。
昨日のサンドイッチは確かに美味しかった。
ベルの実家について僕は知らないけれど、カメリア教官への気安い態度なんかを見るに、恐らく同期の中でも一~二を争うくらいのお金持ちであろうと思われる。そんな彼女が奢ってくれるものが一体どれほどの美味しさなのか、僕には想像する事さえ出来ない。
「…うんまあ、奢りなら」
そんな訳で僕は近寄りがたいという評価を払拭すべく、三日連続で街へと繰り出す事になったのである。
「さあ、こちらへ」
軽い足取りで訓練所の外へ出たベルは、僕の予想に反して中央広場の方ではなく、一昨日のリラと同じ道を歩き出した。ちょっと肩透かしを食らった気分である。まさか彼女が学生の屋台を選ぶとは思わなかった。まあホットドッグも美味しかったけれど。
「…ライ君がウィロー君にした提案は、なかなか面白いと思います。やはり人は魔術に魔物を倒す力を期待しますから、攻撃以外の使い方というのは一般的ではないのです。仮に誰かが思い付いても、世に広まる事はまずありません」
ちょっと最初の方を聞き逃したけれど、ベルは今日ウィローが披露した風魔術による崩しついて語り出していた。
まあウィローがカルミンを翻弄したとは言ったが、実際にはいきなり崩しがうまくいったのではなく、その練習台にされて小突き回されたカルミンが冷静さを失ったと言う方が正確だが。
「特に風属性となると、それこそ特級討伐者ジェイドくらいしか記録も残っていません。私もこれまでは、彼の戦い方を手本にしていましたから」
僕も風はそれしか知らない。けれど記録には彼の外見までは残っていないが、その豪快な戦い方から考えても、ラセットのような体格に恵まれた大男だったのだろうと思われる。彼女が手本にするには不向きだろう。
「風魔術による崩しの面白いところは、剣で戦いながら崩しという体術の技を使えるところです。これは魔術による代用の域を超えています」
僕自身は風属性ではないので、そこまで考えてはいなかったが、言われてみればそうか。負担の大きい土属性は体を動かしながらの方が力を込めやすいと聞くが、光や風なら慣れれば身振り手振りが一切必要ない。ついでで扱えるのは、負担の軽い属性ならではの強みではあるだろう。
そんな話をしている内に、僕らは一昨日の料理学校の前へと到着した。しかしベルはそこを通り過ぎると、隣の道を奥へと入って行った。
「?」
裏口でもあるのだろうか。訳の分からないまま付いて行くと、一際奥まった場所に一件の料理店があった。
「ここは王都に本店を構える王家御用達の高級レストラン『食の殿堂』のマナベル支店です。新しい料理を開発する研究所として建てられたそうですが、頼めばちゃんと王都の本店と同じ料理が食べられます。せっかくの機会ですから、ライ君にここのディナーをご馳走しますよ」
ベルは店の前に立つと、自信ありげな表情でそう言った。ひょっとして、これはマウントと言うヤツなのだろうか。彼女は時々冗談を言ったりもするが、基本的には生真面目なお嬢様だと思っていたのだが、実は案外面白い人だったのかもしれない。
「………」
しかし一方の僕は、それどころではなかった。僕はこれまでレストランに入った事はないが、それでもここが普通のレストランではない事くらい分かる。
何しろベルが店の中に入るとすぐに店員がやって来て、流れるように店の奥へと案内されたのだ。そして豪華な店内には豪華な個室があって、何も言わなくても豪華な料理が次々と運ばれて来るのだった。その料理は一応、美味しかったという記憶はあるのだが、正直に言って一体何を食べたのか僕は全く覚えていなかった。
と、それだけだと何なので、以下にベルと話した内容の一部を記す。
「崩しのアイデアもなかなか面白かったですが、どうでしょう? ライ君には他にも何か思いつく事はありますか?」
何を食べているのかも分からない僕だったが、その言葉に少し正気を取り戻した。昨日の魔術談義は、僕としてもなかなか楽しいものだった。調子を取り戻す意味でも、ここは一つ何か考えてみようか。
そもそも昨日の提案は、あくまでウィローを対象として考えたものだ。しかしベルが対象なら、また別の方法があるように思う。
「と言うと?」
そう、例えば…。
まず前提として、二人には大きな違いがある。同じ風属性であるウィローとベルの最大の違い。それはベルが魔術を使わなくても強いという事だ。彼女は剣だけで、ほとんどの同期を圧倒する強さがある。
はっきりと負け越しているのは、体格の違うラセットくらいだ。彼相手ではどうしても力で押し負けてしまうようだ。また風魔術による崩しも、基本的には体術の崩しと同じなので、がっしりとした体格でどっしりと構えるラセットを崩すのは難しいだろう。
「…確かに、そうですね」
実際の模擬戦においてベルは、ラセットの力や重さに対して、速さや正確さで対抗しているようだ。であれば、そこを伸ばすというのはどうか。
例えば風魔術を使って、剣筋を加速させる事は出来ないだろうか。つまり相手ではなく、自分自身を押すのである。速さとは勢いであり、勢いとは重さである。風魔術は彼女にとって、筋力の代わりになり得るのではないか?
「それは…、なかなか面白い話ですね」