11
物語tips:シス
14歳くらい(に見える)謎多き少女。普段は口以外の顔を包帯で覆っていて絶対に外さない。
小柄で、褐色の肌に金髪。髪に銀色のメッシュが入っているため、腐獣の心臓を使った銀髪と思われる。
自分のことを「シス」と呼んでいる。言動からして子供っぽいが力持ちで、長大な狙撃銃を難なく扱う。都市部を歩くときは、ライフルを分解してゴルフバッグに予備のバレルと一緒にしまっている。
本人曰く、弾道計算の能力にテウヘルの心臓の効力があるらしく、偏差射撃もやってみせる。
感情に乏しく、記憶も曖昧なところが多いがニシには愛着があるらしく、初対面のとき最初に引き取ると申し出た。過去を全く語ろうとしないが、あるときアーヤに声をかけられて仲間になる。
自衛用にリボルバー拳銃を持っているが、手が小さいため扱いにくいらしい。
※暴力描写があります。ご注意ください。
†
昼間はあれだけ暑かったのに、深夜になると肌が粟立つほど気温が下がった。白い息が見えないよう口にスカーフを巻きつける。柔らかい温かさがちょうどいい。
現場はサパロップ市の外壁が見えるぐらい、街の端っこの再開発地区に建っていた。民家はなく、人気のない作業員用のバラックが点々としているくらい。市内のあちこちに見かけた監視カメラもここまで来れば見当たらない。
街灯と夜回りの警察車両を避けながら、レイナとニシは2ブロックほどを歩いた。ニシは風に吹く枯れ草のように素早く移動して、崩れた壁を乗り越えた。レイナも後に続こうとしたが、細い鉄骨が上を向いていてどこに手を置こうか迷った──というかニシはどうやって乗り越えたんだ。
ほぼ力任せ/片足が地面を踏みもう片方が夜空を蹴り上げる。垂直に飛び上がりロールしながら壁を乗り越えた──銀髪の筋力増強に感謝。
暗闇でニシの瞳が輝く。そして迷うことなく、積み上がった資材の箱の隙間を通って歩を進めた。アーヤが持っていた工場の見取り図は、しかしたった半日で覚えきれるわけもなく。ニシは笑って「訓練を受ければすぐ慣れるよ」と言って許してくれたがその優しさが憎い。
工場の資材置き場はどれもツルッとした再生プラスチックの箱で、高さは2人の背丈の倍あった。遮光シートで覆われパレットに固定されている。すぐ横の管理棟も更に奥の製造ラインも、大きい施設だが上ではなく横に広かった。
「さて、事前情報通りと良いだが」
ニシは扉の1つに張り付いた。鉄製のドアで鍵穴などなく、キーパットが電子錠につながっている。右手には拳銃、背中をドアに預け、左手で素早くキーパットを操作した。
レイナも立て膝で周囲を警戒する──見様見真似で/正しい動作かどうかわからない。ニシにきちんと閉所戦闘を教えてもらっておけばよかった。
パシャリ。軽い音がドアと壁の間から聞こえた。ニシが銃口を室内に向け、足音を殺して中へ進んだ。そして空いたほうの手でレイナの肩に触れて合図を送った。レイナもショットガンを抱えて室内に進んだ。
街が小綺麗なら工場の中も小綺麗だった。廊下は常夜灯が点いていて足元が分かる程度には明るい。この管理棟はモニターだらけの部屋が並んでいた。しかし室内に人影はなく、監視カメラもなかった。
「やっぱり変だ。静かすぎる」
「今何時だと思ってる? あったりまえだろ」
「んー雰囲気というか。人の気配がない」
気にし過ぎ、と笑い飛ばしたいところだが、あの優しい男が気迫に満ちている。
「無線機を。やっぱりこの仕事はやめよう。嫌な予感がする」
ニシが首をふるが、
「もうちょいはっきり言ったらどうなんだ。こちとらでかい仕事を受けて『やっぱできませんでした』って後戻りはできねぇんだ」
ついニシの腕を握ってしまっていた。強くてがっしりしている。たぶんこの男が言うことは正しい。
「この街に来てからだ。ずっとお膳立てさている」
「何だそれ」
「罠だ。国境ゲートの警備員もそうだ。たぶん、俺達が来ることを知らされていた。言えばすぐ通してくれたんだろうが賄賂をもらって驚いていた。この街の警察は規律に厳しい。服装規定に沿わないというだけで職質だ。それなのによそ者のレイナやアーヤに声ひとつかけない。この工場も人気が無い。でも無いように見えて多分こちらを監視している」
「ニシの勘、なんだろ」
「俺もよく使う手なんだ。わざと守りの薄い部分を作って気づかないふりをする。そして敵を誘い込む。攻撃は最大の防御、というが予見できる攻撃はかえって弱点だ。このまま進めば、アーヤやシスはまだしも君が危険にさらされる」
「バカ言ってんじゃねーよ」つい叫びそうになったが声をこらえた「あたしが? 危険? そんなの承知だっての。アウトローで生きるんだ。それぐらい乗り越えてやるさ。罠にだって食らいついてぶち壊してやる。そういう覚悟ができてんだ」
もう人生10回分の死線をくぐってきた。たかが潜入暗殺の仕事なんてわけない。もちろん罠だってあるさ。だがここでブルっちまったら仕事という仕事がなにもできなくなっちまう。そんな弱虫は嫌だ。むざむざ死んでいった父親の背中を超えないと。
「君は死ぬ気で、とか覚悟とか、そういう意味が分かっていない──はぁ、わかったよ。なんとかして君を守ろう」
「守ってもらわなくて結構。あたし1人でもできる」
レイナはすくっと立ち上がると先を急いだ。
「レイナ、地下への入口はこっちだ」
ニシが鍵のかかってない扉を開けた。点々と明かりが灯り、地下数階分 折り返しながら深くまで階段がつながっている。
レイナはショットガンを構え、銃口を階下に向けながら進んだ。しかし人の動く影はない。ゴキブリやネズミさえ見かけない。無機質な壁と床が交互に目に映る。
やっと地の底まで到達した。地上の施設はどこも新しくきれいに整備されていた。しかし地下部分はまるで違っていた。
天井は低く横に広い。周りの壁は打ちっぱなしのコンクリートだが床は一面 安っぽい緑のペンキが塗られている。重い荷物を運んだハンドリフトのタイヤ痕が続いている。タイヤ痕の向きも、天井を這う配管の束も一様に奥を向いていた。
すでに会話はない──この男も緊張するのか。ニシは拳銃を腰のホルスターに収め、代わりに三三式アサルトライフルを構えた。視線はやや遠くに向けながら中腰で歩を進める。
急に背後で機械のギアと油圧ポンプが軋む音が聞こえた。2人が音に反応して振り返ると、分厚い防爆ドアが天井から降りてきていた。ぴったりと床に付くと同時に、
「クソっ罠だ! 無線機も通じない」
「だから言っただろう、罠だと」
「いや、あたしは諦めない。“玉無しのロン”だったか。あの野郎、ハメやがったな」
「誰がハメたか、まだわからんが」
「いいや。野郎をぶっ殺してさっさとずらかる。以上!」
どのみち前に進むしか無いんだ。そして向こうがこちらに気づいている以上、こそこそしたってしょうがない。どれだけ敵が出てこようともぶち倒してやる。
地下通路はたまに右へ左へ曲がるが、一本道だった。ときおり、上へ登る階段が見えたが不自然にコンクリートの蓋で途中から封鎖してあった。どうもこの通路はかなり古い世代の作りに思えた。配管も、腐食して使われなくなった管の上から新しい配管を通している。電気配線も途中でちぎれて垂れ下がったまま。酸性の地下水でコンクリートの壁が溶け出している。
「作られてから100年は経っている。軍事施設というわけでもないが。何かを隠している気もする」
「何を?」
ニシが固まっていた。固まって通路の奥をじぃっと見ている。
二足歩行の見上げるほど巨大な人影。しかし薄暗い照明の中で目を凝らすとそれは人ではなかった。地面につくほど長くて太い腕、細い足はその巨体を支えることはできず、金属製の義肢が肉体の内側から生えて支えている。一歩踏み出すたびに背中から髪の毛のような束で生えている電気配線がコンクリートの床を削る。
「あれ……お、おいニシ。ありゃなんだよ。バケモンじゃないか」
体は機械と、人の皮膚らしいそれと、そして腐獣のように真っ黒な体液が体の中を流れていた。顔も人の皮膚が張り付いているようだが、それが“ロン”の正体か。
「玉無しのロン。なるほど、魂なしのロン。機械と生体の融合。合成生物、といった感じの」
「ぼけ、呑気に解説してんじゃねーっての!」
「もうすこし生物っぽいのとやりあったことがある」
怪物/合成生物のロンが咆哮をあげた。その大音量は狭い地下の空間を揺らした。淀んだ空気は腐獣のような臭気に満ちた。機械の手足と腐った肉体の融合個体だがその動きは速かった。どちらかといえば昆虫を思わせるように4つの手足を駆使して這い寄る。
ニシが1歩前へ出る。そしてライフルの引き金を絞った。鼓膜に響く発砲音/単発をほぼひと連なりで標的に撃ち込んだ。的が大きいせいで外すわけもない。バイタルポイントと思しき頭部や喉、胸の上部に命中するが、腐った肉片と黒い体液を飛び散らせるばかりで効果がない。
レイナもショットガンをかまえるが──いやこれ、撃ったところで効果があるのか? こんな巨体、見たことがない。だめだ足がすくんで動かない。ニシに教えてもらった通り自分の呼吸に意識を向ける。腐った空気を吸い込んでいると分かると頭が冴えてくる。
「避けろ! レイナ」
ニシがかがむ/レイナも怪物ロンが振るう巨木のような両腕を回避した。ロンの空振りは壁を穿ち、古い配管パイプをまとめて破壊した。
「レイナ! 走るぞ。この先に出口があるかもしれない」
「もし無かったら」
「どのみち後ろにもないんだ!」
ニシはすぐ立ち上がり駆け出した。レイナもそれに続く/すぐ頭上にロンの顔があった。前を向いたままぎょろりと赤い瞳が見下ろしている。腐獣/記憶の奥に封じ込めた恐怖がまたせりあがってくる。
「今のあたしは、戦えんだぞ! おらぁこれでも喰らえ」
2連式ショットガンをロンの顔めがけて一気に放った。そして効果を確かめることもなく弾けたように走った。呼吸も忘れ一息で走る。すぐニシに追いついた。
背後では巨大な生き物が這う音が聞こえるが一切振り向かなかった。漏れた地下水か怪物の体液か、液体を踏んでズルリと転けそうになる。横のニシが腕を掴んで支えてくれた。
「まだ、走れるか」
コクリとうなずき返す。こいつがいてくれてよかった。
地下通路はすぐ途切れ、眼の前には広い空間が広がっていた。あの怪物でも10匹は収容できそうな空間で、壁には意味深に数字と工業用の鎖がだらりとぶら下がっている。何よりも人の臓物の腐敗臭が満ちていて吐きそうになる。夕飯を抜いていて正解だった。
「実験施設。そういうことか」
ニシが見上げる先、一部分だけ黒いガラス貼りになっている。あれはクラブでみたことがある。こちらからでは見通せないマジックガラスだった。ニシはそのガラスに、なぜか中指だけを1本だけ立てている。
「その、仕草は?」
「心底ムカつく相手にだけ見せる動作だ」
「トーキョーってのは妙なところだ」
レイナは敵のいない瞬間に、ショットガン・シェルを排莢して次の弾丸を詰める。親指ほどのスラグ弾で、あの巨体にどれだけ効果があるかは未知数。となりのニシも新しい弾倉をライフルに叩き込んだ。
「来た!」
「おいあいつ、さっきの傷が治ってるじゃんか!」
怪物ロンが体を引きずって現れた。弾痕がうがった穴はすっかり塞がっている。顔の部分も形がいびつに歪んでいるが、元通り。真っ黒い体液がその体を流れた跡が残っているだけ。
「あの黒い体液、あと臭いも腐獣の心臓に似ている。何か関係があるんじゃないのか」
ニシがライフルを構えたまま早口で唱えた。
「あーまてまて、オヤジがなにか言っていた気がする」
「早いとこ思い出さないと2人揃って怪物の餌だ」
「焦らすな。あ、そうだ。心臓を介して宇宙のエネルギーを集めるんだ。だから銀髪は傷も治るし体も強くなる……参考になったか」
「あーいや。わからない」
くそオヤジ、もっとマシなこと教えろってんだ。
怪物ロンがうなり咆哮をあげる。バカ正直にまっすぐ突進するだけだ。
「俺が引き付ける。レイナはやつの弱点を」
「弱点って言われても」
ニシは3点バースト射撃でロンの攻撃を引き受けた。巨大な腕が高速で振るわれても難なく回避して弾丸を食らわせる。しかし怪物の方も次第にニシの動きに慣れてきて、赤い小さな瞳で弾倉の交換を見切ると一気呵成に覆いかぶさろうとした。
「あークソクソ、考えろ。こんなときどうすれば良いんだっけか」ロンの機械配線だらけの背中を見て「そうだ足だ! 機械の足なら! 壊したら再生できない」
膝が震えて前に出ない。でも一歩踏み出さないと。ニシは攻撃が避けきられず吹き飛ばされて壁にぶつかった。ぐにゃりと人形みたいにうずくまっている。あたしが、あたしがなんとかしないと。
「あーーーーーくそが。動けって」
自分の足に拳を叩きつける/痛い。痛みがわかる。まだ生きている。生きているのだから動ける。あたしは、強い。なんだってできる。
一気に駆け出した。肺に吸い込む腐った空気でむせ返りそうになったが、走った。
ロンの背中の電気配線も、巨体のせいで細く見えていたが近くで見ればひとつひとつが水道管ほどもあり、それぞればバチバチと火花をちらしていた。左右に揺れるそれらを避けで滑り込む。すぐ目の前に機械と生身が半分ずつの膝があった。
「クソ、これでも食らってオシャカになりやがれ」
ショットガンの銃口を向けて引き金を絞る。盛大な銃声と火花が飛び散る。肉のほとんどは削げ落ちたが、まだ機械的なアクチュエーターが有機的に動いている。すぐに次のシェルを装填──発射したがかえって跳弾がレイナの肌を引き裂いた。
ショットガンを収め無骨なマチェーテに持ち替える。それを機械の隙間に差し込んで力任せに押す。銀髪の力の恩恵で、鉄がしなりきしみ、そして弾けた。ボルトとベアリングがまとめて弾け飛んだ。
途端に巨大な怪物ロンの図体は前のめりにバランスを崩した。同じ要領で反対側の足の膝裏も破壊してやる。こっちは肉のほうが多くて銃弾だけで破壊できた。
「あはっ、やったぜ。ざまぁねえな」
不気味な怪物も床に突っ伏して動けない。レイナは手に持つマチェーテで、怪物ロンの首筋に深々と突き刺してやった。途中、金属らしい硬さに当たったのでもう一度引き抜いて深々と刺す。どす黒い体液が湧いて出てくる。ぽっかりと空いた傷口に2発、スラグ弾を撃ち込んでやった。
「へへ、どうだ痛いか」
怪物ロンはぐるぐると唸る音を立てているが動かなくなってしまった。念の為、もう2発、ロンの額に食らわせておいた。するとズルリと人の皮が剥け落ちて機械配線だらけの黒い肉塊が現れた。これはこれで吐き気を催す気持ち悪さだった。
「ニシ、大丈夫か。無理に動かなくてもいい。怪我しているだろ」
「いや、俺は大丈夫だ。“死なない”からさ」
どう見ても骨の2,3本は折れる吹き飛ばされ方だったが、ニシはすんなりと直立した。さらにはライフルを抱えて動作を確かめている。
「ヒヤッとしたんだぜ」
「心配してくれてどうも。だけどレイナ、よくがんばったな。おかげで怪物を倒せた」
ニシはいつもの優しいニシだった。ほほえみながらレイナのボサボサ頭を撫でる。
「やめろって、小っ恥ずかしいだろ。こんなのラクショーだっての。あたしをみくびんじゃねーよ」
すこし漏らしたことは、言わなきゃバレない。
しかし、次はどうしたものかと悩んだ。ここから先、出口らしい鋼鉄の扉があるにはあるが、こちら側からだと電子錠の入力パットはおろか取っ手すらない。来た道を戻ったところであの防爆ドアはもっと開けにくい。
「レイナ、あのマジックガラスのところまで飛べるか? ほら銀髪の力で」
「できるわけないだろ。あたしは神話のブレーメンじゃないんだ。こういうときは、あーあれだろ。排水口とか換気口から」
「それは映画だけだよ」
むー。さっきは褒めてくれたのに。
のそり。背後で動く気配があった。ショットガンをとっさに構える。ニシもライフルの銃口を向けた。
怪物ロンがまだ生きていた。生きているというより、虫のようにブルブルと震えながら腐った黒い肉塊をふるい落としている。ゆっくりと起き上がりながら機械の骨格があらわになる。
「脱皮した! おいニシ、みたか!」
「機械の髑髏。こんなときユキがいたら……」
脱皮した怪物ロンは、どろっとした黒い体液をまといながらも骨格は金属だった。その内側で人の頭ぐらいの大きさの心臓が拍動を続けている。ニシはすかさず/正確な射撃を加える。しかし1発目が命中した途端、金属シャッターが閉じて2発目から無意味に火花が散るだけだった。
「あの骨格、鉄……じゃないな。手持ちの武器だけじゃ無理だ」
「じゃ、じゃあどうするんだよ」
しかし返事に少しだけ間が空いた。
「俺が敵を引き付ける。その間に、レイナは必死で壁をよじ登るんだ」
「だけど!」
「あそこの柱なら天井近くまで行けるだろう。あとはパイプにぶら下がりながら上のマジックガラスを割って中に入るんだ」
「んなことできるわけ──」
「できなきゃ仲良く死ぬだけだ」
あーくそくそ。全部くそったれだ。
「てめぇがカッコつけて死ぬのをみすみす見逃せってのか。できるわけないだろ」
「大丈夫。俺は“死なない”」
くそ、どういう意味だ。
怪物ロンがノソリと起き上がる/同時に頭上でマジックガラスが粉々に割れて降ってきた。
「なっ!」
小さな影が中を横切った。そしてまっすぐ怪物ロンの背中に取り付く。背中の中央で力任せにその外装を引き剥がす。そして配線の束をちぎってかき分け、至近距離で大切に保護されていたそれに銃弾を撃ち込む。護身用のリボルバー×6発。
怪物ロンは体をブルっと震わせ、背中の異物を振り払う/小さい影が吹き飛ばされる。
背中に電気配線をまとって現れたのは脳だった。人の脳じゃない、しかし腐獣でもない、巨大な歪んだ肉塊だった。暴れるロンの背中で配線につながった脳がちゅうぶらりんに揺れている。
「任せろ、あたしなら当てられる」
ショットガンを散弾に素早く替える/1秒の半分ほどで照準を合わせて引き金を絞った。肉塊はとたんに弾け飛んで、怪物ロンの機械体は動かなくなった。
「さっきの、あれシスだったよな」
ふと頭上を見ると、割れた窓から慣れないロープ懸下で降りてくるドレッドヘアがいた。
「あんにゃろ! アーヤまで来たぞ。どうなってんだ」
「レイナはシスを。俺はアーヤが落ちてきたときに備える」
その提案には大賛成だ。あいつの薄い尻の下敷きになるのはゴメンだ。
レイナは全力でシスのもとへ駆け寄った。シスはぐったりしていたがなんとか自力で起き上がれそうだった。全身に怪物ロンの体液を浴びていて触れるのに躊躇した。
「おい、おいチンチクリン、無事か?」
うーん、と唸るだけで返事がない。シスはぼんやりと頭を振りながらしかし手元はしっかりと拳銃を握り、予備の弾を1つずつ詰めている。
「うん、問題ない。エヘヘ、わたし丈夫だから」
「ったくどいつもこいつも。死なないだの丈夫だの好き勝手言いやがって。それよか、お前あんな強かったっけ」
「2人がピンチだったから。つい」
シスはへらへらと包帯の下で笑っていた。銃を握る指先に違和感があった。黒い体液がべっとり付いているその下は、皮膚が剥がれその下の機械アクチュエーターが忙しなく動いている。
はらり。緩んだ包帯がほどけてシスの膝の上に落ちる。そしてレイナは息を呑んで見入ってしまった。
シスの顔の左半分が機械だった。目があるべき場所には機械式のレンズが収まり、蜘蛛の複眼のように小さいレンズが点々と生えていた。右の青い瞳と同時に左の機械の目も動いて焦点が絞られる瞬間がよくわかった。左右の耳は無く機械の集音器が収まっていた。
「シス、その体。いったいどうなってんだ」
ニシと、そしてヘトヘトになったアーヤも駆けつけたが、シスの異様な姿に息を呑んだ。
「えへへ。ここね、わたしのおうちなんだ」
シスはそう言って、機械式の指で額の上辺りを指さした。消えかかったバーコードと格式張ったフォントで数字が刻まれていた。
「40……」
「えへへ。40だからシス。わたしが付けた名前じゃないけど。でもこの目、便利なんだよ。遠くだって見渡せるし弾道計測プロセッサと組み合わせたらどんなところからも狙撃が……」
レイナは、気づいたらシスを抱きしめていた。
「すまない。いままで、お前の気も知らないで」
「えへへへ、いい子いい子、よくがんばりました。レイナはいい子だね。一応言っておくとわたしのほうが歳上なんだからね」
「ばか、頑張ってんのはお前のほうだろ」
「別に困ったことはないんだよ。ずっと前からこの体だし、この施設から逃げ出して、いつの間にか檻の中で、他の変な動物たちと一緒にサーカスにいて。傭兵団のおじさんがわたしを買い取ってくれていろいろ戦い方も教えてくれて。アーヤは根掘り葉掘り聞かず仲間にしてくれたし、レイナも、口は悪いしぶっきらぼうだしでも本当はいい子だって知ってるから」
バカやろう。
「すると、シスはここの施設にいたんだな」ニシが確認する「だからずっと浮かない顔をしていた」
「うん。みんなにどう打ち明けていいかわかんなくて。危ないかどうかもわかんなくて。ずっと昔のことだし。ごめん。でも2人が施設に入ってから急に外が慌ただしくなって。だからつい体が動いたの」
「追いかけるの、大変だったんだよ」アーヤもやっと息を整えた。「さ、ここから出よ。あのロープを登ればすぐだから。私は登れないから、引っ張り上げてくれると助かる」
アーヤの顔は絶望だった。
「いや、その必要はなさそうだ」
ニシがライフルを構える/視線の先には、鋼鉄製のドアが横に開き、わらわらとライフルを抱えた兵士たちが現れた。武装のひとつひとつに財団の三対の三角形が描かれている。ライフルの銃身下のフラッシュライトであちこちを照らしている。こちらは柱の陰にいるのでまだ見つかっていない。
「おいクソ、どうする? 数は向こうのほうが上だぞ」
ニシは柱の端から少しだけ向こうをみやっった。
「なんとかなる」
「つったってよ」
「なんとかする前に、お説教からだ──」
ニシは、さっきの優男から一変冷たくレイナたちを見下ろしていた。
「──まずアーヤ。前金もなしに殺しの仕事を請けるなんてありえない。これはいいチャンスだと言ったね。でも君は良いカモだ。世間知らず経験も足りていない。そのくせ向上心ばかり。今まで顔役が相手にしなかったのは、そういう世間知らずの小娘に向けたせめてもの情だ。そもそも傭兵に必要な体力すらままならないだろ。あともう少し厚着するべきだ、暑くても。傷が増えれば感染症もあるし、血が出れば追跡されるとき不利になる」
アーヤは唇を噛み締めていた/本人が一番良くわかっていること。
「──そしてシス。ずっとキミを見ていたが、なんというか危険を承知でそれを仲間に言っていない。今回の仕事だけじゃない。ずっとだ。まるでずっと死にたがってるような。仲間と行動すべきじゃない」
「わたし、もう十分 幸せだからいつ死んでも良い」
レイナは、いま腕の中で抱きしめている半分機械の少女を見た。包帯の下でそんな事を考えていたなんて。
「──あとレイナ」
「んだよ。言われなくてもわかってる。向こう見ずだ、って言いたいんだろ」
「もう少し具体的に言ってやる。仕事に勇気が必要なのは確かだが、危険に飛び込むことを勇気だと勘違いしている。蛮勇は勇気じゃない。いままで生き残れたのは勇気のおかげじゃない。単に運が良かっただけだ。そして今回も。よかったな、俺がいて。そうでなきゃ3回は死んでた」
「でもよ!」
「運も実力のうちって? いや、違うね。今まで顔役や手練れの傭兵を見てきただろう。彼らは運で生き残ったんじゃない。知恵で生き残ったんだ。策略を巡らせ、“プランB”を用意している」
「びぃ?」
「腹案だ。仕事に失敗したときの逃げ道は? セーフハウスは? ほとぼりが冷めるまで潜伏する資金は? ツテとコネは? ないだろ。無いやつは“鉄砲玉”って言われてるんだ。使い捨てのコマだよ」
「じゃあたしは良いように使えるコマってことかよ」
「そうだ。よくわかったな。賢い。シス、頭をなでてやれ」
「ざけんじゃねぇ!」
「今回は、俺がなんとかする。今まで世話になった礼だ。だがこの先は、せめて長生きできるようよくよく考えて行動するんだ」
ニシはそう言うと、ライフルをアーヤに預け、刃渡りの小さいナイフと拳銃だけで兵士たちの方へ歩いていってしまった。
どういう意味だよ/どうしろってんだよ。腕の中で、シスは起き上がれるぐらいには回復した。アーヤは半泣きのまま当てにならない。どうにかシスを1人で立たせたが、あたしは何をすべきなんだ。マジな顔でニシに全部弱点を見ぬかれていた。ああやって優しくしてたときも腹にそんなもん抱えてたなんて。
ムカつくったらない。何よりも自分にムカつく。意味もなく涙が流れてムカつく。
聞き取れないぐらいの話し声がしたと思ったら突然乾いた銃声が響いた。ライフルのメチャクチャな乱射と間を挟むように息の途絶えた死体が吐き出す血の音も聞こえる。ほんの10秒ぐらいでシンと静まってしまった。
「おい、どうなった?」
ショットガンを握る手が小刻みに震えていた。地面が足を踏んでいる感覚がない──また呼吸を忘れていた。視界も狭まっていることに気づけた。
大丈夫──あたしはまだ死んじゃいない。
意を決して柱の陰から出た。出口の方で、13の死体が倒れててその中央にニシが立っていた。全身に鮮血を浴び、弾が空になったライフルを死体の方へ投げ捨てて自分の拳銃の弾倉を交換した。
「おい、まじかよ」
ふらつく足取りニシのもとへ向かう。転がっている死体は、腕が妙な方へねじれたやつ、全身にライフル弾を食らったやつ、至近距離から拳銃で頭を吹き飛ばされたやつ……そんなのばかりだ。
「ニシ……ニシ、無事なのか。怪我は」
「ん、問題ない」
しかし服があちこち裂けているし明らかに血が流れ出した痕があるが、
「言っただろ。俺は“死なないんだ”。いや、死ねない、か」
「何 くだらねぇこと言ってんだ」
「落ち着いてからゆっくり話すよ」ニシはライフルをアーヤから受け取って「まだ仕事は終わっちゃいない。行こう」
ニシは足早に、開け放たれた通路へ向かった。シスとアーヤを挟んでレイナは最後尾でショットガンを構えた。
さっきまでの地下通路とは違って、こちら側は新しくきれいに整備されていた。そして何よりも地上へ向けて緩やかに傾斜しているのが3人を安心させた。行き止まりで、ニシがドアを蹴破る/短い発砲。
たぶん地上か、地上に近い地下施設だろう。レイナがドアをくぐると警備兵の死体が2つ、そして逃げ惑う非武装の研究員たちがいた。仕組みのわからない何かの実験器具、液体につかった肉塊、天井はたくさんの通信ケーブルや電気配線が走っている。
「ここから先は見取り図には書いていなかった」
ニシはしゃがんでライフルの残弾を確かめる。そして手頃な職員を捕まえようと視線が動いている。
「ね、こっち。わたし覚えてる。こっち来て」
一同が怪訝な顔をしたが、シスの足取りも確かなので小さな背中を追った。ひとつ階を上がると、研究員の個室が並ぶエリアだった。逃げ遅れた白衣の男女が自動販売機の隅で震えている。
「見せもんじゃねーんですけど! 死にたくなきゃさっさと逃げやがれってんですわ」
アーヤが口角から泡を飛ばしながら叫んでいた。短機関銃をブンブンと振り回して、かつてどこかで見た子羊を追い立てる黒い犬のようだった。
「ヤケになんなっての」
「もう止めた! かまととぶるの止めた」
「それ意味 違ぇ」
「アウトローなのよ。ワルなのよ……ぐすっ、これぐらいヤンなきゃダメなの」
「じゃあぶち殺せよ。どうせろくでもねぇ研究してる連中だ」
「ぐすっ……丸腰は撃てないの!」
だめだ、アーヤがぶっ壊れちまった。
シスが、こっちこっちと指差す先は廊下の突き当たりにある部屋だった。他といたって変わらないが表札がかかっていない。そして鍵が電子キーだった。
その扉が内側から開き、中から出てきたのは高級スーツに身をまとった細身の中年男性だった。ニシが警戒してライフルを向けるが、彼の目にはシスしか映っていなかった。
「ああ、シス。よく帰ってきたね」
思ったより低い声だった。そしてあっけにとられたシスをひしと抱きしめた。
「だれ?」
「シスのパパだよ。会いたかったよ。ああこれも愛の力なんだね」
シスは目を──右の生身の方の目を──ぱちくりさせた。
「あんたが、シスや地下の怪物を作ったんだな」
ニシはナイフのような視線を中年の研究員に向けた。
「君たちがシスを連れて帰ってくれたんだね。ありがとう。私はグフィカ。ここの主任研究員で、そうシスのパパだ。だが作ったという言い方は心外だ。私は命を与えたんだ」
「与えた? 機械の体の怪物を作ったんだろうが。ふざけたこと抜かすな」
「わかってない、君たちは全くわかっていない。命の創造だ。これは今後唯一大陸でなによりも大切な希望の種なんだよ」
「命の創造なんて第1の人類でさえ実現できなかった。文字通り神の領域だ」
「む、なんだその言い方は。君はオーランドの回帰主義のようだ。まさか司書からきたのか」
ニシは黙って首を横に振った。
「この罠は、あんたのせいか」
「私はただ、実験体の行動実験と給餌を兼ねて、銀髪の傭兵を依頼しただけなんだ」
とたんにレイナは反応し、グフィカのシャツの襟を持って首を絞め上げた。
「てめぇがあたしらをハメたんだな。餌だって? ふざけんな」
しかしグフィカは動じなかった。
「ふん、運良く腐獣の心臓に適合したから良いものを。君はその奇跡のさわりすら理解していない。そして意気揚々と銀髪の傭兵を目指したんだろうが、結局はまがい物のヒトだ。弱くちっぽけな。だから私の研究が必要なんだ。ヒトの体と機械の強靭さ、それを腐獣の心臓をもって橋渡しとする」
グフィカがおじけずにずらずらと喋る/反対にレイナの顔が真っ赤に=その鉄拳をグフィカの鷲鼻にお見舞いしそうになったが、間にシスが入った。
「パパ? わたしをつくったの?」
ちくしょう=シスはいつも以上にとぼけてやがる。ぼんやりした大きい瞳と無機質な丸いレンズでグフィカを見た。
「そうだよ、シス。もう40年も前になるねぇ。覚えているかい? 培養槽を出て1人で歩けるようになったとき、いっしょに施設の中を歩いたよねぇ。文字や絵をかいたり、ツノカバのアニメを一緒に見たよね」
「覚えてる。覚えてるのは痛かったことだけ。ずっと『やめて』って叫んだのに」
「あは、それは、実験のためにはしょうがないことだったんだ。もともとシスの体は病に冒されていて、施設に引き取ったときにはもう死ぬ寸前でね。私が研究していたテウヘルの心臓と義肢の融合実験を用いたんだ」
「本当の父親じゃないのか」
ニシが顔をしかめる。
「なにも血の繋がりばかりが父娘というわけじゃない。私は長い時間、この子に心血を注いだ。文字通りだよ、寝る間も惜しんで研究した。この子の成功はゆくゆくは唯一大陸を救うと、確信した」
「そういう偽善に満ちた研究者をこれまで何人も見てきた。その被害者もだ。虫唾が走る。研究の途中で産み落とされる失敗作の気持ち、考えたことがないだろう」
「君ら凡人は何もわかっていない。この研究がどれだけ重要なことか! 今唯一大陸においてヒトの生存が危ぶまれているんだぞ! 刻一刻と……」
グフィカは気色ばんで声を荒らげたが、シスがその手をしとと握ってなだめた。
「ね、ぱ、パパ?」
「なんだい、シス」
グフィカはシスと同じ視線の高さにしゃがんだ。真っ直ぐ見るとどぎつい機械の顔でさえ愛おしそうになでている。
「わたし、思い出した」
「おお、いいねいいねぇ。補助脳では記憶の時間軸が欠如してしまっていた。そうして古い記録を呼び覚ますことは新たな神経野を──」
ばらばらと喋るグフィカの言葉はそこで途切れた。目をまんまるに開いて、その相貌には恐怖と困惑とシスの機械の瞳が映っていた。
「わたしね、思い出した。シスを拾ってくれた傭兵団の団長さんが教えてくれたの。ムカつく相手は必ず殺さなきゃいけないんだって」
そして、無邪気な笑顔で微笑む。生の瞳は目尻が細く、レンズの目は焦点が機械的に絞られる。
レイナも、そしてニシも唖然としアーヤは胃が裏返りそうに口元を抑えた/シスの腕が、機械仕掛け×腐獣の心臓の力を持ってグフィカの口から脳まで貫通していた。わずかに残った命で、グフィカが震えていたが、すぐ眼球が裏返りぐったりと崩れ落ちた。
「わたしね、ずっと忘れてたの」シスは死体に馬乗りになって、機械の拳でグフィカを殴る「この気持ち、なんなんだろな、って。溜まって溜まって溜まって、でも全然わかんなくて。この施設から逃げ出してやっとわかった」
殴り続けるせいでグフィカの頭の骨が割れ、眼球が飛び出した。
「──痛いのは普通じゃない、檻に入れられるのは普通じゃない、裸のまま機械に繋がれて何日も観察されるのは普通じゃない──」
一言喋るたびに文字通りの鉄拳が振るわれる。頭があった部分は脳髄と血肉が混ざった沼と化している。ところどころ割れた頭蓋骨が白く光るが、シスの鉄拳で砕かれる。
「──愛だなんだっていって裸で一緒に寝たり撫で回されたり、普通じゃないって知った。わたしは自由に生きて良い、良いんだ!」
シスの拳がより高く振り上げられた、が機械仕掛け×腐獣の腕力が途中で引き止められる/ニシがその細腕を握っていた。
「もうそいつは死んでる。そのぐらいにしておけ」
「ニシ、目、黄色に輝いてる」
「ああ、いろいろ。事情があるんだ」
「本物のブレーメン?」
「いやちがう。それだけは嘘じゃない」
「わたしを愛してくれる?」
しかしニシは逡巡した後、ひざまずいてシスと視線を合わせた。
「愛とは、与えるものだ。与えられるものじゃない。シスも愛を与えればきっと愛される特別な存在になれる」
ニシは、こんな事言うヤツだったか。血なまぐさい現場なのに落ち着いて、シスの顔に付いた血痕を拭いてやってる。機械の体に躊躇せず、しかしシスがキスしたがっているのをわざと避けて額を軽く当てただけ──あの仕草は何だ?
気まずい&羨ましい。うらやま……そんなわけない。あたしはあたしだ。愛なんていらねぇ。
隣では吐き気を我慢しながらアーヤがグフィカのパルを腕から引き離していた。そして死体の指紋で暗証解除を行うと早速自分の指紋に上書きをした。
「なに、してんだお前」
「私たちをだましたやつを見つけたくてさ。こいつのパルなら全部証拠が残ってるかなって。私なりに、できること、がんばる」
アーヤは今にも吐きそうに、唇を噛んでいた。生きていたヒトの新鮮な脳の臭いなんて、そうそう嗅ぐことはない。アーヤは閉じかけていたグフィカの研究室に飛び込んで、手近な箱に、目に付くモノすべてを投げ込んでいる。高価そうな機材、企業連合系の紙幣の束を投げ込む──やっぱりアーヤはぶっ壊れた。
「高そうなのがあった! 一緒に昔のシスの写真もある!」
アーヤが抱えているのは1対の三角形の機材だった。構造は炭素素材で皮膚に似せたシリコンがかぶせてある。識別タグには<感覚域拡張器 改良Ⅲ型>とあった。そして古い写真ではその尖った部品をシスに耳の位置に取り付けている。
「シス、知らない」
「知らないも何も、高そうだから持っていいく! 以上」
アーヤはグフィカのバッグパックを拝借すると、機械から資料まで詰められるだけを詰めた。
一行はニシを先導に研究施設から併設された工場へ移動した。研究施設への入口は巧妙に資材箱の横で隠されていて、一歩外へ出れば変哲もない、半導体部品の製造ラインだった。今は人の気配がまったくなく、防犯用の明かりが寂しく灯っているだけだった。丁寧に非常口ランプに照らされながら外へ出ることができた。冷たくて新鮮な空気が気持ちいい。
「って、敵がいないじゃん」
レイナは警戒を解かずショットガンを構えていた。
「施設にいた警備兵たちは、どれも本職の兵士とは程遠かった。たぶん、セキュリティが厳しくてそういう警備係も内々で兼任してたんだろう」
「じゃあ、もう敵は来ない?」
「来ない。警察だって来ないだろうがさっさと逃げたほうが良い。アーヤ、バギーはどこに?」
今度はアーヤを先頭に深夜の郊外の町を走った。早朝に回収予定のゴミ山の横に、バギーは停めてあった。
レイナはショットガンに装填したままだった弾を引き抜いた。大仕事が終わって疲れがどっと押し寄せてきた。
物語tips:義体化技術
当初は医療用で開発された機械化義肢や人工臓器(※第2章参照)は、普及するに従って軍事目的で強化兵士用に普及していった。現代では傭兵が戦闘力を強化するため生身のほうが少ない改造を施す例もある。
一方で研究開発については、国ごとに大きな隔たりがある。連邦では研究が許可制で制約が多く、企業連合系の国では市場が寡占状態であるため、開発が遅々として進まなかった。一方で、財団系の国や研究所ではその研究の有望性さえ認められれば青天井の資金と非人道的な実験も憚らずまかり通っている。