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「今日はいい死に日和だったか? あん?」
野良猫のようなシルエット──銀髪の少女はボロいシルエットのストールから顔を出す。雑に束ねた長い銀髪もそろそろ散髪の時期だというのに伸びるに任せている。鋭い眼光も誰とも馴れ合わない野良猫のようだった。
レイナはふてぶてしくつばを吐いた。唾液と混ざった砂が砂漠に落ちて、極度に乾燥しているせいですぐシミも消えてなくなる。小一時間前駆二輪を飛ばしてきたので口の中だけじゃない、鼻や耳の穴の中まで砂が入り込んでしまっている。
救難信号を受信したときには心が踊った。街道から逸れた砂丘で、どんな怪しいやつかはわからなかったが、少なくともポケットの金を全部いただける。ここ最近の財布事情を考えればそんなリスクを考えない冒険もやらざるを得なかった。地平線の先から黒い煙が立ち上っていて、電波の三角測量なしにたどり着けるんだ、と楽観視していた。
救難信号を出した当事者の、半浮遊式の前輪駆動トラックは前方部分が大破していた。せめて反重力機構でも取り外そうと思ったが、高そうな部品も軒並みオシャカだった。
運転席側で細長い影が雑にドアを開けた。特徴的なドレッドヘアが細身の影の形から目立っていた。
「無駄足だったにゃん」
身分とは身なりである、とかいう格言を体現した長身の女性。鮮やかなキャミソールに都市部で流行りのスカート風ショートパンツ+軍用ベストそして反骨精神むきだしのドレッドヘアというちぐはぐさ──アーヤの横顔はまだ少女の面影も残っている。まるで飼い猫がまだ見ぬ外の世界へ旅立ったように。
ちぐはぐさといえば、アーヤがかけているサングラスを取ったときあらわになるグレーの斜視の瞳もそうだった。あれに睨まれると途端に居心地が悪くなって秘密も全部吐露してしまう。
「レイナ、そっちは何かあった?」
「んや何も。食いちぎられた新鮮な死体が2つ。トラックは6人乗りだろ?」
細かい砂にまみれた死体が2つ。下半身がなくなっている。砂蝿がまだ寄ってきてないので死後1時間くらい。苦痛と恐怖に歪んだ顔は、何度見ても慣れない/そんな弱気を隠すためにストールに顔をうずめる。死体を見るたびに思う──こいつらはいい死に日和だったのだろうか。
新鮮な死体のジャケットをまさぐる。内側のポケットから折れたタバコとライターが出てきた。ちくしょう小遣い稼ぎにさえならない。
「残りは腐獣にでも連れ去られたかなぁ。おっ発見! 連邦の通貨カード」
「いくら入ってんだ? 嘘ついたらてめぇのケツの穴が2つになるからな」
「ご安心を。穴ならもう2つ持ってるにゃん」
アーヤはレイナの罵詈雑言を蝿のようにあしらうと、死体の個人通信端末に通貨カードをかざした。パンチ穴と電子タグが内蔵されたカードで、電子タグがイカれていたら連邦の銀行か両替商まで出向かなければならない。しかも手数料がかかる。
「ラッキー。2万入ってる。で、コウノイケの裏為替手数料を加味して……連合通貨で1500。3人で山分けして1人500」
「この前よりレートが悪くなってんじゃないか?」
「さあね。連邦と企業連合のお偉いさんたちがまた喧嘩したんじゃない? まあ他人名義の通貨カードだから為替レートはもっと悪くなるかも」
「今日の飯代にもならねぇじゃないか」
「お酒、やめたら?」
「のんでねーよ! アル中インポ野郎といっしょにすんな」
ああ言えばこう言う──ムカつく女だ。つくずく、なんでこんなやつとつるんでいるのか、わからなくなる。本当は一匹狼のほうが性にあうっていうのに。
アーヤのバギーには発電機が積んであるから、長距離を移動するときは助かる。前駆二輪のバッテリーだけではそう遠くまで走れない。チームの名前を<砂漠のトカゲ団>とかいうふざけた名前にしたのは、ぎりぎり我慢できた。あとはアーヤの友人の多さか。なにかとフアラーンの顔役との連絡役をよく知っている。戦いの方は短機関銃の弾をばらまくだけのド素人だが頭だけはよく回る──よく考えてみたがやっぱりムカつく女だ。
「私さ、使えそうな通信機とかスペアパーツとか……おっ冷房用の触媒、いっぱい入ってるじゃん! ジャンクを漁るからシスのほう手伝ってくんない? トラックの荷台の鍵開け、できたみたいだし」
「鍵開けって、おめー、あいつのバカでかいライフルで撃ち抜いただけだろう」
「我不求、我可得」
「またわけわからんことを」
跳弾する可能性もあるので2人して荷台の後部扉からは離れていた。レイナは砂をブーツのつま先で蹴り上げながら歩く。
このトラック野郎たちの素性はしれないが、街道から遠く離れた砂丘を走っていたあたり、どのみち密輸品か何かを運んでいたんだろう。マフィアの品ならまだしも連邦や財団系の品だと足がつく。企業連合もだ。連邦の軍警察や財団の保安部もたいがいウザイが、企業連合の私兵集団も相手にしたくない。下手に手を出すと血の気の多い私兵に地の果てまで追いかけられる。
「おーい、チビスケ。どこ行った?」
トラックは空荷だった──チクショウ。運び終わった帰路ということか。とことんついてない。荷物があるにはあるが、それは錆びた鉄格子の檻だった。格子の間隔が大きいので動物を閉じ込めておくようなものじゃない。ちょうど、子供の頭が通るか通らないかぐらいの間隔で鉄パイプが並んでいる。
「人攫いどもか。いいゴミ掃除になったんじゃないか」
レイナは荷台の床に落ちていたスタンガンを蹴飛ばした。壁には丁寧に電撃警棒までぶら下がっている。床に点々と残るシミは、ヒトの血だろう。
生きるためなら殺しも盗みも厭わない。あたしにはその覚悟はある。だが、これは違う。身寄りのないヒトをさらって臓器を抜き取ったり金持ちの愛玩動物として売っぱらう。クソ以下の連中だ。腐獣の餌になって当然だ。
荷台の奥の方で、小さい人影が動いた。褐色の肌の少女。小柄な体型に似合わない長大なライフルを軽々と背負っている。毛先からうなじにかけてレイナと同じ銀髪のメッシュがかかっている。痩せた子猫が本能で巨大な獲物をくわえて放さないというふうにライフルが自身の生命線だと本能で理解している。小柄だが年齢はわからない。顔の上半分を包帯で覆っていて、誰にも素顔を見せようとはしない。目も包帯で覆っているが前は見えているらしい。
「おいチンチクリン、なに油を売ってんだよ」
「む、レイナ。これみて」
チンチクチン──シスがちょこんと床に座って指を指す。床と天井に固定された柱に、一人の少年が後ろ手に手錠をかけられて座っていた。老狼──そんな印象の少年は、直毛の黒髪に黒い瞳はかなり珍しい。年齢はレイナと同じぐらい。たしかにこれなら人さらい捕まってもおかしくないという不思議な風貌だった。
疲れた顔の少年は、やや顔を上げるとレイナの方を向いて不器用に笑みを作った。
「やぁ」
「“商品”がまだ残っていたか」
「できれば、俺を傷つけないでくれると助かる。痛いのは嫌だから」
なんだこいつ。珍しい風貌のみならず真っ白い歯に日焼け知らずの肌。そして連邦の共通語を流暢に話している。
「ね、レイナ。どうする?」
顔の包帯の下で、シスがぼそぼそと喋る。表情が読み取れないので会話しづらいったらない。
「あたしが知るかよ。アーヤに聞くからちょっと待ってろ。その男には水でも飲ませとけ」
「わたし、水筒ない」
「ったく手がかかる!」
レイナはバックパックの装備から水筒をシスに手渡した。
「レイナは銀髪のくせに水を飲む?」
「ああ、そうだよ。チンチクリンより背が高いからな」
「そのでかいお乳。ライフルを構えるのに邪魔だからいらない」
ムカつく──ささやかな反抗で振り返りざまにブーツのかかとでシスを蹴飛ばした。
砂漠の日光に目を細める。傾斜の緩やかな砂丘が地面と青空とを分けている。こんな辺鄙なところからとっととおさらばしたい。
「おーい、アーヤ。来てくれ。生きてる荷物がいた」
「は?」
アーヤの整った眉が釣り上がる。今朝、出発ギリギリまで整えていた眉だ。
「あたしと同い年くらい。奴隷ないしは誘拐。あたしは誘拐の線にかける」
「はいこれ、ショットガンシェル。20発だけあった。あげるね。報酬は山分けって約束だけど私もシスもショットガンは使わないしね」アーヤは化粧箱入の弾丸をレイナに押し付けると「ほーん、いい男じゃん」
「おまえら、ああいうヒョロっちいのが好きなのか」
「ふふん、ゲイのレイナにはわかんないよね」
「誰がゲイだって? ぶっころすぞ」
「男に興味、なかったしょ」
「いちいちうっせーな。嫌いなだけだよ。男はすぐ嘘をつく」
「あっそ。了解」
アーヤは、よいしょ、と掛け声といっしょに荷台に登る。そしてシスといっしょに商品の少年の品定めを始めた。レイナは入口で腕を組んだまま壁にもたれかかった。空気の淀んだ室内より砂漠のからっ風のほうがまだマシだった。
「男は、信用ならない」
こうして遠くから見ているのもある意味では仲間のためだ。男は嘘をつく。こちらがどんな気持ちになるのかちっとも考えつかない。アーヤはあれこれ話しかけている、あれじゃめだ。男ってのは、話を聞く前に1発殴る。で、話し終わったあとでもう1発殴る。それが道理だ。
「おい、さっさとしろよ。どうせ誘拐案件だろ? アーヤ、おめぇの知ってる顔役に詳しいのいねーのか」
「うーん、確かにお金持ちのお坊ちゃんを見つけたなら、この先1ヶ月遊んで暮らせるけど。所持品もなし。この服も、見たことないデザインだ」
しかしアーヤの話が終わるか終わらないかというところで、レイナが少年の後頭部を蹴り上げた。
「助けてほしいんならちったぁてめぇで喋ろ。でなきゃ腐獣の餌だ。以上。3つ数えるうちに喋りやがれ」
レイナは腰のホルスターからソードオフ・ショットガンを引き抜くと、さっきアーヤからもらったばかりのショットガンシェルを筒に詰める。左右2連式で、カチッと軽快な音を立ててロックがかかる。
「ひとつ……ふたつ……」
ゆっくりめの死のカウントダウン。こんなふうに殺しをするのは初めてだが、仲間のいる眼の前で怖気づいたら舐められてしまう。
「……みっつ」
しかし少年は喋らない。それどころか銃口を当てられても怯えたり物乞いをしたり、泣け叫んで糞尿を垂らすとか、そういうのもない。ただ黙って正座している。
「後ろの君、レイナっていうんだね」少年は思いの外 低いバリトンボイスだった「人の頭をショットガンで打ち抜くのはおすすめしない。とくにこの距離では。全身に脳髄を浴びることになるし、感染症の危険がある。それにそのシェル、バックショットだね。頭蓋骨の曲面で滑って仲間まで傷つけてしまうよ。このトラックの荷台は金属製だ、跳弾だってするかもしれない。殺し、したことないんだろう?」
最後に、少年の黒い瞳がちらりとレイナを見た。
「あーいい度胸してるな、てめぇ。だったらこれで首を斬ってやろうか。あ?」
レイナは左腕でバックパックの鞘から無骨な鉈を引き抜いた。よく手入れして研いであるので頚椎だって叩き折ることができる。
「落ち着きなって、レイナ。この子が何したっていうのさ」アーヤの年長者らしいいらえ。
「レイナ、男だからって興奮しすぎ」シスの表情は包帯の下なのでわからない。
レイナは舌打ちをしてつばを吐くと、近くの檻に腰掛けた。険悪な4人に沈黙が流れ、壊れたトラックが砂漠の風できしむ音だけが不気味に聞こえた。
「ニシ。それが俺の名前だ」
黒髪の少年が、ニシと名乗った。後ろ手に縛られ銃口を向けられても、声の抑揚は低いままだ。
「よしわかった。ほかに情報は。家族とか、住んでたところとか」
アーヤが前のめりになった。
「すまない、君たちが危険人物かどうか考えていたんだ。危険じゃないとは実力を見くびるとかそういうのじゃない。見境なしに人を誘拐して換金したりそういうのがないという意味だ」
「あはは、ニシ君、もしかしてギャング共に自己紹介してたの? そりゃ攫われるわ。で、やっぱりニシくんは誘拐された?」
「砂漠を歩いていたら突然。こちらは穏便に済ますつもりだったがこうして囚われてしまった。外の様子はだいたい察しが付く。銃声と長い悲鳴が聞こえて──俺の手錠が外されないということはまだ君たちに礼を言うには早いようだな」
「ボケか、あたりめーだろ。男なんて信用ならない」
レイナが背後からきつい言葉で刺したがアーヤに睨まれて肩をすくめた。
「俺がどれだけ誠意を尽くそうと、君たちが俺を信じないんじゃ意味がないな」
「大丈夫!」アーヤは盛大なウィンクで「私たちじゃない。信じてないのはレイナだけだから」
「そうか」
ニシは息を吸い込んだ。言葉を選んでいるようで少し間を開けてから、
「俺は、いろいろしてきたが、平たく言えば兵士だ。戦いと銃の扱いは──」
「あぁぁ、兵士?」途端にレイナが反応して「そんなの助けたって金ならねぇじゃんか。どの国の兵士だてめぇ? 連邦の兵士だったらおいていくからな」
アーヤはまだ年長者の風を吹かせている。
「まあまあ、レイナ落ち着きなって。たとえ兵士でも助けて恩を売れば、それがコネになり仕事につながる。昔ながらのやり方だけどさ。そういう地道な下地が顔役への近道なのさ。因果応報」
「そういうありがたーい言葉は顔役になってから言えよな」
いがみ合う二人だったが、いっぽうでシスはその小さな手をニシの頬に当ててなでていた。まるでペットをあやすようだったが、鶏の首を絞めるときの仕草にも似ていた。
「レイナがいらないっていうならわたしがもらう。いいよね?」
「勝手にしてろロリっ子が」
「で、どこの兵士?」
シスはニシの両頬を両手でつまんだ。
「実際、どこと言われても困る。特定の勢力に所属しているわけじゃない。治安当局や軍と協力してテロリストや過激な反政府軍と戦ったり。護衛もしたし暗殺もした。とにかくいろいろだ。命令されてあちこちに行かされた。国? だったか。そういうところの兵士じゃない。なんといえばいいか、説明が難しい。だが世界の平和のため戦っていた」
世界──妙な言葉だった。唯一大陸ではなく“世界”。こんな言い方を選ぶやつなんていない。
「ただ、住んでいたところなら言える。東京。西暦2010年の」
ニシは静かに自分の由来を読み上げた。
物語tips:前駆二輪
レイナのバイク。大幅な改造がなされ、前輪部分に自動車用の中古の反重力装置が取り付けられ、膝丈ほどの高さを滑空する。反重力機構自体は電力だけで動くが、バッテリーと配電器、ラジエーターの性能が悪いせいであまり長距離は走れない。