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物語tips 反重力機構
戦艦から戦車、乗用車までが採用している浮遊機械
唯一大陸の特徴的な鉱物で、その粉末を加工して通電すると浮力が発生する。1000年前にはすでに実用化され、巡空艦の気嚢に使われていた。その後、改良と普及が進み、500年前には自動車に搭載できるほど小型化された。
こと天然石油が枯渇した唯一大陸においては合成石油でさえ安くないため、発電機と反重力機構を組み合わせた統合電気推進に利があった。
なお現代においては、鉱物の枯渇も進み、都市国家の孤立主義も相まって浮遊機関を搭載した自動車は年々少なくなりつつある。
「道中お気をつけて。この先、腐獣が出没しますからなるべく停車しないように」
パリッとした制服を着た連邦兵士が敬礼をする。銃などは携帯していない。検問所の詰め所と壁の上には銃を持った兵士がいるが、もっぱら警戒するのは荒野からフラッと襲いにくる腐獣だろう。大口径の半自動式ライフルを提げている。あれに撃たれたら、ヒトならかすっただけでも死ぬ。
賄賂も分厚い書類の束もなし。もっとも、この市民証を手に入れるのが難しい。連邦領域で生まれ育っていること、そして犯罪歴や職歴などがサイバーネットで参照されるのでたとえ連邦市民であっても素行が悪ければきつく詰められることがある。
ニシは印象の良い笑顔でIDを受取り、アーヤのバギーに戻った。そして膝の上にシスを抱えた。そしてバギーを先頭に、レイナの前駆二輪もあとに続く。
検問所で止まっていたときは、砂漠の日差しでじっとりと汗をかいたが、いざ走り出すと汗が乾いて涼しい。それに後輪がゴムタイヤのバギーと違って完全に地面から浮いているのでほとんど揺れない。
初めての連邦支配領域、と構えていたが、なんてことはなかった。砂漠と荒野と、ナイフで切り取ったような崖が時々見える。砂漠をフラフラと彷徨う黒い影が見えるが、そういった腐獣は車の速度に追いつくことはなくすぐ視界の外へ消えていく。
道路は片側1車線だけだがこの1時間ですれ違ったトラックの模様をぜんぶ思い出せるくらいすれ違う車はほとんどいない。
レイナは右手だけでハンドルをにぎりぼんやりと地平線を見た。バギーの車内で3人はなにか話してる。声まではさすがに聞こえなかった。レイナの視線はいつの間にかニシの笑う横顔に吸い寄せられていた。
「あれ?」
妙だ。前駆二輪がおかしい。自動車用の反重力機構を改造して取り付けているうえにかなり古いので“おかしい”のはいつものことだが、いつも以上におかしい。アクセルを回しても速度が上がらず次第にバギーに離されてしまう。ついには反重力の青い光も消え、地面に着いてしまった。
「おーい、ちょっと待てって!」
叫んでもアーヤには届かず、ビービーとホーンを鳴らして、やっと引き返してきてくれた。
「どーしたの? レイナちん」
アーヤが運転席から身を乗り出す。
「んー、バッテリーよし、電圧も……ちょっと低いけど問題なし」レイナは工具袋からレンチやらテスターやらをとりだして、「あと考えられるとすれば通電制御機か」
レイナが膝立ちになって、反重力機構の隙間から工具を差し込む。
「バッテリー、外しておいたほうがいいじゃないか」
レイナの影にニシの影が重なる。手には三三式ライフルを構えている。腐獣の襲来を気にして、視線は常に地平線にあった。
「ん? ああちっとビリビリするけど電柱男の電撃拳に比べたらへでもないよ」
ニシがレイナに手を伸ばしたら指先からバチッと電撃が走ってすぐ手を引っ込めた。
「フリオ、だったか。やつは“銀髪の適応能力”がナントカ言っていたが、つまりもう電気には慣れたってことか」
「どうだろうな。電気が走ると痛いんだが」
なぜだろう。全く気にならない。
反重力機構から通電制御機をやっと取り外せた。防塵カバーを外すと、中の基盤が真っ黒に焦げていた。
「レイナ、バッテリーとの間にヒューズを付けていたか」
しかし黙ったまま──部品がなかったので、スクラップの導線をビニルテープでぐるぐる巻きにして結線していた。
「レイナ、機械に弱いならきちんとメカニックに任せるべきだ」
「るっせーな、わかってるよ! 親父だってこうやってたんだ。あたしにこれ以上どうしろっていうんだ」
その時、ターンと甲高い銃声が響いて全員が黙った。バギーのフレーム・パイプの上で、シスがあぐらの姿勢で長大なライフルを構えていた。機械ウサギの耳が有機的に動いて周囲の動体を走査している。肉眼では捉えられない距離の腐獣を撃ち抜いた。
「とまあ、敵はシスに任せるとして」アーヤが反重力機関の反対側から見て「ん、これは機械ごと交換かなぁ。といっても手作りでしょ。これと同じ型式の反重力機関が手に入ればくっつけられるんだろうけど。レイナ、知ってる?」
「知らない」
物心付く前から親父はこれを乗り回していた。
「とりあえず、反重力機構とバッテリーを直に繋いでさ、浮かべれたらロープで引っ張って次の町まで行けるから。そしたらなんとかなるかも」
レイナはアーヤの言う通りが癪に障ったが、あまり悠長なことはしていられない。シスは早速次の目標を見つけて銃口をそちらへ向けた。地中から腐獣に這い寄られたら修理どころじゃない。
「いまさらだが、どういう原理で浮いているんだ?」
ニシがレイナの手元を覗き込む。ちょうどバッテリーにつながる配線を外したところだった。
「んだよ、トーキョーには反重力機構はないのかよ。あればちょちょっと修理してもらおうと思ったのに」
「無いな。というか物が浮くって物理法則に反しているだろ」
物理……綴りはわかるが意味はわからない。
「あたしも詳しくは知らねーけどよ、電気を通したら軽くなる“粉”があるんだ。そんでもって青い光が灯る。連邦の巡空艦が空に浮いているのも同じ原理だぜ」
「船が空を飛ぶのか」
「ああ、いや海にも空にもいるけどよ。トーキョーにはないのか?」
しかしニシは少しだけ遠い目をして「この技術さえあればあんな思いをせずに済んだのに」と小さく言った。
レイナは配線を反重力機関の内部まで引き込んだ。やや長さの足らない配線を力任せに引っ張ってタイラップが弾け飛ぶ音がした。ボルトで共締めをして前駆二輪のイグニッションキーを回すと、すぐ反重力機構に通電してふわりと浮き上がった。ふだんより少し高い位置で滞空している。
「んーやっぱり偏向機構が死んでる。電圧も不安定だなぁ」
「レイナ、はいこれ」アーヤが牽引用のベルトを渡してくれた。「地図によるとプラーバー市が近くにある。引っ張りながらだから2,3時間ぐらいかかるけど」
まったく。すべてクソッタレだ。
とろとろとした速度でアーヤのバギーに引っ張られる。電圧が下がるたびに前駆二輪の腹下が地面を擦る。おもしろくない。それにこの前駆二輪は親父の形見だ。それを壊してしまって、誰かにこのイライラをぶつけたいがすべての責任は自分にある。
いやでも、仕事に銃に忙しくしているのに前駆二輪にまで気を配れるのか? ムリムリの無理だ。
自責の念がレイナの中で堂々巡りで4巡ぐらいした後、地平線にプラーパー市が見えてきた。背の高い建物がない田舎町だが地元の市民が地元の市民向けに小さな商店を開いている。レイナの前駆二輪はなんとか、工務店の店先までは反重力機構を維持したがそこで息絶えた。腹の出た男の店主も、反重力機構を見るなり「買ったほうが安い」と告げた。
「でもよ、大切なものなんだよこれ! おっちゃん、直せないのか」
「つっても型番を見る限りモノス自動車のバーレイ・シリーズだろ。で、作られてからどれだけ経ってんだこれ。100年か」
「エンジンだけでも買えないのか?」
「モノス自動車はオーランドの企業でずっと昔に倒産してる」
「んじゃよアタマ重工のでもなんでもいいから」
「だから言っただろ。新しく買ったほうが良い。前駆二輪、いっとくが普通は内燃エンジンだからな。反重力機構をとっつけた改造、まともな連中は普通はしない。高くつくからだ」
くるり。レイナが振り向くとアーヤがいた。
「いっそ4人で乗れるSUV、買っちゃう?」
「金、あんのかよ」
「連合通貨と連邦通貨を足しても足りない」
無いなら言うなっての。
しかしこれからどうしたものか。タムソム市はブレーメン学派の聖地かつ観光地でもあるので、たぶんこの町からでもバスは走ってる。が、連邦支配領域じゃ銀髪の評判は良くない。それに何より、傭兵が長距離バスで移動なんてダサい。
「お嬢ちゃんたちが欲しいのは、金かい?」
「んや、おっちゃん。反重力機構だ。だが金で買えないんだろ?」
「それがねぇ」工務店の店主は自分のパルを見ながら「モノス自動車のバーレイ・シリーズのだろ。サイバーネットで調べたらストリートレースがあって、優勝したら賞金とバーレイの反重力機構が手に入るそうだ。何たる偶然、ア・メンに感謝」
「中古っしょ? ちゃんと動くんだろうな。あと型式とかも」
「実際、見てみなきゃわからんが、マニアがこぞって参加するレースだ。優勝賞品もきちんとしたものだろう。じゃないと主催の首が飛ぶ。物理的に」
「まじか! で、おっちゃん、そのレースはいつだ?」
「今週末。んーだけどよ……」
「よし、あたしは参加する。そんでもって新しい反重力機構を手に入れる!」
ため息──よく聞こえるようなため息の後にニシが、
「で、“足”が無いのにどうやってレースに出るんだ」
「あ」
ちくしょう。恥ずかしくて顔が熱くなる。
「お嬢ちゃん、あともうひとつ」工務店の店主が申し訳無さそうに「これはアングラのレースだ。ワシのツテでエントリーはできるし参加費用もワシが持ってやろう。だが、ね。街の中と荒野の峡谷地帯を走る。銃に爆弾、妨害工作なんでもありのレースで、危険だ」
「おっちゃん。その点については大丈夫」
工務店の店主は目を丸くした。
4人は輪になって互いに顔を見合わせた。
「レイナちん、まじで参加する気?」
「前駆二輪直さないと、観光バスでタムソムに行くんだぜ」
「レイナだけがね。もう、バギーを貸すのはいいんだけど、レースで壊れたら私たち全員、この田舎町で足止めなんだからね」
クソほどの正論だった。反論の余地がない。となりでシスはニシの腕の中にすっぽり収まったままだった。
「俺は、できる限り協力はする。だけど決めるのはレイナ、君自身だ」
そう言うと、ニシはシスを肩車して近くのドリンク・バーに出かけてしまった。
「よし、じゃあアーヤがドライバーであたしがガンナー」
「え、ええ! 私が運転するの!」
「当たり前だろう。他に誰がいるってんだよ」
「ニシ君」
「あいつは……たぶんできるんだろうが、アーヤ。これはチャンスだと思わないか」
「チャンスって、何のよ」
「一皮むけるチャンスだよ。傭兵としてバリバリ行きたいんだろ。だったらこのアングラなレースで勝つのも、景気づけに良いと思わないか。ほら、ブレーメンのありがたーい言葉にもあるだろ?」
レイナはアーヤと額を突き合わせた。そしてアーヤのグレーの瞳の斜視を見てニヤリと笑った。
「ぐぬぬぬ、わかった。私、やるよ。不遊泳不習魚」
ちょろいぜ──ニシの交渉術に聞き耳立てて正解だった。
レースの開催される週末はあっという間に訪れた。この数日、工務店に毎日通ってアーヤのバギーの改造をしていた。後輪のゴムタイヤを新調したり反重力機構に防弾板を貼り付けたりした。工務店の店主も気前よく手伝ってくれた。優勝すればたしかに大金が手に入るしそれがそのまま工賃として店主の懐に入る。店主のブサイクな見た目に反して技術的な腕前は確かなようで、タバコを片手にあれこれアドバイスをしてくれた。
レース会場はプラーバー市の郊外にある古い連邦軍の巡空艦の駐機場だった。どこまでも平らで、アスファルトの裂け目からイネ科の細い植物が顔を出している。今ではもっぱら、街の若者たちのドラッグレースの会場になっているらしく真っ直ぐなタイヤ痕がくっきりと残っている。しかし今日はちゃちな不良の腕比べじゃない。近くの街からも走り屋たちが集まるお祭り騒ぎだった。
スタートは正午ぴったり。それまでまだ時間があるが、改造マニアたちが自慢のマシンを見せつけるようにレース車両を並べた。軍用の全浮遊式車両から、レトロな旧車をオフロード仕様に改造したマッスルカーまであった。何人かはレイナのように乗用車用の反重力機構を改造した前駆二輪に乗っている。
観客席ではさっそく賭けが行われている。ずんずんと音楽の低音が響く。アングラのレースのはずが、荒っぽい若者たちが観客席でがやがや騒いでいた。
「まるで祭りだな」
レイナはショットガンの銃身をウエスで磨いている。レース参加者は堂々と銃を携行しているし、なんなら車の屋根に機銃まで付けている。ぱっと見まともそうな車両もまともじゃない改造をしていそうだった。
「まあ田舎らしい娯楽、じゃないかな。ここまで派手にやるとさすがにフアラーンでも市警が黙ってないし。きっと主催者の顔が広いんだろうねぇ」
「顔役みたいに?」
「権力者っていうんよ。単に金があるとかじゃなくて、権力者が「やる」といえば何でも通っちゃう」
「へー。てことはあそこで賭けしてる胴元あたりが臭いか。ま、あたしからしてみればちゃんと中古の反重力機構をいただけるならどんなクソ野郎でもかまわしねーけど」
「八百長もあるかもしれないんだよ。気をつけなきゃ」
「へっ、んなもん。あたしがひっかかるかよ」
レイナはショットガンの手入れを終えた。マチェーテはお守り代わりに鞘に入れて腰に下げた。
その時、やかましいエンジン音が近づいてきた。両輪駆動二輪──前側は反重力機構が青く灯り、後輪は馬鹿みたいに太いタイヤが変速機とレシプロエンジンにつながっていた。それにまたがるのは見え覚えのある顔だった。
「あっ電柱野郎!」
レイナが、さっき手入れを終えたショットガンを構える/アーヤは状況がわからず右往左往した。
「ほう、これはこれは銀髪のレイナ。ここで会えるとは思わなかった」
「くそてめぇ何しに来た」
レイナは今にも噛みつこうと息巻いたが、フリオ=電撃拳は鷹揚なままだった。
「何って、レースさ。優勝すればなかなか良い金になる。だれかさんのせいで俺は失業。その上義体を壊されて修理が必要だ。この体は特注品だからオーランドまで行かなきゃ直せない。金がいるんだよ」
「んだとこら。復讐しにきたのか」
そう言いつつ、眼の前の電柱男の姿は異様だった。両輪駆動二輪にまたがっていると思ったが、実際は腰から上がバイクに載っていた。足などはなく操縦のためのハンドルは着いていなかった。まるでブレーメンの神話に出てくる業魔のような姿だった。
「んー、銀髪のレイナ。君は人の話を聞くべきだ。俺は自分の修理費のためここにきた。復讐? お前と戦ったのは仕事だったからだ。それに、俺が本当になし付けたいのはあの黒髪のほうだ。ありゃなんだ。義体でも銀髪でもねぇ。まるでブレーメンだ」
ん、意外と話のできるやつだ。警戒してショットガンを握ってるあたしが馬鹿みたいじゃないか。
フリオは大人らしい愛想でアーヤの方を見た。全駆二輪の後輪が後ろ向きに回って超信地旋回をしてみせた。
「はじめまして、お嬢さん。申し遅れた、俺はフリオ。皆からはフリオ=ライトニングフィストと呼ばれている」
「どうも。アーヤです」
「ふむ、銀髪のに比べ君は知的で美しい」しかしフリオは表情が厳しいまま「このレース、ただのレースじゃないってのは気づいたと思うが、気をつけるべきだ。とくにエントリーナンバー1のアタマ・マレィには気をつけるんだ。見た目は普通のピックアップだが反重力機構は軍事規格のに換装してある。防弾もさることながら自動機銃を荷台に載せている……というのは大した事ないんだが──」
食い気味だったアーヤがあからさまにコケた。
「──あいつはポリスタファミリーのバカ息子だ。父親はオーランド中央政府の有力政治家と仲が良い。この街じゃポリスタファミリーに逆らえるものはいない。このレースもまた、八百長レースなんだよ」
「お前、ほんとよく喋るよな。体のほとんどが機械のくせに」
しかしフリオはレイナの小言を無視して、まっすぐアーヤを見たまま、
「アーヤ。俺は君が心配なんだ。こんなレースでは弱いものから食われてしまう」
「あら、私はあなたが思うほど弱くはないわ」
「そうか、それは失礼した。この気持ちは、そう一目惚れだ。俺が優勝した暁には、ぜひ結婚を申し込ませてくれ」
アーヤは下半身が両駆二輪の男に告白&プロポーズ予告をもらいガチガチに固まってしまった。アドリブの効いた軽口を話そうにも陸に上がった魚のようにパクパク口を開けるだけだった。
「ちんこも無いくせに結婚を申し込んでんじゃねーよ」
レイナが怒鳴る。
「女性好みのちんこを付けることができる。結構評判だぞ。動きだって24種類の……」
「うっせい黙れ。燃料をまぶせてシリコンのちんこでも■■ってろ!」
フリオはレイナを無視してまっすぐアーヤを見て、そして一番の決め顔で静かに走りさった。
「どうしよ、私」
「よかったじゃねーの。まな板の乳に惚れてくれる男がいて」
「レイナだって目玉焼きくらい乳輪がでかいじゃん」
そんなにデカくねぇ。「悪い男ばかり寄ってくるな。次もまた殴られて失明するかもな──」そんな軽口も思い浮かんだが、仲間とは言えさすがに一線を超えそうなのでこらえた。アーヤは、殺した彼氏に殴られ斜視になった左目をさすっている。たぶん、悪い男に引っかかりやすいのは本人が一番わかっている。
「ま、レースに集中しよう。アーヤはずっと運転するんだ。水でも飲んどけ」
このレースでちょっとはアーヤの自信がつくかとも思ったが、また壊れたパルみたいにブレーメン学派のありがたーい言葉をぶつぶつ諳んじている。それが正しいかもいまいちわからないが、ハンドルを任せるうえではあれで集中してくれるなら文句はない。
レース会場の即席のステージに、全身に電飾を着た男があがり、会場に鳴る音楽に負けないくらいの音量で叫ぶ。しかし誰も興味が無いようで、ドライバーたちはマシンの暖気運転に余念がない。
食事を終え、ニシとシスが帰ってきた。シスの手には少女の顔より高く盛ったアイスクリームがあった。ニシは緊張で固まったアーヤに声をかけてやっていた。
「よかったな。うまそうなもの買ってもらったんだな」
「む。おいしい」
シスは冷たいアイスクリームをもぐもぐ舐める。実質年上のシスは事あるごとにレイナに「食べる?」と誘うが今回ばかりはその声はなかった。
「ねえ、知ってるレイナ?」
レイナは適当に唸って返事をした──そういう問いかけの場合、たいていは「いや知らない」ということが続くから。
「アーヤはね、心配性なの。自信満々にレイナを砂漠のトカゲ団に誘ったり積極的に顔役の連絡先をもらったりさ。それ全部、心配だからなの。積極的だからじゃない。ずさんで喧嘩っ早いなレイナじゃ理解できないかもだけど」
「一言余計なんだよ、チビババア」
「シスはおねーさんだよ」
「じゃあよシスおねいさん。レースで優勝するコツとか教えてくれよ。あんだろ? 年増ならではの知恵袋とかさ」
レイナの軽口の応酬もシスはまともに取り合わず、
「敵ぜんぶ殺しちゃえば勝ちだよ」
おっかねぇ。こいつをレースに参加させなくて正解だった。殺戮ウサギなんていくらアングラレースでも洒落にならない。
ニシとシスは観客席を探しに行ってしまった。シスは肩車されているのでしばらくは人混みの中でもどこにいるのかが分かった。
「よーし、勝つぞ!」
レイナは助手席に乗り込んだ。いつでも反撃できるようショットガンを握りしめる。
スターティンググリッドに参加車両が並ぶ。レギュレーションのないメチャクチャな百鬼夜行。せめてものハンディということで、加速が遅い車重の多い順に並ぶ。先頭グループは車高の高いラリー・トラックで、最後尾は前駆二輪連中だった。バギーはやや後ろ寄り。
「市内の舗装路じゃ勝ち目がない。でも郊外のオフロードコースに差し掛かれば走破性で勝てるはず」
アーヤはハンドルの中央に貼り付けたコース地図をじっと見ている。それぞれチェックポイントがあり、すべてのチェックポイントを通過できないと勝ちは認められない。
スタートライン兼ゴールラインの鉄塔に美女が登る。真っ赤なエナメルのノースリーブのベストとケツの見えているホットパンツという、主催者の趣味の悪さがにじみ出ている。司会はカウトダウンをしているが、自車/ライバルたちのエンジン音で何も聞こえない。
スタートラインの両側で盛大な花火が打ち上がった=レース開始。先頭を行くラリートラックは一斉に真っ黒いディーゼル煤塵を拭き上げた=最悪。10秒としないうちに、マッスルカーどもが先に抜き出て両駆二輪たちも隙間を縫うように先に行ってしまった。
「くそう、ハイブリットはせこいぜ。アーヤもレシプロエンジン付きを買えばよかったんじゃねーの」
「でもニシくんのアドバイスじゃ、燃費が悪く車重が重く故障も多くなるから、この場面だと反重力機構だけのほうが有利かもって」
「つったって、トーキョーじゃ車はどれもゴムタイヤを履いてるんだぜ。今回ばかりは、ニシの助言も役に立たないな」
レイナは呑気に構えていた。しかし隣ではアーヤが真剣な表情でハンドルを握りしめている。
コースの序盤はプラーバー市内を突っ切るコースだった。一般車両も多く走っている。危険な猛スピードのレース車両に驚いて一般車両が急停止=思わぬ障害物に何台かが盛大に追突した。
アーヤは小回りの聞くバギーを見事に操って、飛来するスクラップパーツをかわした。
「へへへ、どうみた? 私の運転テクニック」
「んー、呑気にしてられないかもな。市警だ」
そういう根回しは終わっているのかと思ったが/あるいはレースの盛り上げ役として、警察車両が後ろから猛追してくる。
「げ、正面! 道路封鎖」
「右だ! 路地を行くぞ」
警察の装甲トラックが道を塞いでいた。何台かのレース車両は両手を上げて降参している。小回りの効くバイカーたちに続いて狭い路地へと進んだ。
「あ、フリオさん!」
「さん付けで電柱男を呼ぶんじゃねーよ。あいつの電撃拳をくらったんだからな」
身体改造趣味なフリオ──を載せた全駆二輪──は、上半身だけが後ろを向いて腕を組んでいる。ちょっと笑っているようにも見える。悪趣味を通り越して悪夢だ。
路地の先は階段──何台かの前駆二輪が前転して転がり落ちた。バギーは左右に激しく揺れながらも、なんとか転覆を免れ、フリオが押し倒したフェンスを乗り越えてハイウェイに出れた。そしてカーブで道を逸れて荒野へ突き進む。
「えっと、このまま行けば第1チェックポイントだ」
「第1って……市内のあの騒ぎは織り込み済みってことかよ」
「主催者につながってるドライバーなら、検問やら市警のでばるタイミングを知ってただろうし。フリオさんのいうとおり、本当に八百長レースかも」
小高い丘の上にピックアップトラックが停まっていて、赤い旗がはためいている。通過の瞬間にカメラのフラッシュが焚かれる。最低なレースだが、最低限のルールは組み込まれている。
「運転、うまいじゃないか、アーヤ。もう参加者は3分の1か。これなら優勝も見えてきたな」
「ぐぬぬぬ、まだ気が抜けない」
アーヤは心配性……シスの言葉が蘇ってくる。包帯の下から人間観察をしていた。あたしをどう見ていたか、は死ぬまで知りたくない。
「少しは気を抜けって。まだレースは始まったばかりだ。バテちまうぜ」
フリオはすぐに見えないほど遠くまで行ってしまい、先頭集団の砂埃が見えるが、まだ追いつきそうにない。後ろからはラリー・トラック集団が猛追を仕掛けてきた。レシプロエンジンから反重力機構に切り替え、不安定な砂地でむしろ速度を上げてきた。
砂丘を登り、全駆二輪連中とバギーは減速もせず宙を飛んだ。これでトラック集団と離れることができたし、先頭を行くマッスルカー集団にも近づいた。
「よし、第2チェックポイント」
撮影の瞬間、レイナは身を乗り出してカメラに向かって中指を立てた。
「何そのポーズ?」
「さあ。でもニシがやってたからよ」
「なんだ、レイナちんもなんだかんだいってニシ君のこと好きじゃん」
クソが。アーヤが運転してなけりゃ一発殴っていたのに。
先頭を行くのはやはり下馬評どおりアタマ・マレィのピックアップトラックだった。荷台で自動機銃があちこちを向くので後続が追い抜きができないでいる。
正面に渓谷地帯が見えてきた。あの入口が第3チェックポイントだった。砂丘が終わり、なだらかな地面が広がるがこの先はさらに道幅が狭くなって追い抜きができなくなる。
後続のマッスルカーがこの機を逃さず、追撃を仕掛けた。トランクルームがパカリと開き、オレンジ色の炎が灯る。
「おいおい、ありゃロケットモーターかよ」
「うえ、何でもありじゃん」
まるで打ち上げ花火のような加速だった。あっという間に先頭のアタマ・マレィを追い越し──そして突如下から突き上げるような爆発に巻き込まれて空中で爆散した。
「うわっ今の何?」
アーヤが慌てたせいで車体がぐらつく。
「くそ。まさか」
レイナが後ろを振り返る。ラリー・トラック集団はこのタイミングで追い抜きし合っていたが、コースをやや外れた1台の荷台に地面から機械の円盤が飛び上がり、吸着して爆発した。
「くそ、軍用の吸着地雷だ! バギーなら反応しないと思うけど」
圧力感知もあった、ような。死んだ親父が話してくれたのを思い出す。腐獣がわらわら湧き出てきた時代、あちこちにあの手の地雷を埋めていた。ソレがまだ生きている。だから完全浮遊する前駆二輪が便利なのだと。
「どう考えても、偶然じゃなくない? レース主催者が仕掛けたとしか思えない」
同意。
第3チェックポイントを通過。文字通り生き残っているのは両手で数えられる程度。
渓谷の間にあるのは旧道で錆びた道路標識が時々、枯れ木のように地面に倒れている。
「こういう場合、上から撃たれたら終わりよね」
「くそ、前からだろ!」
先頭のアタマ・マレィの自動機銃が火を吹いた。2番手のマッスルカーは防弾仕様らしく弾丸を弾いたが、スピード優先な3番手のピックアップトラックはたちまち穴だらけに=炎上してコントロールを失い、横転して転がった。
後ろを行くフリオ=全駆二輪は悠然と燃えて転がるピックアップトラックを回避する。アーヤもバギーを道の横ギリギリに寄せて回避。しかし後ろを行くラリー・トラックは残骸に乗り上げてしまい、行動不能に。その巨体で道を塞いでしまいその後続は脱落した。
「うへ、やばいやばい」しかしアーヤの頬は紅潮して「しゃーっ 最高!」
「いいねぇ、アーヤ。いい女になってきた」
渓谷を抜けると第4チェックポイントだった。ループ橋を駆け上り岩山の上を走る。ここからプーパラー市の全貌が見える。レイナは呑気に景色を眺め、アーヤは必死にハンドルを操った。
生き残っているのはわずかに5台。先頭を行くアタマ・マレィ、2番手は完全防弾仕様のマッスルカー、3番手はフリオ=全駆二輪、4番手はフリオと同じく全身義体の前駆二輪、最後尾がレイナ&アーヤのバギーだった。
「さてそろそろ実力行使か。まずはあのムカつく電柱男を転がす」
レイナはショットガンにスラグ弾を詰めた。狙う先は全駆二輪の駆動系だった。義体の硬さは嫌と言うほど思い知ったが、動いている機械はそう丈夫には作られていないはず。
「もしくは、フリオさんと共闘してマレィを潰す」
「だがよ、それだとあたしらがやり合っているうちに別の誰かが抜け駆けするんじゃねーの。ブレーメン学派のありがたーい言葉にもあっただろ」
「おっレイナちんにしてはよく勉強してる! 『杏待つイタチ』ってね。すばしっこいイタチも、落ちてくる杏を待っているときは動きを止めるの。そこを猟師が仕留めるってね」
少しだけアーヤの表情が和らいだ。
第5チェックポイントを通過。ここから先は急カーブの連続する下りコースだった。直線で後続を引き離したアタマ・マレィと完全防弾マッスルカーも、下りでは減速せざるをえず、バイクとバギーが追いついた。
「やあ、アーヤ」
腕を組んだフリオ=全駆二輪がバギーと並走する。アーヤはちらりとフリオを見るがすぐ前を向いて運転に集中する──口元が緩んだまま。
「くそてめぇ、やい電柱男。前を向いて運転したらどうなんだ」
レイナが身を乗り出してショットガンを構える。
「銀髪のレイナ。この美しい義体を見くびってもらっては困る。視界はブレーメンのように300°もある。だから横を向いても走れるのさ。さて、おしゃべりはこのぐらいにして共闘といこう」
「んだとコラ」
「アタマ・マレィを潰す。2台目のマッスルカーは車軸から異音が聞こえる。地雷の破片でも当たったんだろう。そっちの前駆二輪の御仁も義体のアクチュエーターが壊れて運転だけで精一杯。だからアタマ・マレィを倒して八百長レースをひっくり返す」
「そーいって、あたしらを出し抜こうって……」
しかしフリオ=全駆二輪はレイナを無視して、
「俺はオーランドにツテがある。アーヤ、俺が勝てば結婚しよう。そして君の頭脳を活かしともに商売をしようじゃないか。表社会にも裏社会にも顔が利く、そういう成功者として」
クソみたいなプロポーズをしたあと、フリオは果敢にマレィに接近する。
「おい、アーヤ、聞いてんのか。あたしらにゃ金も反重力機構も必要なんだ! それに、あーなんだ、そう、あいつのちんこはシリコンだぞフニャチンなんだぞ」
「あーうん、アハハ。わかってるって」
第6チェックポイントで撮影される。ここから先はヘアピンの連続で、抜ければハイウェイ/ゴールまで一直線だった。仕掛けるなら今しかない。
フリオ=全駆二輪はマレィに急接近するとお得意の電撃拳でサイドミラー代わりのカメラを殴って破壊する。両側面の後部で防弾の車体がへこんだ。自動機銃もフリオを追いかけて銃撃を仕掛けたが、チタンとカーボンの防弾仕様の体には傷すらつかなかった。
「よっしゃ、あたしも行くぜ。電柱男に負けちゃいられねぇ。ほらアクセルだ、アーヤ。ベタぶみ」
「いやいやこの先カーブ!」
「内側を取れ」
バギーが果敢に前へ出た。ふらつく前駆二輪と今にも分解しそうなマッスルカーを抜き、ちょうどカーブに差し掛かったところでマレィの左側面に取り付いた。そして遠心力をそのままに、レイナはマレィの荷台に飛びついた。
「アジトで自動機銃の整備してて正解だったなぁ。まずは……」
至近距離からショットガンで照準用のカメラを破壊する。そして遠隔操作用の配線を力任せに引きちぎった。こうなればあとは手動操作のできる小口径機銃だ。
「えへへ。あたしの勝ちだ」
揺れる車上で、レイナは器用に立つと銃口を運転席へ向けた。濃いスモークガラス越しにドライバーと助手席のガンナーの輪郭が見える。機銃は左右の親指で同時にトリガーを押せば発射される──がレイナは右の親指をかけたまま左の親指を動かせずにいた。ドライバーはレイナを振り落とそうと左右に車体を振るが、銀髪の体幹を持ってすればブランコみたいなものだった。
「ちくしょう、ブルっちまった。ちゃんと避けろよ」
レイナは発射トリガーを押した。しかし銃口はまっすぐのまま、ドライバーとガンナーの間、ダッシュボードを狙った。小口径弾がスモークガラスを突き破りコンソールを破壊して盛大に火花が散る──義体化してたらこの程度、へでもないか──弾丸は反重力機構まで突き抜けて、高圧電線を引きちぎりラジエーターから水蒸気が立ち上った。
「ま、こんなもんか」
アタマ・マレィは制御を失いカーブを曲がりきれず岩壁へ邁進した。アーヤのバギーはヘアピンカーブを抜けた先/ちょうど真下にいた。
「飛ぶぞ! アーヤ、速度あわせろ」
レイナは宙へ躍り出た。ぼさぼさの銀髪が風に揺れる。後からやってくる恐怖心──これやばいかも。
1秒と経たずに落下/レイナはバギーのフレームにしがみついた。ブーツが地面を擦って足がタイヤに巻き込まれそうになる。はるか後方ではマレィからドライバーとガンナーが降りてきた。手足はまだつながっている。
「へへっ、どんなもんだい!」
「レイナ! むちゃしすぎ」
「あたしはな、名うての傭兵になるんだ。こんなもん、ちょちょいのちょいだ」
すこしだけ漏らしたことは、黙っていればバレない。
下りを抜けて第7チェックポイントを通過。残るコースは真っ直ぐなハイウェイだった。ダラダラ走る一般車両の間を抜けて全力で走る。先行するフリオ=全駆二輪が有利そうだったが、後輪のレシプロエンジンが不調らしく反重力機構だけで走っている。
「おいアーヤ、もっと速度は出ないのかよ」
「これ以上反重力機構に電力をまわすと制御盤が焼き付いちゃうって」
「そういやって言い訳して、フリオを勝たせようって」
「そんなわけないでしょ! 私たちは仲間なのよ」
サングラスの奥/アーヤのグレーの斜視の瞳が光る。
バギーとフリオ=全駆二輪と距離が縮まらない。第8チェックポイントで撮影を受ける。ここから先は市街地だった。障害物が多くてややフリオのほうが有利。ゴール地点まで幾ばくもない。
「くそう、負けたら反重力機構が手に入らない」
しかもアーヤまで取られてしまう。
しかし、前方で光の反射が見えた。ほんの一瞬だけ──そしてすぐ前方でひと連なりの狙撃が電柱の根本に命中して千切れた。電柱は電線を引きちぎりながらゆっくりと倒れて道路を塞ぐ。
「あーまずいってまずいって」「いけ、このまま突き進め!」
アーヤが叫ぶが、レイナが隣からアーヤの足を踏みつける。すぐ前方ではフリオが円筒形の電柱を乗り越えた。前輪は反重力機構なので問題はなかったが、後輪はレシプロエンジンが停止している。そして円筒形の電柱がタイヤに押されて転がり、乗り越えられないでいた。
「チャンスだ、アーヤ」
バギーは電柱を避け、一瞬だけ対向車線を逆走し前へ躍り出た。フリオは反重力機構の偏向推進を反転/後ろに進んで助走をつけようとしたが、すでにだいぶアーヤのバギーから引き離されている。
ゴールの駐機場=遠くからでも観客のざわめきが見える。大穴のレイナ&アーヤペアの到着。スタートラインの櫓の上ではエナメルのオネエサンがチェッカーフラッグを振っている。
「なーーーーんと、大番狂わせ! 無名のドライバー&ガンナーが帰ってまいりました!」電飾だらけの司会がマイクに向かって叫んでいる「さあドライバーの方はステージまで運転を──ああ、そこでストップストップ!」
アーヤがバギーを降りるとたちどころに人が集まってきて写真をしつこいまでに撮っている。そのフラッシュの群れの中で、アーヤはドギマギしながらも不器用な笑顔を作ってみせた。
「ほらほらどきやがれ。チャンピオンだぞあたしたちは」
レイナがショットガン片手に野次馬を追い払う。そしてアーヤの手を引いてステージ上へ上がった。会場全部が見渡せ、遅れてフリオがゴールインするのが見えた。
「で、あたしの反重力機構と金はどこだ? ん?」
ほしいもんもらってしまえばこんな違法改造マニアどもとおさらばできる。しかし司会の電飾男はレイナに返す言葉を探して愛想笑いを浮かべたままだった。
「んだよ、ポリスタファミリーが勝つって算段だったんだろ? でもよ、約束は約束だぜ。あたしらが買ったんだ。賞品と金をよこしやがれ」
レイナのよく通る声をマイクが拾っていた。“ポリスタ”の名前が出た途端、会場のあちこちでざわめきが広がった。
「ボスが不在なので、なんとも」
司会の電飾男がマイクのスイッチを切って言った。
「は、どういうことだよ」
「ご子息が棄権したあと『病院に連れて行く』とかなんとか。適当に優勝者は誤魔化してって」
「はっ、ざけんじゃねーよ。あたしらの苦労はなんだったんだよ」
しかし横でアーヤが肘をつつく。気がつけばステージに詰めかけているのは改造車マニアではなく強面のギャングたちだった。銃こそ見せていないものの、ジャケットの下のベルトは重そうにズレている。
「卑怯だぞ、てめぇら」
「そうだ、卑怯だ」
合いの手を入れてくれたのは、ニシだった。ニシはステージ脇から、頭頂部をハゲ散らかしたデブのオヤジと肩を組んで登場した。ニケは意気揚々にそしてデブのオヤジは額から頭頂部まで丸い汗をかいている。よく見てみると、左腕が背中へねじ上げられていて関節が外れる寸前だった。
ポリスタ・ファミリーのボスの登場にステージに詰め寄るギャングたちの表情が変わる。ボスが頷き顎で合図を送ると、アタッシュケースを抱えた男の秘書が現れた。
「優勝……賞品だ。連邦の譲渡用の無記名通貨カードだ」
「反重力機構は!」
レイナが叫んだ。ニシも“なかよく”肩を組んだので、デブのオヤジの情けない嗚咽が漏れた。
「ある。ケースにキーが着いているだろう。ピックアップの鍵だ。ほら、あそこに止めている。荷台にバーレイ・45型。オーランドでモスボール保管されていたひとつで未使用な上に新品だ。くそ、お前らにその価値はわからあああああああっ!」
ニシがピクリとも表情を変えずデブオヤジの腕をねじ上げる。
「もう一つ言うことがあるだろう。ほら、さっき練習したとおりに」
「あっはっ、4人が街を……出るまでは、だれも手出しをするな。絶対に!」
にこり。ニシは仕事を終えた、という涼しい顔で
「レイナ、鍵を受け取ってさっさと行くんだ。尾行に気をつけろよ」
「でも、ニシは」
「どのみちシスを回収してこなきゃいけない。前駆二輪の修理が終わった後でまたで落ち合おう」
くそ、またこいつに助けられた。隣ではアーヤがパルで、事の一部始終を撮影してプラーバー市のサイバーネットに中継していた。ボス自身から言質を取った以上、チンピラに絡まれることはなさそう。
アーヤのバギーを先頭に、レイナはピックアップトラックを運転してお祭り騒ぎの会場を後にした。ニシの言う通り、尾行をまくために街を一周した後、工務店に着いたときには周囲はすっかり暗くなっていた。
「ようおっちゃん!」
工務店の店主は店先のソファに座って、パルから顔を上げた。
「たまげたねぇ。ポリスタのボスを手駒にして」
「んだよ、知ってるのかよ」
店主はパルを見せ、アーヤが撮影した一部始終の、その転載動画を見せた。
「で、優勝賞品はバーレイ45型のしかも未使用だと? はっ、またずいぶん貴重なものを。どのみちバカ息子の成人祝いで、ついでにレースに勝たせて箔をもたせようって魂胆だったんだろうが」
「あー、けっこう大騒ぎになっちまった。おっちゃん、訳アリの品だが扱ってくれるのか」
レイナは優勝賞金の通過カードとここまで運転してきたピックアップの鍵を渡した。
「金さえ貰えれば、な。それにポリスタファミリーにとっちゃメンツが潰れたわけだ。ギャングも愛想をつかしてるさ」
金さえあれば──そうやって動いてくれるのは助かる。とはいえ、自分たちもロゼに金を渡されはるばるタムソムへ向かっているわけで、金で動くヒトの便利さをやっと理解した。
前駆二輪の魔改造の間はずっと工務店に泊まり込みだった。店先のシャッターを閉め、それでもショットガンは装填したまま手の届く範囲に置いていた。
改造のついでに店主は快く、レンチの持ち方から設計まであれこれレイナに教えてくれた。足りない部品は旋盤で魔法のように削り出してくれる。アーヤも食事の買い出しをしたりと気を使ってくれる。
「ニシくんとシス、大丈夫かな。まだ来ないけど」
「よろしくやってんだろ」
レイナが前駆二輪にまたがってイグニッションキーを回す。青い光が灯り、ふわりと地面から浮き上がる。以前とは違い、ガラス繊維樹脂製のカウルを取り付けて反重力機構を砂埃から守っている。高光度のヘッドライトも付けた。
やったぜ。親父のバイクの復活だ。まるまる3日、機械油にまみれながら苦労したかいがあった。これも仲間と協力して手に入れた新しい力だ。死んでしまった親父に堂々と報告できる。
「もう、にぶいなぁ。わたしたちの修理が終わるまで待ってくれてるんだよ。ギャングのボスを監禁してさ。人質」
「わかってるって。でももう修理も終わったし、あとは落ち合うだけだろ。場所は?」
「さっきパルにメールが届いてた。ハイウェイ沿いの廃墟。皇を称えた古い彫像」
「んだそれ?」
「皇! 綴りは」
アーヤは子音と母音を1字ずつ読み上げたが、言われなくても分かってる。
「やっぱり君らは企業連合の街から来たんかい?」
店主が現れた。片手にソーダ、もう片方にビールを持っている。レイナとアーヤはソーダをもらい、店主はソファに座ると缶ビールを開けた。
「ああ、フアラーンから。おっちゃんは皇がわかるのか? いや、綴りじゃなくて」
「んーなんだったか。俺がガキのときは皇がいたんだが、今はいない」
「んな、死んじまったのか」
「死んだかどうかまではわからないけど、今は宰相と連邦の国から選ばれた議員が政治をしている」
店主はパルを見ながら説明してくれた。
「ふうん。連邦も大変だなぁ」
「ま、連邦も企業連合も、あと財団も、俺たち庶民に取っちゃ変わりないさ。慎ましく仕事をしてビールを飲む。それで十分」
店主は喉を鳴らしてビールを飲んだ。こうして1本飲むと饒舌になる。
「これで修理は終わり。ありがとな、おっちゃん。見ず知らずのあたしたちに協力してくれて感謝だ」
「金、もらったからな。これも商売だ。そういうと身も蓋もないが、俺には娘がいたんだ。久しぶりににぎやかで楽しかった。ってそんな顔するな! まだ生きてる。ちょっとだけ喧嘩して会ってないだけだ。今はシーウネで公務員をしている。橋とかトンネルを管理する」
「意外だな」
「だからよ、余計な世話とは思うが、あまり危ないことに首を突っ込むんじゃないぞ、ふたりとも」
「へへ、それは約束できないな。なんたってあたしたちは名うての傭兵に……」
レイナはみなまで言い終わる前にアーヤに肘で小突かれた。
夜の闇に紛れ、アーヤのバギーが先導してプラーパー市から離れた。新しい反重力機構は古いのよりも格段に加速/減速能力が良くなり、電圧も安定したままだった。予想航続距離もほぼ倍に。貴重な機材だって言うのも納得だった。
プラーパー市からが見えなくなったところで、半ば砂に埋れた彫像があった。その下の止まっている乗用車にニシとシスの姿があり、人質はトランクの中だった。
「そうだ、ニシ。あの、そのなんだ。ありがとう、な。無茶な計画に協力してくれて」
「計画なんてなかっただろ」しかしニシは笑って、レイナのボサボサの銀髪を不器用に撫でた。「よくやったな」