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ピーピー鳴っていた携帯ガス検知器が収まる。あたしは銀髪の能力で、眼の前のクソ野郎みたいに涙と鼻水で濡れてはいない。こいつの部下は皆殺しにした。銃声もやっと収まってクラブミュージックが死体だらけのフロアでばかみたいに鳴っている。
「落ち着け、話せばわかる」
巨漢の男は泣きながら哀願した。体格は2周りも大きいが銀髪の力を持ってすれば赤子の手をひねるようなもの。金と権力のある顔役だろうが、運動不足も相まって無力に等しい。
祈る手は左手だけ。右手の方は、やつが銃を握っていたのでそうそうにマチェーテで切り落としてしまった。皮と腱だけで腕からぶら下がっていて、血管からは血が溢れ出ている。
「トチったときの落とし前はてめぇでつけるんだったよな」
「そうだ、金をやろう。今回の報酬以上の。迷惑料だ。それに、そうだ、車もやろう」
「あん? あたしらを売った詫びってか」
「そうだ。いくらほしい。金ならいくらでもある」
「そうか。ところで、あたしの名前は?」
「なま、えっと。まてまて! 今思い出す!」
「ふん、結局あたしたちは捨て石同然ってわけか」レイナが泣きじゃくる大男に言い放つ「今日はいい死に日和だったか」
軽く引き金を絞る。とたんに太いスラッグ弾が男の頭蓋をかち割った。すぐ目の前を飛び出た眼球が飛んでいく。ふとその方をみやると、相棒が立っていた。すこしだけ髪が焦げている。
「レイナ、無事だったか」
いつもの落ち着いたバリトンボイスだった。
「あたりめーだろ。あたしがトチるわけ無いだろ」
もうここに用はない。あたしらを邪魔する奴らは皆殺しにした。
~1週間前~
四方を囲む防音壁越しにクラブの電子音楽がずんずんと響く。DJが細かいビートを刻み、ハイになった客たちが酔狂に踊っている。2階席から彼らの姿を望むことができるが、彼らはこちらを見ることはない。マジックミラー越しに外界を観察する優越感に少しだけ浸る。
効きすぎる冷房で肌が粟立つが、原因はそれだけじゃない。不快なまでの緊張感に包まれてそれを無理やり抑えようと深く冷気を吸い込んで火照った頭を冷やす。
クラブ・ナンサイは今日も大入りだった。だがレイナとその隣りに座っているアーヤは客ではなかった。2階のVIP席に通されて依頼人が登場するまで待たされていた。
「ブーチンジャン チャンルンチン……」
アーヤはあまりの緊張に震えていて、震えが収まったと思ったら壊れたテレビみたいに奇怪な音を繰り返している──本当に壊れちまったかも。
あたしたち2人だけでやらなきゃならない。頼りになるニシとその飼い主は駐車場で待っている。
いやまて、誰が頼りになるって? あんな気取ったやつなんていないほうがいい。
「とうとうここまで来ちゃった」
「ああ」
アーヤがよく通る声で、いつもより肩に力が入っていた。
「顔役だよ。顔役直々に仕事を頼みたいって。これで私たち、フアラーンで大活躍する傭兵になれるんだよ」
「いやまあ、そうなんだろうけどよ。でもまずは仕事をこなさないと」
「レイナ、最近冷静だよね。ニシくんに似てきた?」
「ばーか。てめぇが熱くなりすぎてんだよ。ちったぁ頭冷やせ」
レイナは無料で出された瓶ビールに手を伸ばした。
この冷気じゃちっとも喉は渇いてないが、手持ち無沙汰を隠すのにちょうどいい。あと、やっぱりこの苦い味には慣れない。親父はこれが好きだったが、まだ何がいいのかさっぱりだ。
その時、がちゃりと重いドアノブが周り、VIPルームに護衛の男が入ってきた。カジュアルにスーツを着こなしている。顔こそ2枚目オジサンだが整いすぎた造形は明らかに義体だった。ちらりとレイナとアーヤを見たあと、後ろの大男に道を譲った。
彼の名前は聞いたことがある。たいてい、名のある顔役は、本当かどうかわからない名前と二つ名がある。自分でつけたやつもあればいつからか、誰かが言い始めたあだ名というときもある。
ビッグ・フット=ジョー。ビッグ・フットというからには、業界に顔がきくとかそういう意味と思っていたが、言葉の通りデカかった。象足症と思われる症状が両足に現れている。特注サイズのサンダルを履き、特注の機械式歩行器に支えられがゆたゆた揺れながら狭い部屋を横切ってソファにどかりと座った。足だけじゃない、体も並の人間の倍ぐらいありそうな巨漢だった。ソファが壊れるかと思ったが、なんとかその重さに耐えている。
「どうも。仕事の依頼だ」
ジョーの声は低く、トラックのホーンのように狭い室内に響いた。ゆったりとした手つきでタバコに火を付けて分厚い唇でそれを挟む。
「お噂はかねがね、ジョーさん。私はアーヤ。こっちはレイナ。どんな仕事でもばっちりこなしてみせますよ」
ジョーの重たいまぶたが少しだけ動いてアーヤをじろっと見たが、すぐ焦点の定まらない視線になった。
「おべんちゃらはいい。口先だけなら誰でも達者になれる。俺は、実力だけを信じる男だ。頼まれた仕事をきっちりこなす、金を払う。以上。簡単だこの業界は甘くはねぇ」
──知ってるさそのくらい。もったいぶってないでさっさと仕事をよこせ。
「なるほど。勉強になります。ところで私達に依頼したい仕事というのは」
「暗殺の依頼だ。対象はロン。“玉無しのロン”って呼ばれている」
全身義体のイケオジからデータチップがアーヤに渡される。それをパルに読み込ませると男の情報が浮かび上がる。特徴がないのが特徴、というどこにでもいるようなさえない男だ。強いて言えば、元連邦軍の兵士という経歴だけが気になる。
「なるほど。単純な依頼だ」
「だがそいつがいるのはちと遠い。サパロップ市だ」
「移動に丸2日もかかりますねぇ。でもそれ以上に──」アーヤはレイナの銀色の髪を見て「サパロップ市は財団の管理下です。私たちでは入れません。どうしてまた私達に」
ぎろり──ジョーの眼光が光る。
「覚えとけ、お嬢ちゃん。これはガキの使いじゃない。そのくらい自分で考えるこった。それに、俺に余計な質問はするな。それがこの街で長生きする秘訣だ。べらべら喋っていると舌を噛むぜ……」
──べらべら喋ってんのはてめぇのほうだろうが。
「だがまあいい。少しだけ。教えておいてやる。ロンは組織の裏切り者だ。その始末にはなるべく組織にしがらみがなく金で仕事をこなす傭兵が必要だ。それなら新人に任せたほうが後腐れなく済む。それに、新人の割になかなかのやり手だと聞く。連邦の兵士を始末したんだって? なかなか肝がすわってるじゃねぇか」
「ええ、もちろん。こなしてみせますよ。見ててください」
アーヤは力強く頷いて、握手をしようと手を差し出したが、ジョーは見向きもしなかった。そしてジョーは若い傭兵にすっかり興味を失ったようにダンスフロアを眺めている。
ジョーの護衛に促されるままVIPルームを後にする。外ではガラス窓が音圧でビリビリと揺れる。護衛は懐に銃を隠したまま、2人がクラブを後にするまで見送った。
外は夜だというのに気温が高くジメッと湿気が肌を包んだ。ツンツンの銀髪がさらに暴走気味に天をむく。
「ビッグ・フット=ジョー。噂通りデカかったぜ」
ニシはソーダのボトルを片手に待っていてくれた。アーヤとシスは明日の移動経路について地図を広げて話し合っていた。
「ビッグ・フット=ジョー。この街の顔役。表向きはクラブ ナンサイのオーナーでグリズリー・ビバレッジの顧客。実際は企業の汚れ仕事担当だとか」
ニシは手に持っているソーダのボトルを見た。グリズリー飲料会社の主力商品で、甘さ百倍眠気防止百倍と広告を打っている緑色のソーダだった。
「飲み物売ってる会社がそう裏社会に幅を利かせられるのかねぇ」
「ああ、密輸業だろう。製造工場は大きく薬品も取り扱うから違法薬物を作っても怪しまれない。販売経路も広大で飲料を運ぶトラックも大きいからいちいち検疫してたら時間がかかりすぎてしまう。だから賄賂を渡して検疫の数合わせをするんだ。確認される荷とされない荷、というふうに」
「へぇ、詳しいじゃん」
「当局の依頼で、捜査に協力したことがある」
ニシは飲み終えたペットボトルを律儀にゴミ箱に投げ捨てた。黒いゴミ袋がうず高く積み上がりその隙間にちょうど突き刺さる。
「それよりも、だ」ニシが口を開いた「今回の仕事、本当に受けるのか」
「何いってんだ? もう受けちまっただろう。アーヤの話じゃ、顔役から直々の依頼だからもとより断るわけねぇ。なぁに、心配しなくてもボケを1人殺すだけだ。わけねぇって」
笑ってみせたが、ニシの真剣な表情に口を閉じた。
「どうも臭う。もちろん裏稼業なのだからやましいところもあるんだろう。裏切り者の処分、だったよな。それならなおさら内部のよく気心を知った奴が実行するものだ。部外者じゃ、組織の汚点をバラしてしまう。この世界の……唯一大陸の道理をまだ知らないせいかもしれないが」
「ああそうさ。ニシ、言ってることは立派だがそうやって心配事ばかりしてたらストリートじゃ生きていけねぇ」
「ああ、そうだな。もしものときはサポートする」
透き通った顔でキレイ事ばかり並べやがる。でもシュプロケットでの一件以来、ニシの言うことには現実味があった。眉をピクリとも動かさないで銃を握ってヒトに向かってトリガーを引く。まるで靴紐を結ぶようにさも“日常”というふうに。
「よし決めた。こんな陰気臭いところにいたら性根まで腐っちまう。買い出し行くぞ。ほら、ニシ。後ろに座っていい。出血大サービスだ」
レイナは前駆二輪にまたがってキーを回す。途端に自動車用の反重力機構に青い光が灯る。ふわりと、車体が地面から離れ、ソリがしまわれる。
「買い出しって……アーヤも『了解』だってさ。というか、俺は後席で荷物持ちか」
「あったりめーだろ。貧民街でもブルジョアどもも男が荷物を持つってのは常識だ」
ずしり──車体がわずかに沈み重力を相殺して再び浮かび上がる。仲間がいる安心感。地に足がつく感覚、てのはこういうことなんだろう。
フアラーンの夜のハイウェイを飛ばしながらに思う。父親もそうだった。まだ小さかったあたしを後席に乗せて、荷物をたくさんくくって旅をした。子供ながら楽しかったが、あれは過酷な傭兵家業の一面だった。定住はできない。いつどこで恨みを買うか、この玉無しのロンみたいに裏切り者のレッテルを貼られて街頭に吊るされるかもしれない。
ぼんやりと、抜いたバイクのキーを眺めていたせいでニシに肩を叩かれた。
「悪事の下準備といえばホームセンターだが、まさか庶民派のスーパーとはね」
「あ……あん? 家の中心? たまにおめーの言ってること、わけわかんねぇな」
スーパーマーケット・ニノ。なんでもというからには大体のものはここにある。チョウシュウ食品系列なので食品がやや多め。閉店まであと半刻というぐらいなので広い駐車場もピックアップトラックが数台だけ。閑散としていた。
自動ドアをくぐって買い物カートを押して歩く。シスが3人ぐらい入りそうな大きいやつだ。ふだんなら、懐に余裕があるときに買う新鮮な牛乳や果物が目に付くが、今はそうじゃない。
「というか、仕事の前金、もらわなかったのか?」
ニシは保存の効くジャーキーの重さと値段を暗算しながら聞いてきた。
「いや、そのジャーキーはやめとけ。革靴みたいな味がする。ちょい高いけどこっちのがいい」ニシの手から高級ジャーキーを奪ってカートに入れる「ニシもあの場にいたらわかる。そういうの、言い出せる雰囲気じゃなかった。ビッグ・フット=ジョーだぞ」
「でかそうだ」
「足もでかいが体もデケェ。何食ったらああなるだ」
「人工飼育された家畜と屑肉を使った成形肉ばかり食べていると大きくなれるらしい。ホルモンバランスが云々。ま、十中八九、遺伝だろう」
ニシは店に並んでいるフリーズドライのスープを1種類ずつカートに入れる。
「あたし、この味 苦手なんだけど」
「戦いなんだ。片道2日で野宿だろう? 飯ぐらいしか気晴らしにならない。いろいろあっても損はしない。カヴィール砂漠に1ヶ月 釘付けにされたときは、ちゃんと食ってないやつから正気を失った」
「大げさな。たった1週間だぜ」
まずい。さっきと同じ会話になっている。またお説教を食らうのはごめんだ。
「あとは、甘味か。うぅむ、どれが美味しいんだ」
「じゃああたしが選ぶな。んーとまずは、ルーブリのワシグミ。そんでカエデ・チョコ、ミル・チョコ。塩っけもあるといいな。じゃあロイズとホンドート。そんでもってトウィンキーも」
これは仕事のための準備なんだ。いつもは節約ばかりだから我慢しているが、今回は違う。前から食べようと決めていたお菓子を両手いっぱいに選んだ。
が、カートに入れようとするとニシは苦笑していた。
「高温になるから、溶けそうなものはだめだ。どうしても食べたいっていうんなら否定しないが、案外、子供なんだな、レイナ」
「ばっ、ちげーよ。これは、ええと、あれだ。趣味だ」
「お菓子が趣味?」
ニシの片眉がつりあがる。
「そうだぞ。子供は遠慮なしに食うだろ? あたしは違う。あたしは味がわかる。例えば、カエデ・チョコは砂糖じゃなく天然の樹液のシロップが入っている。ミル・チョコは甘さだけじゃない。岩塩が隠し味で入っている」
ニシは笑いながら/呆れながら、手には小さなウィスキーの瓶があった。
「わかったよ、レイナ。そこまでいうなら持っていこう。だが、一応これも。勝利のときの祝杯。酒は苦手かもしれないが──」
「んなわけないだろ! 飲める」
「儀式的なものだ。ヤクザもマフィアも軍隊も反政府組織も、同じ戦いに参加してお互いに気力を養うために」
静かに語るニシをみて、レイナもうなずかざるを得なかった。
そして買い物カートの中を見てニシは苦笑した「リュックを持ってくればよかった。少し買いすぎた」
レジで金額の多さにびくっとして、もらったレシートを3回 読み直して間違いがないか確認した。暗算ができるわけではないが、たぶん正しい。軽くなった財布を眺めながらあとでいくらアーヤから金を取ろう。
前駆二輪のキーをポケットから探りながら、両手にレジ袋を下げているニシが妙に面白かった。戦いの中ではおとぎ話に出てくる業魔かブレーメンのようだったのに、今はどこか気が抜けていて警戒心がない。
「やっぱよぉ、不思議なんだが、どうしてあたしらに協力してくれるんだ? それだけ実力も経験もあるなら──いやガキみたいにあるべき常識が欠けているけど、ナンサイにいる顔役に声をかけたら雇ってくれるだろ。あたしら、飯ぐらいしか食わせてないぜ」
「あと寝床も」
「シスのベッドだから別に構わしないけどよ」
ほんのわずかな嫉妬心は眉をひそめてごまかした。
「そうだな」ニシは星を数えるように夜空を見て「強いて言うならかわいい女の子たちと仕事ができるから、とか」
「かわっ……てめぇ、あたしを変な目で見たら容赦しねーからな」
「ははっ、そうだな。レイナは可愛げがない」
「くそ、いいやがったな」
「結局のところ、俺は何をすべきかまだわかっていない。世界を救えって言ったって萬像なんて露ほども役に立たない」ニシはずらずらとひとりでしゃべったあと、「最初に偶然出会った君たちが、なんというか儚げで助けてあげようと思ったんだ。かわいそうとは思わない。君たちは自分で自分の人生を選んだんだから」
「お、おぅ……」
なんとなく尊大な物言いとは理解できた。できるなら紙に書いてもう一度言ってほしいが──ニシは肩をすくめてさっさと帰ろうと促した。
フアラーンの夜の街を前駆二輪で駆ける。街灯が走馬灯のように前から後ろへ走り去る。でもすぐ、不吉な連想だと思って考えるのをやめた。子供の時、バイクの後ろでただぼんやりと街の明かりを眺めていた。子供は普通寝る時間だった。でもあたしは起きていた。なんだかそれが、自分が世界で一番特別なんだって思える瞬間だった。
今はあたしが運転する側。後ろには男を連れている。強いくせに何かと物腰が穏やかな妙な黒髪の男。人生もちょっとはマシな方に転がりだしたってことだ。
「見てろよ、親父。あたしひとりでもできっからよ」
物語tips:財団
正式名称は復興財団。綴りが長いため、皆は単に財団と呼ぶ。
発祥は1500年前の第1次獣人戦役後のとき。連邦全土が戦火に包まれ街が焼かれた。戦後の速やかな復興を促すため、超法規的にヒトと材とモノを徴発し適切に配分するのが役割だった。
しかし、カネとモノとヒトを牛耳るため次第に権力が増し、500年前の第4次巨獣戦役では第3師団を操り、混乱の元凶であった。
分離主義が台頭したさいは、連邦、企業連合と並んで大陸中部から南部の都市を支配下に置いた。徹底した管理経済と厳しい罰則が有名だが、財団の規則に従うなら十分安全な暮らしが保証されている……らしい。