13
朝。
いつもと同じ方向から太陽が登る。荒野と荒んだ街を照らして新しい1日の始まりを告げる。街のほとんどの住人にとっては昨日と同じ朝だ。この街から悪漢がひとり、減ったことを知るものはなく、朝のニュースを見ても深夜のクラブの銃撃事件には一切触れられなかった。誰かが撃たれ殺されたなんてフアラーンの街じゃニュースの価値はない。
「ニュースの語源は“新しく聞いた”という意味だそうだ。顔役と傭兵のいざこざなんて聞き飽きたから新しく聞いたじゃないんだろうな」
ニシがべらべらとうんちくを並べる。トーキョー語ってのは妙だ。ダイナーで朝食を摂っている間、だれも口を開こうとしないせいでニシが変に気を使ってくれた。
ニシの膝の上で機械ウサギが巨大パンケーキをもぐもぐ頬張っていた。つい昨日のフリオを思い出してしまう。あいつは脚が、そしてシスは耳がウサギだった。
「はい、レイナも食べる? あーん」
シスが切り分けたパンケーキを一切れ、フォークに刺して腕を伸ばした。
「いいって、あたしは」
シスの顔にはもう包帯はなく、きれいな青い大きな瞳が輝いていた。そして機械の顔面半分はお面が掛けてあった。ツノカバ──シスのお気に入りのキャラクターで、シスの検診をした義肢技工士がおまけでつけてくれた。遠目で見れば機械の耳ではなくファンシーなコスプレをした子供、というふうに見えた。
「だめ。牛乳だけじゃ大きくなれないよ」
「てめぇに言われたかねぇよ。シスこそ牛乳を飲まないと乳がデカくならないぞ」
「大丈夫だもん。ニシ、乳は小さいほうが良いって言ってたから」
レイナはぎろりとニシを見たが、聞こえていないというふうに窓の外を見たままだった。ニシの右腕はシスの背中に隠れているが、弾の装填されたままの拳銃を握っている。
「その話、私も聞いてたけどさ」アーヤがパルから顔を上げると、「長距離射撃のときは伏せたままだから胸は薄いほうが良いんだってさ」
アーヤはすぐにパルに視線を戻した。ほぼ不眠でフアラーンのサイバーネットに接続してニュース記事を読み漁っている。クラブ・ナンサイの騒動はネットの隅にわずかだが載っていた。主に陰謀好きと死体マニアと、そういった界隈だった。
「そんなに警戒すること無いだろ」
レイナは牛乳を飲み干す。ジョーから奪った金はもう口座に振り込んである。しばらくは値札を見ないで買い物ができるぐらいには懐が暖かかったが腹が減らないせいで新鮮牛乳をボトルごと注文してそれを飲んでいた。
「もう」アーヤは牛のように唸り、「朝のダイナーで銃撃はご法度、って傭兵たちの暗黙の了解があるけどさ、レイナ、わかる? サイバーネットにあたしたちの名前が一切ないの」
「『砂漠のトカゲ団』だっけか。ダサすぎて忘れてた。有名にならなくて残念だったな」
「そうじゃなくて! 殺されるかもしれないのよ!」
アーヤが叫ぶ/朝のダイナーが少しだけ静かになって、スローテンポのBGMが聞こえる。他の客たちはすぐに自分の皿のオムレツに視線を戻す。
「でもよ、ジョーは企業連合と財団の二重スパイだったんだ。連合からしても厄介なクソを厄介払いできてあたしらが狙われることはないんじゃないか?」
「むむ、レイナちんにしては筋が通ってる」
余計なお世話だ。
「あとはどっかに引っ越すか、だな。連邦系の街はどうだ? ジョーから頂いた金はたんまりあるんだ。ほとぼりが冷めるまで辺境域でのんびり暮らすのも悪くはないぜ」
「ふーん、レイナが静かに隠居するとは思えないんですけど」
「こー見えてあたしは“文化的”なんだぜ」
「ふーん、例えば」
アーヤが唇を尖らせる/レイナは視線が泳いでついニシの方を見た。
「俺は料理が好きだ。唯一大陸に来てずっと食事は買ってばかりだったから料理を作ってみたい。唯一大陸の料理でもいいし、日本料理も頑張れば作れるはずだ」
「たしか、なんだったか。ピザだろ? トーキョーの料理」
「いや、ピザはトーキョーじゃないんだが」
アーヤにピザという料理の詳細を話すと怪訝な顔をしていた。
「チーズを乗せてトマトソースと一緒に焼いて食べるトーキョーの料理? パンとチーズとを焼く?」
「わかったわかった。そんな変な顔をするな。きっと水牛がいないんだろう? 水牛がいなきゃモッツァレラは作れない。モッツァレラがなければマルゲリータが作れない」
トンチンカンで面白いやつだ。懐の拳銃を握りしめ視線はゆっくりと外と出入り口とを行ったり来たりしている。ソレさえなければおもしろな奴だと大声で笑えるのに。
しかしニシの警戒心があるからこそ、シスは不器用な手つきでパンケーキが食べられるし、アーヤは間抜け顔で顔役たちから着信拒否されているかどうか確認できるし、あたしは──新鮮牛乳を味わってボトル一つ丸々飲める。顔の傷は、ちょっとひどいニキビ程度に赤い点々が着いているだけ。いくつか深い傷は医療用バンテージで縫い針の代わりに貼ってある。これだと傷が残りにくいとニシが言っていた。
しかし──戦いのさなかニシがあたしの頬を撫でてまっすぐ黒い瞳で見つめてくれたこと、思い出すたびに熱くなる。だめだだめだ。アーヤの絶望顔を見て心を落ち着かせないと。
「ところで」ニシが久しぶりに喋った。「ダイナーで撃ち合いしないっていうルールは怪しいお金持ちにも通用するのか?」
何を、と聞き返す前に聞き覚えのある声で慇懃なあいさつが聞こえた。
「ご機嫌麗しゅう、みなさん」
シスはその女の巨大な乳に釘付けで、アーヤは死刑宣告されたみたいに固まっている。庶民派ダイナーには似つかわしくない黒の高級スーツで、しかしパンツスタイルに黒のタクティカルシューズというカタギではないスタイルだった。
「やあ。はじめまして。俺はニシ。前回会ったときは名前を聞いただろうか。名前を覚えるのは苦手なたちで」
「はじめまして、私はロゼ。わけあって身分は明かせないので、遠慮なくロゼ、とお呼びくださいまし」
この甘ったるい声/思い出した──いつぞや怪しい連邦兵士の暗殺を依頼した女だ。
「そうか、ロゼさん」ニケが交渉事にかって出て「このダイナーのおすすめは肉団子だ。豚の脂肉でかさ増ししているおかげで味が濃厚で最高だ。あなたみたいな人には口に合わないかもしれないが」
「滅相もありません、私いざとなれば虫も雑草も食べて生き延びる訓練をしておりますから」
美人の作り笑顔ほど怖いものはない。この手の連中は力じゃかなわない。2度3度の搦手を得意としている。
マネキンのように整った美女&だれがどう見ても銃を握っている黒髪黒瞳の青年という緊張感に、ダイナーの客たちもそそくさと自分の皿をカラにして店を後にする。店主も横目で二人を見ながらカウンターの下でショットガンに手を伸ばしている。
「お隣、いいかしら。混み合ったお話があるので」
ニコリ。その笑顔に恐怖してしまう。座席の配置がニシ&シスとアーヤが隣り合っているので、必然的にあたしが窓側へ避けざるを得ない。ケツをずらすと空いた場所にロゼが腰を下ろした。嗅いだこともない高級香水がにおう。大人の女ってこういうのを使うのか、こちとら匂い付きの石鹸を使うだけだっていうのに。
ロゼは脚を震わしているウェイトレスにアガモール茶を1杯注文し、ティーカップが届けられるまで背筋をまっすぐに微動だにせず沈黙を守った。数分の後、湯気のたつアガモール茶が届けられ、やっとロゼが口を開いた。
「仕事の依頼です。とある方の護衛を依頼したいのです。と、こちらが前金です」
ポーチからテーブルに分厚い封筒が置かれる。前金と聞かなければそれがひと仕事全部の報酬だと勘違いしそうだった。
「護衛か。よくある話だ。だがそのやたら高額な報酬は、一体何なんだ」
ニケが他3人が思っていることを代弁してくれた。
「ご返事はぜひ、「はい」か「いいえ」でお願いしますわ」
「そうか、そういうことか。じゃあ話を変えよう。つい昨日、俺達は雇い主を殺して街全部の顔役から不評を買った。そんな俺達に護衛の仕事を依頼する意図がわからない。非合理的だ」
「だから合理的なのです。裏切ったのは顔役、その不義を正すため多勢に無勢で殴り込み、そして勝った。素晴らしいではないですか。顔役どものいう信頼とは自分たちに不利益となるかどうか。そこに正義はありませんわ。ですが私からの仕事は間違いなく正義のための仕事。お好きでしょ、正義」
「いや、嫌いだね。正義を名乗るやつにろくなのはいなかった」
「うふふ、ではこう言いかえましょう。これは顔役のような裏稼業じゃありませんですわ。大勢を救うことになる、そういった仕事です」
「どういう意味だ」
「さて、それを言う許可を私は頂いておりませんので」
どうする。あたしはどうすれば良いんだ。ニシはまだこの女を信じていない。くそう、大人の香りで集中できない。いまここで突っぱねても良いはずだが、顔役をぶっ殺してしまった手前、この先 まともな仕事を受けられるかわからない。
金は、意外となんとかなるかもしれない。それ以上に大勢を救うという言葉が気になって仕方がない。傭兵の仕事ってのは、要は暴力を金で買われただけだ。たとえば、法律を破るような復讐をしたいなら傭兵を雇う。非合法なビジネスの護衛に傭兵を雇うとかだ。大勢を救うなんて謳い文句を聞いたことがない。
これはチャンスか。
「あたしは、この話、のっていいと思う」
レイナがそう宣言して、仲間の3人と視線が交差した。ニシは説教もせず、いつもと同じ目付きの悪い視線を送っている。
「わたしはね、ニシが良いって言うなら良いよ」
飼い主は責任をすべてペットに預けた。
「どうしよう」
アーヤは斜視の左目も一緒に瞳が揺れている。
「俺は──」ニシはやっと拳銃から手を離して「──まあいい、受けよう。レイナも本気みたいだし。なんとかなるだろう」
「ありがとうございます」ロゼは慇懃に例を述べると、「タムソム市にて合流です」
ロゼはすっと立ち上がって、ダイナーを後にした。そして高級全浮遊式の郊外用乗用車がちょうど迎えに現れ、すぐに見えなくなった。
「は? タムソム市? あの女、タムソム市っていった」「まじかよ、タムソム。頭おかしいんじゃないか」「タムソム市! ってどこだっけ」
3人の少女が三者三様、同時に反応した。
「あー、えっとアーヤ、説明してほしい。俺は知らない」
「タムソム市。めちゃ遠い。ここから北西の方向にある最北の市で、ブレーメン学派の聖地。あのあたりは連邦の支配領域で、治安は良いんだけど道中の検問がやたら厳しい。顔役でもあちらの商売には手を出さないの」
アーヤがロゼの差し出した分厚い封筒を開く。連邦の通貨カード、連合の紙幣、そして連邦の身分証明書が入っていた。
「むむむ、これがあれば検問も突破できるけど」
「それ偽造? いや本物なわけねーよな。使うのが嫌なら街道を通らなきゃ良いじゃん」
ちょうどレイナは、新鮮牛乳を飲み干してから言った。
「みんな同じことを考えるだよ、レイナちん。街道は軍が警備してる。そこを逸れたら腐獣やら軍崩れの盗賊団とか、そんなのばっかりだよ。まあ私も直接見たわけじゃないけど」
「あたしはさ何となくチャンスだと思うんだよね」手の中の偽造IDをくるくる回して、「大勢を救う仕事ってのが気になるんだ。あのロゼ、嘘は言ってない気がするんだ」
「“気がする”?」
ニシの片眉だけが動いた。
「あたしの勘はけっこう当たるんだ。嘘を言ってるとかそういうの。おまえ、ニシのことだって最初から嘘じゃないって分かってた」
「足蹴にしただろ、ショットガンを突きつけて」
「あれは、その。ごめん」
たまに思い出すあの失態──いやあんときは警戒するに越したことはなかった。なにせ黒髪に黒い瞳の、後ろ手に縛られた男が目の前にいたのだから。
レイナは恐る恐る顔を上げてニシを見た。しかしニシを初めシスもアーヤもニタニタ笑っている。
「てめーハメやがったな!」
「はいはい、おしゃべりはここまで。新しい仕事が決まったんだ。アジトに戻って準備しよう」