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「で、どうするよ、アレ」
レイナが背後を親指で示した。ニシの手錠は解いてある。トラックの荷台に腰掛けて水筒から水を飲んでいる。
「約束した。レイナ、あれはわたしの奴隷。シスが好きに使う」
「だまってろチンチクリン」
「ふん、レイナにはあのチンチンをつかわせてあげない」
包帯の下でシスの頬が膨らむ。隣ではアーヤは顎に手を当てて真面目に考えていた。
「トーキョーってどこだろう? そんな国を聞いたことがない。組織の名前かな。もちろん、あのニシくんが嘘をついていない前提なんだけどね」
「そういうのはお前の仕事だろう。さっさと決めろよ」
「ね、レイナは嘘かどうか見抜くのが得意よね? どう、ニシ君のこと」
レイナは黙って小首をかしげただけだった。それでもアーヤは察したようで再び顎に指を当てた。
あいつは男だが、嘘をついていないのははじめからわかっていた。嘘をつく連中は、決まって挙動がおかしい。ああいうふうに堂々としていない。
「仮にオーランド政府の連邦軍兵士だったら、彼の言う特殊な兵士がいてもおかしくないのだけど、そういう身分だと私たちの身が危ない。罪をなすりつけられるかも。顔役の後ろ盾がないんじゃ企業連合にだって目をつけられるかも」
「じゃあ、やっぱ置いていこうぜ。さっき通信機を拾ったよな。それを奴に預けとくんだ。連邦だかトーキョーだかしらねーけど、やつの仲間が助けに来るだろう」
「うへ、辛辣。せめてフアラーンまで乗せていってあげてもいいじゃないかにゃ」
「アーヤ、今この場面で“ブレーメン学派”のありがたーい言葉を言わなかっただけ評価してやる。だがな、あたしの前駆二輪には乗せねぇからな。お前のバギーに乗せろ」
「2人乗りなんですけど」「はいはーい。シスがあの子の膝の上に座る」
2人が同時に返事をした。ニシをお持ち帰りしようという2人にレイナはそれ以上口を挟もうとしなかった。
「なぁ、ちょっと──」
渦中のニシが大きい声で3人を呼んだ。
「──これ、どうするんだ?」
砂漠の夜風のように落ち着いた低い声音/しかし3人が振り返って同時に目を丸くした。
黒く腐った巨体/とうていヒトとは思えない犬のように尖った小さい顔/腐乱死体だがその小さな瞳は赤く輝いている。ニシはその怪物の胸を足蹴に、トラックの荷台に叩きつけて抑え込んでいた。
「腐獣! おまっ」
ありえない。腐獣相手にこうも冷静に=いや違う。腐っていても腐獣の腕力はヒトのそれを凌駕する。"銀髪”でやっと同じ。
「へぇ、これがあのテウヘル? んー映画で見たのとちょっと違う」
レイナは右手にソードオフ・ショットガンを右手にマチェーテを左手に握る。シスも胸のホルスターから大口径のリボルバー拳銃を抜く。アーヤは短機関銃を構えた──先進的なデザインだが使い手はへっぴり腰で。
「おいおい、落ち着け。乱暴しちゃだめだって知らなかっ……」
「バカッ足をどけるな」
拘束を解かれた腐獣は途端に、眼の前にニシに襲いかかった。が、ニシは慌てる素振りもなく片足を軸にひらりと体をさばいてかわした。静かで速い/しかし足元の細かい砂粒は一つとして舞い上がらなかった。
「なるほど、理解した。殺していいんだな。だがまたゾンビとは。トホホだ」
ニシは、もんどりをうった腐獣の頭をまたぐと足を交差/慣れたように体を回転させて腐獣の首をへし折った。
なんだコイツ。兵士だと言っていた。それは多分間違いじゃない。でも普通じゃない。普通じゃないといえば、腐獣をまったく知らない風だった。アーヤと目配せしたが同じことを考えているはず。素性が知れない/危険すぎる。
「後ろ!」
シスが叫ぶ/ニシの背後で腐獣が再び起き上がった。首が真横に垂れている。
「おいおい、ゾンビってのは首を折ったら動かなくなるものだろう」
「腐獣は心臓を破壊しなきゃ」「撃つからどいて」
シスとアーヤが同時に叫ぶ。
「まて撃つな! 今日は収穫なしなんだ。せめて心臓は持ち帰らせろ」
「そんな小遣い稼ぎしてるのレイナだけでしょ」
言い争い2対1。一方でニシは盲目のまま襲いかかる腐獣相手においかけっこしていた。
「どっちなんだ! 殺っていいのかいけないのか」
「あたしがやる。ひっこんでろインポ野郎」
「俺の“機能”は平均通りなんだが」
レイナは左手に握るマチェーテを振りかぶる。そしてニシが避ける前提で躊躇なく刃を振り下ろした。背後から斬りつけ、腐獣の左腕がもげる。返す刃で下から上へ右腕を切断。そして体のひねりを使って両足の膝を叩き砕いた。テウヘルは砂の上に倒れてもまだもぞもぞ動いている。
「ふぅ、いっちょあがり。って何見てんだ。心臓を取るんだよ」
「ああ、そう」
ニシの反応はあっけなかった。反論や嫌味の一つを言われると思ったが、落ち着き払っている。ムカツク。だが、この男、あたしやシスの銀髪を見ても何も言わなかった。ということは連邦の兵士じゃないということか。
「レイナ 新手だ! 囲まれた」
アーヤが号令を出す/半ば狂気に飲まれて叫んでいた。
周囲の砂がもりもりと膨らむ/砂の下から腐った手が空に向けて伸びる。ヒトの5本指と、怪物の4本指のもある。耳を澄ますと風のうなりのような低い唸り声が響く。魂を揺さぶる本能的な恐怖心を煽る。
「数は、10。いや14」
「いいじゃん♪ これだけあれば儲けは十分。夕飯は牛肉缶だ」
「レイナ、馬鹿言ってないで退路を開くよ。シス、荷台から援護」
シスが足早に駆ける。地面から伸びる腐った黒い手をひょいと避ける。小柄な体格と似つかわしくない身体能力でトラックの荷台上へ飛び移った。自身の身長と同じぐらい長大なライフルを構えた。
「うーん。近すぎて。スコープが邪魔」
ライフルをやや傾けて、近距離用の照準器に目をあてがう。そして慣れたようにレバーを後ろへ/バネ仕掛けで弾丸を装填=スライドが高速で前へ/同時に引き金を絞って1匹の腐獣の心臓を穿った。腐った黒い肉片が周囲に飛び散る。
「あっーチンチクリン! 何してんだ!」
「バカレイナ」「チームなんだから協力して」
またもや2対1で叱られる/ムカつく。なら先に倒してしまい自分の小遣い分は確保しないと。
レイナは果敢に腐獣に肉薄した。腐りおちた体。外見は大昔の戦争の獣人のものもあれば砂漠に飲まれたヒトだったものもいる。一様に目が赤く光り、不気味にうなり、そして生きているものに襲いかかる。
1匹目──至近距離で頭にショットガンの銃口を向けて吹き飛ばす。
2匹目──射撃/心臓より下を狙う。腐った体を蹴飛ばして、他の腐獣も巻き添えでコケる。
弾切れ/すぐ横に腐獣。ショットガンの機関部を2つに折るとエクストラクターが空薬莢を排出/同時に新しいシェルを2発 挿す。
連射×2──腰から下を撃ち抜いて腐獣の動きを止める。
マチェーテを右手に持ち替える/本来の利き手。
刺突で間合いを取ると脳天へ刃を振り下ろした。刺さった刃は足で蹴って抜く。
無力化した腐獣──計4。まずまず
頭上ではバカでかい銃声が轟く。シスは一撃必中で腐獣の心臓を撃ち抜いた。一方でアーヤは銃の扱いがなっていない。弾をばらまくばかりでテウヘルを無力化できない。そのうちのまぐれ当たりで心臓を破壊し腐獣を無力化する。
「殺さず、手足を壊せばいいんだな」
ニシ──クソ野郎のくせに理解が早い。トラックの中から拝借した電撃警棒を2本 両手に握り、おとぎ話の中のブレーメンの戦士のように大仰に構えた。身軽な体捌き/しかし重い一撃で腐獣の四肢の関節を砕いて地面に倒す。そして顎を砕いた。
「なーんでまた顔を壊してんだ?」
「噛まれたらゾンビになるだろう?」
「いや、まてまて。何 言ってんだ。そんなわけ無いだろう。というか何だよゾンビって。腐獣はテウヘルだろうが」
ニシはきょとんど首を傾げた。目鼻立ちが整っている分よけいにムカつく。戦いのさなかも落ち着いていて息も上がっていない。変なやつだ。だが強いやつは嫌いじゃない。こと仲間ならば。
4人の周囲には腐獣の死体と肉片と、まだ熱い空薬莢が散らばっている。銃声も広い砂漠にいんいんと響いて風にかき消された。しかしまだ5つのテウヘルがもぞもぞと地面でのたうっている。
「5匹か。まあ悪くない」
レイナがソードオフ・ショットガンを折るとエキストラクターが空の薬莢をはじき出す/空中でキャッチ=鉛玉と火薬を詰めて再利用するため。マチェーテとショットガンをそれぞれのホルスターに仕舞うと、代わりに肉切りナイフを腰の鞘から抜いた。そしてその切っ先をためらうことなくテウヘルの腐肉に突き刺した。
「なんだこれ、ひどい臭いだ。腐敗臭だけじゃない。まるで死の臭いだ」
ニシはあからさまに口で呼吸し始めた。アーヤもシスもそれに同調する。
「嫌味を言うなら分け前はナシだぜ」
「まさか、それを食うのか」
「ボケかおめー? 知らないなら黙ってろ」
レイナはテウヘルの肉をかき分け、その体内から暗い緑色に輝く心臓を摘出した。体から取り出されたのにまだゆっくりと拍動を続けている。レイナは喜々として心臓をズタ袋にしまうと、次のテウヘルの解体に取り掛かった。
「テウヘルって、あの獣人だよな? もっとこう、犬っぽい生き物の姿形だと思っていたけど」
ニシは横を向いてアーヤに尋ねた。
「んー」アーヤは真顔のままニシの真意を考えていたが「大昔の戦争のときのことかな? 連邦と獣人の軍隊が戦ったって。教科書で見たことある」
「じゃあ、レイナはテウヘルの死骸に何してるんだ。食べるんじゃないとすれば」
「心臓を取り出してるんだよ」
「それは、見ればわかるんだが。なぜ」
「なぜって、君ね……本当に知らないの? もしかしてずっとオーランドみたいな大都市から一歩も出たことがないとか」
「まあ、そういうことにしといてくれると説明が省けて助かる」
「ふーん、そう。ワケありね。まあいいわ。あれは腐獣の心臓。ほら、まだ動いているでしょ。そのまま食べるとどんな怪我や病気も治るの」
「そのまま?」
ニシは眉間にシワを寄せた──レイナが4匹目の心臓を掲げていた。
「そうよ。焼かないで食べるの。臭いしまずいだろうけど死ぬよりはマシでしょ。それに身体機能も大幅に上昇する。ほら、シスちゃんを見て。まるでおとぎ話のブレーメンみたい」
小柄な背丈に似つかわしくない長大なライフル。それを背負ったままトラックの荷台から難なく飛び降りた。ふわりと舞う髪に銀色の髪が混ざっている。
しかしブレーメン、と聞いたときあからさまにニシの顔が曇った。だからかレイナは鼻で笑って、
「都会ぐらしのボンボンでもブレーメンのおとぎ話は知ってるみてーだな」
「伝え聞いた程度には」
あの態度──あれは嘘をついてる。
「ほぅ、見かけによらない」
ニシはてくてくと駆け寄ってきたシスの低い頭をなでた。なでられた当人はまんざらでもないようにすり寄る──まるで愛を覚えたばかりの子猫のよう。しかしアーヤは呆れたようで、
「何言ってるの、見かけ通りでしょ。銀髪。シスの髪が銀色のメッシュになってるのも腐獣の心臓を使った証。でもレイナの髪は全部銀色。何個の心臓を食べたんだろうねぇ」
しかしレイナが途端に反応して、
「だまってろアバズレ。お前には関係ない」
5つ目の心臓をズタ袋にしまいながら──あたしの過去をいちいち詮索するやつはぶっ殺す。誰がどう言おうと。あたしはがんばっているんだから。
「勇気ある行為、ということか」
「むむ、その言い方だとニシくんも経験ありなのかな」
「瀕死の仲間の首を、蘇生装置に繋いで持って帰ったことがある。首とぶら下がっていた頚椎を」
「なにそれ。うーむ、にわかに信じがたい。とはいえ、テウヘルの心臓は万能薬だけど完璧じゃない。足汚垢得魚」
「えっと?」
「ふふん。ブレーメン学派のありがーい言葉。つまり得るものは大きいけど失うものも大きい。何割かの確率で廃人になって腐獣化してしまうの。さっきもいたでしょ。大昔の戦争の獣人に混じってヒトの姿も」
「ただの死体には見えなかったんだが」
ニシは考え込むもアーヤは気にせず、
「仮に成功して銀髪と呼ばれる力を得ても、結構差別されるのよね。男娼にさえ相手にされない。それどころか入城さえゆるさない国だってあるもん」
「アーヤは見たところ普通だが、銀髪は気にならないのか」
「まあね。傭兵で差別する人、いないんじゃないかな。私たち、実力主義なところがあるから、元連邦軍でも元囚人でも傭兵の仕事は受けられるし身体改造主義の全身義体も珍しくない」
「銀髪とは……なるほど。烙印というやつか。恐怖の対象である腐獣を内に取り込んだのだから同列に扱われる、と」
ニシはレイナを目で追っていた。前駆二輪の背もたれにズタ袋をくくりつけている。その中の心臓はもぞもぞと動き続けている。
「常識的なことを聞くようで悪いんだが」ニシは慇懃に「テウヘルとは一体何だんだ」
「大昔の戦争の残滓」しかし答えたのはレイナだった。「大昔から唯一大陸じゃ戦争続きだった。地中に埋まったままの死骸たちが500年前の“でっけぇ”爆弾で呼び起こされた」
あの男から聞かされた話。何度も何度も。そらんじることができるし夢にさえ出てきた。銃もマチェーテもバイクも、そして腐獣も、この砂漠で生き抜く知識はあの男のおかげだ──チクショウめ。
レイナは過去からのビジョンを振り払うように、大股で前駆二輪にまたがる。前方部分に自動車用の反重力機構を無理やり取り付け、導管で車体のシャシーとつながっている。バイクの背もたれの前側は古びたバックパックがくくってあり、後ろ側がテウヘルの心臓入りズタ袋だった。
「早くずらかろうぜ。長居するとまたテウヘルが襲ってくる」
「誰のせいよ誰の!」
アーヤはすぐ反論したが、一方でニシは居心地が悪そうに一歩引いた。シスはニシの腕に飛びついた。
「ねぇ、ニシ、強いね。銀髪じゃないのに」
「戦いは慣れている。これが俺の仕事」
「他に何ができる?」
「前線の突破、潜入工作、懐柔、交渉……どぎつい交渉、未踏地の探検と外交任務も一応。使いっ走りみたいなものだけど」
「何でもできる?」
「何でもじゃない。さすがに限界もある」
「えへへ、すごい。じゃあ、ニシはわたしの奴隷ね。夜のお供もするのよ」
「いやそれは、困る。というか遠慮してくれると助かる。でも、飯を食わせてくれたら今みたいに戦って守ることはできるし、助言もできる。俺は見た目以上に歳をくっているんだ。相応に仕事はできる」
「お金、いらないの?」
「使うこともないだろうから」
長大なライフルを背負ったシスは喜んでニシの周りを駆けた。そして背中に飛びつく。
「バカかよ。男なんかで浮かれやがって。あたしは先に家に戻るかんな」
「まあまあそうイライラしないで」アーヤがなだめる「強くて安上がりな用心棒ができたんだ。私らにとっちゃその臭う心臓よりずっとマシなんだよ」
「うっせぇ。チンコのことばかり考えやがって」
「そんな事言うと、レイナには使わせてあげないぞ」
「こっちから願い下げだ」
レイナはふてくされてイグニッション・スイッチを押す。反重力機構へ通電して青い光が灯る。ふわりと車体が浮き、接地していたソリがシャシーの中へしまわれる。
アクセルを回す/反重力機構の偏向機能で、地面から膝ほどの高さを滑るように走り出した。トラックの事故現場はすぐに見えなくなり、際限のない砂漠と青い空のなか、またレイナがひとりぼっちになった。
「男は嫌いだ」
物語tips:銀髪
テウヘルの心臓を生のまま接種したあとに体に起きる形質変化の一例。生理的な理由は不明なものの、経験上 摂取量と本人の体質次第だが体力や知力、はたまた治癒力などが向上するとされている。
一方で接種した後は高確率で死亡または腐獣化する。そのため連邦法の及ぶオーランド、オーゼンゼ、シーウネなどの都市では取引や所持に厳しい取り締まりがある。一方でその制約を受けない国では許可性、あるいは自己責任とされている。
なお、テウヘルの心臓の採取は手足をへし折った後生きたまま採取しなければならないため危険。