15
†
寒風が吹いて目が開けられない。目を閉じるといささか温かいが、再びまぶたを開くと眼球が冷えてつらい。
「まだかかるのかよ」
「ねー。おそいねー」
レイナは前駆二輪にまたがったまま、シスはバギーのフレーム上で器用にあぐらをかいていた。タムソム市が目前というのに、そのひとつ手前の集落のスーパーに入ってニシとアーヤは冬用のコートを探している。
「シスは寒くないのかよ」
「寒い。でも慣れた」
「ふーん、あたしと同じか」
寒風に揺れるシスのメッシュがかった銀髪を見た。銀髪の適応能力。フリオも怪しげな研究員も同じことを言っていた。寒さを感じるが不快じゃないし、アーヤみたいにくしゃみして震えるというわけでもない。
「シスは、銀髪の力をどう思ってる?」
「便利──」
短すぎる返事に唸る。
「──でもわたしは、機械と生体の橋渡しに腐獣の心臓を使っているから、半分は機械のおかげ。生きてるのも戦えるのも、全部そう。だから便利」
シスの機械ウサギの耳がぴくぴくと反応する。店からニシとアーヤが出てきた。ニシは機能性重視なジャケットとニット帽を、アーヤは膝丈のトレンチコートに真っ赤なマフラーを巻いていた。そのくせ反骨精神丸出しのドレッドヘア&斜視を隠すサングラスだった。
「んだよ、デートにでも行くのかよ」
「ふふん、観察力が甘い甘い」
アーヤはニシと恋人風に腕を組み、シスに猛抗議を受けた。となりで、ニシはちらりとレイナに目配せしている。
「ああ、サングラス」
「そそ。おしゃれなティアドロップ・サングラス」
「だったらそのドレッドヘア、なんとかしろよ。一番にあってないぜ」
「むむ、直毛に戻るのに時間がかかるんだよう」
4人は店で買った適当なスナックをつまんだ後、タムソム市へ向かうハイウェイに乗った。今までの砂漠と荒野と岩山という風景から一変して周囲は針葉樹林が並んでいた。そして林が途切れると一面に海が広がっていた。轟々と寒風が吹くがそれでもどこまでも続く水という光景は、長らく内陸のフアラーンで過ごしていたレイナにとっては目を釘付けにするに十分の迫力だった。
タムソム市は唯一大陸最北端の半島の突端にあった。地形も山がちなのでハイウェイもぐるぐるとカーブが多くあまり速度が出せない。観光客やブレーメン学派の巡礼者を載せたバスをたくさん追い越した。
夕方近くになってやっと到着した。ハイウェイを降りて市内を進む。どの建物も古風で寒さに備えたガッシリとしたコンクリート造りだった。通りにはずらりと5階建てのアパートメントが並び、その1階部分はカフェや本屋や商店だった。
レイナは特に何も考えずアーヤの運転に続いた。アーヤはきょろきょろと観光客向けの宿を探し、最終的には海の見える宿をとった。駐車場がホテルの裏手にあり、オレンジ色の街灯が街を照らしていた。ニシがレイナとシスの銀髪をスカーフで隠している間に、アーヤがチェックインを済ませていた。
「は? あたしら仕事に来たんだが、なんだってこんな」
値段を聞かないでも分かる、たけぇ部屋だ。窓からは海が見え集中暖房でパンツ1枚でも過ごせそう。ベッドルームが2つありリビングもある。床にはブレーメン模様の絨毯が敷いてある。暖炉こそ使えないが、昔は実際に使われていたものだ。バスルームを覗いてみたら真っ白なバスタブに、真鍮の蛇口は金みたいに磨き上げられている。
「ロゼさんからもらった前金、まだ残ってるしさ。ぱぱっと使っちゃおうかなって」
「死ぬ前に後悔しないようにってか」
「もーレイナちん、縁起が悪いぞ。で、部屋割りはいつもどおりってことで! お風呂は誰から?」
「楽しそうだな」ニシは窓枠に腰掛けて「こうも平和な街だと銃砲店を探すのは難しそうだ」
「ふふん、ニシくんはブレーメン学派の勉強は済んだのかな」
アーヤが自慢げに言った。
「ああ、アーヤの持っていた本は一通り読んだ。ブレーメンの生き方を研究する哲学だ」
「ちっちっち。それだけじゃないんだな。タムソムには古代ブレーメンの海底遺跡があるんだよ。最北端ってことで、もともとタムソムにはブレーメン学派の公会堂があったんだけど、それがよりいっそう聖地として有名になったわけ」
「ふうん」ニシはアーヤに耳を傾けながら街の外と向かい側の建物をじっくり観察して、「狙撃の警戒は必要なさそうだ。敵がシスのような義体だったら、わからないけどな。壁越しに狙えるんだろ、その耳」
うへ、まじかよ。
「で、アーヤ、ロゼとの待ち合わせは?」
「うん、タムソム市のサイバーネットでね、観光案内掲示板にこう質問するの『七騎士を巡るパワースポットは』って。で“ピンクの子猫ちゃん”ってハンドルネームで返信がある」
「ま、悪くない方法かな」
「さっき投稿し終えたから、夜には返信があると思う。そうだから今のうちにお風呂にはいっちゃおう!」
「はは、俺は良い。買い出しに行ってくるよ。先に風呂に入っててくれ」
がちゃり──ニシは部屋を後にした。
「あっはい! あたしも買い出し。アーヤは洗髪スプレー、シスには高級シリコングリスだったな」
レイナは銀髪をスカーフで覆い隠した。街を歩く女性たちと同じ手順で頭を覆う。ニシが乗っているエレベーターが、扉が閉まるギリギリのところで滑り込んだ。
「荷物を持つの、手伝ってやんよ」
しかしニシは怪訝そうに、
「アーヤは洗髪スプレーと日焼け止め、シスは熱伝導シリコングリスとデュオくんのお面。あとは歯磨き粉とか歯ブラシとか。べつに俺1人だって」
「まあまあ、硬いこと言わず、行こうぜ」
「レイナは何か用があるのか」
なんとなく部屋を飛び出して来てしまった。2人の風呂待ちなら1時間はかかるだろうし。
「そうそう、あたし砂埃で汚れてるしさ、だから風呂の順番も最後で良いんだよ」
「ふうん、そう。気遣いできるようになったんだな」
うっせぇ──ニシの高いところにある肩を小突く。
ホテルの前の通りはデザイン事務所や家具屋がならび、地元の住民のアパートメントが反対側のビル群にあった。路地を曲がると、白装束の巡礼者と夕食を探して歩く観光客たちがいた。
「ムーなんか足りないような」
見渡してみて、“広さ”を何となく感じる。
「電線が無いだろう? 送電線とかガスの配管とか地中に埋めているんだ。その分道が広いし空も広く感じる」
「ああ、確かに」
「フアラーンは増築のし過ぎで電線が絡まっていたからな。観光客を誘致するならまあ悪くない手だと思う。正直、住むならこれぐらいの街がいいな、俺は」
「トーキョーと比べても?」
「また極端な。俺は“地球”で育ったんだ。唯一大陸はやっぱりどこに行っても慣れない土地だよ。あちこちテウヘルだらけだし。良いことと言えば地震がないってことぐらい」
ジシン……初めて聞いた。綴りはあとでアーヤに聞いておこう。
スーパーか量販店を探してあてもなく歩いてみたが、次第に観光客が多くなり道端もお土産屋が増え始めた。並んでいるのは職人が仕上げた木製の食器だったり刃物だったり。それらすべてにブレーメンらしい文様が彫られていて、異様に値段が高かった。
「ブレーメン学派の聖地って聞いてたけど、なんか……なんていうんだっけ」
「観光地価格」ニシが補足してくれた。「巡礼者ならともかくにわかの観光客は商売のいいカモってこと」
「詐欺じゃん」
「観光客が納得するならソレで良いんだ。観光客なんてどのみち一見さんだからふっかけた値段ぐらいがちょうどいいんだよ」
ニシがじろっと、フェミニンな人形を見ていた。誰でも知っている、神話のブレーメン七戦士を模したものだった。それぞれが青色の武器を持っているが、一人だけは武器を持たない少女だった。
「あ、あれ。ニシ、知ってるか。ブレーメンの七戦士。空を駆け、山を切り、地に大穴を開け、海を割り、川を走る。すげぇだろ。でもいちばんすげぇのは末の娘。指をぱちんと弾くだけで千の獣人をぶっ殺すんだ。誰よりも神の加護を受けてな」
「だがそのあとブレーメンを裏切って、『裏切りのマ女』として老いぬ人生を送るんだ。一人寂しく」
あれ、そんな結末だっけか──そうだ、ニシに着いてきた理由をやっと分かった。妙にこいつの表情が硬いからだ。
「ヒトの歴史についてあれこれ文句をつけるつもりはない。俺たちホモ・サピエンスだって歴史は血で書かれているから──」
ん? 何の話だ。
「──ブレーメンの境遇を考えると、歴史の徒花と片付けるには悲しすぎる。いったいどれだけの想いが、ア・メンのせいで翻弄されたか」
ニシの横顔はいつも似まして険しかった。ヒトを撃ち殺すときでさえこんな顔はしていなかった。
「你感恐惧、接受愿望」ニシは唐突にブレーメン学派のありがたーい言葉を引用して「すまない、こんな観光地で言うべきじゃなかった。怖がらせてしまったか? かわりになにかひとつ、レイナの要求を飲むよ」
「何でも?」
「何でも、は無理だけど俺ができる範囲で」
そんな気遣いは不要だ、とレイナは口走りかけたが通りのあちこちを歩くカップルの観光客が目について仕方がなかった。唐突に/反射的に、レイナはニシの腕を掴んで手繰り寄せた。
「ばか、勘違いすんな。これはだ、周りに溶け込むための工夫だ。それにくっついて歩いたほうが温かいだろうが、バカ」
バカはあたしのほうだ。思いつくままに動いて喋ってしまった。恥ずかしさに顔が熱くなる。ああちくしょう。この程度のことにブルっちまうなんて。
しかしニシは黙ってレイナの横にいて何も言わないでいてくれた。
地元向けの雑貨屋で買い物を終え、ホテルの部屋に戻るとルームサービスで注文したブレーメン料理を床に並べ、下着1枚のアーヤとシスが食事の最中だった。
「くっそ部屋あっつ」
「んーなんていうか、つかの間の贅沢っていうか。ほら私たち砂漠に住んでるからさ『暖かい部屋で温かい食事』って贅沢じゃん」
知るかんなもん。
レイナは黙って部屋の温度を不快じゃない程度に下げシャワールームの前で服を脱ぎ散らかした。ニシの存在を気にすること無く乳を揺らしてシャワールームに入る。
ザーザーとお湯を頭から流す。余計な考えもろともお湯に流れることを一新に考える。高級シャンプーは嗅いだことのない芳香を放ち、ぎしぎしに絡まった長い銀髪を丹念に解く。長すぎる銀髪は、この街じゃ切ってくれる理髪店も無いし、自分で切るには見栄えが悪くなってしまう。
「はっ? 誰が見栄えを気にするって? あーちくしょう」
そしてこっそり買ってきたカミソリがバスルームの外にあるのを思い出す。下の毛まで真っ白になっていて不気味なので剃ってしまいたい。
「いやいやいや、みせるわけ無いのに、何気にしてんだ、あたし」
おまけ
物語tips タムソム市
連邦支配下の国。
最北端の都市。北極圏に位置し、冬は雪が積もる。海中に沈んでいた古代ブレーメンの、神を祀った聖堂が見つかり、ブレーメン学派にとっては聖地のような都市。
いっぽうでアーヤのような“にわか信者”たちにとっても聖地巡礼や観光に人気の街。下町には安直なお土産屋さんが軒を連ねる。
大陸の他の都市に比べて比較的治安が良い。そのせいで銃器の所持は規制される。